属七の引力 なぜ? 

1月29日(日)

単なる楽典の書き写しではなく「人はその音・響きを聴いてなぜそう感じるのか?」。
本日は、私のこだわる「5度の引力」のスペシャリスト、「属七」さんにお越しいただきました。


◆属七とは?

ある調の主音から5度上の音(=属音)を根音とする長3和音に、根音から7度上の音を加えたもの。
はい、「属七」という名前の定義・説明としてはよろしいのではないでしょうか。

<図解 おさらい>

属七の説明

簡単なハ長調を例にこの説明を当てはめると、主音「ド」から5度上にある属音「ソ」をベースとする「ソシレ」という明るい長3和音に、ソから7度上の「ファ」を加えたもの、ですね。
とらえ方としては「ソシレ」+「ファ」=「属七」 。用語の説明としては良いでしょう。

でも、その「属七」がなぜ主音「Ⅰ」の響き(=5度下)へ戻りたくなる引力を持つのか…?

多くの楽典の本にはそこの説明がありません。実際に音楽を奏でる中で感じる感覚、コード進行を考える上でもっとも重要な「答え」がないのです。

もはや「楽典」の領域を超えた「和声心理学」とでも呼ぶべき未知の領域かもしれません。そこに足を踏み入れてみましょう。


属七はどんな響きか?

「ソシレ」+「ファ」
と考えるのではなく、「ソ」+「シレファ」と見たらどうでしょう?
コペルニクス的発想の転換です。

「ソ」をベース音に、その上に「シレファ」という和音が乗っかっている…と思って響きをよく聴いて味わってみてください。

「ソ」という音は、ト長調では主役の最も安定した音ですが、ハ長調の中では5番目の音。
「気をつけ→礼→なおれ」「礼」で頭を下げてる音のベース音ですね。ずっと鳴らされていると、頭に血が上ってきて早く「なおれ」になってくれないかな…という音ですね。

その「礼」のベース音の上に乗っかってる「シレファ」という和音はどんな響きでしょう?

7導音

ハ長調の音階の7番目の音「シ」は「導音」といって、半音上の主音を導く音です。
その「シ」を根音とし、ハ長調で用いる音を3度ずつ重ねた「シレファ」という和音は…

下の2音間・上の2音間いずれも短3度の、減3和音(dimディミニッシュ)の響き。
7つのコードの中でも異色の存在で、つま先立ちをして頭を押さえ込まれたような、縮められて苦しくて、早く半音上の「ドミソ」に上がって落ち着きたくなるような不安定な響き…ですよね。

「ソ」+「シレファ」が、いかに「ドミソ」に戻りたくなる響きか、お分かりでしょう?

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もう何年も前に描いた下手な絵を再び…


◆いろいろな7th

ところで、属七は「7th」コードの一種ですが、「7th」コードにも4種類あります。
分かりやすく表記された図をサイト上で見つけたので、これを借用して解説を加えさせていただきます。

4種類の7th

明るいドミソ=C、暗いドミ♭ソ=Cmにそれぞれ、ベースの音「ド」から短7度上の「シ♭」を重ねたもの。左の2つ、C7Cm7ですね。

★補足

このC7属七とするのは、ドより5度下のファを主音とするヘ長調、または同主調のへ短調(属七は同主調の長調・短調に共通)。どちらもシには♭がつく調性です。その調を構成している音を上に乗せたものですね。


同じく明るいドミソ=C、暗いドミ♭ソ=Cmにそれぞれ、ベース音「ド」から長7度上の「シ」を重ねたもの。右の2つ、Cメジャー7Cマイナー・メジャー7ですね。

ハ長調の5番目の「ソシレ」も明るい長3和音(=下の2音間が長3度、上の2音間が短3度)。その上に、「ソ」から短7度上の「ファ」を乗せた「ソシレファ」という和音。上図のいちばん左のタイプで、コード名は「G7」(←先進国首脳会議ではありませんよ)。

★補足

ハ長調
と同主調のハ短調でも、属七「ソシレファ=G7」は共通です。「ソシレファ」から明るい「ドミソ」にも、悲しい「ドミ♭ソ」にも行けます。ただ、ハ短調の調性では♭が3つ付き、シにも♭が付いてますから、そのままでは「ソシ♭レファ=Gm7」になってしまいます。そこで、ハ短調の第7音「シ♭」を半音上げる必要がある…それが「和声的短音階」(ハーモニックマイナー)です。

和声的短音階を音階の形で示されて第7音が半音上がる…と示されても「なんで?」ですが、こういう意味だったのです。
3種類の短音階については、こちら(私のオリジナル)をクリックしてご覧ください。

短音階 3種類20170128

7thは 5度下へのきっかけ

明るい長3和音の上に「7th」をのせた響き、つまりC7、D7、E7、F7、G7、A7、B7(それぞれに♯・♭のついたものも)はすべて、他の調(=5度下の調)の「属七」にあたります。

曲全体を他の調に移す「移調」、曲の途中で調性が変わる「転調」、そのほか曲の中のちょっとした場面で5度下の響きへと色変わりさせるきっかけになる、いわば5度下への強力な引力を持った響きなのです。

このように、3和音に7thを加えることで5度下の響きへ、そこで安定したかと思いきやまた「7th」の音が加わってさらに5度下へ…と連続技で色変わりを繰り返していくのを「ウルトラセブン」と言います!

もちろん嘘ですが(笑)、私はよくそう呼んでいる「5度進行」ですね。
安定したかと思うと、それが「5番目の響き」に色変わりして、5度下へ…この「不安定→安定」の引力を人はどうして感じるのでしょうか?


◆「ソシレ」はいつ聴いても「ソシレ」なんだけど…

最後にもういちど「和声心理学」のお話し。

明るい和音「ソシレ」という響きは、いつどこで聴いても同じ「ソシレ」です。
周波数も「ラ=440Hz」を基準に合わせれば世界共通の、人類の共有財産、普遍的で永遠の「ソシレ」です。その響きを聴いた人の耳が脳に伝達する神経のメカニズムそのものは変わらないはずです。

なのに…

「ソシレ」はト長調の音楽の中ではもっともベースの安定した和音(=トニック)ですが、ハ長調では5番目の音(=ドミナント)で、早く「ドミソ」に戻りたく感じるのです。不思議ですね!


音や和音(響き)には、音楽の中での立場や役割がある、ということです。

喩えるなら、一家の中では「お父さん」で世帯主。でも実家に帰れば「5男坊」で決定権はなく「あんたじゃなくて世帯主に会わせろ」と言われてしまう立場…そんなところでしょうか(笑)。

モーターの回転音や、風が鳴らす鈴の音、列車の警笛など…「音」はいたるところにありますが、「音楽」として用いられる「音」や「和音(響き)」は、決して単独では存在しません。

他の音や和音との関係で、結びついたり、溶け込んだり、引っ張り合ったり、途中の寄り道の音だったり、どこかへ向かう音だったり、帰結する音だったり…なんらかの「力」が働いているのです。

そうした目に見えない「力」に沿って、ある響きから他の響きへと色変わりさせていく法則…
それが「コード循環」ではないかと私は考えています。

「5度の引力」をコード循環に

2017年 1月28日(土)

楽典の基礎からコード循環へ…

音楽用語の意味、和音の種類・音階・調性…これらは楽典の基礎としてある程度「覚える」しかない世界。
でも、そこで大切なことは、音に対する感覚をもつことだと私は思います。

どんな世界でもそうですが、ただ丸暗記して覚えればいい、テストで正解が書ければよい…ということではなく、「なぜ?」について考えることが大切です。音楽はまさに感性の大切な世界です。


人は音を聴いてなぜそう感じるのか?

たとえば、音程でも和音でも、5度という関係はとても重要です。
ドとソ、主音と属音の関係。ここには強い引力が働いていると感じるのです。

「ソ」という音は、いつどこで聴いても「ソ」であり、「ソシレ」という和音は世界共通の「ソシレ」なわけですが、ハ長調の音楽の中では「ド」に戻りたくさせる引力をもっている…不思議ですね。

単なるモーターのうなり音や電車の警笛のような「音」ではなく、音楽の中で聴いている音は、単独で存在しているのではなく、ある役割をもってほかの音や和音(響き)と結びついている、ということでしょうか。
→ 「属七の引力 なぜ?」

5度の引力が使われる場面には、およそ次のようなパターンがあると思います。

5度のマジックパターン

◆和音→コードへ

すべての音をベースとする全コード名を一覧にして覚えるのは大変です。
「C(ド)」をベースに、明るい「C」、マイナーコードの「Cm」、さらに「Cdim」「Caug」、7thにも4種類…ひとつのベース音だけでもこれだけ種類があります。それを12音すべてについて…

★もちろん、長3和音・短3和音はどういうものか、下の2音の音程と上の2音の音程がそれぞれ長3度か短3度か、dim(ディミニッシュ)・aug(オーギュメント)とはどういうものか、7thにはどんな種類があるか…といった基本的な知識は必要ですが、ここではコード循環を理解して使えるようになるには、ということです。


仮にすべての音をベースにすべてのコード名を一覧にして「覚え」ても、すぐに使えるようにはなりません(泣・笑)

そこで、私がお薦めするのは、ひとつの調の7音をベースとする7つの和音(コード)から覚えること。


調ごとに 7つのコードでとらえよう

まず、もっとも単純なハ長調とイ短調の7つの基本コードの組み合わせを1~7までの数字(度数)で覚えるのです。

基本、まず覚えるのはこの7つの和音(コード)です。
長調では1・4・5は明るい和音、2・3・6はマイナーコード。最後の7だけがdim(ディミニッシュ)。この順序は他の長調でも変わりません。

長調・短調7つのコード
下段の短調のコードでは、5番目と7番目の和音に臨時記号の#がついてますね。ここでちょっと楽典のおさらいです。


<和声的短音階について>


平行調の長調(イ短調にとってはハ長調)と同じ7音でできている短音階が「自然的短音階(ナチュラルマイナー)」。

その5番目の和音(=ドミナント)は、同主調の長調(イ長調)にも短調(イ短調)にも共通の明るい和音でなくてはいけません。
そのために自然的短音階の第7音を半音上げたのが「和声的短音階(ハーモニックマイナー)」。

楽典の本には、音階の形で第7音を半音上げたものを「和声的短音階」と示しているものがほとんどですが、それだとなぜ第7音を半音上げる必要があるのか理由が分かりません。それに和声的短音階を音階として奏でる必要はないのです。

なぜ和声的短音階では第7音が半音上がるのか?
それは属七・Ⅴの和音(=ドミナント)の響きは長調も短調も共通だから…
明るい「ミソ#シ(レ)」の響きから、明るい「ラド#ミ」にも、暗い「ラドミ」にも行けるためです。

楽典は単に「覚える」ものというより、こういう理由を理解するために用いたいですね。



このように、まずは単純な(原則♯も♭もつかない)ハ長調やイ短調を例に、曲の中のコード進行を「度数」で捕まえられるように。

あとは、他の高さ(調)でも、その調の音階を構成している7つの音の組み合わせでできる和音は7つ。
全コードを一覧で覚えるよりも、はるかに実用的ではないでしょうか?



5度の引力を有効に使ったコード進行(=5度進行)

では、これら7つのコードをどう循環させたらよいのか?
曲の中ではどう使われているか?

「5度の引力」を使ったコード進行があります。

5度進行
この5度進行をフルに使って8回目で元の音に戻ってくるコード循環は、短調の曲でとくに多く使われます。

♪「枯葉」、「白い恋人たち」、竹内まりあ「駅」、来生たかお「グッバイデイ」…etc.


厳密に完全5度で進行させたら12回かかってしまいますが、途中1か所、F→Bのところで減5度の「ごまかし」が入ってます。
その「ごまかし」の減5度が、短調では終わり近くに出てきますが、長調だと「4→7」は割としょっぱなに出てきてしまいますね。長調ではここを避けて1→(3→)6→2→5→1というコード進行がよく使われます。


1→(3→)6→2→5→1

C(=1)から3度下のAm(=6)に降りる。平行調だからすんなり動けます。
♪「上を向いて歩こう」「ムーンリバー」の出だしのように、光と影を行き来するような響きの移ろいです。そしてあとは5度進行で「6→2→5→1」。

あるいは、Cから3度上がってEm(=3)へ。そこから5度進行で「3→6→2→5→1」
♪尾崎豊「I love you」、長渕剛「Close your eyes」、あとテレサテン「時の流れに身を任せ」の骨格部分などがその典型ですね。

★5度進行では、とくに7thの音を加えることで、属七のように5度下への引力をより一層強めるものが多く、7th進行などと呼ばれることもあるようですが、私のブログ内では「5度進行」に統一しています。


5度進行の変形

どこかに臨時記号の♯をつけて、マイナーコードを明るくしたり、逆に明るいコードをマイナーに変えたり、dimやaugを作ったり…と応用。
たとえば、 4を「F♯dim」に変え、7を明るい「B」に変え、3へ…そう、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」に出てくる「結婚行進曲」「4→7→3」の変形だったんだ…!

最後に、この5度進行の最後、「2→5→1」の部分に注目。
2-5-1とドッペルドミナント


2のマイナーコードを明るい和音に変えたもの、それがドッペルドミナント(二重の属音)です。

★ドッペルドミナントについては、後日あらためて記事を書きますが…

♪ラデツキー行進曲、花のワルツ(チャイコフスキー「くるみ割り人形」終曲)、ショパンのバラード1番やワルツなど、クラシックの名曲でも多く用いられています。
とくに冒頭、「これが主役かな?」と思わせておいて、実はその5度下、さらにその5度下から主役が登場…といった演出に用いられます。

→ 二段の滝 ドッペルドミナント




こんな風に、クラシックの名曲を、あるいは流行の歌謡曲や映画音楽をコードの流れでとらえる試み。

「そこにおたまじゃくしがあるからその通り弾く」のではなく、響きの移り変わりを分かって弾けるようになります。「楽譜がないと弾けません」からの脱却への近道です。

「むかしピアノを習ってました」と過去形でおっしゃる方も、楽譜を見て、毎日ピアノに向かって練習して、覚えていれば弾けたんですよね。あらためてこうしてコードで音をとらえることができたら、いかがでしょうか?

また、楽譜は読めないけど、コードで音を捕まえてピアノを弾けたら…はい、ギターなどと同じくコードを覚えればそれも決して夢ではないのです!

ギターは、比較的大人になってから始められる方も多いですね。私が高校生のころ、それまで楽器などやったこともない友人が、ギターをはじめてわずか数か月で、フォークソングなど(年代が知れますね…笑)をさらっと弾いているのを見て驚いたものです。コードで覚えると弾けるようになるのも早いのでしょう。

ただギターの場合、6本の弦をおさえる「手の形」でコードを、耳で聞こえる「響き」と一致させて覚えることが多いのではないでしょうか?
だからコード名だけで演奏できるようになっても、個々の音の上下や広がり(音程=音と音の間隔)が見えづらいのではないでしょうか?

その点、ピアノなどの鍵盤楽器は、音が並んでいて見えてますから、短3度、長3度、5度の広がり、そこに7thや9thを上に重ねる感覚、ある音を半音下げるとマイナーな響きに変化する…といったことが、すべて目に見えるのです。

どの楽器もそれぞれ魅力がありますが、いちど鍵盤で音の関係を見てみるのも悪くないと思います。



巨匠バレンボイム氏の「Talks About Music」

10月24日(火)

「1音だけでクレッシェンド…そんな魔術は物理的に不可能に思えますが」という質問に対して、

「種明かししたら魔術じゃないよ」と笑いを取りつつ、かつてピアノの巨匠ホロビッツに言われた「意志をもつ」ということについて語られた言葉が素晴らしいのでご紹介します!

Maestro Daniel Barenboim 「Talks About Music」

★facebookよりURLをコピー。動画がうまくみられると良いのですが…
 動画で2分経過したあたりから…



♪「意志」をもつ

クレシェンドがあると知るだけでは不十分だ
どうにかしようと欲すること
何かを表現しようとする意志

すべての知識と感性を結集して表現すること
自然の法則や 音の法則について

深い知識と高い意識があれば 魔術ができる

説明するのは簡単だ
クレシェンドはこうあるべき、リズムはこう…
いくらでも説明はできる

だが 教えられないことがある
音楽を愛する心は教えられない

すべての日常の邪念を忘れて クレッシェンドに集中する

(中略)

音の不思議は 物理を超えているからです





まるで詩のように、彼の口から出てくる言葉のひとつひとつに説得力があると思いませんか。

ピアノで、ある和音を弾いて、その響きをクレッシェンドすることはできません。
そして次の和音を弾く…、その「間」に音はありません。

でも、そこに「クレッシェンドするのだ」という強い意志を働かせて弾くと…




色彩豊かな讃美歌

10月16日(日)


あまりこれまでご紹介することのなかった讃美歌です。

きょう礼拝後に10分ほどの練習会で取り上げられたのが、讃美歌二編の43番。

一般に讃美歌というと、古典ぽくって単調…そんなイメージもあるのではないかと思いますが、これはとてもモダンな感じで、ちょっと変わっています。

ピアノかオルガンを弾ける方は、ちょっと音を出してみてください。


讃美歌Ⅱ編4320161016

2分の4拍子…、2分音符×4つの「4拍子」ですね。
白い音符でゆったりしてるように見えますが、4分の4拍子で書かれたものもあり(↓後述)、けっこうリズミカルで力強く前進する感じです。

頭に2小節、ファンファーレのような前奏が付いているのも変わっています。
また、コード(響き)がじつに豊かに変化しています。冒頭部分のみ…


讃美歌Ⅱ編4冒頭コード

讃美歌の下にコード名を入れるのは私ぐらいでしょうが…(笑)

歌が同じ音で連続している冒頭1小節目、C→A♯dim→G7、さらにアド9へ…
1小節内で、グレンミラー並みにコードが色変わりしています。

つづく2小節目では、Cメジャー7も!…讃美歌にメジャー7ですよ!



この讃美歌について、詳しい方からお話しを聞くことができたのでご紹介しておきますと…

1953年に、米・シカゴの近くのエヴェンストン市で、世界教会会議というのが開かれたそうで、そこで一般から新しい讃美歌を募集したところ、500曲ほど応募があった中から選ばれたのがこの曲、とのこと。

楽譜の上に小さくて見づらいですが、「曲:John Albert Jeffery 1886」、「詞:Georgin Harkness 1951」とあります。讃美歌としてはかなり近代的なものと言えますね。

そして、新たに募集された讃美歌には、当時もやはり世界が混迷していた中で、世界に向けた平和への祈り・メッセージが込められています。


<訳詞の1番>

1.世界の望みなる主よ あらそいに悩みつつ 
   むなしき望みにすがる 世の民を救いませ


じつはこの讃美歌、本編の451番にも同じ曲が掲載されています。

讃美歌20161016


4分の4拍子に直されて、歌詞は異なってますが、まったく同じ曲です。






語りと波紋音による「平家物語」

◆今によみがえる「平家物語」の世界


俳優の金子あいさんの語りによる「平家物語」、じつは私もこれまでにも何回か直接お聞きする機会がありましたので、ここにご紹介させていただきます。

平家物語・波紋音20160903

金子さんは、「平家物語」が現代にも通じる強いメッセージを多く含んでいると受け止め、「語り」(…画像のような動きも伴う「語り芝居」)を通じての再現・継承をライフワークとされていらっしゃいます。


「軍記もの」の代表のように習った「平家物語」ですが、その中身は決して手柄話をつづった英雄的な武勇伝でもなければ、平家の繁栄を「万歳」とたたえるサクセスストーリーでもありません。

むしろ、(まつりごと)を誤るとどうなるか、(いくさ)とはいった何のためにしなくてはいけないのか、上からの命令や軍の掟に従って敵を討たなくてはならない生身の人間の悲しみや葛藤

ときに現代のサラリーマンと同じような葛藤であったり、プレッシャーであったり、国の政治のあるべき姿であったり、まさに現代に生きる私たちとも相通じるものがあると。

*「平家物語」についてはこのあと少々書かせていただきます。


◆波紋音(はもん)との出会い

そんな金子あいさんが何年か前に、水琴窟のような音色を奏でる「波紋音」と出会われ、この音色と語りとのコラボで活動を展開されています。

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鉄でできた、中が空洞の半球で、上面の平らな部分に切込みが入っています。

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切込みには長いところと短いところがあり、長いところは振動するバー(=リード状の部分)が長くなり低い音、短いところは高い音が出ます。

切込みと音の高さ

オレンジ色の矢印が長いところ=振幅が長い=低い音
   〃         短いところ=振幅が短い=高い音


とくに12音階の決まった音程に調律されているのではなく、「高さの違う自然な音色」が素朴にある、そんな楽器です。

演奏されているのは、東京芸大の出身で、もともとクラシックから現代音楽など、いわゆる楽譜を再現する世界にいらっしゃった打楽器奏者・永田砂知子さん。

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永田さんとは、私も学生時代からお世話になっている元N響の打楽器首席・百瀬和紀先生のもとで、以前同じ研究会にも参加されていたことを今年の4月に知りました。意外な場での再会です!



最近のテレビドラマや映画では、劇中に使われる音楽がとても多く、とくにメロディを含む音楽でシーンを盛り上げようとすると、音が過剰になりがちで、肝心の語りがかき消されてしまうこともあると永田さんはおっしゃいます。私もまったく同感です。

その点、この「波紋音」の音色は、語りを邪魔することなく聞く人の心に溶け込むように入ってきます。
とくに決まった音程があるわけでなく、人と音との原点のような素朴な感性を刺激してくれます。

木のバチでたたけばいわゆる金属音、柔らかい素材を頭に巻いたマレットで叩けば時にマリンバのような音、時にアフリカのスチールドラムのような音、激しく連打するとどこかインドネシアのガムランのような音、また細身の金属の棒でエッジをこすれば、遠い世界へ誘うような異次元の音…

ときに宇宙的で神秘な音、ときに素朴な自然の音、ときに心臓の高鳴りを象徴する音、祈りにも似た心の内面の音…etc.

その無限大の音色を操って、物語のシーンごとのイメージに合った音が紡ぎ出されます。

もちろん楽譜なんてありません。手元に置かれているのは物語の原文で、それがいわば「台本」。
どこで、どの個体を使って、どんな奏法で、どういう音を、どんなタイミングで入れるかは、すべて奏者の頭の中にあります。

語りの金子さんが前もって伝えるイメージや、平易に文章を読んで(素読みで)描かれるイメージもありますが、やはり状況が目に浮かぶように情感を込めた「語り」になると、より鮮明なイメージが出来上がると言います。

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無限大の表現力を秘めた「波紋音」。テラピーにももちろん、自分自身の安らぎの音としてもぜひそばに置きたく、近々工房をお訪ねし、ちょっとお小遣いを奮発して小さめのものを1つ求めたいと思っています…が、なんと3か月待ちだそうです!



「平家物語」について


「平家物語」は、全12巻・191の章から成る大作ですが、いつ誰の手によって書かれたのか、諸説あって正確なことは判っていません。

原文も「読み本」といわれる系統と「語り本」といわれる系統に大きく2分されますが、さらに壇ノ浦の戦いの後入水したものの源氏によって助けられた建礼門院徳子(出家して京都大原の寂光院に隠居)によって書かれたとされる「灌頂巻」(5章から成る)が加わったものもあります。


◆琵琶法師による語り継ぎ


やはり何といっても有名なのは「琵琶法師」による「語り」による伝承です(そこで弾き語りに用いられる琵琶のことを「平家琵琶」といいます)。
映画もドキュメント番組もなかった時代、先ごろまで栄えていた平家にまつわるエピソードや戦いの記録が盲目の琵琶法師によって全国に語り継がれていったのでしょう。

つい最近(2016年7月11日・月)、NHKのETV「にっぽんの芸能」でも琵琶法師が取り上げられました。

800年とも言われる平家琵琶(琵琶法師)の流れをくむ検校(けんぎょう=盲人に与えられた役職で最高の位)が今も伝承されているのです。
名古屋に在住の今井勉さんがその方。時代の変遷を経てなお現代に伝わる検校の秘密、「平家物語~竹生島詣」の実演もまじえ、その「語り」(=琵琶に合わせて「歌う」)が紹介されました。

*金子さんは、とくに琵琶法師の語りを意識して真似たものではなく、まったく独自の世界です。


◆現代にも通じる平家物語のメッセージ

「平家物語」といえば、高校~大学受験の「古文」にも必ず登場し、「軍記もの」の代表のようにいわれます。
しかし冒頭にも書いたように、その中身は決して戦での手柄話をつづった英雄的な武勇伝でもなければ、平家の繁栄を「万歳」とたたえるものでもありません。

時代を超えて訴えてくる、人の心の葛藤、戦(戦争)はいったい誰のためにしなくてはいけないのか、人の世を治める政(まつりごと)とはどうあるべきか…といったテーマが随所に隠されています。

これは私のイメージですが、全体を通して受けるのは「反戦もの」ではないかとも思えてきます。

今回の公演で語られたのは、とても有名な3か所。高校の古文を思い起こしながらあらためて…


◆第一段より 「祇園精舎」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」にはじまり「おごれるものも久しからず」「ただ春の夜の夢のごとし」といった冒頭部分だけを見ると、後の「方丈記」にも通じる「無常」「世のはかなさ」「もののあわれ」のようにも見えます。

しかしそのすぐ後に続く部分を見ると、遠く異朝(=外国)を見ても、近く本朝(=日本)を見ても、無謀な政治は決して長くは続かず必ず滅びると言っています。

「旧主先皇の政(まつりごと)に従わず、楽しみをきわめ、諫めをも思い入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の憂うるところを知らざりしかば、久しからずして亡じにしもの」と書かれています。

これは現代の政治にもそのまま当てはまるのではないでしょうか?

第1段 「祇園精舎」


◆第9段より 「敦盛の最期」

この段に登場する熊谷次郎直実(くまがえのじろうなおざね)は、武蔵野国の住人と名乗っています。今日の埼玉県熊谷市、夏は猛暑となるので有名なあの熊谷ですね。
戦いに駆り出された武将たちは、恩賞を得るために手柄を立てることを目指しています。

陣営を背後から襲われた平家の武者たちは、海に待機する助け舟にのがれようとします。その水際で、直実は大将らしき敵の武将を見つけ「卑怯にも敵に後ろを見せるのか?返させたまえ」と叫びます。すると若い敦盛は素直に引き返します。水際で馬から引きずり下ろし、いざ首を取ろうと兜をどけてみると…

歳のころはまだ16~7ばかり。自らの息子・小次郎と同じぐらいの年齢。その息子が少し怪我をしただけでも心配なのに、首を打ち取られたと聞いたらこの人の親はいかばかり嘆き苦しむだろう…
なんとか助けたいと思うが、振り返れば、後ろには土肥・梶原の味方のおびただしい軍勢。どうせ討たれるならせめて自分の手で…。

第9段 「敦盛最期」(1)

泣く泣く首を取り、いざその首を包もうとすると、腰には錦の袋に入った笛が!
けさ早く、陣営から管弦の音色が聞こえたのは、この人たちの奏でたものだったのか…
味方にも多くの武将はいるが、戦場に笛を持参する者などどこにもいない…
なぜこんな方の首を取らなくてはならないのだろう…

人の親として、人の道に反しても武士という身であることの葛藤から、直実はその後仏門へ入ります。

第9段 「敦盛最期」(2)


◆第11段より 「那須与一」

これはあまりにも有名なエピソード。
沖に浮かぶ舟の舳先に掲げられた扇の的を射って落とせ、という源義経の命令を受け、若き那須与一が指名されます。

しかし、敵も味方も見守る中、もし射止めることに失敗したら後々まで恥となると辞退を申し出ますが、義経の逆鱗に触れます。「わざわざ鎌倉からここまでやって来て、命令を聞けないなら今すぐに帰れ」と。

→ 第11段 「那須与一」(1)

「南無八幡大菩薩、日光大権現、宇都宮・那須の湯泉明神…」思いつく限りの神仏の名をあげて願をかけて集中し…そのプレッシャーたるやいかに!? 
風がやんだ瞬間放たれた矢は見事命中、扇は空に舞い上がり、敵も味方もどよめいてパフォーマンスは見事成功!

→ 第11段 「那須与一」(2)

この箇所に限りませんが、登場人物の来ている衣の色や扇の色など、色彩に関する記述がじつに具体的で細やかで、目をつぶって聞いていると、状況が色彩豊かに浮かんできます。



「平家物語」は、読んでストーリーを追うもよし、目を閉じて情景を色彩豊かに思い描くもよし、人の世が続く限り変わらないメッセージとして受け止めるもよし…

みなさんもあらためて「平家物語」と出会われてみてはいかがでしょうか?

★秋にかけての公演スケジュールは、こちらのフェイスブックページをご覧ください。
→ 平家物語 ~語りと波紋音~


「クラシック音楽」ってどんなイメージ?

8月11日(木・山の日)

少し前に、ある若い演奏家が「クラシックのイメージってどんなでしょう?」とアンケートを取られてました。
そこで私なりにあらためて考えてみました。


一般的なイメージとして

・崇高 ・ハイソ ・敷居が高い ・お洒落 ・エレガント(優雅)
・高級感 ・まじめ ・文化の香り ・一般人離れした

…実際にクラシック音楽をお好きな方でも、これに似たイメージはきっとみなさん持っていると思います。テレビCMでクラシック音楽が用いられる場面、刑事番組で演奏家が加害者・被害者になる場面を思い浮かべてみると、およそ上記のようなイメージがあるのではないでしょうか?


演奏面でのイメージ(クラシック以外の音楽と比較して)

・難しい ・楽譜があまりにも完成されつくされている=・楽譜通りでないといけない(お堅い) ・子どものころからの習熟、毎日の練習がが絶対必要 ・万民のものではなく、限られた人たちのもの

  
ややマイナスのイメージとして…

・楽譜どおり音を並べるだけでも大変(精一杯)で、音楽が生きてない演奏も… 
・生きた音楽の楽しさがどこか置き去りに…
・融通が利かない(「楽譜がないと弾けません」「今度練習しておきます」など、リクエストを受けて即興で演奏しづらい)

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私なりにここまでつづってきて、クラシックってある意味高度で、高級感があって素晴らしい芸術文化なんだけど、それだけに敷居が高く、熟練を要する分だけ音楽本来の「遊び」の要素が入り込む余地が少ないのかも…と。

ジャズなどの生のセッションがいわば「氷の彫刻」のような瞬間芸術だとすると、クラシックはたくさんの部品が組み合わされた「精密モデル」みたいなものかもしれません。

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音楽って、いつごろから人間と友達になったんでしょうね?

クロマニヨン人、石器時代の人たちも、石や動物の骨をたたいたり、竹の筒を吹いたりして、なんらかの「音」で「楽しむ」ことはしてたんじゃないか…と思います。

紀元前のピタゴラス先生が「5度」の響きは比率であることを発見し、その比率で音を取っていったら12回目で同じ音にもどってくる…つまり12の音ができてたんですね。
しかし人々は12音すべてを使うことなく、5音階、7音階で「調べ」を奏で、その「調べ」の印象から6つの教会旋法ができ…

やがて12音の「平均律」ができたのはバッハの時代。いまから300年ちょっと前です。
そこからモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン~ロマン派~近現代…わずかここ300年ほどの間に、あらゆる音楽が凝縮して生まれてきました。

そして、楽譜が読めない人たちが生み出したジャズの世界でも、意外にもバッハと同じ原理を用いていたり、今日の歌謡曲・ポップス、ゲームソフトの音楽など、あらゆるジャンルの中にもクラシックの要素は生きていたり…

いったいどこまでをあらためて「クラシック」と呼ぶのか、非常にあいまいじゃないかと思うんですね。
でもやはり「クラシック」という高い山のようなイメージははっきりとある…


これからの課題

そんなクラシックを、必ずしも楽譜が読めない、必ずしも音楽に詳しくない方でも気楽に楽しめるように、クラシックファンのすそ野を広げ、音楽の力をひとりでも多くの人に届けたい。

そのための発想として…

★リサイタルやコンサートで、出てきて演奏だけしてお辞儀して引っ込むだけでなく、マイクを持って「トーク」を入れ、作曲者や曲について紹介する。

★咳もがまんしてシーンと聴かなくてはいけないコンサート形式ばかりでなく、おいしいワインや料理をいただきながら、適度な歓談をしながら聴ける「ライブ」の機会をもっと増やす。ジャズライブの中にちょっとクラシックの名曲も混ぜる、という発想もよい。

★駅や商業施設のアトリウムなどでのロビーコンサートの機会をもっと増やす。
専用ホールのような完璧な環境ではなくても、身近に聴ける場と機会を。

★クラシックのコンサート会場でも、後ろに映像を投影したり、フラワーアレンジメントや身体パフォーマンスなど、音楽(演奏)以外の要素も取り混ぜて、クラシックと〇〇とのコラボのような試みも…

ここに挙げたような試みはすでにされている演奏家も多く、一昔前に比べたらだいぶクラシックも身近に感じられるようになったのではないかと思います。

格調を下げることなく敷居は低く、高い山を目指しつつも裾野を広げる…
クラシックという高い山に修行僧がこもってひたすら訓練を積み、限られた機会にだけ演奏するのではなく、山を下りて人里に出てきて、より多くの人たちに音楽の素晴らしさを伝道していく…そんなところではないでしょうか?

歌と「ことば」

最近、あまり大きな音楽専用ホールではない小さな空間で、ピアノ(伴奏)による「歌」を聴く機会が重なりました。

クラシックでも、大編成のオーケストラもいいけど、室内楽もいい、歌もいい。
またジャズもいい、ボサノバも大好き、シャンソンもいい、カンツォーネもいい、昭和の歌謡曲も…
その時の気分によって音楽も着替えればいい。音楽にジャンル分けは不要だと思います。

その中でも「歌」は、当然ながら音楽(リズム・メロディ)に「ことば」が加わります。

私が最近聴いたコンサートでは、歌手の方がいずれも「ことば」をとても大切に、目の前のお客さんに語りかけるように歌ってらしたのが印象に残っています。

いわゆるオペラ歌手にたまにありがちな、「声の響きはとても素晴らしいんだけど、歌詞がまったく聞き取れない」という現象がなかったんです。これ、とても大切なことだと思うんですね。

古くから歌い継がれてきた「日本の歌」もなかなかいいものです。
滝廉太郎、北原白秋…日本人が忘れてはならない、大切な日本の心・懐かしい原風景をよみがえらせてくれます。また「昭和の歌謡曲」にもいいものがたくさんあります。

メロディはシンプルなんだけど、とくに歌詞を見なくても、ちゃんと耳から入ってくる「ことば」が心に沁み込んでくるのです。
べつに「音楽療法」に限らず、私たちの身近なところに、そういう音楽は一緒に生きてきたんですね。


◆「ことば」とフレージング

ジャズやボサノバを、英語で歌うか、ポルトガル語で歌うか…
シャンソンを、フランス語で歌うか、日本語で歌うか…

メロデイ(曲)は同じでも、言語が違うとまったく印象が変わりますね。
その言語のもつ独特の発音、全体としての印象ももちろんですが、ひとつひとつの単語の長さ、前置詞や接続詞のつき方によって尺(=長さ)が変わり、音楽のフレージングも変わってきます。

それはオペラの世界でも、ブロードウェイのミュージカルでも同じ。
ドイツ語で演じるのとイタリア語で演じるのと、英語で演じるのと、日本語で演じるのとでは、言語を理解できなくても「音声」としての印象そのものがまったく違うものになりますし、曲のフレージングも微妙に変えなくてはならない場面もあります。

実際、モーツァルトの歌劇でもロッシーニの歌劇でも、ドイツ語版かイタリア語版かによって、オーケストレーション(=各楽器の役割)・パート譜が微妙に異なっていることは多いです。

とくにロッシーニの作品は要注意!
若いころに作った曲を違う言語に変えて何種類も楽譜を残しているので、いろんな版が存在していて、どの版を使うかによって、指揮者が見ているスコア(総譜)と各楽器のパート譜に書かれていることが全く違ったりして問題が生じるのです。

まあでも、オリジナルの曲があって、あとで歌詞を他の言語に変える場合にいろいろと難しい問題が起きてくるのは当然ですし、多少無理な個所があっても仕方ないと思うのですが、日本人がつくった日本語の歌のはずなのに、ということも…


最近のポップス・歌謡曲

たとえばほんの一例として、カラオケでもよく歌われる一青窈さんの「ハナミズキ」という曲。
ゆったりとしたメロディ、そして歌詞がとても美しい曲で、私も大好きです。

ただ1か所だけ!
オリジナルの一青窈さんもそうなんですが、1番のサビに入る前の「庭のハナミズキ」というところがどうしても気になってしまいます。

「庭のハ  (V) ナミズキ」 と歌われてるんです(V…ブレス・息継ぎ)。
なんでそこで切るかな~?

「庭~の  (V)  ハナミズキ」と歌ってもちゃんとフレーズに納まるし、その方が「ことば」として自然に聞こえてすんなり入ってくるのに…

ちなみに、2番の「どうぞ ゆきなさい」「お先に 行きなさい」はとても自然ですね。
3番の「待たなく てもいいよ」「知らなく てもいいよ」は、親しい間柄で使う「~なくっても」という表現もあるので、とくに違和感なく入ってきます。問題は1番だけですね。

たとえばこういう個所、カラオケでも完全にオリジナルを真似るのではなく、歌詞の意味をちゃんとかみしめて、自分なりにフレージングをちょっと変えて歌ってる方に、私は親近感を覚えてしまいます。




最近のポップスの中にも、たとえばドリカム、コブクロ、いきものがかり…etc.
私もけっこう好きな歌手・いい曲は多いんですが、どちらかというとメロディとリズムが優先されて、歌詞の変なところでブレスされるのに違和感を感じてしまう場面もしばしば。

さらに、最近の歌の中には、歌詞(ことば)が全く聞き取れず、曲そのものは耳に残っているのに歌詞をぜんぜん分かっていなくて、年末の「紅白歌合戦」で画面下に歌詞がテロップで出されて、初めて「あ~こういう歌詞だったんだ!」と分かることも…(笑)

なぜ、そういう現象が増えてきたんでしょうね?

以前こんな記事を書いたこともあります。

→ 歌は世につれ 世は歌につれ ~歌詞が聞き取れない~」





駅の発車チャイムあれこれ

6月22日(水)

「音」と「鉄道」、両方とも大好きな私にもかかわらず、ブログを開設してからこの6年間、まったく取り上げてこなかった話題がありました!

JR各線・各駅の発車のチャイムです。
すでに多くの人がYou-tubeにもアップしている中、いまさらながら…



ところで、音楽による発車チャイムは、いつごろから始まったのでしょうか?

私がまだ子どものころ、東海道新幹線が開業した当時は、新幹線ホームの発車音も「ジリリリリ…」とけたたましく鳴る「ベル」でした。駅といえばあの音だったのです。

電話をかけて相手を呼び出している時に聞こえるような「トゥルルルル…」というやさしい音(フォーンベル)に代わっていったのが昭和50年代前半だったように記憶しています。

そして、横浜博覧会のあった1989年ごろから首都圏のJR各線でも音楽チャイムが取り入れられていきました。

ちょうどそのころ、新宿駅でも東京駅を真似て駅コンサートをやろうという企画(JR東日本)があり、私たちアマチュアのオーケストラが平日の夕方新宿駅南口のコンコースに集まり、ミニコンサートを行いました。
その時に演奏した曲の中に、私たちと一緒に活動してくださっていた作曲家・指揮者の先生が、新宿駅の各線の発車チャイムをモチーフに短い曲を作曲してくださり、それを演奏しました。まだ駅の音楽チャイムが目新しかった頃です。

音楽チャイムも、当初は単旋律だけのシンプルなものでした。
これは首都圏の各駅でよく聞かれた汎用タイプ。いまでもまだ使われている駅があるかと思います。

汎用タイプ(1989~)

単音だけでなく、ハーモニーがつくようになった一例がこちら。
終わりの方でトゥリルが出てきたり、最後にハーモニーが追従したり、どことなくバッハ風?

バッハ風? 2016現在


一方、五反田駅では、こんな音が流れていました。

五反田駅 2016現在

途中で転調して最後にrit.がかかる(ゆっくりになる)のが外回り。
そして、ちょっとおどろおどろしく何調だかよく分からないのが内回り。

音楽チャイムも普及が進むにつれ、同じ線・同じ駅でも「上り」と「下り」(山手線では「外回り」と「内回り」)で違う音を採用することも定着していきました。



五反田駅のお隣、目黒駅では初期のころからこの音楽が流れていました。

目黒駅

ところが、今から3年ほど前に、なんと北のさいはて青森駅でこの音を聴きました!
せっかく東北新幹線で「新青森」まで「旅」して来て、在来線の「青森駅」に移動したところでまさか「目黒の音」を聞くとは…!
なんだか旅の情緒が台無しになったような気分(笑)。駅チャイムの二次利用はやめてほしいですね。



そして、わが青春の街でもある渋谷駅
1990年代の山手線ホームでは、一風変わったこんな発車の音が鳴り響いてました。

渋谷駅 初期タイプA,,B

高さの違う2種類があり、たしか内回り(目黒・品川・東京方面)の方が高い音のBタイプだったように記憶しています。

そして、こちらが現在の渋谷駅
You-tubeにいくつもアップされていました。


https://youtu.be/IgY3dBJkskI

1番線が外回り(新宿・池袋方面)
 「小川のせせらぎ」
現在渋谷・外回り 無題
本当はもっとたくさんの音が複雑に混じっていますが、簡単にピアノで再現できるようにシンプルな楽譜にしてみました。

2番線が内回り(目黒・品川・東京方面)
 「花のほころび」
現在渋谷・内回り無題

ついでに、You-tube 後半にある埼京線も…

埼京線 3.新宿・埼玉方面
埼京線4.湘南・鎌倉方面

なお、渋谷駅・埼京線の上下線で用いられてるこの2曲は、JR他線の駅でもしばしば耳にします。



そして大正時代からの古い駅舎の取り壊し・リニューアルがいま話題になっている原宿駅

原宿駅 2016現在

外回りはちょっとのんびりした感じ、内回りはちょっとせわしない感じの音です。
連続音なので本当にこの拍子で正しいかどうか分かりませんが、私の感覚でとらえて外回りは4拍子で、内回りは3拍子で表記してみました。



そして最後に新宿駅
中央線(上り・下り)、中央総武線(上り・下り)、埼京線(上り・下り)など多くの線が並走しているので、音も錯綜し合っていることが多いですが、とりあえず山手線の外回りと内回りはこんな音です。

新宿駅 2016現在

(いずれも2016年6月現在)

全国のJR各線・各駅の発車のチャイム、および新幹線や特急列車の車内放送のチャイムなど、鉄道にまつわる「音」はまだまだ限りなくありますので
、また追々…
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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