色彩豊かな讃美歌

10月16日(日)


あまりこれまでご紹介することのなかった讃美歌です。

きょう礼拝後に10分ほどの練習会で取り上げられたのが、讃美歌二編の43番。

一般に讃美歌というと、古典ぽくって単調…そんなイメージもあるのではないかと思いますが、これはとてもモダンな感じで、ちょっと変わっています。

ピアノかオルガンを弾ける方は、ちょっと音を出してみてください。


讃美歌Ⅱ編4320161016

2分の4拍子…、2分音符×4つの「4拍子」ですね。
白い音符でゆったりしてるように見えますが、4分の4拍子で書かれたものもあり(↓後述)、けっこうリズミカルで力強く前進する感じです。

頭に2小節、ファンファーレのような前奏が付いているのも変わっています。
また、コード(響き)がじつに豊かに変化しています。冒頭部分のみ…


讃美歌Ⅱ編4冒頭コード

讃美歌の下にコード名を入れるのは私ぐらいでしょうが…(笑)

歌が同じ音で連続している冒頭1小節目、C→A♯dim→G7、さらにアド9へ…
1小節内で、グレンミラー並みにコードが色変わりしています。

つづく2小節目では、Cメジャー7も!…讃美歌にメジャー7ですよ!



この讃美歌について、詳しい方からお話しを聞くことができたのでご紹介しておきますと…

1953年に、米・シカゴの近くのエヴェンストン市で、世界教会会議というのが開かれたそうで、そこで一般から新しい讃美歌を募集したところ、500曲ほど応募があった中から選ばれたのがこの曲、とのこと。

楽譜の上に小さくて見づらいですが、「曲:John Albert Jeffery 1886」、「詞:Georgin Harkness 1951」とあります。讃美歌としてはかなり近代的なものと言えますね。

そして、新たに募集された讃美歌には、当時もやはり世界が混迷していた中で、世界に向けた平和への祈り・メッセージが込められています。


<訳詞の1番>

1.世界の望みなる主よ あらそいに悩みつつ 
   むなしき望みにすがる 世の民を救いませ


じつはこの讃美歌、本編の451番にも同じ曲が掲載されています。

讃美歌20161016


4分の4拍子に直されて、歌詞は異なってますが、まったく同じ曲です。






語りと波紋音による「平家物語」

◆今によみがえる「平家物語」の世界


俳優の金子あいさんの語りによる「平家物語」、じつは私もこれまでにも何回か直接お聞きする機会がありましたので、ここにご紹介させていただきます。

平家物語・波紋音20160903

金子さんは、「平家物語」が現代にも通じる強いメッセージを多く含んでいると受け止め、「語り」(…画像のような動きも伴う「語り芝居」)を通じての再現・継承をライフワークとされていらっしゃいます。


「軍記もの」の代表のように習った「平家物語」ですが、その中身は決して手柄話をつづった英雄的な武勇伝でもなければ、平家の繁栄を「万歳」とたたえるサクセスストーリーでもありません。

むしろ、(まつりごと)を誤るとどうなるか、(いくさ)とはいった何のためにしなくてはいけないのか、上からの命令や軍の掟に従って敵を討たなくてはならない生身の人間の悲しみや葛藤

ときに現代のサラリーマンと同じような葛藤であったり、プレッシャーであったり、国の政治のあるべき姿であったり、まさに現代に生きる私たちとも相通じるものがあると。

*「平家物語」についてはこのあと少々書かせていただきます。


◆波紋音(はもん)との出会い

そんな金子あいさんが何年か前に、水琴窟のような音色を奏でる「波紋音」と出会われ、この音色と語りとのコラボで活動を展開されています。

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鉄でできた、中が空洞の半球で、上面の平らな部分に切込みが入っています。

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切込みには長いところと短いところがあり、長いところは振動するバー(=リード状の部分)が長くなり低い音、短いところは高い音が出ます。

切込みと音の高さ

オレンジ色の矢印が長いところ=振幅が長い=低い音
   〃         短いところ=振幅が短い=高い音


とくに12音階の決まった音程に調律されているのではなく、「高さの違う自然な音色」が素朴にある、そんな楽器です。

演奏されているのは、東京芸大の出身で、もともとクラシックから現代音楽など、いわゆる楽譜を再現する世界にいらっしゃった打楽器奏者・永田砂知子さん。

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永田さんとは、私も学生時代からお世話になっている元N響の打楽器首席・百瀬和紀先生のもとで、以前同じ研究会にも参加されていたことを今年の4月に知りました。意外な場での再会です!



最近のテレビドラマや映画では、劇中に使われる音楽がとても多く、とくにメロディを含む音楽でシーンを盛り上げようとすると、音が過剰になりがちで、肝心の語りがかき消されてしまうこともあると永田さんはおっしゃいます。私もまったく同感です。

その点、この「波紋音」の音色は、語りを邪魔することなく聞く人の心に溶け込むように入ってきます。
とくに決まった音程があるわけでなく、人と音との原点のような素朴な感性を刺激してくれます。

木のバチでたたけばいわゆる金属音、柔らかい素材を頭に巻いたマレットで叩けば時にマリンバのような音、時にアフリカのスチールドラムのような音、激しく連打するとどこかインドネシアのガムランのような音、また細身の金属の棒でエッジをこすれば、遠い世界へ誘うような異次元の音…

ときに宇宙的で神秘な音、ときに素朴な自然の音、ときに心臓の高鳴りを象徴する音、祈りにも似た心の内面の音…etc.

その無限大の音色を操って、物語のシーンごとのイメージに合った音が紡ぎ出されます。

もちろん楽譜なんてありません。手元に置かれているのは物語の原文で、それがいわば「台本」。
どこで、どの個体を使って、どんな奏法で、どういう音を、どんなタイミングで入れるかは、すべて奏者の頭の中にあります。

語りの金子さんが前もって伝えるイメージや、平易に文章を読んで(素読みで)描かれるイメージもありますが、やはり状況が目に浮かぶように情感を込めた「語り」になると、より鮮明なイメージが出来上がると言います。

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無限大の表現力を秘めた「波紋音」。テラピーにももちろん、自分自身の安らぎの音としてもぜひそばに置きたく、近々工房をお訪ねし、ちょっとお小遣いを奮発して小さめのものを1つ求めたいと思っています…が、なんと3か月待ちだそうです!



「平家物語」について


「平家物語」は、全12巻・191の章から成る大作ですが、いつ誰の手によって書かれたのか、諸説あって正確なことは判っていません。

原文も「読み本」といわれる系統と「語り本」といわれる系統に大きく2分されますが、さらに壇ノ浦の戦いの後入水したものの源氏によって助けられた建礼門院徳子(出家して京都大原の寂光院に隠居)によって書かれたとされる「灌頂巻」(5章から成る)が加わったものもあります。


◆琵琶法師による語り継ぎ


やはり何といっても有名なのは「琵琶法師」による「語り」による伝承です(そこで弾き語りに用いられる琵琶のことを「平家琵琶」といいます)。
映画もドキュメント番組もなかった時代、先ごろまで栄えていた平家にまつわるエピソードや戦いの記録が盲目の琵琶法師によって全国に語り継がれていったのでしょう。

つい最近(2016年7月11日・月)、NHKのETV「にっぽんの芸能」でも琵琶法師が取り上げられました。

800年とも言われる平家琵琶(琵琶法師)の流れをくむ検校(けんぎょう=盲人に与えられた役職で最高の位)が今も伝承されているのです。
名古屋に在住の今井勉さんがその方。時代の変遷を経てなお現代に伝わる検校の秘密、「平家物語~竹生島詣」の実演もまじえ、その「語り」(=琵琶に合わせて「歌う」)が紹介されました。

*金子さんは、とくに琵琶法師の語りを意識して真似たものではなく、まったく独自の世界です。


◆現代にも通じる平家物語のメッセージ

「平家物語」といえば、高校~大学受験の「古文」にも必ず登場し、「軍記もの」の代表のようにいわれます。
しかし冒頭にも書いたように、その中身は決して戦での手柄話をつづった英雄的な武勇伝でもなければ、平家の繁栄を「万歳」とたたえるものでもありません。

時代を超えて訴えてくる、人の心の葛藤、戦(戦争)はいったい誰のためにしなくてはいけないのか、人の世を治める政(まつりごと)とはどうあるべきか…といったテーマが随所に隠されています。

これは私のイメージですが、全体を通して受けるのは「反戦もの」ではないかとも思えてきます。

今回の公演で語られたのは、とても有名な3か所。高校の古文を思い起こしながらあらためて…


◆第一段より 「祇園精舎」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」にはじまり「おごれるものも久しからず」「ただ春の夜の夢のごとし」といった冒頭部分だけを見ると、後の「方丈記」にも通じる「無常」「世のはかなさ」「もののあわれ」のようにも見えます。

しかしそのすぐ後に続く部分を見ると、遠く異朝(=外国)を見ても、近く本朝(=日本)を見ても、無謀な政治は決して長くは続かず必ず滅びると言っています。

「旧主先皇の政(まつりごと)に従わず、楽しみをきわめ、諫めをも思い入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の憂うるところを知らざりしかば、久しからずして亡じにしもの」と書かれています。

これは現代の政治にもそのまま当てはまるのではないでしょうか?

第1段 「祇園精舎」


◆第9段より 「敦盛の最期」

この段に登場する熊谷次郎直実(くまがえのじろうなおざね)は、武蔵野国の住人と名乗っています。今日の埼玉県熊谷市、夏は猛暑となるので有名なあの熊谷ですね。
戦いに駆り出された武将たちは、恩賞を得るために手柄を立てることを目指しています。

陣営を背後から襲われた平家の武者たちは、海に待機する助け舟にのがれようとします。その水際で、直実は大将らしき敵の武将を見つけ「卑怯にも敵に後ろを見せるのか?返させたまえ」と叫びます。すると若い敦盛は素直に引き返します。水際で馬から引きずり下ろし、いざ首を取ろうと兜をどけてみると…

歳のころはまだ16~7ばかり。自らの息子・小次郎と同じぐらいの年齢。その息子が少し怪我をしただけでも心配なのに、首を打ち取られたと聞いたらこの人の親はいかばかり嘆き苦しむだろう…
なんとか助けたいと思うが、振り返れば、後ろには土肥・梶原の味方のおびただしい軍勢。どうせ討たれるならせめて自分の手で…。

第9段 「敦盛最期」(1)

泣く泣く首を取り、いざその首を包もうとすると、腰には錦の袋に入った笛が!
けさ早く、陣営から管弦の音色が聞こえたのは、この人たちの奏でたものだったのか…
味方にも多くの武将はいるが、戦場に笛を持参する者などどこにもいない…
なぜこんな方の首を取らなくてはならないのだろう…

人の親として、人の道に反しても武士という身であることの葛藤から、直実はその後仏門へ入ります。

第9段 「敦盛最期」(2)


◆第11段より 「那須与一」

これはあまりにも有名なエピソード。
沖に浮かぶ舟の舳先に掲げられた扇の的を射って落とせ、という源義経の命令を受け、若き那須与一が指名されます。

しかし、敵も味方も見守る中、もし射止めることに失敗したら後々まで恥となると辞退を申し出ますが、義経の逆鱗に触れます。「わざわざ鎌倉からここまでやって来て、命令を聞けないなら今すぐに帰れ」と。

→ 第11段 「那須与一」(1)

「南無八幡大菩薩、日光大権現、宇都宮・那須の湯泉明神…」思いつく限りの神仏の名をあげて願をかけて集中し…そのプレッシャーたるやいかに!? 
風がやんだ瞬間放たれた矢は見事命中、扇は空に舞い上がり、敵も味方もどよめいてパフォーマンスは見事成功!

→ 第11段 「那須与一」(2)

この箇所に限りませんが、登場人物の来ている衣の色や扇の色など、色彩に関する記述がじつに具体的で細やかで、目をつぶって聞いていると、状況が色彩豊かに浮かんできます。



「平家物語」は、読んでストーリーを追うもよし、目を閉じて情景を色彩豊かに思い描くもよし、人の世が続く限り変わらないメッセージとして受け止めるもよし…

みなさんもあらためて「平家物語」と出会われてみてはいかがでしょうか?

★秋にかけての公演スケジュールは、こちらのフェイスブックページをご覧ください。
→ 平家物語 ~語りと波紋音~


「クラシック音楽」ってどんなイメージ?

8月11日(木・山の日)

少し前に、ある若い演奏家が「クラシックのイメージってどんなでしょう?」とアンケートを取られてました。
そこで私なりにあらためて考えてみました。


一般的なイメージとして

・崇高 ・ハイソ ・敷居が高い ・お洒落 ・エレガント(優雅)
・高級感 ・まじめ ・文化の香り ・一般人離れした

…実際にクラシック音楽をお好きな方でも、これに似たイメージはきっとみなさん持っていると思います。テレビCMでクラシック音楽が用いられる場面、刑事番組で演奏家が加害者・被害者になる場面を思い浮かべてみると、およそ上記のようなイメージがあるのではないでしょうか?


演奏面でのイメージ(クラシック以外の音楽と比較して)

・難しい ・楽譜があまりにも完成されつくされている=・楽譜通りでないといけない(お堅い) ・子どものころからの習熟、毎日の練習がが絶対必要 ・万民のものではなく、限られた人たちのもの

  
ややマイナスのイメージとして…

・楽譜どおり音を並べるだけでも大変(精一杯)で、音楽が生きてない演奏も… 
・生きた音楽の楽しさがどこか置き去りに…
・融通が利かない(「楽譜がないと弾けません」「今度練習しておきます」など、リクエストを受けて即興で演奏しづらい)

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私なりにここまでつづってきて、クラシックってある意味高度で、高級感があって素晴らしい芸術文化なんだけど、それだけに敷居が高く、熟練を要する分だけ音楽本来の「遊び」の要素が入り込む余地が少ないのかも…と。

ジャズなどの生のセッションがいわば「氷の彫刻」のような瞬間芸術だとすると、クラシックはたくさんの部品が組み合わされた「精密モデル」みたいなものかもしれません。

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音楽って、いつごろから人間と友達になったんでしょうね?

クロマニヨン人、石器時代の人たちも、石や動物の骨をたたいたり、竹の筒を吹いたりして、なんらかの「音」で「楽しむ」ことはしてたんじゃないか…と思います。

紀元前のピタゴラス先生が「5度」の響きは比率であることを発見し、その比率で音を取っていったら12回目で同じ音にもどってくる…つまり12の音ができてたんですね。
しかし人々は12音すべてを使うことなく、5音階、7音階で「調べ」を奏で、その「調べ」の印象から6つの教会旋法ができ…

やがて12音の「平均律」ができたのはバッハの時代。いまから300年ちょっと前です。
そこからモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン~ロマン派~近現代…わずかここ300年ほどの間に、あらゆる音楽が凝縮して生まれてきました。

そして、楽譜が読めない人たちが生み出したジャズの世界でも、意外にもバッハと同じ原理を用いていたり、今日の歌謡曲・ポップス、ゲームソフトの音楽など、あらゆるジャンルの中にもクラシックの要素は生きていたり…

いったいどこまでをあらためて「クラシック」と呼ぶのか、非常にあいまいじゃないかと思うんですね。
でもやはり「クラシック」という高い山のようなイメージははっきりとある…


これからの課題

そんなクラシックを、必ずしも楽譜が読めない、必ずしも音楽に詳しくない方でも気楽に楽しめるように、クラシックファンのすそ野を広げ、音楽の力をひとりでも多くの人に届けたい。

そのための発想として…

★リサイタルやコンサートで、出てきて演奏だけしてお辞儀して引っ込むだけでなく、マイクを持って「トーク」を入れ、作曲者や曲について紹介する。

★咳もがまんしてシーンと聴かなくてはいけないコンサート形式ばかりでなく、おいしいワインや料理をいただきながら、適度な歓談をしながら聴ける「ライブ」の機会をもっと増やす。ジャズライブの中にちょっとクラシックの名曲も混ぜる、という発想もよい。

★駅や商業施設のアトリウムなどでのロビーコンサートの機会をもっと増やす。
専用ホールのような完璧な環境ではなくても、身近に聴ける場と機会を。

★クラシックのコンサート会場でも、後ろに映像を投影したり、フラワーアレンジメントや身体パフォーマンスなど、音楽(演奏)以外の要素も取り混ぜて、クラシックと〇〇とのコラボのような試みも…

ここに挙げたような試みはすでにされている演奏家も多く、一昔前に比べたらだいぶクラシックも身近に感じられるようになったのではないかと思います。

格調を下げることなく敷居は低く、高い山を目指しつつも裾野を広げる…
クラシックという高い山に修行僧がこもってひたすら訓練を積み、限られた機会にだけ演奏するのではなく、山を下りて人里に出てきて、より多くの人たちに音楽の素晴らしさを伝道していく…そんなところではないでしょうか?

歌と「ことば」

最近、あまり大きな音楽専用ホールではない小さな空間で、ピアノ(伴奏)による「歌」を聴く機会が重なりました。

クラシックでも、大編成のオーケストラもいいけど、室内楽もいい、歌もいい。
またジャズもいい、ボサノバも大好き、シャンソンもいい、カンツォーネもいい、昭和の歌謡曲も…
その時の気分によって音楽も着替えればいい。音楽にジャンル分けは不要だと思います。

その中でも「歌」は、当然ながら音楽(リズム・メロディ)に「ことば」が加わります。

私が最近聴いたコンサートでは、歌手の方がいずれも「ことば」をとても大切に、目の前のお客さんに語りかけるように歌ってらしたのが印象に残っています。

いわゆるオペラ歌手にたまにありがちな、「声の響きはとても素晴らしいんだけど、歌詞がまったく聞き取れない」という現象がなかったんです。これ、とても大切なことだと思うんですね。

古くから歌い継がれてきた「日本の歌」もなかなかいいものです。
滝廉太郎、北原白秋…日本人が忘れてはならない、大切な日本の心・懐かしい原風景をよみがえらせてくれます。また「昭和の歌謡曲」にもいいものがたくさんあります。

メロディはシンプルなんだけど、とくに歌詞を見なくても、ちゃんと耳から入ってくる「ことば」が心に沁み込んでくるのです。
べつに「音楽療法」に限らず、私たちの身近なところに、そういう音楽は一緒に生きてきたんですね。


◆「ことば」とフレージング

ジャズやボサノバを、英語で歌うか、ポルトガル語で歌うか…
シャンソンを、フランス語で歌うか、日本語で歌うか…

メロデイ(曲)は同じでも、言語が違うとまったく印象が変わりますね。
その言語のもつ独特の発音、全体としての印象ももちろんですが、ひとつひとつの単語の長さ、前置詞や接続詞のつき方によって尺(=長さ)が変わり、音楽のフレージングも変わってきます。

それはオペラの世界でも、ブロードウェイのミュージカルでも同じ。
ドイツ語で演じるのとイタリア語で演じるのと、英語で演じるのと、日本語で演じるのとでは、言語を理解できなくても「音声」としての印象そのものがまったく違うものになりますし、曲のフレージングも微妙に変えなくてはならない場面もあります。

実際、モーツァルトの歌劇でもロッシーニの歌劇でも、ドイツ語版かイタリア語版かによって、オーケストレーション(=各楽器の役割)・パート譜が微妙に異なっていることは多いです。

とくにロッシーニの作品は要注意!
若いころに作った曲を違う言語に変えて何種類も楽譜を残しているので、いろんな版が存在していて、どの版を使うかによって、指揮者が見ているスコア(総譜)と各楽器のパート譜に書かれていることが全く違ったりして問題が生じるのです。

まあでも、オリジナルの曲があって、あとで歌詞を他の言語に変える場合にいろいろと難しい問題が起きてくるのは当然ですし、多少無理な個所があっても仕方ないと思うのですが、日本人がつくった日本語の歌のはずなのに、ということも…


最近のポップス・歌謡曲

たとえばほんの一例として、カラオケでもよく歌われる一青窈さんの「ハナミズキ」という曲。
ゆったりとしたメロディ、そして歌詞がとても美しい曲で、私も大好きです。

ただ1か所だけ!
オリジナルの一青窈さんもそうなんですが、1番のサビに入る前の「庭のハナミズキ」というところがどうしても気になってしまいます。

「庭のハ  (V) ナミズキ」 と歌われてるんです(V…ブレス・息継ぎ)。
なんでそこで切るかな~?

「庭~の  (V)  ハナミズキ」と歌ってもちゃんとフレーズに納まるし、その方が「ことば」として自然に聞こえてすんなり入ってくるのに…

ちなみに、2番の「どうぞ ゆきなさい」「お先に 行きなさい」はとても自然ですね。
3番の「待たなく てもいいよ」「知らなく てもいいよ」は、親しい間柄で使う「~なくっても」という表現もあるので、とくに違和感なく入ってきます。問題は1番だけですね。

たとえばこういう個所、カラオケでも完全にオリジナルを真似るのではなく、歌詞の意味をちゃんとかみしめて、自分なりにフレージングをちょっと変えて歌ってる方に、私は親近感を覚えてしまいます。




最近のポップスの中にも、たとえばドリカム、コブクロ、いきものがかり…etc.
私もけっこう好きな歌手・いい曲は多いんですが、どちらかというとメロディとリズムが優先されて、歌詞の変なところでブレスされるのに違和感を感じてしまう場面もしばしば。

さらに、最近の歌の中には、歌詞(ことば)が全く聞き取れず、曲そのものは耳に残っているのに歌詞をぜんぜん分かっていなくて、年末の「紅白歌合戦」で画面下に歌詞がテロップで出されて、初めて「あ~こういう歌詞だったんだ!」と分かることも…(笑)

なぜ、そういう現象が増えてきたんでしょうね?

以前こんな記事を書いたこともあります。

→ 歌は世につれ 世は歌につれ ~歌詞が聞き取れない~」





駅の発車チャイムあれこれ

6月22日(水)

「音」と「鉄道」、両方とも大好きな私にもかかわらず、ブログを開設してからこの6年間、まったく取り上げてこなかった話題がありました!

JR各線・各駅の発車のチャイムです。
すでに多くの人がYou-tubeにもアップしている中、いまさらながら…



ところで、音楽による発車チャイムは、いつごろから始まったのでしょうか?

私がまだ子どものころ、東海道新幹線が開業した当時は、新幹線ホームの発車音も「ジリリリリ…」とけたたましく鳴る「ベル」でした。駅といえばあの音だったのです。

電話をかけて相手を呼び出している時に聞こえるような「トゥルルルル…」というやさしい音(フォーンベル)に代わっていったのが昭和50年代前半だったように記憶しています。

そして、横浜博覧会のあった1989年ごろから首都圏のJR各線でも音楽チャイムが取り入れられていきました。

ちょうどそのころ、新宿駅でも東京駅を真似て駅コンサートをやろうという企画(JR東日本)があり、私たちアマチュアのオーケストラが平日の夕方新宿駅南口のコンコースに集まり、ミニコンサートを行いました。
その時に演奏した曲の中に、私たちと一緒に活動してくださっていた作曲家・指揮者の先生が、新宿駅の各線の発車チャイムをモチーフに短い曲を作曲してくださり、それを演奏しました。まだ駅の音楽チャイムが目新しかった頃です。

音楽チャイムも、当初は単旋律だけのシンプルなものでした。
これは首都圏の各駅でよく聞かれた汎用タイプ。いまでもまだ使われている駅があるかと思います。

汎用タイプ(1989~)

単音だけでなく、ハーモニーがつくようになった一例がこちら。
終わりの方でトゥリルが出てきたり、最後にハーモニーが追従したり、どことなくバッハ風?

バッハ風? 2016現在


一方、五反田駅では、こんな音が流れていました。

五反田駅 2016現在

途中で転調して最後にrit.がかかる(ゆっくりになる)のが外回り。
そして、ちょっとおどろおどろしく何調だかよく分からないのが内回り。

音楽チャイムも普及が進むにつれ、同じ線・同じ駅でも「上り」と「下り」(山手線では「外回り」と「内回り」)で違う音を採用することも定着していきました。



五反田駅のお隣、目黒駅では初期のころからこの音楽が流れていました。

目黒駅

ところが、今から3年ほど前に、なんと北のさいはて青森駅でこの音を聴きました!
せっかく東北新幹線で「新青森」まで「旅」して来て、在来線の「青森駅」に移動したところでまさか「目黒の音」を聞くとは…!
なんだか旅の情緒が台無しになったような気分(笑)。駅チャイムの二次利用はやめてほしいですね。



そして、わが青春の街でもある渋谷駅
1990年代の山手線ホームでは、一風変わったこんな発車の音が鳴り響いてました。

渋谷駅 初期タイプA,,B

高さの違う2種類があり、たしか内回り(目黒・品川・東京方面)の方が高い音のBタイプだったように記憶しています。

そして、こちらが現在の渋谷駅
You-tubeにいくつもアップされていました。


https://youtu.be/IgY3dBJkskI

1番線が外回り(新宿・池袋方面)
 「小川のせせらぎ」
現在渋谷・外回り 無題
本当はもっとたくさんの音が複雑に混じっていますが、簡単にピアノで再現できるようにシンプルな楽譜にしてみました。

2番線が内回り(目黒・品川・東京方面)
 「花のほころび」
現在渋谷・内回り無題

ついでに、You-tube 後半にある埼京線も…

埼京線 3.新宿・埼玉方面
埼京線4.湘南・鎌倉方面

なお、渋谷駅・埼京線の上下線で用いられてるこの2曲は、JR他線の駅でもしばしば耳にします。



そして大正時代からの古い駅舎の取り壊し・リニューアルがいま話題になっている原宿駅

原宿駅 2016現在

外回りはちょっとのんびりした感じ、内回りはちょっとせわしない感じの音です。
連続音なので本当にこの拍子で正しいかどうか分かりませんが、私の感覚でとらえて外回りは4拍子で、内回りは3拍子で表記してみました。



そして最後に新宿駅
中央線(上り・下り)、中央総武線(上り・下り)、埼京線(上り・下り)など多くの線が並走しているので、音も錯綜し合っていることが多いですが、とりあえず山手線の外回りと内回りはこんな音です。

新宿駅 2016現在

(いずれも2016年6月現在)

全国のJR各線・各駅の発車のチャイム、および新幹線や特急列車の車内放送のチャイムなど、鉄道にまつわる「音」はまだまだ限りなくありますので
、また追々…

白鍵でひける「アナ雪」テーマ

6月12日(日)

W.ディズニー「アナと雪の女王」が大ヒットしてから2年あまり。

いまさらながら、あのメインテーマ「Let it go」を白鍵で弾けるように高さをずらして書いてみました。
元の高さが♭4つ(Fm、A♭)ですので、長3度上げるとAm、Cになります。

アナ雪120160612_0001 アナ雪220160612
★クリックすると大きな画面になります


最高音が上の「ソ」まで出てくるので、歌うのはちょっときついですが、ピアノでメロディラインを弾くにはこのほうが易しいはず。

アナ雪320160612
★クリックすると大きな画面になります

使用するコードも循環も決まったパターンなので、お子さんの弾くメロディにコードで伴奏してあげてください。

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ちなみに、オリジナルを耳コピした楽譜は、今から2年前の2014年5月の記事に載せてます。
→ 「アナと雪の女王」メインテーマ♪「「Let it go」



登山電車、鬼のパンツ(Part2)…あなたはどちら派?

1月31日(日)

今年もまたこの季節がやってきました!

「この季節」って…?
はい、近所のスーパーで、なぜか「鬼のパンツ」の歌がずっと流れる季節、そう「節分」が近いのであります(笑)。



もとは「フニクリ・フニクラ」という登山電車の歌なんですが、ある年代の方はこの曲を「鬼のパンツ」として、またある年代の方は「ハワイアンズ」などのCMソングとして覚えておられます。
これについては、このブログを開設した翌2011年の2月に詳しい記事を書いています。

登山電車? 鬼のパンツ?

フニコラーレ

作曲の経緯、世界初のCMソングであること、ナポリ民謡だと思い込んで自身の交響曲の中に引用してしまい、裁判で訴えられて自らの作品を演奏するたびに著作権料を払い続けた大作曲家がいた!…etc.
面白いエピソードが色々あるんです。

記事の終わりに、「育った年代・地域ごとに、どの歌詞でこの曲を最初に知りましたか?」という簡単なアンケートを行ったところ、やはり年代によって差があることが判明しました。
また<追記>に、ウィキペディアで検索したその後のCMソングなどへの転用例を貼り付けてあります。

明るく陽気なメロディにこれだけ様々な歌詞がぴったり当てはまり、オリジナルが作曲されてから120年以上たった今もなおCMソングのベストセラーなんですね!


聴き比べ

♪ ナポリ語のオリジナル
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage・・・


♪ 日本語の「フニクリ・フニクラ」
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage・・・



♪ 「鬼のパンツ」
https://www.youtube.com/watch?v=XnCf0MWunJc・・・



◆鬼のパンツは「伸び」が違う!?

「伸び」といっても、パンツのゴムの話じゃありません(笑)。
上にご紹介した3つの歌を比べていただくと、最後の「鬼のパンツ」だけフレージングが違っていることにお気づきでしょうか?

メロディラインはまったく同じなのに、伸ばす拍の長さが、本来長いはずのところが短くされ、短いところが逆に長く変えられてるんです!

♪ 鬼~(←ここの伸ばしが短い)のパンツはいいパンツ~~(←ここが長い)、強いぞ~、強いぞ~(←2回目が短い)

といった具合に、伸ばし方がオリジナルと変えられている所がたくさんあります。

2011年の記事にいただいたコメントの中に、お嬢さんが学校のブラスバンドで「フニクリ・フニクラ」の楽譜をもらってきて吹いているが、なぜか最初の伸ばしが短くて「鬼のパンツ」バージョンになっている、と。
そのお嬢さんは「鬼のパンツ」で耳覚えがあったのでしょうね。でも「ブラスバンドやってるんだったら、ちゃんと楽譜読めよ!」って、お母様としてのツッコミが面白かったです(笑)



「替え歌」でも、フレージング(拍の長さ)を変えなくてもちゃんと言葉は入るはずなのに、わざわざ表拍と裏拍が途中で何度も逆転していて、とっても気持ち悪いのです!

ちなみに、この「鬼のパンツ」の歌を最初に歌ったのは、幼児向け番組によく出ていた田中星児さん。
YouTubeでは見当たらなかったですが、最初にレコーディングされたバージョンで聞いたことがありますが、そこではオリジナルの通りのフレージングだったと記憶しています。今でも、ちゃんとオリジナル通りのフレージングの「鬼のパンツ」もあるようです。

スーパーでパートで働いておられて、連日朝から晩まで「鬼のパンツ」を聞き続けていらっしゃる方、どうか一度オリジナル曲を聞いて耳を補正してください、と言いたくなってしまいます(笑)



楽器の分類はどこまで可能…?

4月27日(月)


いまから2年半ほど前、つまり私が勤め帰りに学校通いを始めるよりも前に、楽器の分類についてあれこれ考えて書いた記事があります。

きょうたまたまFBつながりのあるハープ奏者の方が「箏」「琴」の違いについて書かれていたので、久々に過去の記事を引っ張り出してみました。

→ 
「箏と琴」弦楽器の大分類

この時も色々と調べてみたのですが、コマの有無によって分類する考え方など諸説あるようで、これが必ずしも正しい見解かどうかは半信半疑だったのですが…

日本のお箏やハープなど、比較的大型で弦の本数が多く、それぞれの弦の音程を決めたらそのままの状態(=解放弦)で奏でるのが「箏」の仲間。

それに対して、竿のように伸びた指板(しばん)と呼ばれる部分(楽器によってはフレットが付いている)があって、張られた弦の途中を指で押さえることで、弦が振動する長さを変え、1本の弦でいくつもの音を奏でることができる楽器(ヴァイオリン、マンドリン、ギターなど)が「琴」の仲間。

知り合いのハープ奏者がきょう聞かれたお話とも大きな食い違いはなかったようです。

ただし「箏」をやや狭くとらえると、日本のお箏やツィターのように、共鳴板がついていて水平に置いて演奏するものを指し、西洋のハープや古楽器のアルパなどは「箏」でも「琴」でもない分類不能な楽器ということになるらしいです。


考えれば考えるほど複雑な楽器分類

洋の東西には民族の数だけさまざまな楽器がありますが、おおよそ管楽器、弦楽器、打楽器に分類されることは皆さんもよくご存知でしょう。

でも、このあまりにも有名な分類ですっきりいくかと思いきや…

「ピアノは弦楽器ですか、それとも打楽器ですか?」という疑問がわきます。音を発生させているのはスチールで張られた弦ですから弦楽器とも言えそうです。でも、ハンマーでたたいて音を出しているので、発音のメカニズムとしては打楽器とも言えます。困りましたね。

結論として、ピアノは鍵盤楽器という分類になります。

そして鍵盤楽器の中には、ピアノのほかにもオルガン、チェレスタなどがありますね。いずれも奏者が両手の指を使って並んだ板状のものを押すことで、音を出す装置(=鍵盤)を備えている点が共通しています。
しかし、楽器として音を発生させているもの(素材・しくみ)はそれぞれ異なります。


◆「鍵盤楽器」も発音原理はさまざま

オルガンでも、教会にあるような巨大なパイプオルガンは、その名のとおりパイプに空気を送り込んで音を出すので、いわば巨大な管楽器です。

また同じオルガンでもリードオルガンと呼ばれるものは、ハーモニカと同じような金属の弁に空気を通して振動させて音を出します。管楽器の中でも、オーボエなどのようにリードの振動で音を出すリード楽器(←管楽器の一部)と同じ原理ですね。

そして、ピアノは弦をハンマーで叩きます。でもピアノの前に誕生したハープシコードは、ハンマーで弦を叩くのではなく、爪で弦をひっかけて弾いて音を出します。

あとチェレスタという楽器(チャイコフスキーの『くるみ割り人形』組曲の「こんぺいとうの踊り」や、ホルストの『惑星』組曲の「水星~翼のある使者」などで用いられる)は、外見はオルガンのような形をしていますが、中には鉄琴のように長さの違う金属板が並んでいて、それをハンマーで打って音を出しますから、発音原理としては打楽器に近いですね。

このように「鍵盤楽器」という分類は、発音体の素材や発音原理とは違った別の切り口による分類ということです。
発音の原理はさまざまでも、両手の指や足を使って押すことで、音を発生させるメカニズムに伝達する装置(=鍵盤)を備えている楽器をひとくくりに「鍵盤楽器」と呼んでいることになります。

→ 鍵盤楽器」とは?


木琴や鉄琴は鍵盤楽器ではなく「打楽器」

一方、木琴や鉄琴の仲間のことを「鍵盤系の打楽器」などと呼ぶこともありますが、厳密には「鍵盤楽器」ではありません。紛らわしくてすみません。

「鍵盤」とは、ピアノやオルガンのように、音を発生させるメカニズムに連動している装置のことで、鍵盤そのものから音が出ている訳ではありません。

木琴や鉄琴の場合、長さによって音程の異なる木または金属の板がピアノの鍵盤と同じ配置に並んではいますが、あの1本1本は「鍵盤」とは呼ばず「音板(おんばん)」と呼びます。

木琴や鉄琴は、「音板」(発音体)を人が直接たたいて音を出しますから「打楽器」なのです。
音の高低差のある太鼓や木魚を、低音から高音まで何十台もずら~っとピアノの鍵盤と同じ配置で並べても「鍵盤楽器」とは呼べないのと同じですね。



◆管・弦に対して 「打」楽器とは?

さて、あまりにも有名な管楽器・弦楽器・打楽器という大きな3分類ですが、管状のものに空気を送り込んで音を出す管楽器と、張られた弦を振動させる弦楽器、この2つについてはまず異論ないでしょう。

でも打楽器はどうでしょう? 
張られた皮を叩いても、金属を叩いても、木をたたいても、すべて打楽器。音を発生させる素材に関係なく「打って音を出す楽器」、つまり打楽器だけは奏法による分類なのです。

冗談のような極端な話ですが、もし現代曲の作曲家が「古くなったトランペットをバチで叩いて音を出せ」などと楽譜に指示を書いたら、そこで使われる(元)トランペットは、お気の毒に打楽器として使われていることになります。

よく知られたオーケストラの曲の中でも、馬の蹄鉄やムチ、鉄道のレール、サンドペーパー、タイプライター、さらに雷や風の音といったさまざまなものが「打楽器」として用いられます。
→ 特殊な打楽器



ところで、打楽器の仲間にはいったいどれほどの種類があるでしょうか…?

打楽器奏者でも正確な数字で答えられる人はなかなかいらっしゃらないと思いますが、世界にはおよそ2000種類もの打楽器があると言われています。

バロック時代以降「クラシック」と言われる音楽がわずか300年~500年の間に生み出された訳ですが、人類にとって音楽の歴史はもっともっと古く、もしかすると石器時代から、人類は石や木をたたいたり、乾燥した実を振って音を出したりしていたのではないでしょうか?
そんなきわめて原始的な素朴な音を出すものすべてが打楽器と呼ばれていることになります。

単純に「打って音を出す」と言いましたが、叩くばかりではありません。指ではじいたり、振って音を出したり、回したり、こすったり…etc.いろんな奏法で音を出すものがすべて打楽器です。

管でもない、弦でもない、その他すべての楽器をひとくくりに「打楽器」と言われているんじゃないかと思うこともしばしばです。
パーカッションは略して「パーカス」。決してパーとカスの寄せ集めではないんですが、「打楽器」というよりむしろ「駄楽器」と書いた方がいいのかもしれませんね(笑)。



さらに細かい分類も…

管楽器でも、金管楽器・木管楽器という分類があります。現代のフルートは銀や金などの金属ですが、昔のフルートは木製だったことから木管楽器。

金管・木管という分け方は管の素材による分類ですが、オーボエ、クラリネット、ファゴットなどは、リードと呼ばれる竹の弁を口で振動させて発音するので、リード楽器という呼び方もあります。

弦楽器の中でも、弦をはじいて音を出す、弓でこすって音を出す、叩いて音を出す…といった奏法があり、それぞれ色々な呼び方があります。



さて、ここから先はあまり本気で信じないでいただきたいのですが…

もし発音原理で管楽器をさらに分けるなら、オーボエなどのリード楽器に対して、金管はマウスピースにあてた唇を振動させて音を出しますから「口唇楽器(ブルブル系)」とでも呼びましょうか?
フルートみたいな笛はどうかというと、マウスピースもリードもなく、息を管の内と外に吹分けて音を出すわけですから「空流楽器(ヒューヒュー系)」とでも呼びましょうか?

もしこの発想で打楽器を分けようと思ったら、素材、形状、叩き方によってそれこそ色んな呼び方ができそうですね。

一般の太鼓の仲間は「皮系」、その中でも手で直接たたく「手打ち系」、バチで叩く「バチあたり系」。マラカスなどは「フリフリ系」、「シャカシャカ系」、
楽器の形状として、クラベス(拍子木)などは「棒楽器」、シンバルやドラなどは「円盤楽器」
ムチや鉄砲などは「炸裂楽器」、さらに突然巨大な音を発生させて影響力の甚大な「勃発楽器」 etc.

どこまで真面目に受け止めたら良いのか分からなくなって収集がつかなくなりそうなので、この辺で…
とめどもない楽器の分類に関するお話しでした!

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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