4.「カルメン」第4幕 ストーリーと音楽

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5.カルメン探訪(1) カルメンはどんな女性?

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6.カルメン探訪(2)カルメンをめぐる男たち

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7.カルメン探訪(3) 作品誕生秘話

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8.オペラの舞台裏

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9.オペラに関連する楽曲名

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10.おわりに

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デイホーム日誌(8) 脳が喜ぶ歌の会 第6回

6月17日(土)

梅雨入りした後も青空が続きますが、デイホーム野沢周辺のアジサイも色づいてきました。

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近くの蕎麦屋さんで、まずはお昼の腹ごしらえ。


「脳が喜ぶ歌の会」、本日のテーマは、懐かしい昭和のテーマ曲


お茶の間のテレビから流れていたあの番組のテーマ音楽…昭和30年代~「歌」の入っているものを選んでみました。

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♪「夢で逢いましょう」 バラエティ「夢で逢いましょう」テーマ昭和36年

♪「男はつらいよ」   映画「フーテンの寅さん」テーマ 昭和44年

♪「世界の国からこんにちは」     大阪万博テーマ 昭和45年

♪「あぁ人生に涙あり」        「水戸黄門」テーマ 昭和44年

♪「ありがとう」     TBSドラマ「ありがとう」テーマ  昭和45年

♪「贈る言葉」        「3年B組金八先生」テーマ 昭和54年

♪見上げてごらん夜の星を  私の「脳が喜ぶ歌の会」のテーマ曲


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◆「男はつらいよ」…職員の方と共演

冒頭と終わりの寅さんのナレーションを、職員の望月さんにお願いしました。

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外国に長く住んでいるとこの映画は懐かしく、日本に帰る飛行機でこの映画を観るとなぜか安心して亡くなってしまわれる方もいるとか…そんな話をしてくださった望月さんも「寅さん」のファンのようです。

事前の打ち合わせもリハーサルもなくぶっつけ本番でしたが、間合いはばっちりでした!


◆「水戸黄門」…替え歌で脳トレ

時代劇の中で唯一「歌」の入っているのがこの「水戸黄門」のテーマ。3番まであるんです!
歌詞は七・五…の連続なので、他の歌の歌詞もぴったりはまるのはけっこう有名ですね。

 1.「どんぐりころころ」、2.「楽しいひなまつり」、3.「夕焼け小焼け」

の歌詞で、もういちど歌っていただきました。

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★クリックすると大きな画面になります


◆「贈る言葉」


きょうの歌の中ではいちばん新しい曲、ご存知「3年B組金八先生」のテーマですね。

「海援隊」のコンサートでこの曲を演奏すると、客席で涙を流している人がいるそうです。
若き日の武田鉄矢さんは「俺たちの演奏に感動して泣いてる」と思ったそうですが、どうもそうじゃないことに武田さんは気づいたそうです。

この歌は卒業式はじめさまざまな場面で歌われ、みなさんそれぞれの心の中に「贈る言葉」があるんだな、それがよみがえってきて涙しているんだ、と。

そう、歌・音楽にはそういう力があるんですね。

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休憩をはさんで、おととい亡くなられた野際陽子さんが歌われた「キイハンター」テーマ(「非情のライセンス」)、それに続いて放映された「Gメン75」、「特別機動捜査隊」(=小林亜星作曲、刑事ドラマとして最長)や映画音楽など…

入所者の皆さんもだいぶこの会に馴染んできて下さり、私もちょっと余裕が出てきて、予定にない曲も…(笑)
皆さんの「懐かしいこの一曲」も募集したい旨、職員スタッフさんからも告知していただきました。


♪デイホーム野沢のHPでもご紹介いただいてます。
  → For You 脳が喜ぶ歌会 6.17

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★クリックすると大きな画像になります


♪次回は7月15日(土)。

とっても元気で明るい歌のお姉さまをお迎えする予定です。

「テロ等準備罪」の矛盾・問題点

6月15日(木)

ついに今朝、「中間報告」などという異例の形で「テロ等準備罪=共謀罪あらため」が参議院を通過してしまいました。またしても与党の「数の力」によって、国民や野党の強い反発・疑問に答えることなく…

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今国会の会期中になんとしてもこの法案を通したい与党と、それを阻止したい野党との攻防が頂点に達し、採決まで秒読み段階となった6月14日(水)夕方、私はFacebook上で次のような「問いかけ」をしました。

これだけ問題・危険・矛盾に満ち、多くの国民や野党が反対する法案が、またしても「数の力」で強引に通されようとしているのに、現政権を「信じ」て疑わない人たち、および政治的な話題に触れようとしないで黙認される人たちは、私のこの素朴な疑問(=反対派の不安・憤り)についてどうお考えなのか…と。


私からの問いかけ(6月14日(水)FB投稿のコピーより)>

Q1.「テロ等準備罪」の中味をよくご存じでしょうか?

Q2.では、この法案が本当にテロの防止に有効だと思われますか?
その理由もお聞かせください。


Q3.277もの行為をひとまとめに「準備罪」とみなすようですが、では現行法における殺人・殺人予備罪・殺人未遂罪、凶器準備集合罪、その他「強盗」や「放火」などの重大な刑法犯罪に付加された「未遂罪」…それらとの整合性はどうなのでしょうか?

Q4.現行の刑法では、「実行の着手」があって初めて犯罪としての構成要件が成立します。ところが「準備罪」では、なにをもってどの段階で「準備」とみなされるのでしょうか?

Q5.今の法体系にはない、まだ実行に着手されていない「意思」「話すこと」だけで捜査対象となるとすれば、憲法で定める基本的人権の侵害にはならないのでしょうか?

そして…

Q6.上にあげたような基本的なことが、国会の審議できちんと説明され、議論は尽くされたと思いますか?

どうか、私にも理解・納得できるように、明確な説明をお願いします。



「国民の多くは今の政権を支持していて、反対しているのは少数」、「野党の質問がくだらないから無駄な時間を費やすことになる」といったご意見をお持ちの方は私も知る範囲でも何人かいらっしゃいます。

しかし皆さんどこまで「テロ等準備罪=共謀罪あらため」について中身をご存知なんでしょうか?

テロ等準備罪




一夜明けて、私の問いかけに何人かの方からコメントをいただきました。みなさんありがとうございます。

ある方からは「せっかく高木さんがこのように項目別に問いかけられているのだから、〇〇さんちゃんと答えてはいかがですか?」とあり、それに促されるように賛成論の方から回答がありました。

しかしその内容は「私は法律の専門家ではないのでそこは分からない」とのこと。

また「高木さんのこれらの質問は、法律の専門家でないと分からないものなのでしょうか?」との公開の問いかけもいただきました。

私も決して法律の専門家ではありません。ただ、今からもう35年以上前ですが、いちおう法学部で学んだことのある者として、ごくごく一般的な法律の基本認識として…

新しい法案を提示するのであれば、「テロ等の重大犯罪を未然に防ぐため」という大きな目的(立法趣旨)は良いとして、ではそのために、どういう人のどういう行為を対象にするのか、その適用範囲は、今ある法律(刑法など)とのバランスは、そしてこの法案がテロを防ぐのに有効といえるかどうか…といったことを国会の場で徹底的に議論すべきだと思うのです。

国民はもちろん、国民の代表として選ばれた国会議員といえども必ずしも法律の専門家ばかりではありません。しかし、国会は立法府(=新しい法律をつくるところ)です。

もし法律の専門的知識が必要なら、専門委員に諮問してもいい。考えうるさまざまなケースを想定して、あまり具体的に書きすぎることなく包括的・普遍的に、しかも政権や司法の判断いかんによっては無制限に拡大解釈されないように条文を練り、それをもとにしっかり議論し、精査し、与野党とも理解・納得できる法案を通す必要があるはずです。

「法律の専門家ではないので…」とおっしゃる方に、Q3~Q5の回答は求めません(→それに関する私の見解は次に述べます)。

しかしせめて最後のQ6、すなわち「上にあげたような基本的なことが、国会の審議できちんと説明され、議論は尽くされたと思いますか?」…はどうでしょうか。

「ちゃんと議論されたとは言えませんね」と、そこは素直に認めてくれました。
ただし「与党も、(くだらない質問をする)野党もグダグダですね」と一言添えて。

はたしてそうでしょうか…?


野党はしっかり質問している

国会議員の中にも、弁護士の資格を持つ方や検察での実務経験のある方もいらっしゃいます。

たとえば社民党の福島みずほ氏、民進党の山尾志桜里氏、日本共産党の小池晃氏…etc.
彼らは、これまでの国会でもNHKの朝の政治討論番組でも、法律の専門家の立場から、まさに私の挙げたQ3~Q5のような質問を繰り返し投げ続けてこられました。

しかし、それに対してきちんと答えてこなかった(=答えることができない)のは安倍総理および大臣ら与党側ですよ。

安倍総理は「この法案は犯罪組織を対象とするもので、一般人を対象とするものではない(→だから心配には及ばない)」と繰り返してきました。

これは喩えるなら、薬の副作用を心配する患者に対して「この薬は本来〇〇を治療するためのものですから」と言っているのと同じレベルです。心配・質問への答えになっていません。

では組織犯罪集団と一般の団体・個人とをどうやって見分けるのか?

捜査してみなければ分からないではないか?
誰(どこ)が「疑わしい」と決めて捜査対象とするのか?

もともと表向き「犯罪目的」で設立される組織なんてどこにも実在しません。本来の設立目的は宗教団体であったり市民活動を掲げる団体であったり会社であったり…しかしある時「犯罪目的」に豹変することがありうるとすれば、どの段階でそれを「危険な犯罪組織」と見極めることができるのか?

刑事局長は「すべての人・団体が対象となりうる」と答弁しました。安倍総理の言っていることとまったく矛盾してるじゃないですか!

一般人が捜査対象になることは当然あるのです。そこをなぜ安倍総理は正直に言わないのでしょうか?



また、277もの「行為」を列挙してますが、それらが「テロ等の準備」に当たるかどうかをどうやって見極めるんでしょうか?

この議論の中で、「山菜やタケノコを不法に採って売れば、テロの資金となる可能性がある」だの、「花見にはふつうお酒と弁当をもっていくもの。もし双眼鏡や地図を持っていたら『下見』である」などというバカげた議論が出てきました。答弁する側(法務大臣)の口から出てきたのです。決して野党の質問がくだらないからじゃありません。

何をもって「テロ等の準備」とみなすのか、その定義も判断基準もあいまいな中で、そこを問いただすのは、法案を議論する上でごく当然の質問です。

山尾議員からの「では海産物はどうなんですか?」という質問をバカげてるとおっしゃいますが、あえてそういう質問をぶつけることで、「山菜やタケノコだけでなく海産物だって売ればテロの資金に流れる可能性だってありうるわけですよね?」を確認し→「そんなバカげた法案があり得ますか?」ということを国会での質問を通じて国民に示してくれたわけです。

とにかくこうした矛盾が、質疑を重ねれば重ねるほど露呈してくるわけです。だからさっさと審議を打ち切って強引に通してしまいたいのでしょう。


◆Q3~Q5は 「答えられない」が答え

私からいろいろと「問いかけ」を列挙しましたが、Q3~Q5に関してはいずれも「答えられない、答えようがない」というのが私の結論です。思わせぶりに申し訳ありません。
しかし法案を出した与党側も、法務大臣もまともに答えられないんですから、私から代弁して答えられるはずがありません。

仮にもこの法案に賛成され、いまの政権を良しとする方たちは、このあたりをどう理解してどうお答えになるんだろう…と。
それが私からの問いかけだったのです。

街でプラカードを掲げて反対していた20代の女子大生、30代とおぼしき主婦とちょっと話したことがありますが、まさに私がQ3~Q5で書いたようなことがあいまいで、「政府や司法の判断いかんによってはいかようにも適用できてしまい、国民の自由な権利を著しく犯す憲法違反ともいえるこの法案を通すわけにはいかない」と、ちゃんと本質を分かって反対してらっしゃるんです。
感情論で、自民党案になんてもかんでも「反対」してるんじゃないんですね。

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一方、安倍政権をなんとなく信じて支持(容認)してきて、表向きかかげる目的・大義名分は「ごもっとも」だから…?
それだけでなんとなく「賛成(容認)」されてるんでしょうか?
まあ、それはいいとして、ではその中身について安倍総理がいつも口にするように「ていねいに説明」され「しっかり議論」していると言えるんでしょうか?

それができていないのに、どうして「賛成(容認)」できるんでしょうか?
もし私が「賛成論に回って記事を書け」と言われたら、もうちょっともっともらしい理由をこじつけますけどね…(笑)

★例えば、私の見解ですが…

重大な犯罪を未然に防ぐためのものとして、いまも警察官による職務質問がありますね。
夜自転車に乗っているだけで、警察官に呼び止められ、根掘り葉掘りいろいろ聞かれ、住所や免許証など個人情報を提示させられ、反抗したり振り切って逃げたりすれば公務執行妨害で逮捕される…ある意味人権侵害ですよね。
しかし、もしかしたら重大犯罪の疑いがある人物かもしれない。それを警察官は職権として質問するわけです。

つまり、社会の安全を守ること(=公共の福祉)とのバランスで、多少なりとも個人の自由・権利を制限せざるを得ない場面もある…テロ等準備罪もそういう視点で必要なものである、と。
そのうえで、防ぐべき危険とのバランスにおいて、何をどの程度まで捜査対象と認めるか、基本的人権が不当に侵害されないための対策は…といった議論をしても良いのではないでしょうか?


♪金田法務大臣もお気の毒…

不信任決議案や問責決議案を突き付けられたあの金田法務大臣、ネット上ではかなり皆さんから罵倒されているようですが、私は最近、あの方は気の毒だと思うようになりました。

問責決議案を出されでも怒ることなく、「私としては一生懸命答弁してきたつもり」と答え…
仮にも一橋大学の法学部の出身で、エリート官僚の道を進んできた人物。脳梗塞の後遺症もあってか活舌が悪かったりしますが、決して頭の悪い人ではない、少なくとも悪徳政治家ではないんじゃないかと。

むしろ法律に関する一般常識があるから、あんな法案について「説明のしようがない、答えようがない」。
具体的に突っ込まれて真面目に答弁しようとすればするほど(法案の)ボロが出る、そういう法案なんだと私は見ます。

安倍政権のもとでこの時期に法務大臣に任ぜられ、なんとかこの場をしのいで法案の可決成立にもっていくように…との絶対的使命を負って針の筵のような毎日をすごした気の毒な方…そんな風にさえ思えてきます。


目的→法案のすり替え

これまでの「特定秘密保護法案」しかり、「集団的自衛権」しかり、大義名分として掲げる目的と、そのために出してくる法案の中味がまったくかみ合ってないのです。そのすり替え・トリックをどう見るのでしょう?


*特定秘密保護法


公的機関が情報の流出を防がなくてはいけないこと(=特定秘密)がある。
そのために、「国民の知る権利」や「報道の自由・表現の自由」を多少犠牲にしてもやむを得ない場合もある。

たとえば人質を取られた事件が進行中に、必ずしも捜査情報をマスコミに流さずに伏せる、など、人質の命を守り、犯人側に捜査の手の内を明かさないために…

こうした趣旨をきちんと丁寧に説明し、もしそれに類することが他の省庁においてもあるとすれば、それはどういうものが考えられるのか?といったことを具体的に出して、それを精査して検討する。そういう議論がきちんと国会でなされたといえるでしょうか?

質疑を打ち切り、強引に採決して通してから、各省庁に「どんなことを特定秘密にしますか」的なアンケートを取っている…話の順序が逆でしょう!

★いま問題となっている文科省の内部文書の存在を勇気をもって(=森裕子議員の言葉を借りれば「命がけ」で)告発した職員。
彼らを「行政の内部事情を漏洩した」として処分しようなどという不穏な話しもあるようですが、公務員による秘密漏洩にこれまで以上に厳しい罰則を与えようというのがこの「特定秘密保護法」です。

メディアからの取材に「身の上を考えると、答えるわけにはいかない」となる。それは国民が真実を知る権利、メディアの報道の自由を脅かすものです。
女優の藤原紀香さんも、あの法案が出てきたときにまさにこれを心配して「とんでもない法案」と自身のblogで訴えられていたのです。なのに安倍総理は「報道の自由を脅かすものではない」と言い続けました。



*集団的自衛権

もし「日本人の命と安全を守るため」なのだとしたら、なぜいきなり集団的自衛権なんでしょうか?
万一の大災害や他国から攻撃を受けるといった非常事態に、今の憲法の下でできうる自衛隊の活動・範囲・指揮命令系統についてしっかり議論されたでしょうか?

そして個別的自衛権の範囲内でできうることを議論したうえで、こういうケースではどうしても対応できないから、集団的自衛権も必要になるのでは、という筋道を立てた議論が国会でなされたでしょうか?

そうした議論は、まったくと言ってよいほどされてませんよね!
そして自衛隊は南スーダンへ。情勢が悪化し、迫撃砲がすぐ近くに打ち込まれ、隊員の中には「死」を覚悟して家族に遺書を書いた人も…。それでも政府は「戦闘行為」は行われていない、と。
そして「日本の発展に寄与した」って、何を言ってるんでしょうか?


*テロ等準備罪=共謀罪あらため

今回の「テロ等準備罪」も同様、目的として掲げたこと(=凶悪なテロを未然に防ぐこと、および国際的な基準に標準をあわせること)は大切なこと。世界の各地でテロが多発している昨今、誰も否定できないことですね。
でも、本当にテロを未然に防ぐ目的で法案を出すのであれば、あの法案なんでしょうか?

今は人権侵害にあたるとして禁止されている「おとり捜査」「通信傍受」といったことが捜査機関によって行われるようになるなど、運用によっては国民の人権を侵害する危険があるだけで、その割には、現実的にテロの予防にこんな法案がどれほど役立つのでしょう?

現実に起こりうるテロに対応するのであれば、交通機関や多くの人が集まる施設・街の監視カメラのチェック体制の強化、インターネットのセキュリティ強化と危険な用語のチェック、過去に犯罪歴のある者の情報を全国の都道府県の警察で共有できているか、海外に渡航中の危険な人物の情報をどこまで把握できているか…etc.

「山菜やタケノコ採り」なんかを議論してる暇に、現実のテロ対策としてやるべきことが山ほどあるでしょう。


政府(時の政権)の判断次第でいかようにも…

野党からの質問にまともに答え(られ)ず、議論になっていない…
そんな法案をなぜ今国会の会期中に何が何でも可決成立させたいんでしょうか?

都議選も近づく中、いったん出した法案を撤回したら印象が悪くなる(=いわば「引っ込みがつかない」から)でしょうか?
むしろこんなに多くの国民が反対している法案をまたしても強引に通したら、ますますイメージが悪くなると思いますが…

これまで「数の力」で通してきた法案・政策すべてに言えることですが、「政府(時の政権)の判断」でいかようにでも適用範囲を広げることができ、「力を発動できる体制」を早く作りたいのでしょう。

さまざまな「忖度」に絡む疑惑追及の手も迫ってきている中で、早く「形」をつくってしまいたかったのではないでしょうか?

だとすれば、それは完全に民主主義への冒涜です。こんなにも議会運営をないがしろにした暴挙が、はたして民主主義国家で許されるのでしょうか?

どうか心ある国民・有権者たちは、そこをしっかり見て怒るべきところは怒ってほしいと思います。まさにそれが民主主義の力=「民意」だと私は思います。

→ 民意の「民」は、民主主義の「民」


民意の「民」は、民主主義の「民」

6月14日(水)


まだ犯罪の実行に着手していない段階で、277もの行為を捜査・処罰の対象にできる「テロ等準備罪=共謀債あらため」の参議院での採決が秒読み段階に入っています。

しかしこの法案の基本的な問題はどこにあるのか、その内容とあわせてどれほどの人が正しく理解されているのでしょうか?

テロ等準備罪


一方、「政治とカネ」の疑惑は後を絶たず、政治資金規正法違反の疑いで辞任した大臣、公私混同で辞めた前東京都知事、そして今問題となっている森友や加計に代表されるさまざまな「忖度」の疑惑…
挙げたらきりがありません。

また、政権側から出されてくる政策・法案の内容についてはいかがでしょう?

本当に国民生活を守り、豊かにしてくれるものでしょうか…?
私にはどうも今の政権から出されてくる政策・法案は、大企業や政治にとって有利なもの、庶民の暮らしをますます苦しめて格差を拡大するものが圧倒的に多いように思えてなりません。

しかし日本の国民(有権者・納税者)はとっても大人しく、疑惑を追及する声も、政策や法案に反対を唱える声も全体の中では一部にとどまっているようです。

疑惑追及から辞任に追い込まれた大臣や元東京都知事などの例も記憶に新しいところですが、みな公職を「辞任」すればそれで幕引きで、その後「政治資金規正法違反」「業務上横領」などの罪で刑事告発される例はほとんどありません。なぜなのでしょう?

こうした政治家の不正・疑惑に対して、一部の人たちはネット上で「とんでもない!」と怒りますが、内閣の支持率は一向に下がることもなく、次の選挙結果へもつながらない不思議…



◆「民意」ということ


これらの現象を「民意(民度)が低い」と表現すると、「日本の国民をバカにしている」とお叱りが飛んできますが、どうも「民意(民度)」という言葉を私がこうした場面で使うのとはまったく違う意味でとらえられているのではないかと思うのです。

日本人は昔から「和」を尊び、美しいものを求める民族です。
社会的な安定・秩序、安全、順序良く並ぶなど公共マナーといった面での「民意」は世界に誇れるほど高いと思います。

また、文字を読み書きできない人はほとんどいませんね。なんだかんだ義務教育の徹底により、国民の知的水準は保たれてきました。

また、コンサートで来日した演奏家がアンコールに応えてなにかもう一曲演奏してくれる際に、英語だけではなくフランス語・ドイツ語・チェコ語などその演奏家の母国語で曲名を言うと、観客の中にはその曲名をすぐに理解して拍手する人がけっこう多いことに驚きます。そうした文化・教養レベルはとても高いのです。

ところが…

政治に対する関心・意識は?

決して知識・教養レベルが低いわけではなく、頭が悪いわけでもない。
しかし、こと政治の問題(=私たちの社会に関する問題、子どもたちの将来に関する大切な問題)になると、とたんに口をつぐんでしまう人が多いのです。

日本では宗教の話と政治の話はタブーみたいな風潮があって、あまり自分の意見・どの政党を支持するか・今の政権や政策についてどう思うか…といった話題をほとんど口にしない傾向が強いです。

お隣の韓国をはじめ、欧州(イギリス、アイルランド、ドイツなど)と比べても、選挙や国民投票などの投票率が軒並み日本よりはるかに高いです。街頭インタビューでも、若者たちが将来の国の行く末を本当に心配し、ある政治家に期待を託す声、あるいは現職の政治家を弾劾する声がかなり具体的に出てきます。

それに対して日本では国政選挙でも地方選挙でも、どこの地域でも軒並み50%そこそこの投票率。
しかも、投票に行く人の多くは「いまの与党も問題だけど、野党もねぇ」「他よりマシだから」でけっきょくなんだかんだ「現状維持」「安定政権」を支持(容認)して現政権に「数の力」を与えてしまう…

いまの政治の体質的な問題、政策論の中味がしっかり議論されることなく、なんでも「数の力」で押し切られてしまう異常ともいうべき国会運営…

安倍総理がいつも口にする「丁寧に説明」、「しっかり議論」、「理解を深めていく」ということが、国会の審議の中できちんと実行されていると言えますか?

野党の反対意見や質問をいかにはぐらかし、逃げ、ごまかして、さっさと法案を「数の力」で通してしまおう…そんな姑息な国会運営ばかりがあまりにも多すぎませんか?

国会は本来「国民のための議論の場」です。なのに、与野党の政治的な「かけひきの場」になってしまっていて、ちっとも本質的な議論、かみあう議論がなされていません。
野党の声もちゃんと聴いて、多角的な検討をしっかり積み重ねて、野党の理解・賛成も得られなくてはどんな法案も通らないようにする…そうした民主主義の基本はどうなってしまったのでしょうか?


民主主義の「民」

「数の力」への驕りから、政治家・閣僚らのとんでもない失言問題や汚職にも結び付いているのではないか、と指摘されています。
では、そもそも、なぜそのような「数の力」を与えてしまったのでしょうか?

私は思うに「優勢なのはA党かB党か」といった二者択一で、「どっちが勝つか」の勝ち馬に一票、みんな(多数)が支持してるだろうから…という意識がこういう結果を招いていしまっていると。

そもそも民主主義って何なんでしょうか?

政治家の不正が発覚すると「まあ、そういう人を選んだのはわれわれ有権者だから」などと妙に物分かりのいい大人たち。
選挙の段階では、公約・信条を信じてその人に一票投じたんですよね。その人が、公約に反することをやったり、まして違法な行為を行ったら、それは有権者に対する「裏切り」ですよね。なぜそこを厳しく追及しないんでしょうか?

投票で選ばれた私たちの「代表」のその後を見守る、われわれの声を代弁してくれてたら応援する、そして不正は追求する…そこまで見届けて次の選挙に反映させるまでがわれわれ有権者の務めではないんでしょうか?

このように、さまざまな場面で「あれ?、本当に民主主義の基本を分かってるのかな?」と思わざるを得ないような発言・行動が目につくのです。

せっかくわれわれ国民に平等に与えられた「民主主義」。その民主主義をきちんと理解し、無駄にしないで活かす、そういう意味での「民」の力、「民」の意思、それが「民意(民度)」ではないでしょうか?


日本人の深層意識

まさかここに来て、40年ちかく前の大学での一般教養の内容を思い出すとは思いませんでしたが…

日本人の「法」に対する意識(=一般教養の「法学」にて)。

法律を勉強する、あるいは司法試験を受けて弁護士・検事・裁判官になる。そういう世界は一般の人から見ると敷居の高い別世界、という意識が日本人には強いと。
一方、私人間のトラブルを話し合いで解決できず「裁判」に持ち込んだり法律の条文を持ち出したりすると、「あの人は…」と白い目で見られる風潮がある、とも。
つまり日本人の意識の中には、法律はいわば「伝家の宝刀」のように、高いところに飾られたもので、めったなことで抜くべきではない、という意識があると。

そしてもうひとつ

政治的無関心(=「社会学」大衆文化論の中で)

勤勉で、経済に敏感で、産業・技術の進歩では目覚ましい力を発揮する日本人。最近では先端産業(←1970年代の言葉です)など、いっそう専門特化した分野の発展も著しい。
ある専門分野に関してはものすごく素晴らしい能力が磨かれている一方、仕事から解放された個人の自由時間には、あまり難しいことを考えたくない、のんびり楽しくすごしたい…という欲求も当然強くなる。
そこで、政治の話などは、本当は私たち社会みんなにとって大切な話であるにもかかわらず、仕事以外ではあまり難しいことは考えたくない、自分には直接関係ないこと、という意識が少なからず生まれやすいのではないか、と。



これらはいずれも、社会学的なマクロな目から見た仮説です。
文化人類学でいう「日本人論」も、さまざまな日本人や外国人のさまざまな立場の人たちの目から、日本人という民族の歴史や自然的・社会的環境などと関連づけながら、「日本人」という大きな集団のもつ特性について研究する分野です。

たとえばその中で、日本人は農耕民族だから、みなと一緒に種を蒔き、皆と一緒に刈り取り、村の行事は総出で助け合う…それが当たり前とされてきた。村八分となることは死活問題。みなと一緒に行動し、みなと一緒に楽しみ、みなと一緒に分かち合う…そういう国民性が長年の習慣の中でも身についてきた、と。

だから、遊牧民族のように、天候や羊たちの体力などを自分で判断して行く先・行動を決める「主体性」を要求しても、民族の特性として難しいのではないかと。

こうした「日本人論」の仮説的な見方はとても興味を引くものです。

しかし中には「日本人といったって色々いる。全員がそうじゃないはずだし、私は違う、一緒にしないでくれ」などという反論が必ず出るわけです。場合によっては「日本人をバカにするのか」とも(笑)。



社会科学というのは、自然科学と違って実験装置の中にある条件だけを入れて「実験」してその結果を科学的に検証することはできません。さまざまな要素が複雑に絡み合っている中で、ある要因とある結果になんらかの因果関係があるのではないか、を考察するものです。

それを「すべてがそうとは言えない」などと反証を挙げたり、「どっちが優れてるか」みたいなニュアンスで受け取って感情論で反発していたら、意義のある考察はすべて意味のないものになってしまい、文化人類学も民俗学も社会学や集団心理学も語れなくなってしまいます。

それと同様、日本人がもし世界の先進国の中でも政治的無関心が多く「民意」が低いとすれば、それは否定できないと受け止めるのが賢明だと私は思うのです。日本人に対する偏見でもさげすんだ見方でもないのです。

そこをちゃんと認めたうえで、現代・この現状において、はたしてこれで良いのだろうか、政治的な話題(=私たち社会の話題)にどうしたら関心が高まるのだろうか、どうしたら民主主義のよりよい姿になるのだろうか…と考える必要があると思うのです。


♪関連する過去のblog記事

→ 考えること、表現することの大切さ(2015年9月)
→ 答えは風の中…?(2017年4月)


最近の与野党攻防に思う ~国会は議論の場・暴走を止めよ~

6月13日(火)

今国会の会期中に「テロ等準備罪=『共謀罪』あらため」を通したい与党。
それをなんとか阻止して廃案に追い込みたい野党との攻防が続いています。

森友問題が浮上して少し経った3月に書いたblogで、このようなスキャンダルで政権が揺るがされるとしたら、あまりにも政治レベルが低すぎる、と私は書きました。

しかし、その後の「教育勅語」に関する認識をはじめ閣議決定でなんでも決め、国会での審議も一方的に打ち切って「数の力」でなんでも通してくる政権与党の暴走を止めるには、たとえどんな小さなことでも政権に対する不正疑惑はきちんと追求して真相を明らかにしていかなくてはいけない、と思うようになりました。


疑わしきは明らかに!

籠池氏が爆弾発言ともいえる会見をし、その後国会で証言もしました。その証言内容に関して、与党は当初「偽証罪で訴える」と強気な構えでしたが、その後どうなったのでしょう?

森友問題はどこかへなりを潜めてしまいましたが、それに代わって浮上してきたのが加計学園に関する疑惑。「忖度」という言葉が今年の流行語になるのでは、というほど、政治のトップと私人とのつながりが問題になっています。

前川元文部事務次官による「総理の意向」と書かれた文書の存在が示されました。

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菅官房長官は当初「出所もわからない『怪文書』みたいなもの」と発言して問題にするに値しないといった見解を示しました。

しかし…、存在していたとされる文書に記載された人物が示されると、文科省は「同姓同名の者がいる」と答弁(笑)。
さらに、現役の文科省職員から、あの文書は実在していることを告発する声が複数。

そこで、自由党の森裕子議員から、迫真にせまる質問がぶつけられました。
「このままじゃいけないと、命がけで告発してるんです。部下を見捨てるんですか!」と。

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さらに、加計学園の建設が予定されている今治市の行政文書に、首相官邸に呼ばれて会見した記録が残っていることを指摘され、それに対する藤原豊内閣府審議官からの答えは…

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「自分が今治市の方々にお会いしたかどうかも含めて、確認できておりません」「自分がお会いしたかどうかについては記憶にありません」

…なんですか、それ!?

森裕子議員の手元には、付箋の付けられた資料(今治市の行政文書)が揃ってるようです。
この場におよんで誰を守ってるんですか? 醜いにもほどがあるでしょう!

1970年代のロッキード事件以来「記憶にない」は使いまわされてきましたが、最近は「確認できない」…いい加減にしてください!
記憶もあいまい、公式な記録もない、確認もできない…そんな状態で公職が務まるんですか!?

やましいことがないなら、疑惑に対してきちんと誠実に答え、必要ならば関係者の証人喚問にも応じ、すみやかに真実を国民の前に明らかにすべきです。

こんなごまかしと逃げで国会審議の時間を無駄にすべきではありません!


国会は国民のための議論をする場!

冒頭に書いたように、この一連の疑惑追及は、今国会でなにがなんでも「テロ等準備罪=『共謀罪』あらため」を通そうとする与党に対する、野党による必死の抵抗の一端。

しかし、疑惑追及に対してこんなふざけた答弁をしているようでは、もはや国会が「議論の場」として機能しているとは思えません。

法務大臣の問責決議案や、内閣不信任案…それらも、国会本会議で採決にかけられて、自民・公明らの与党による「数の力」であっさりと否決されることは明らかですが、国会会期中に残された時間を少しでも稼ぎたい「苦肉の策」、いわば非常ブレーキのようなものだと私は見ます。


与党側、および安倍政権を信頼する人たちの目には、野党がくだらない質問をして足を引っ張ってると映るのでしょうね。

ならばお伺いしたいのですが、もし本当に「凶悪なテロを防ぐこと」が目的だとしたら、今出されている「テロ等準備罪=共謀罪あらため」が本当に有効な法案と言えるのでしょうか?

質疑において、不明確な答弁を繰り返すあの審議をどう見るのでしょうか?

「テロを防ぐにはどうすべきか」という議論が国会できちんとなされ、この法案の定義・対象・有効性についてちゃんと納得できる説明がなされましたか?

国会は本来そういうことを議論すべき場、国民のためになる政策論を構築する場でしょう。それができず、なんでも「数の力」で押し通そうとするから、野党としても、国会運営の方法論と時間とをにらみながらさまざな手で阻止しようとしてるわけです。いわば国会が与野党の「かけひき」の場になってしまっていて、国民のための議論の場になっていないのです。


そもそも法案の目的は? 

「テロ等準備罪」が本当にテロの防止にどう役立つ法案なのか?、
この法案が国民の表現の自由・意思の自由を不当に侵害するものではないのか?、
この法案によって捜査の対象となる人・団体・行為はどうなのか?

…といった問題について、どこまできちんとした議論が交わされたといえるんでしょうか?

「花見に双眼鏡や地図をもっていけば準備にあたる」とか「山で山菜やタケノコを不法に採って売ればテロの資金源になる」…など、とうてい大人の議論、それも国会での法案にかかわる議論とは思えないような議論をしてきて、野党からだされるさまざまな質問には真正面から答えず…

誰がどう見ても、法案の是非をめぐる議論は全くなされていないに等しいのではないでしょうか?

→ テロ等準備罪 ~もし本当にテロ対策が目的なら?~

それを、「時間が経過した→審議は尽くした」などと言って採決に持ち込まれ、またしても「数の力」で通されてしまうとすれば、とんでもないことです。


◆「目的→法案(答え)」がすり替えられている!

それは一昨年の安保法制をめぐっても同じでした。

「国民の命と安全を守る」ことは当然大切です。でもそれがなぜ「集団的自衛権=他国のために戦える国にする」ことになるんでしょうか?

アジア等周辺の「脅威(=あの頃は中国、今は北朝鮮)」から国民を守るため?

もし「日本人の命と生活を守るため」の法案なら、まず今の憲法下における自衛隊の役割を精査し、緊急時に自衛隊がどこまでどのように機能できるかをきちんと議論しましたか?
大規模な災害時にヘリコプターを出すにも、いちいち国からの指示を待たずに都道府県からの要請レベルでも出動できるように…といった現行法の下でさまざまな運用規定の見直しで、自衛隊がより機動力を持てるか、そのためにどんな法整備が必要か?

そして、もし万一日本が攻撃を受けた場合の個別的自衛権でできる範囲を明確にした上で、それではどうしても無理な部分について集団的自衛権をどうとらえるか…といった議論にもっていくのが本来の順序でしょう。

そうした議論が国会でなされたようにはとうてい思えません。
そして、なぜいきなり集団的自衛権なのか? 「日本人の母子が乗ったアメリカの艦船が攻撃を受けたら」とか「となりの火事」を例に挙げたあんな稚拙な紙芝居で「丁寧な説明」と言えるんでしょうか?

実際には、南スーダンへの自衛隊の派遣、現地で行われていたのは「戦闘」ではないと言い続けて、日本の自衛隊の活動範囲を解釈いかんによってどこまでも広げるためのものだったのではないでしょうか?


暴走を止める

「日本を守るのは大切、政府の責任だ→安倍政権は正しい、行動力がある」と妄信している方たちも、こうした論理のすり替え・国会審議の在り方・採決に問題はないのか…についてどう思われるんでしょう?

私は今の自民党政権のやることなすことにやみくもに反対しているわけではなく、個々の政治家を罵倒するようなことも書きたくありません。しかし今の安倍政権のやり方は、あまりにも国民をないがしろにした強引なものだと思うのです。

国会をきちんとした審議の場にすること。
次々に出てくる疑惑に対して、面白おかしくスキャンダル的にあげつらうことが目的ではなく、たとえどんな小さなアリの一穴からでも「政治の不正」について追及すべきは徹底的に追及して、国民の前に「真実」を明らかにしてほしい、と願うまでです。

国民は政治の「かけひき」に興味があるんじゃありません。真実が知りたいのです!

疑惑追求に対しては姑息に逃げ、ごまかし、法案の審議はきちんとせず、むしろ審議を避けてさっさと決めてしまおうという風にさえ見えます。

冒頭に書いたように、本来は政策の中味を論じるべきですが、今の政権が数の力で暴走を続けるのであれば…

通常のブレーキが利かない暴走車を止めるには、サイドブレーキを引く・斜面に乗り上げる・壁に車体をこすりつける…手段はなんでもいいから、とにかく止めることが先決でしょう。

ぶらっと…タモリさん!

6月7日(水)

ぶらっと寄った書店で、つい買ってしまいました!

「ブラタモリ」…けっこう長い番組で、パートナーとなる女性アナウンサーもだいぶ入れ替わってますね。

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私、けっこう好きなんです!

この番組も好きですが、タモリさんの物知りなところ(鉄道・音楽・音・ことば・人文・歴史・地理…etc.)、気取らないキャラが大好きで、ギャグのツボというか波長が私にはとても合うんですね(笑)。その話は後ほど。


◆最近放送の「ブラタモリ in倉敷」より

先週の土曜日(6月3日)放送の「ブラタモリ」は岡山県の倉敷市からでした。

まず、美しい倉(蔵)の街並が昔のまま残っている…なぜ?

「戦争で空襲を免れたから?」…はい正解!

では、なぜ「倉敷」という地名に…?

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これも案内人泣かせの大正解!

倉がたくさんあったから「倉敷」という地名が付けられたんじゃなく、「各地からの年貢米などの物資を一時的に保管しておく倉がおかれた場所=倉敷」と言う呼び名があったんですね!

冒頭から冴えているタモリさん!



話題は、倉を建てた豪商の話から米の話へ。
小高い丘から眺め、かつてこの辺り一面は海だったこと、そこを干拓して「新田」としたこともタモリさんは言い当てました。さすが!

さらに、商人たちがなぜ自由に新田を広げていくことができたのか?
ここは「天領」(幕府の直轄地)だったため、大名の支配がなく商人たちがわりと自由にできたそうですね。

そして埋め立てたばかりの田んぼでは、どうしても塩分が強いので稲作には向かない。そこで塩に強い綿が植えられ、その綿を加工する倉敷紡績(クラボー)ができるきっかけとなったんですね。

紡績工場の建物はイギリスに倣って作られています。壁のレンガの積み方が「イギリス積み=レンガを横向きに2列・奥向きに、と交互に差し込んでいくため壁が厚くなる)」であることもタモリさんは一瞬で見分けました!

イギリス積み


さらに工場のギザギザの屋根。垂直な面は北に向いていて明かり採りの天窓になってますが、じつは困ったことが…

「え?…雪はそんなに降らないですよね…」と少し考えるタモリさん。
でもすぐに「直射日光は入ってほしくないんですよね?」「イギリスと同じ角度でいいんですか?」と。

まさに鋭い切り口に案内人もびっくり!

そう、イギリスと同じ角度では、日本では夏至の時に真上から太陽が差し込んでしまうんですね。イギリスと日本では緯度が違うため、陽の角度が異なるからですね。
(パートナーの女性アナさん、ついて行けてますか~?)

そこで、その対策としてアイビー(ツタ)を植えたんだそうです。建物の壁面を這うように伸びて、夏は緑の葉で覆ってくれる…それが今日では観光名所のシンボルともなってる(アイビースクエア)ということだったんです。

う~ん、なるほど!

いや~ CMなしの限られた時間でポンポンと話題が進んで「なんだと思いますか?」から「へ~、なるほど」に妙に引っ張られずに早く到達できる小気味よさ! これが好きなんです!

最近の旅・バラエティ番組の多くは、なんにも知らないことが当たり前の代表選手のようなタレント・レポーターが、問いかけにとんでもなくハズしたボケで返して必要以上に「間」を持たせ、正解をやたら思わせぶりに劇的に出したり、なんでもないところで「え~!」などとSE(効果音)が入る…そんな番組にはいい加減うんざりしている私にとって、この「ブラタモリ」のスピード感は好きです。これで良いのです!


◆尊敬すべき雑学王

私が好きな芸能人の話題をこのブログに書くことは珍しいですよね。というか、おそらく初めてじゃないかな?

タモリさんがデビューされたころって、もう30年以上前。
サングラスをかけ、わけのわからない言語(=ハナモゲラ語)を話す人…「あの人なに?」というのが正直な第一印象でした。

NHKのバラエティ「てれびふぁそらしど」という番組でレギュラー出演され、何人かの女性アナウンサーが共演していましたが、まだあの当時は私は番組裏方の仕事はしてませんでした。その後昼時の「いいとも~」が定着し…

でも私がタモリさんに惹かれたのは、ある時、ある番組から急に熱烈なファンになったというより、じわじわと…

タモリさんは、人文・歴史・地理、そして地形などの地学にも造詣が深い(というか雑学王のようになんでも色々よくご存知)。
音楽にも造詣が深く、トランペットを上手に吹き、歌も歌う。
鉄道好き(テツ)で、とくに「音」にこだわる「音テツ」

以前、広島からの「ブラタモリ」で、しじみ汁を舟の上でいただきながら鉄道のガードを眺め「汁テツ」…かなりツボでした!

単なるオヤジギャグとは異次元の、元祖「ハナモゲラ語」「空耳アワー」に象徴されるように、とにかく「言葉」に敏感、しかも意味がちゃんと生きている!

私自身、何かの専門家というより「雑学」が大好きで、しかも閉鎖的な「オタク」ではなく、オープンで分かりやすい。ここが私の尊敬する雑学王たるゆえんです。
僭越ながらなんとなく波長の合う親しみを感じ、そのキャラにじわじわと惹かれていったような気がします。

そんなタモリさんと、実際にお話しできる幸運なチャンスが過去にあったんです!


浅草の打楽器専門店にて…

もうかなり前(2010年ごろ)だと思いますが、浅草に行きつけの打楽器専門店(JPC…ジャパン・パーカッションン・センター)があるんですが、たまたま私が素材を調達に行ったとき、他局の「タモリ倶楽部」の取材でひょっこり店内に現れたんです!

ラテン系の打楽器からクラシック用の楽器まで、打楽器のデパートともいえるその店には、いろいろと変わった楽器が並んでいます。

<最近のJPC>
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★ここに映っているスリットドラム(商品名:スチール・タン・ドラム)の紹介も含めてblogに掲載する旨はお店の許可をいただいてます。


その時はまだ収録前の下見で、番組スタッフといっしょにいろんな楽器を手に取られていて私のすぐ近くにいらしたんで、「こんにちは、どんな楽器をお探しなんですか?」と声をかけさせていただいたんです。

タモリさんも番組スタッフさんも気さくな方で、私に「打楽器奏者の方ですか?」と聞かれたので「アマチュアですが…」などとお話しさせていただき、ちょっと変わったものをいくつかご紹介したんです。

ジャズやラテンの楽器はいろいろとご存知だろうと思ったので、主にクラシックのフロアで。
たとえば、金属の筒に大きなコルクが詰まっていて、ピストンを押すと「ポン!」と音を出す「楽器」、「これはヨハン・シュトラウスの『シャンパン・ポルカ』という曲で使うものです」などとお伝えしたら、タモリさんも興味を持たれて実際に手に取って「どうやったらもっといい音がするの?」…と。

番組スタッフさんも「面白いですね~、これなんという名前の楽器ですか?」などと乗ってこられて…
けっきょく私がご紹介した3つほどの楽器が、番組で紹介されてました(やった~!)

なにより、タモリさんはとても気さくで、穏やかな「ごくふつうの方」、でも好奇心旺盛で「音」にこだわる方なんだな、とますます好きになりました。


タモリさんとならいっしょに飲みたい!

私は仕事関係で知り合った人とは、どうも個人的にまで深くなれないというか、とくにこういう個人的な話題は出しづらいので、今日blogやFBで今つながっている人も仕事関係は皆無と言ってよいでしょう。

☆あ、一人だけいらっしゃいました!クラシック系の音楽番組で司会をされていた、ダジャレが湯水のごとく出てくる作曲家の大先生が…(笑)


私は飲みに行っても個人的な方とのつながり・会話が大好き。自己紹介でもここ10年以上仕事の名刺は一切出してません。

渋谷あたりで飲む機会も最近減りましたが、もしカウンターで飲んでいるところへ有名な芸能人が入ってきても、これ見よがしに傲慢なお笑い芸人さん、やたらテンション高くてうるさい人だったら、おそらく私は席を離れるか店を出てしまうと思います。

でも、タモリさんだったらぜひ一緒に飲みたいですね。
じわじわとギャグを交わしながら、もしカラオケでご一緒できるチャンスがあったら「納豆売り」でも歌っちゃいます(笑) 
タモリさん、これご存知かな~?

→ 「納豆売り」の歌

テロ等準備罪 ~もし本当にテロ対策が目的なら?~

5月25日(木)

「テロ等準備罪」と名前は改められたが、実質は「共謀罪」 の手直し。
すでに過去3回も国会に提出されたが、いずれも否決されて廃案に追い込まれている。

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それはなぜか?
すでに多くのメディアでもネット上でも情報はたくさん出ているので、私からここであらためて書くまでもないが、大きくまとめると…

★未だ「犯罪行為」が成立していない段階で、個人が「思う」「口に出す」「話し合う」という段階で取り締まるということが現在の法体系とは大きく矛盾する
★何をもってなにを「共謀」したら罪に問われるのかが不明
★個人の思想の自由・言論の自由を大きく制限するもので憲法で保障された基本的人権に反する
★過去の「治安維持法」への回帰であり政府による個人への監視・統制への道を開く危険がある

…などが大きな反対理由である。

気に食わない上司を懲らしめてやりたいなどと居酒屋で話しただけで、あるいはネット上に政権批判を書き込んだだけで逮捕されるんじゃないか、という心配・不安の声も聞かれる。
「これは一般人を対象とするものではない」という総理のことば通り信じられるかどうかはともかく、そこまで一般人の行動を監視して取り締まることは事実上不可能であり、私はそんなレベルの心配はまったくしていない。

問題は、なぜこのような法案を、いまこの時期に通そうとしているのか…?

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◆もし本当にテロ対策が目的なら?

テロなどの凶悪犯罪を未然に防ぐことは大切であり、国際的にもごく一般的・常識的なものだ、日本も国際社会の中で足並みをそろえる必要がある、というのが賛成派の声であろう。

たしかに、国際的な行事や人が多く集まる劇場や交通機関を狙ったテロは世界各地で起きており、日本でも決して無縁とは言えない。それに対する何らかの対策を考えることは当然であり、国際的な基準に合わせる必要がある…と。

しかし…

今の政権から出されている法案の中味・議論の進め方・決め方が、どうも「テロを防ぐためにはどうしたら良いか?」という本質とはずれたところで議論されているような気がしてならない(自民党閣僚の口から「テロを対象にはしていない」などという信じがたい発言も飛び出した。だったら何のための法案なのか!?)。

そもそも何を「共謀」とみなすのか、その定義も、捜査の対象も明らかにされず、人権侵害を心配し反対する野党側の声に対してきちんとした説明をしないまま、「数の力」で決められようとしていることに大いに問題があると思う。

そこで、「たしかにテロを防ぐための対策は大切ですね」という原点は共有したうえで(いわば「対岸」に渡って考えてみて)、現在出されている法案(=共謀罪の手直し版)が、果たしてその「答え」と言えるのか?…以下、逆からの検証を試みてみたい。


◆まずは現行法でできる「テロ対策」の検討

政府はすぐに2020年の東京五輪を挙げるが、国際的な公式行事、多くの人が集まる社会的な行事はオリンピック以外にも多数ある。また劇場やショッピングセンターといった多くの人が集まる公共の場も多い。いま世界の各地で、そうした場所を狙ったテロが多発しているのも事実だ。
もしそうしたテロ対策を考えるなら、まず現状において、テロを未然に防ぐための監視・予防対策がどう取られているかを把握し、防犯カメラや警備体制、さらに建物内に死角をつくらない設計などトータルに検討すべきだろう。

<現行法をめぐる議論のポイント>

現行の刑法で定める「殺人」「強盗」「放火」といった重大犯罪には、その「予備罪」「未遂罪」も重く罰する規定がある。それら現行法との関係・バランスはどうなのか?

一般に殺人事件は、個人的な恨みを持つ相手(個人)に対して行われるものだが、1980年代から頻発している通り魔殺人など、不特定多数を狙った犯罪、さらにテロといった従来予測し得なかったような犯罪が進化している。
現行法で適用できること、現行法では不十分な点があるとしたらどういったことが考えられるか?
それを洗い出して十分に議論したうえで、「テロ等準備罪」も含めた新しい法律の立案が論じられるべきだろう。

しかし、国会ではそういった議論は一切なされていない。



そもそも「テロ」の定義は?

テロの正確な定義は知らないが、私なりの見解で書かせていただくと…

「不特定多数の人を殺傷したり、交通・通信手段など公共性の高いものを破壊または機能停止させる行為」

…といったところでいかがだろうか?

イベント会場に爆弾を仕掛けるとか、交通機関およびそれを制御するシステムを破壊する、さらに最近のサイバーテロといったものまでを含めると、このような文面で定義されるのではないだろうか?

<議論すべきポイント>

ニュース報道では、イスラム系過激派組織ISが犯行声明を出すものは「テロ」とされるが、単に社会に恨みをもつ個人が歩行者天国で車を暴走させて多数を殺傷しても「テロ」とは呼ばない。思想的な背景や計画性があるものが「テロ」と呼ばれるようである。

では、今回対象とするのはどこまでか?思想的な動機・計画性をもって行うものだけを対象としてよいのか、衝動的な無差別殺人なども含めて凶悪な犯罪すべてを未然に防ぐことを目的とするのか?

私は個人的には後者、すなわち、社会の安全を考えるなら思想的背景や計画性の有無にかかわらずすべての凶悪犯罪を対象としなければ意味がないと考える。



◆「共謀罪」となんら変わらない「テロ等準備罪」は不要!

「テロへの対策については、今ある現行法で十分である」という見方を、もっとも分かりやすく書かれている次の文書をここでご紹介しておきたい。
鳥取県弁護士会会長の大田原俊輔氏の「会長声明」と称するこの文面がとても分かりやすい。

法律の専門家らによるこの見解によれば、憲法で定める基本的人権に反するこの法案を通す必要はない、ということである。


◆それでもなお「テロ対策」のための新法が必要だというのなら…

ここまで書いてきたことを十分に議論したうえで、それでも現行の刑法等では対応できない部分があって、「テロ対策」のために新しい法律を立案する必要があり、「事前の準備」にも焦点を当てる必要があるとすれば…(あくまで、「もし仮に~~なら」という話として)

いまだ犯罪としての構成要件を満たしていない(=犯罪として成立していない)ことも捜査の対象とすることになるわけである。これは人権侵害と背中合わせである。

いくら「一般人を取締りの対象とするものではない」とくりかえし答弁されても、一般人なのか犯罪予備の実行犯なのかの判断はどこで誰がするのか?

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捜査してみなければ分からないではないか? 一方的に疑いをかけられた人が不当に人権侵害されるのではないか?…総理大臣も法務大臣も、その基本的な疑問にきちんと答えていない。

ここでもまた「もし」の話として、私なりに代弁するなら…


◆社会の安全=公共の福祉

社会にとって大きな危険を避けるために、個人の自由や権利が一部制限を受ける場合もある。
例えば、現在でも行われている警察官による職務質問

夜遅くに自転車に乗っているだけでも警察官に呼び止められ、この自転車は誰のものか、なぜこんな時間にここにいて何をしているのか…色々と聞かれる。人相・服装などによって呼び止められる人と呼び止められない人がいるようだが(笑)。
運悪く呼び止められて質問攻めにされても、逃げたり反抗して手を払いのけたりしたら、それこそ公務執行妨害で逮捕されてしまう。とんでもない人権侵害だともいえるだろう。

しかし自転車が盗難車ではないか、ひったくり・空き巣・下着泥棒などの犯罪と関係しているのではないか…挙動不審な者を呼び止めて「調べる」ことは、「防犯」の上でも大切で、警察官の職務権限として認められているのである。

つまり、社会の安全を守ること=「公共の福祉」とのバランスにおいて、個人の自由や権利もときに一部制限される、ということである。

「テロ等準備罪」もまさにその延長線上にあるといえる。いまだ重大犯罪は犯していないが、その疑いのあるものを事前に発見し、未然に防ぐことが必要であるならば、多少なりとも人権侵害の問題とは常に背中合わせあることは事実なのだ。


<検討されるべきポイント>

何をもって「テロ等準備」とみなすのか?
今の法案では、277もの行為(すでにある法律で定められている行為)を総くくりにして併記しているが、これでははっきり言ってなんの意味もない。

もし私が法の立案をする立場だったら、まず冒頭にあげたテロの定義から…

「不特定多数の人を殺傷したり、交通・通信手段など公共性の高いものを機能停止させる行為(=テロ行為)、およびその準備とみなされる行為」と定義づけるだろう。

それ以上の文言を条文にはあえて書かない。

前半の「テロ」の定義によって、一般人の一般的な行為はもともと対象とするものではないことが明白になる。
そして「およびその準備とみなされる行為」。こちらが重要なわけだが、具体的に何をどのようにやったら「準備」なのか、それをぐだぐだと条文に列挙して示すことには無理がある。
そこは条文に列挙すべきことではなく、司法の判断にゆだねられるべきことではないか。

「キノコやタケノコを採ってそれを不法に売ってテロの資金源に…」とか「花見に双眼鏡や地図を持っていったら『下見』だ」などと、なにをくだらない議論を国会でやっているのか?

さらに問題は、すでに刑法で定められている殺人・強盗・窃盗・放火…といった個々の行為を、何をもって「テロ行為」とみなすのか?

それらはすべて個々のケースごとに司法の判断にゆだねるしかないだろう。
それが立法と司法との分権・独立の意味である。法律にグダグダと事例を列挙するのではなく、法の趣旨に照らして善か悪かを個々に判断するのは司法の役割。


個人の人権侵害とのバランスについて

この法律ができることによって、個人の自由や権利が侵されることになるのではないか、という点はしっかり議論されなくてはいけない最も重要なポイントである。

しかし、総理大臣も法務大臣もそこにきちんと答えているとは思えない。


<もし私だったら、こう答弁する>


「たとえば警察官の職務質問の例を見てもわかるとおり、重大な犯罪を未然に防ぐことと、ある程度の個人の人権侵害になりうることとは、常に背中合わせの関係にある。
テロ等準備罪の適用が、重大犯罪を未然に防ぐためには有効であるとはいえ、個人の自由・権利を不当に侵害することはあってはならない。
そこには細心の注意を払い、捜査機関など関係機関とよく連携して、捜査対象や捜査方法の適正化を図っていく」

…法務大臣ならこれぐらいの答弁をなさってはいかがだろうか?



目的と方法論のちぐはぐ

はじめに書いたように、いま通されようとしている「テロ等準備罪(=共謀罪)」に関する議論が、本当にテロを未然に防ぐための議論になっていないのではないか、という疑問。
また仮にこの法律が成立して施行されたとして、本当にテロを未然に防ぐことに有効なのか?
つまり、目的にかなった法律の立案になっているのだろうか…?

一昨年の「集団的自衛権」を含む安保法制をちょっと思い出してみていただきたい。

アジア近隣の「脅威」など新たな国際関係の中で、「日本という国を、国民を守る責任がある」と言い、防衛力の強化を訴えるのであれば、まず今の自衛隊でできうる最大限の防衛(=個別的自衛権)について十分な議論がなされるべきだった。

しかし、自衛隊法の見直しや、今の憲法下でできうる自衛隊の活動範囲、緊急時の自衛隊や防衛相の対応マニュアル作りなど、当面緊急に検討すべきことの議論はほとんどなされていない。

「アメリカの艦船に乗った母子」や「となりの火事」に喩えた稚拙な紙芝居で、「国民を守るため」と表向きはいいながら、実際は自衛隊が海外に行ってアメリカ(同盟国)の後方支援をできるようにすること、すなわち集団的自衛権の話にすり替えられた。

野党は当然ながら反発して質問を重ねたが、後方支援とは何か、戦闘地域とはなにか、戦闘が行われていない地域とはどういう地域か、支援のために武器は供給できないが弾薬はよいのか、ミサイルは武器なのか弾薬なのか…といった、言葉の定義のやりとりで珍問・珍答が飛び交い、議論は平行線のまま。

政府は「日本を国民を守るために」と言っておきながら、肝心の日本の「防衛」についての議論はいっさいなされないまま、海外で他国のために戦える国へと変えてしまう法案を、一方的に「審議は尽くした」と打ち切って「数の力」で強引に通した。
多くの憲法学者が「憲法違反である」とした法案に、多くの若者も政治に関心を向け、何万人ものデモが毎週金曜日に国会・首相官邸を囲んだにもかかわらず。

国会での採決も、議長の任命をめぐってごたごたするどさくさに紛れ、暴力も飛び出す醜い状況の中で…
まともな議論ではとうてい理解は得られず、あのようなスキを突いただまし討ちのような採決で「数の力」で通さなければ成立しないような法案だった、との見方も多いだろう。



今回の「テロ等準備罪」も、そもそも「テロとは何か?」「テロを防ぐために何をなすべきか?」という議論は一切なされないまま、277もの行為を対象として列挙。
適用のいかんによっては個人の人権を著しく侵害する、かつての治安維持法にも通じる危険のある法案を「数の力」で通そうとしている。

いったい日本をどういう国にしたくて、誰のため・何のための法案を通しているのだろうか…?


<付記>

~近年の新しい法律(条文)にみる事例の列挙~

条文に具体例を列挙しすぎ!

「危険運転致死傷罪」しかり、「ストーカー防止法」しかり、あまりに具体的なことを列挙しすぎて、けっきょく使い物にならない法律ばかりが作られている。

具体的な事案を列挙すれば「定義」が固まるものではない。むしろ変な限定解釈によって適用不能な法律ができあがり、立法の意味をなさない。
その例を「危険運転致死傷罪」と「ストーカー防止法」に見るが、過去にもblogに書いていることと重複するので軽く蒸し返すにとどめる。


*「危険運転致死傷罪」

飲酒運転やスピード違反・信号無視など悪質で危険きわまりない運転による哀しい犠牲が後を絶たず、通常の自動車運転致死傷罪(業務上過失)では刑の上限も決まっていて、あまりにも実態に合わないという議論はかなり前からあった。
そこで、悪質で危険な運転には通常の交通事故以上に重罰を科せるようにというのが狙い。

当初は、飲酒運転・スピード違反の常習者には、運転行為そのものを重く罰しようという趣旨だったが、国会で法案が成立してみたら終わりに「致死傷罪」がくっついていた。
飲酒運転やスピード違反を繰り返しているだけでは取り締まりの対象とはならず、人を死傷させる事故が起きて初めて適用できる。

しかも、その条文たるや…

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「アルコールや薬物の使用で正常な運転ができない状態で…」などと、かなり具体的に書いてある。
実際、この法律ができた後も悪質な「危険な運転」による事故は後を絶たないが、なかなかこの法律が適用されることはない。

記憶にあるのは福岡で起きた重大事故。20代の市役所職員が飲酒運転を常習していて、酒を飲んで一般道を100キロ近い速度で運転させ、ついに橋の上でワゴン車に激突、二人の子どもの命を奪った事故(事件)。当然ながら「危険運転致死傷罪」で起訴された。

しかし、一審の福岡地裁は「被告は飲酒はしていたが、事故を起こすまでの間100キロ近いスピードで運転をしてきており、『正常な運転ができない状態』だったとは言えない」として、危険運転致死傷罪を認めなかったのだ!…なんという愚かな限定解釈!? 
飲酒運転=正常な運転はできない、という意味で条文を解釈すべきだろう。
それに、一般道を100キロ近い速度で走行すること自体が十分「危険な運転」だろう!
これを危険運転と呼ばずして何と呼ぶのだ!?

その後の控訴審で危険運転が認められ、さらに上告審でも争われて危険運転と確定したが、当たり前のことが認められるまでに費やされた年月は…?

「(安全意識を著しく欠く)危険な運転をした者は」
…危険運転致死傷罪の定義はこれでよいのでは?

さらに、「こういう運転をしたら死傷者を出すかもしれない」ということを十分に予見でき、それでも「まあいいか」と実行した(常習としていた)ならば、「未必の故意(=いまだ必然とはいえない故意)」があったとみなし、殺人罪での起訴も視野に入れてもよいと、私は以前から思っている。



*ストーカー防止法


もう一つの例を見てみよう。

埼玉県桶川で起きた女性殺害事件をきっかけにできた法律。被害者の女性が男性から度重なる嫌がらせ・脅迫を受けつづけ、警察にも何度も相談したにもかかわらず…というあの悲惨な事件をきっかけに、重大犯罪が起きる前でも対応できる(=ストーカー行為そのものを処罰できる)ように新設された法律である。

しかし、何をもって「ストーカー行為」とみなすのかが問題で、「手紙・FAX・電話」は条文に書かれているが「メール」は書かれてない(→対象外)。
また、ストーカー行為そのものを処罰する刑は軽く、むしろ法律沙汰にされて軽微ながら刑を受けた加害者が被害者への恨みを一層増幅させる危険もあるだろう。


問題は「この行為はストーカー行為に当たるかどうか」の定義ではなく、被害者が恐怖に感じるような内容の行為が、その後の重大事件につながる危険があるかどうか、であり、それを未然に防ぐことに役立たなければ意味がない。

この法律ができた後も悪質なストーカー事件は多発したが、被害者が本当に身の危険を感じ、事前に警察に助けを求めていたにも関わらず、けっきょく最悪の殺人事件にまで発展してしまったケースが何件あっただろう。


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その後もたびたび「改正」が加えられている。2013年6月には「メール」を加えたが、blog・ツイッター・ラインといった日々進歩するSNSには触れていなかった! その後もあれこれ「追加」しているようであるが…

具体的な通信手段が問題ではなく、被害者が迷惑と感じ、もしくは身の危険を感じるような執拗な通信・つきまとい…といった行為そのものを問題にすべきだろう。
(刑法199条「殺人:人を殺したるものは」だけである。拳銃で、ナイフで、レンガブロックで…などといった凶器や手段は一切かかれていない。それで良いのだ。)

さらに驚くべきは、ストーカー行為を取り締まれる地域(=管轄)の限定。
当初は、被害者の住所を所管する警察署しか動けなかったため、加害者の住所、およびストーカー行為の行われた場所を所管する警察署も動けるようにする、というのが2013年の改定内容。

当初は被害者の住所を所管する警察署しか対応できないように明記されていたとはあまりにも範囲が狭すぎて驚きだったが、改正法で「加害者の住所」「ストーカー行為の行われた場所」を加えただけで十分と言えるのだろうか?

被害者の実家は?、勤め先は?、講演や旅行で行く先は?…「カルメン」は最後に闘牛場でホセに刺されるが、加害者が執拗に追いかけて凶悪犯罪に及ぶ場所は、どこでもありうる。

これだけ交通も発達した現代において、犯罪がひとつの警察署管内だけで完結してくれる方が珍しいのではないだろうか?
警察は全国組織なわけだし、国内法なので海外までは無理としても、せめて日本全国どこでも適用できるようにすべきだろう。



これらの例からも明らかなように、法律の条文にあまりにも具体的なことを書きすぎることで、かえって司法の場で使えないような本末転倒なことが起きているのである。

まずは現行法の範囲内でできることを十分検討し、その上でどうしても新しく法律を作る必要があるというのであれば、起こりうる犯罪を広く想定して分析し、ただ思い付き的にいろんな事例を列挙するのではなく、包括的に定義した条文にしなければ意味がない。

このことからも、今回の「テロ等準備罪=共謀罪」において、すでにある277もの行為を対象とするような法案が、いかに法律的に見て論理性を欠くものであるかが分かるだろう。


新しい法律の表現力

時代に変化に応じて、あらたに起こりうる犯罪を想定して、法律も新たに作る必要がある場面もある。

私の記憶にあるところでも、1964年(昭和39年)の東海道新幹線の開業に合わせて「新幹線特例法」ができた。高速で専用軌道を走る新幹線の安全を確保すべく、それまでの「列車往来危険罪」とは別に法律を作り、法的な面からも新幹線の安全を守ったのだ。

また、すでに起きた凶悪犯罪をもとに新法が作られるケースとして、1970年(昭和45年)の「よど号乗っ取り事件」(4月)や「プリンス乗っ取り事件」(5月…犯人は射殺された)
を受けて「航空機等の強取等に関する法律」(いわゆるハイジャック防止法)ができた。
それらの法律は、実際に起こりうるさまざまな事案・危険を想定し、それらを包括的に表現する条文がうまく作られていたと思う。

最近できる法案は、いまは技術的にどんなことが可能で、どんな行為が起こり得て、それを防ぐにはどうしたらよいか?…といった現実に即した想定の詰めがあまりにも甘く、思いつく限りのことを稚拙にもただ箇条書きに並べるだけで、実際には適用すら難しいような使い物にならない法律も多い。

立法府である国会、とくに立案する政府関係者の法律的なセンス・文章表現力にも大いに問題があるように思えてならない。




小澤一雄さん イラスト展

5月20日(土)

きょう、デイホームでの演奏にご一緒したケーナ奏者の八木倫明さんのお誘いで、イラスト作家・小澤一雄さんの個展にお邪魔してきました。

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千駄木 STOODIO にて

小澤さんは、主に音楽家の似顔絵・イラストを描き続けてこられた方。
日フィルの月間スケジュールの表紙でご覧になられている方もいらっしゃると思います。

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演奏家・作曲家など、じつに見事に特徴をとらえてユニークに描かれています。

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来場者に頼まれればその場でイラストも…

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個展は明日(21・日)までとのことで、夕方お邪魔して19時から皆さんとご一緒に千駄木のちょっといいお店で談義…

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きょうの八木さんとのデイホームでの演奏の様子は、こちらの記事に…
→ デイホーム日誌(7)

デイホーム日誌(7) 脳が喜ぶ歌の会 第5回

5月20日(土)

ケーナ奏者・八木倫明さんをお迎えして


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♪荒城の月
(1901年 作曲:滝廉太郎、編曲:山田耕作、作詞:土井晩翠)

メロディを一緒に奏でてくださったのは、ケーナ奏者八木倫明さんです。
中南米の楽器・ケーナが、日本の歌にもじつによく合うんですね!


◆かくれ歌

メロディを奏でてくれるパートがあると、伴奏で色々と遊べます。
この「荒城の月」のコード進行にぴったり合う曲もいろいろありまして、ちょっとした脳トレも兼ねて…(笑)

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◆素朴な管楽器の紹介


ケーナと言う楽器、中南米のフォルクローレ♪「コンドルは飛んでいく」を聴けば「ああ、あの音色ね」と皆さんお分かりになります。

素朴な音色で、尺八や笛ともよく似ています。きょうの「脳が喜ぶ歌の会」では、すべての歌でメロディ・ハーモニーをご一緒いただきました。

違う長さの管を並べたパンフルートの音色で…

♪夏の思い出

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パンフルート(=ギリシャ神話に登場する森の神様・パンは笛の名手で、川岸の葦で笛を作った)の形状をした楽器は世界にいろいろあります。1つの管で1つの音しか出ない素朴な管楽器です。
やがて、1本の管に指孔を開けることで、管の長さ(=空気が振動する長さ)が変わることで1本の管で違う音を出せる「笛」になりました。

また、小さな醤油瓶に違う量の水(=赤ワイン)を入れるだけで、いくつかの音がつくれます。

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5つの音を使って…

♪聖者が街にやってくる

1回目、2回目、3回目…だんだん速く!(笑)

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ケーナにもいろんな長さがあります。「ある」というか、曲のキイ・音域によっていろんな種類の管を作って使い分けている、と言った方が良いでしょうね。
短いのを「みじケーナ」、大きいのを「でっケーナ」と呼ぶそうです!


この中南米のケーナを使って、きょうはアイルランド民謡とスコットランド民謡から…

♪ダニー・ボーイ

もとは、アイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」で、歌詞はありませんでした。
アイルランドの古い旋律として19世紀の盲目のヴァイオリニスト、ジミー・マッカリー(1830-1910)がストリートで弾いていたものを、ジェーン・ロス(1810-1879)という女性の民謡収集家が聴き取って楽譜にしたそうです。二人ともアイルランド人です。

のちに英国の弁護士(法律家)でもあるフレデリック・エドワード・ウェザリー(1848-1929)という人が、この旋律に、遠く離れた息子の無事を祈り、帰りを待ちわびる母の思いを歌詞にして付けたのが「ダニー・ボーイ」です。

戦争に行ってしまった息子が元気に過ごしているか、無事に帰ってきてくれることを待ちわびながら、季節はめぐり、「もしお前が帰ってきてくれた時、私がお墓に入ってしまっていたら、老いた母はずっとお前の帰りを待っていたと、お墓を踏みしめて思い出しておくれ」…と。

歌詞および曲に関しては、こちらの記事をご参照ください。
Danny Boy(ダニー・ボーイ)


まず原曲の歌詞を八木さんが訳されたものを、ピアノ演奏バックに朗読していただきました。
その後、なかにし礼さんの書かれた歌詞で、みなさんとご一緒に歌いました。


♪広い河の岸辺

つぎはスコットランド民謡。八木さんをお呼びしたからには、この曲は外せません!

NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」で、のちに「赤毛のアン」を翻訳する主人公が子供の頃この歌を聞いたことがきっかけで英語を学び…という、とても重要な曲という設定でした。
そして翌年の朝ドラ「マッサン」でも挿入歌となりました。

スコットランド民謡がたまたま2つの朝ドラに登場するのは珍しいですね。

原曲は英語ですが、それを日本語に訳されたのが八木倫明さん。シャンソン歌手のクミコさんともご一緒にコンサートをされています。皆さんもぜひ覚えてくださいね。

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→ NHK「歌謡コンサート」(2014年7月29日放送)

八木さんも演奏で参加されています! 「歌謡コンサート」ではこの後もう一度、「マッサン」放送中にもこの曲を紹介しています。

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そしてふたたび日本の歌をご一緒に…

♪夏の思い出

♪見上げてごらん夜の星を



きょうは、電子音ではない「生の音色」、人の感覚にストレートに入ってくる素朴な管楽器の音色をたっぷりお聴きいただきました。
また、外国の民謡に日本語の歌詞をのせて…初めての歌に2曲もチャレンジしていただきました。きっと脳も大いに喜んでくれたことでしょう。




次回は6月17日(毎月・第三土曜日)です。次は60~70年代の懐かしい昭和歌謡を考えています。

★ボランティアながら、クラシック~映画音楽・歌謡曲などをご一緒いただけるメロディ楽器(ヴァイオリンなど)の方、いらっしゃったらぜひ私までご連絡ください。

<予告>デイホームにケーナ奏者をお迎えします!

5月16日(火)

今週の土曜日(20日)、デイホーム野沢での「脳が喜ぶ歌の会」に、ケーナ奏者の「やぎりん」こと八木倫明さんをお招きします!

先週末、八木さんを私の小部屋にお招きし、軽く音合わせを行いました。

音の小部屋にて

ケーナという楽器は中南米の民族楽器で、♪「コンドルは飛んでいく」を演奏すると皆さん「あ~」と納得されますね。

発音の原理は尺八とよく似ていて、標準的な長さのケーナだとリコーダーのようなやさしい音色。
音域によってさまざまな長さがあり、短いのを「みじケーナ」、大きいのを「でっケーナ」と呼ぶそうです(八木さんによる)。

地球の裏側の楽器ですが、とっても素朴な音色で、♪「荒城の月」、♪「夏の思い出」など日本の歌にもよく合うんですよ!


今回は、八木さんが日本語に訳された♪「ダニーボーイ」(アイルランド民謡)や♪「広い河の岸辺」(スコットランド民謡)を、デイホームの皆さんにも覚えていただいて、一緒に歌おうと企画しています。

♪「広い河の岸辺」は、NHKの朝の連続テレビ小説「花子とアン」で、主人公が幼少のころこの歌を聴いて英語を学ぶきっかけとなった…という設定で紹介されたほか、その後の「マッサン」でも挿入歌として紹介されました。

八木さんは、シャンソン歌手のクミコさんとご一緒にこの曲をケーナで共演され、「歌謡コンサート」などにも登場されています。皆さんもぜひ覚えてください。

→ 「広い河の岸辺」 NHK「歌謡コンサート」(2014年8月放送)


テレビではとっても真面目ですが、じつはとっても気さくな方で、私とふたりの「おやじ」コンビでどんなトークが飛び出すか…(笑)


◆今回の「脳が喜ぶ」ポイント

まず、いつもの電子ピアノの電子音ではなく生の笛の音は、脳に素晴らしい刺激をくれます。

また、みなさんがよく知っている昭和の歌謡だけでなく、外国の民謡の旋律(シンプルです)を覚えていただいて、そこに日本語の歌詞をつけて歌う…脳をフルに使っていただきます。

さらに…
いつもは私がひとりで伴奏するので右手でメロディを弾いてますが、今回はメロディ楽器が入ってくださるので、右手が暇になります。
じつは「荒城の月」と同じコード進行で、「くちなしの花」(渡哲也)、「無錫旅情」(尾形大作)、「ラブユー東京」(ロスプリモス)、「面影」(しまざき由理…Gmen75のエンディングテーマ)…etc. 
けっこう色々あるんですね!

「荒城の月」は1~4番までありますから、後半で「隠れうた」をさりげなく入れてみようかな…?


20日の様子もあらためてご報告させていただきますが、予告まで…


★見学はどなたもご自由ですので、ご興味のある方はぜひ!
  毎月第三土曜日の14時~15時までやっております。
 
★「デイホーム野沢」で検索していただくとHPがあります(三軒茶屋から徒歩10分ほど)。

★今後ボランティアでメロディ楽器・歌をご一緒くださってもよいという方がいらしたら、私にメールもしくはメッセージを下さい。


お昼時の独り言

5月8日(月)

連休になると、どうしても夜型の生活になってしまう私。今日からまた6時前に起きて出勤する日々の始まりでした。
心配していた寝過ごしもなく、午前中に久々の職場で「リハビリ」も無事に終了!

そして昼休み、お気に入りのカレー屋さん
スペシャル欧風ビーフカレー
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しかし、すぐ隣には「食べスマホ」君が…
お分かりですよね、「歩きスマホ」ならぬ「食べスマホ」!

食事中も片時も左手をスマホから放すことなく、右の片手で犬食い。しかも満席で店内に待ってる人もいるというのに、スマホときどき食事でたらたらと…。

せめて食べてる時ぐらい、食事に集中したら?
冷めないうちに美味しくいただけば?
食べ物に対して、提供しているお店に対して失礼でしょう。そんな食べ方をして家族から何も言われないんでしょうか? いったいどういう育ち方をしたんでしょうか?

でもまあ、「食べスマホ」は1席離れたところでやってる分には迷惑にはなりません。
それ以上に気になるのは、会社員たちの「会話」です。


食事中の会話

きょうも1席おいた両隣には、いかにも連休明けの会社員が、職場の人のうわさ話。
「〇〇事業部長は…、あの人は前〇〇本部にいて、それからどこに行って…、仕事ができる・できない…」そんな話を延々と。

それって「仕事の話」…?

男性サラリーマンでも女性のOLさんでも、会話のほとんどは「仕事の話」じゃなくて、会社内の狭~い世界の人のうわさ・愚痴…etc.

社員食堂で、あるいはコンビニのお弁当をデスクでいただくことが多い私ですが、たまに外食する時は、1000円札が飛んでいくちょっとした贅沢のつもりなんです。せめておいしく味わいながらいただきたのです。

お寿司屋さんのランチご膳(これで850円!)
寿司やの日替わり

そのすぐ脇で、職場内の狭~い世界のうわさ・愚痴レベルの会話を延々と展開されると…

もう何年も前のことですが、牛タン&麦とろご飯が食べたくて楽しみに出かけた馴染みの店で、すぐ隣には4人のOLさん。そこそこスタイルもよい素敵な女性かと思いきや、男性社員のうわさ話ばかり。〇〇さんは不倫してるらしいとか、この前合コンに行ったらどんな男性が来てて…といった話。ついには下ネタまで。

私は思い余って「あの~、私はあなたの会社の『給湯室』に潜り込んで食べてるわけじゃないんですが…」と一言発しました。
幸い話の分かる人たちで、「あ、すみません」と話題を変えて静かになって下さいましたが…(言われなくても少しは常識で考えろよ!)

平日の昼時に限らず、外食ではすぐ隣には食事を楽しんでいる人がいることを忘れないでいただきたいですね。入退院を繰り返す年老いたご両親と久々の食事をされていて、もしかしたらこれが最後の家族そろっての外食になるかもしれない可能性だってあるんですよ。


◆「仕事の話」って?

♪「あ~ 今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ…」
岡林信康さんの「山谷ブルース」(1968年)の冒頭の歌詞です。

1968年といえば大阪万博の2年前。高度成長を陰で支えた労働者の心情を歌った歌で、メロディも歌詞もなんとも刹那的ですが、私けっこうこの歌好きなんです(笑)。これこそまさに「仕事=生活の糧」の原点じゃないかと思います。

たとえば街路樹を剪定する植木職人さん、あるいは建築現場で働く作業員たちがラーメン・炒飯を食べながら、午前中にやった作業の話や午後からの作業の段取りについて話しているのは、まさしく「仕事の話」ですね。そういう話なら脇で聞こえてもまったく不愉快にはなりません。

でも、いわゆる「会社人間」たちのせんなき愚痴は、私に言わせれば「仕事の話」なんかじゃありません! 
本人たちはごく当たり前の日常的な「はけ口」のつもりかもしれないけど、脇で聞いてて不愉快になってきます。



そりゃ私だって、会社・組織に長年いれば嫌なことだって当然ありますよ。どうしても好きになれない「おかしな人」だっていますから(笑)。でも職場は「お友達」を作りに来る場所ではありませんよね。

最近は「就活」という表現が主流ですが、そもそも「就職=どこかの会社・組織に所属すること」なんでしょうか?
あなたにとって「仕事=職業」って、どこかの会社・組織に所属しておしまいですか?

何かをしたくて、ある生き方をしたくて、それを実現させるために、なんらかの会社・組織に所属しているわけですよね。私自身を振り返っても、「仕事=職場」は、私という人間の生き方のひとつの形=仮の姿なんじゃないでしょうか?

その会社・組織が未来永劫続くとは限りませんが、たとえ時代の流れの中で消えてしまうような会社・組織であったとしても、そこで過ごした時間、取り組んだ仕事は、その人の人生において決して無駄ではないと思います。

また、会社・組織は、個人でいくら頑張っても実現できない仕事を、そこで経験させていただける場所ですよね。そして生活の糧を得ている。
会社・組織がどうであれ、周りの人がどうであれ、自分がその「職業」を選び、ご縁あっていまの「職場」を与えられ、そこで生活の糧を得てるわけですよね?



中途半端な組織論、中途半端な個人主義はやめませんか?

とくに個人の生き方を本当に大切にするなら…

子どものころから描いてきた「大人になったらこんな仕事をしたい」という夢と現実の仕事とが完全に一致している人は幸せですが、そういう人はめったにいないでしょう。
でも、高校・専門学校・大学…前職…いろいろご縁があっていま与えられている「仕事」。
いまのあなたの職業・立場からは、世の中がどんな風に見えてますか?
どんな問題意識をもって毎日仕事してるんですか?
その仕事を通じて、ご自身はこれからどうしたいですか? 
将来的にはどんな生き方をしたいのですか?
…etc.

そういう「仕事の話」なら、朝まででも付き合えますが。

連休明けの、ちょっと踏み込んだ独り言でした。


アリエッティ風ドールハウス(3) 大型連休中

5月7日(日) 

大型連休もあっという間に過ぎました。
連休の谷間、日帰りで母方の祖母のお墓のある愛知県の犬山を何年ぶりかで訪ね、親戚の家3か所とお墓参りをしてきましたが、それ以外はとくに遠出はせず、電子書籍出版(→ 「音の小部屋」が電子書籍に…)に向けての原稿整理、合間にちょこちょこと工作…

5月7日現在のドールハウスの進捗状況です。

2017.5.7現在


◆屋根(破風)

前面(=蓋になる)の窓とドアを抜いたあと、まずは屋根(破風)の部分から着手。
飾り(段差)のついた梁は、1ミリ・3ミリ・7ミリの角材を組み合わせて表現。

屋根1 屋根2 屋根3
★クリックすると大きな画像になります(以下同じ)


レンガの壁

工作ことはじめでもご紹介した、シーナリ用の石積みシートを茶色く着色したものを貼り込みます。

レンガa レンガb
「工作ことはじめ」より再掲


木工用のボンドは水溶性なので、少し薄めた状態で合板にはけ塗りし、水平に気を付けて貼ります。

レンガ1

裏から、窓やドア部分の縁にボンド液で補強。窓・ドアには枠が付きますが、ベースのレンガシートがこういう部分から剥がれてくると厄介なので…

レンガ2 レンガ3

湿気を含んだ合板は反りやすいので、濡れたふきんを裏面にあて、平らなところに重しをしてゆっくり乾燥させます。


窓枠

窓1 窓2

抜いた窓はすべてW40ミリ・H50ミリで同一の大きさですが、それぞれの窓ごとに型紙(=梱包用のボール紙)を2枚ずつトレースして抜きます。一枚は表、もう一枚は内側用です。

窓3

石積みをボールペンで筋をつけて表現しておいて白く塗装。
内側はクリーム色(→窓ガラスを貼った後の内側の化粧用)。

窓4

表側の石積みを貼り、切り口面にパテを塗り、乾燥したら面を整えます。
ただし、実物は「石ブロック」ですから、あまり機械的につるつるにはせず、多少の凸凹も味のうち。切り口面にも石積みの切れ目らしきものを入れておきます。 

整形後…
窓5


◆ドア

娘から「ぜひ開閉式に!」との要望で、今回の重要なポイントとなる両開きのドアが1階と2階の2か所!

ドア1

鉄道模型の車体製作用の方眼紙(0.5ミリ厚)に、ドア面を3枚切り出します。中心の1枚、表・裏それぞれは飾り溝を抜いたものがサンドイッチになります。その間(外側寄り)に蝶番を埋め込みます。

ドア2

まだこの段階では両開きのドアを一体の状態のまま、ドアノブの付く位置に1ミリのドリル穴を開けたあとで、ドアのセンターで切断。

ドアノブ&座金は、久々の真鍮加工・ハンダ付け。

ドア3 ドア4

2ミリ帯に1ミリの穴を開け、まずはアバウトな長さに切断。真鍮線に通した状態でまとめてヤスリで整形すれば、同じサイズの座金が簡単につくれます。両開きのドア2か所なので、座金は裏表合計8枚。

最初の試作品だけ小判型に…これは正面入り口の表側に使いましょう。

ドア5 ドア6

まず、L字に曲げた1ミリ真鍮線を座金に通してハンダ付け。
それをドアの穴に通して瞬間接着剤で固定し、裏側にも座金を通して瞬間接着剤&ハンダで固定し、L字に曲げます。
1ミリ真鍮線は貫通して1本、それを裏表2枚の座金でドアを挟み込む形で固定、という構造。

本物のようにドアノブを回すことはできませんが、裏表ともに見かけは同じドアノブが出来上がり!
ドアを塗装して、さっそく壁面に取り付けます。

ドア7 ドア7b

ゴムのマグネット板をドア内側の上端に付け、ドアが壁と同一面でペタンと閉まるように。

ドア9

ドアの縁回りを厚紙や角材などで化粧し、蝶番を隠します。

ドア10 ドア8

裏のマグネットも、追って欄間(らんま)風のものを貼って隠すつもりです。


◆内装&構造柱

内装用の壁紙は、キッチン用のビニール製。オイルステン仕上げの柱や床ともマッチ。

内壁1 内壁2

前面を開閉するため、両端には1センチ角材をしっかり固定(接着&木ネジ)し、大型の蝶番を取り付けます。

外壁両端の石積みの柱は、梱包用の段ボールの厚さが最適。ボールペンで筋を入れ、直角に曲げてから切り出し、白く塗装。

角柱1 角柱2

建物両端は、合板+1センチ角材の厚み。それにぴったり合う寸法です。

角柱3 外観1

1階・2階のバルコニーの来る位置は、ドアの開閉の邪魔にならないよう正確さが要求されるので、厚手の型紙で位置決めしておきます。


◆丸柱(半割れレリーフ)

壁面の中央2か所に、半割れの丸柱が来ます。
素材を見つけて加工(試作)した段階は前にもご紹介しましたが…

丸柱1 丸柱2

柔らかいバルサ材の6ミリ径の丸棒を、2.5ミリ厚の合板の切れ端にカッターナイフをブリッジ状に渡した間をスライドさせて、半割れの丸柱の素材を作り、紙やすりで整形して小口をまっすぐに切断。

丸柱3 丸柱4

柱の頭部は、バルサと似た桐の木片(=1袋180円)を 6×12ミリに裁断し、上下に段差を付けて表現します。
柔らかいので棒ヤスリで簡単に削り出せます。

丸柱5 丸柱6

白く塗装し、1階・2階同じ位置にボンドで貼り付けます。

外観3

バルコニーはまだ仮置きながら、こんなイメージに。
1階と2階バルコニー手すりは、4本の丸柱でつながります。


「音の小部屋」が電子書籍になりました!

5月6日(土)


このたび、電子書籍を出版しました!

「音の小部屋」と題して、音の不思議・音の面白さ・音と人の心理・12音誕生の歴史…etc.
難しい楽典(音楽理論)を誰にでも身近に感じていただけたら…

ある先生に奨められて、ブログ記事の再編集にて、まずは第一弾。
8つの章立てで、500円です!

音の小部屋表紙
●アマゾンのKindle → 書籍案内 

「書籍案内」画面の、書籍名「音の小部屋 :音の不思議を面白く」またはその下にある「Kindle版」というところをクリックしていただくと、記事の紹介文・もくじがご覧いただけます。

これまでにもブログにつづってきた内容と重複しますが、あらためて8つの章立てになっていて順にお読みになると分かりやすいかと思います。

ご興味のある方にぜひ拡散していただけたら幸いです。今後に向けて、ご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。

アップを記念して 三浦さんと

電子書籍についてレクチャーいただいた三浦陽一さんです。
記念すべきスタートとなりました。感謝!

憲法70年 ~平和を心から願う日本人の知恵で生まれた九条~ 

5月3日(水)

日本国憲法が施行されてから70年。
主権在民、基本的人権、そして世界に類を見ない「平和」への希求を柱とするこの憲法。

この平和憲法を「戦後GHQに押し付けられたもの」とおっしゃる方がいます。

政府関係者の中にもそう認識し、施行されてから70年も経つこの古い憲法を時代に合わせて改めることが、真の戦後日本の確立であり、真の独立になると。

しかし、2日深夜放送のNHKスペシャル「憲法70年 平和国家はこうして生まれた」を観れば、新たな資料から分かった事実も含めて、その認識は間違っていることは明らかです。

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たしかに「マッカーサーノート」と呼ばれる草案はありましたが、その前に、時の総理大臣幣原喜重郎および昭和天皇の「平和」に対する強い希求があったことをマッカーサーもよく理解されていたといいます。

GHQを管理する「極東会議」に向けて、マッカーサーから憲法草案が示されましたが、その後も、日本政府が「恒久平和」を心から希求して、「戦争の放棄」を明言した九条のほか、義務教育など新たな項目も加えて、文面も練りに練っていまの日本国憲法が出来上がった経緯が細かく紹介されました。

防げなかった二つの世界大戦、その甚大なる犠牲を礎に、日本人がマッカーサーとともに心から平和を願い、「二度と戦争をしない国」を世界に向けて宣言すべく9条を含め、世界の憲法史上類を見ない画期的な平和憲法が出来上がったのです。

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画像:番組公式サイトより


時代が変わったから、古い時代の憲法だから…?

何度も書いてきたように、「時代が変わったのだからそれに合わせて見直すべき」なのは一般の法律・規則・条令などの話です。

憲法は「国としての在り方」を定め、あらゆる法規の上位に位置し、一政権がたとえ誤った方向に進もうとしても日本という国が誤った方向に進まないための規範なのです(=立憲主義)。

憲法を変えるということは、国としての在り方そのものを変えてしまうこと なのです。

70年前の日本政府の関係者らが、過去の過ちによる多大な犠牲を礎に知恵をしぼり、考えに考え抜いて草稿を重ねた今の憲法は、世界の憲法史上でも類を見ない画期的なものです。

今の自民党がしたためているような改正草案がそれに勝っているとは思えません。
むしろ、今の憲法の基軸となっている「主権在民」「基本的人権」そして「戦争の放棄」といった平和憲法の重要な柱をあいまいにし、解釈によっては日本の進むべき道を変えてしまう極めて危険なものだと思います。

それを、「時代が変わったのだから、古いものは改めるべきだ」、「(北朝鮮をはじめとする)国際関係における危機的状況も現実にある」…などといったことをもっともらしくちらつかせながら、一政権の祈願としての憲法改正にすり替えて誘導してしまうとすれば、過去の戦争の多大な犠牲と引き換えに「二度と戦争しない国」になることを誓って手にした平和を根幹から揺るがせてしまうでしょう。



国民投票には正しい認識で

憲法改正に関しては国民投票があります。

ただ、その機会を活かして、日本が過った道に進まないようにするには、国民有権者が「憲法とは何か?」、「一般の法律・規則・条令などと憲法の違いは?」、および70年前の史実をひも解いて見えてくる戦後日本の重大な決断と英知の結集でできた今の平和憲法について、正しく知っておく必要があるでしょう。

昨年2月の記事も参考まで…
→ 
「憲法改正は必要…?」


政府自民党がこれまで挙げてきた、緊急事態・選挙権を得られる年齢・天皇の退位…などに関することは、現行の法律や規則、運用規定・解釈の変更、あるいは特別法の制定で済むことです。

政府自民党が昨年出した「憲法改正ってなあに?」というマンガ冊子。
これは、一般の法律・規則・条令などの話です。



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こういう安易なマンガで、いかにも「改憲は必要だ」と世論を誘導する…

集団的自衛権の説明で用いた「となりの火事」や「アメリカの艦船で輸送される母子」を描いた稚拙な紙芝居と同様、きわめて意図的な悪意を感じざるを得ません。


<追記>

◆NHK世論調査の傾向

同3日夜9時のNHK「ニュースウォッチ9」で、憲法改正に関する意識調査の結果を報じていました。

過去にくらべて、改憲派が減って「変える必要はない」と思う人が増加してきてその差が少なくなってきていて、とくに若い世代で改憲派が大幅に減っていることを報じていました。

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個々の質問では、「憲法9条による戦争放棄」について、これを「変える必要があるか?」という問いに対して57%が「必要ない」と答えています。

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一方、戦争や侵略の危険性については、「非常に」と「ある程度」を合わせると圧倒的多数が「危険がある」としています。
つまり、国際情勢に危険については認識しつつ、憲法九条を変える必要はないと思っている人が多い、と言う結果が読み取れます。

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戦後ずっと平和を守って来た九条については82%が」「誇りに思う」とし、憲法九条については「変える必要はない」という見方が圧倒的多数ですが、九条以外の部分では「憲法改正も柔軟に応じるべき」だと思っている人も73%いるようですね。

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ただ、冒頭の折れ線グラフが示すように、小泉政権のころに改憲派が多かったのに比べ、改憲派の数は減ってきて、反対に護憲派(変えなくても良い)が増加。43%対37%と、その差が縮まってきている傾向。

その理由として考えられるのは、一昨年の安保法制などによってすでに憲法は解釈変更がされているからもう必要ない、という理論的な意見。かつての小泉政権のころのように「改革」が叫ばれていた時代から、いまは「不安」の時代へ。憲法を変えることがなんとなく「怖い」から…、「改革」よりも「安定」志向。

憲法論議は「遠い存在」で「よくわからない」、改革よりも現状維持を望む…見方によっては、「よく分からないし、今のままでとくに問題なさそうだから、このままでいいんじゃない」という風にも受け取れなくもないですが、国民世論も決して「憲法改革」に駆り立てられているわけではなさそうで少し安心します。

いずれにしても憲法改正には国民投票が伴います。
国民・有権者がきちんと考え、騙され流されることなく自らの意思をしっかりもつことが大前提ですね。


安倍総理の声明

そんな中、安倍総理は「これまでの70年、そしてこれからの70年を見据えて、時代に合った新しい憲法に向けた議論をしていこうではありませんか。できれば2020年には新しい憲法をスタートさせたい」と明言しました!

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勝手に「機は熟した」などと判断しないでいただきたい!
閣議決定したのかどうか知りませんが、「例示」のように出してきたのが次の2点。


*高等教育の無償化?

これ、憲法とはまったく関係ない話ですよね!
憲法には「基本的人権」の一貫として「誰でも等しく教育を受ける権利」は書かれていますが、小・中学校をそれぞれ何年にするとか、高校をどうする…といった具体的なことは教育基本法ですよ。まして高校の授業料を無料化するなんて憲法に書くべき内容じゃないでしょ!

(上にも書きましたが、一昨年の集団的自衛権の説明で出してきた「となりの火事」や「米艦船に乗った母子」の稚拙な紙芝居を思い出します。見る人が見れば「おかしい」と思うような稚拙な例を出してきて国民を誘導するテクニックが汚い!)

緊急事態法、選挙権の改定、皇位継承の問題…
いずれも現行法の改定や追加、特別法の制定でカバーできることばかりで、憲法そのものを変える必要はありません。

いかにも国民が「ごもっとも」「大切なことですね」と思いそうなことを「例」のように挙げてきて憲法改正の必要性にもっていこうとする… きわめて意図的な悪意を感じます。
いつも口にしているように、「丁寧に説明」し、「しっかり議論」していくのなら、正しい知識を伝えるべきです!


*自衛隊について憲法九条に明記?

あと、先ほどの世論調査で、圧倒的多数が今の九条を大切に思っている中で、「自衛隊のことについて9条に書き加える」とも明言しました。「自衛隊が憲法に違反しているのではないか、という議論が今後起こらないために」とおっしゃいましたが…

戦後のGHQも、草案の中にもともとあった「すべての戦力」、すなわち自国を防衛するための最低限の武力さえも禁止する項目をGHQの担当者の方から削除してるんですね。つまり、どの国であっても、自国を防衛することさえ否定されてしまうのは現実的ではない、と。

その後、日本の政府関係者も知恵を絞りに絞って、外交手段としての戦争、侵略戦争を全面的に否定し、「恒久平和」を第一に掲げる文面を練り上げたのです。

つまり、その時点で「自衛隊そのものが憲法に違反するんじゃないか」という不毛の議論には結論が出ているのです。自衛隊そのものは違憲ではないのです。その自衛隊の活動範囲・権限を勝手に拡げない限り…


プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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