リハーモナイズ(1) Ⅰ・Ⅳ・Ⅴの3色から7色へ

<初校2013年12月 →2016年1月改訂>

今から3年前に学び始めたころ、いや本当はもっと以前から、こういう音の不思議なからくりには興味を持っていて、似たようなことをブログにも色々と書いてきました。あらためて、3和音、5度、7つの音、12の音…と再整理したまでです。

いつまでもこういう楽理モドキの解説ばかりを書くつもりはありません。
あとは実際に音を出しながら、それこそ詩の朗読やテラピーなどに合わせて、「音の色変わり」が楽しめたら。
また音楽を専門的に学ぼうということではなく、「音」の「楽しさ」をあらためて感じて下さる方がいたら…そんな思いを込めて




ハ長調の曲では、「Ⅰ.ドミソ」・「Ⅳ.ドファラ(ファラドの転回形)」・「Ⅴ.シレソ(ソシレの転回形)」の3つの和音だけでたいていの曲には伴奏を付けることができます。

この3つの和音はとても明るく、まだ汚れを知らない子どもの心のようです。
でも、大人になると、悲しいことや少し汚れた世界も経験します。いつもお決まりの「Ⅰ.ドミソ」「Ⅳ.ドファラ」「Ⅴ.シレソ」だけでなく、ちょっとお洒落でズージャな響きをつけてみたい…それがリハーモナイズです。3色から7色へ、そして黒鍵も含めた12色へ…

ここではその入口として、和音の基本的なお話 を再整理します。
このブログを読まれる方は必ずしも音楽の専門家ばかりではないので、少し丁寧な解説を加えながら書きましょう。少々長くなりますが、あらためて頭の整理にもなりますので。


そもそもⅠ・Ⅳ・Ⅴとは…?

まずハ長調のドレミファソラシという7音すべてに、その音がベースとなる3和音を重ねてみます。臨時記号の♯や♭をつけることなく、この調の音階で使われている7つの音(=ハ長調の場合はすべて白鍵)だけを使います。

隣の音を一つ飛ばして、五線紙でいうとちょうど音符が隙間なく重なる音(=3度)の関係で「だんご3兄弟」よろしく3つ重ねてできる7つの和音(ダイアトニックコード)は次のとおりです。

7つの3和音(白)

この7つの和音を順番にピアノで弾いてみて、こどもに「明るい感じ?暗い感じ?」と尋ねると、ほぼ間違いなく「1.ドミソ」「4.ファラド」「5.ソシレ」の3つを「明るい」と答えます。 不思議です。

今さらながらですが、それはなぜでしょう? 
ピアノの鍵盤をあらためてまじまじと眺めてみましょう!

7つの3和音4

ご覧のとおり、ミとファの間・シとドの間には黒鍵がありません。ほかの白鍵と白鍵の間には黒鍵が入っているので隣同士の白鍵は「全音」ですが、ミとファ、シとドの間には黒鍵がなく「半音」です。

ある調の音階は、12個の音の中から7つの音を選手のように選び出して並べたものと考えてください。その隣同士は、間に黒鍵をひとつはさんだ関係(全音=半音が2こま)のところと、間に黒鍵のない関係(半音)のところがあります。

ドレミファソラシドという音階は、<全・全・半・全・全・全・半>という形で並んでいます。
ハ長調に限らず、何の音からはじめても、黒鍵を使ってこのような関係にならんだ階段になっていると「明るい長調」に聞こえます。人間の耳って不思議ですね。

先ほどつくった「だんご3兄弟」のような7つの3和音は、いずれも白鍵をひとつ飛ばした3度の関係で音が並んでいます。
その3度の中に、半音の箇所を含んでいないのが赤で示した長い3度(=長3度=半音で5コマ分)で、半音の箇所を含んでいるところが青で示した短い3度(=短3度=半音で4コマ分)です。3度には長3度と短3度の2種類あるのです。
明るい響きに聞こえたドミソ、ファラド、ソシレを見てみると、
明るい3和音 

どれも下が長3度(赤)で、上が短3度(青)です。
上の鍵盤の画像でお分かりのとおり、ド~ミ・ファ~ラ・ソ~シの3か所が長3度で、そこを下に含む和音がこの3つです。
長3度の上に短3度の重なった響き、こういう関係で3つの音が重なると和音として明るい響きに聞こえます。 不思議ですね。

逆に下が短い3度で上が長い3度だと全体の響きとしては暗い響きになります。これまた不思議ですね。
たとえば明るい「ドミソ」の、真ん中のミに♭をつけて半音下げてやると、暗い3和音に変わります。合唱で、ドとソの真ん中の「ミ」の音がちょっと低くなると全体が暗い響きになってしまう…あらためて納得ではないでしょうか。


7組の「だんご3兄弟」 それぞれのカラー

ハ長調の7つの音ごとにできた「だんご3兄弟」を、先ほどの「明るい」「暗い」を確認しながらコード名で示してみます。

赤い<マークが長3度、青い<マークが短3度です。ベース音名の右に「m」と入っているのがマイナー、つまり暗い響きの和音です。

7つの3和音a 



ハ長調では1番目の「ドミソ」、4番目の「ファラド」、5番目の「ソシレ」の3つが明るい長三和音。 

この3つの和音は、いわば和音の中のゴールデン・トリオ、この3つの響きだけでたいていどんな曲の伴奏もできてしまいます。 ド~シまでのすべての音が、この3つの和音の中のどこかにちゃんといますから。

でも、Dm、Em、Amという3つの短三和音を途中に入れてもなかなかいい感じのおしゃれな響きになるんです。これらをうまく使うのがリハーモナイズの楽しみです。

そして最後にひとつ残った「シレファ」という和音に注目!
下のシ~レも短い3度、上のレ~ファも短い3度、つまりシ~ファは完全5度にはなっていない減5度の響き(減三和音)です。

長三和音でも短三和音でもない、なんとも中途半端な響きです。コードとしてはdim(ディミニッシュ)と言い、はやく半音上の「ド」(主音)に戻りたくなる響きに聞こえます。
「シ♭・レ・ファ」という明るい和音のベース音が半音上がったもの、と見ることもできます。

また、ドミソのソを半音上げてド~ソ♯ という増5度の響きにしたのが増三和音(aug=オーギュメント)です。童謡の「ぞうさん」で使う和音ではありませんよ。 

これも減3和音と同様、単独で聞くとなんとも落ち着かない変な響きですが、例えばCのコードからFのコードに移行する途中に「ドミソ♯」を入れてやるととても流れがスムーズに聞こえます。dimやaugを知らないと人生半分ぐらい損している気分になります。

★注)
上に示したコード名はその響きの固有の名前ですが、五線の上に書いた数字は、ハ長調の中で何番目の和音かを示しています。
「レファラ」はちょっと暗いDmの響きで、いつどこで聴いても世界共通のDmですが、ハ長調の中では2番目の和音、という風に捕える習慣をつけていくと、主音が異なる他の何調でも、たとえば1→→5→1、1→3→6→→5→1といったコードの流れでとらえることができるようになってきます。耳コピも楽になりますし、「楽譜がないと弾けません」からの脱却にはとても有効だと私は思いました。

これはまだ実用化できてませんが、Cメジャー7、Dm、Em…といった絶対コード名(?)ではなく、相対的にこの数字で1メジャー7、2m(マイナー)、3m、6m…といった表記にしておけば、調(キイ)を変えてもすぐ弾ける…かな?
歌詞カードに2m(2メートル?)って戸惑う人もいるでしょうが(笑)


「属七」は「Ⅰ」への強い引力

音(響き)は単独で存在しているのではなく、他の音と手を結び、お互い引っ張られたり引っ張ったり、目に見えない力で引かれ合っているんじゃないか、と思うことがあります。
ひとつの音でもそうですが、3和音の響きになるとなおさらそういうつながりが出てきます。

和音と和音との連結に「併達の5度や8度はダメ」といった細かいルールを決めたのが和声学で、私も課題をやりながら数々の地雷を踏んできましたが、ここではそんな難しい話は抜きに、響きから響きへ…という面だけを取り上げます。

ある曲のメロディに合う響き(コード)にも、前後の流れがあってできています。このコードは次にこんな響きを導き出す…そんな法則があるのです。

そのもっとも代表的な例が、ハ長調の中の「G7」(先進国首脳会議じゃないですよ)。

ハ長調の音階では5番目の「ソ」、つまり「G」の和音「ソシレ」の上にもうひとつ、ベースのソから見て7番目の「ファ」を上に乗っけたのが「G7」というコードです。
G7は「ソシレファ」という和音につけられた固有名詞。いつ、どこで鳴らされても世界共通の「ソシレファ」という音、その名は「G7」。

ただ、その音がハ長調の音楽の中で鳴らされた時、どんな風に聞こえるか?
言い換えれば、ハ長調の中でG7はどういう役割の音なのか?

それは、Ⅰの「ドミソ」にとっても帰りたくさせる響き なんです。


ここで「属七(ぞくしち)」という言葉をちょっと説明しておく必要があります。

ハ長調で「ソ」は5番目の音。主音のドから5度上にある音です。主音から5度上にある音を「属音」と言います。に対して、とっても重要な音です。

その属音をベースにした「ソシレ」、その上にもう一つ7番目の「ファ」を加えたのが「属七」。考え方としては「ソシレ+ファ」
はい、属七の説明としては完璧だと思います。でも、それがなぜⅠ「ドミソ」に帰りたくなる響きに聴こえるのかの説明にはなっていませんね(←単なる楽理ではなく、人はなぜその音を聞いてそういう気持ちになるのか、という私がもっとも興味をもつ世界)。

見方を変えましょう! ベース音「ソ」の上に「シレファ」という和音が乗っかっている、つまり「ソ+シレファ」と見たらどうでしょう?

さきほど7本のだんご3兄弟のいちばん最後にあった「シレファ」は、明るい長3和音でもなく、暗い短3和音でもない、下も上も短い3度が重なった減3和音でした。
爪先立ちで背伸びをしてるのに、頭の上から押さえつけられたような、なんとも縮められた響きで、はやく半音上の「ドミソ」に行きたくなる響きです。

ちなみにハ長調の音階で7番目にある「シ」の音のことを「導音」と言います。主音より半音下にあって、主音を導き出す音です。ハ長調の導音「シ」のだんご3兄弟が「シレファ」。
そして、先ほど分離して考えた「ソ=ハ長調の属音)」は、「礼」で頭を下げてる音。そのままだと頭に血が上ってきて早く「なおれ」の号令が欲しくなる音…

「ソ+シレファ=属七」は、Ⅰの「ドミソ」に帰りたくなる響きだということがお分かり頂けたでしょうか。

★注)
属七という呼び名は、ある調の5番目の和音に「7」を加えたもの。「ドミナント7」という言い方をすることもあります。
たとえば「ファ」から始まるヘ長調なら5番目の「C7=ドミソシ♭」が属七、「ソ」から始まるト長調なら「D7=レファ♯ラド」が属七。ある調の中での
役職名のようなもの。G7、C7、D7といった普遍的な和音名とは異なる。

帰りたくなる音


◆属七から主音への連続技 ~「枯葉」の5度進行~
  
何度も言いますが、「ソシレ」という音は、いつどこで鳴らされても世界共通の「ソシレ」という響きです。でも、いま鳴っている音楽(調)の中では、いろんな顔を見せます。

ト長調の中での「ソシレ」は、ゆるぎなく安定した主役です。ところが、ハ長調の中では5番目の兄弟。ハ長調の音楽だと思って聴いている時には、お辞儀で頭を下げた音、「ドミソ」に戻りたくなる響きとして聞こえます。
ニ長調の中では4番目の音。これは「アーメン」の響きで、隣の「ラド♯ミ」に行って「レファ♯ラ」へと収まります。
このようにある和音も、家ではお父さん、でも5人兄弟の末っ子、会社では4課の課長さん、といった具合に、場所によって立場が変わるわけです。

バッハは、ある調の中で「5番目」の音をベースにずっと鳴らし続けることで、主音をより恋しくさせて引っ張っておいて、主音に戻って安定させる、という手法をよく用いています。「アベマリア」の伴奏にもなったピアノの平均律曲集の1番や、無伴奏チェロソナタなどにもよく登場します。

これをベートーヴェンもまねて、ピアノソナタ「月光」の1楽章後半で、嬰ハ(C♯)短調の属音「G♯」の音が低音に17小節間も鳴り続け、ようやく「C♯」に戻って再現…という場面で用いています。

ベートーヴェンは、この「月光ソナタ」(←本人は「幻想的なソナタ」と名付けたが、友人が「湖に映る月の光のような」と評したことから「月光ソナタ」と呼ばれるようになった)に続いて、30歳にして最初の交響曲1番を書きました。その冒頭では、ちょっと変わった5度の使い方をしています。

冒頭いきなり属七の響きから始まり、最初は「ヘ長調かな?」、でも少し進むと「ああ、ト長調だったのか?」と思うのですが、それもどうも違うような気がしてきます。ゆっくり上昇する弦楽器の音階のファに♯ がついていて、まだト長調を装っていますが、アレグロに入るところでソファミレ「ド」、5度下のハ長調が登場!

喩えるなら、幕が上がると舞台の上である男が語りはじめる。彼が主役なのかと思って見ていると、「じつは、俺は5番目の兄弟で…」という顔をちらっと見せる。すると、本当の主役が5度下から登場する…そんなイメージでしょうか。

ベートーヴェンのピアノ曲・交響曲・コンチェルトの多くは、冒頭から「おれは〇調だ!」と強く主張して始まる曲が圧倒的に多いのですが、この最初の交響曲1番と最後の交響曲9番(第九)は違います。

「第九」の1楽章の冒頭は「ラ・ミ」だけの静かな響きで始まります。音合わせの続きかな、と思ったりして(笑)。短調の「ラドミ」なのか、長調の「ラド♯ミ」なのか分からない、いわゆる「中抜けのラ・ミ」。でも少し行くと「ラレ」の響きが聞こえ、ラより5度下の「レ」を主役とするニ短調のテーマが炸裂します。



この「5度下から主役が登場」の原理を使って、これが主役かと思いきや、7番目の音が加わることで今までの主役として聞こえていた音が「5番目の響き=属七」に聞こえて、そこから5度下へ。そこで安定したかと思うと、また7番目の音が聞こえてさらに5度下へ…

「枯葉」に代表されるこのコード進行を5度進行と言います(←キイとなる「7」をとって7度進行と呼ぶこともありますが、このブログでは混乱を避けて「5度進行」に統一します)。

以前「枯葉」の記事を書きましたが、♪「枯葉」、♪「白い恋人たち」、♪「最初から今まで」(『冬のソナタ』のテーマ)、♪竹内マリアの「駅」、♪来生たかおの「グッバイデイ」…この5度進行でできている曲は多いです。
映画音楽や最近の歌だけでなく、クラシックの曲でもこの5度進行が使われる場面はけっこうあります。古くはヘンデルから近代まで。コーヒーのCMにも使われているラフマニノフの交響曲2番の3楽章冒頭もそうですね。

仮にイ短調で考えると、ラ→レ→ソ→ド→ファ→シ→ミ→ラ、8コマ目で元の音に戻ってきます。ずっと5度下へ進み続けると異常低音になってピアノの鍵盤もなくなってしまうので、5度下がったら次は4度上(=5度下の音のオクターブ上)へ、という並びです。

完全5度の関係を守ると12回やらないと元の音に戻ってきませんが、一か所(ハ長調ではファ→下のシ下)は完全5度より半音狭い減5度です。そこをちょっとごまかして、その調の7つの音だけで完結させています。8回というサイクルは、音楽のフレーズとしても使いやすくて便利です。

この5度進行から思うのは、コードというのはあるメロディラインに合う響きを探してつけることもありますが、音楽の流れそのものがコード(響き)の色変わりで出来ている…つまり、コードの循環こそが主役なんじゃないか、ということです。


1→6→2→5→1

ある調の7つの音すべてを並べなくても、5度の関係でコードが移り変わる場面はたくさんあります。

5度進行 


これはハ長調で見たコード循環の一例ですが、はじめのA(ラ)は、ハ長調の中では6番目の音、主音のドより3度下にあって、明るい「ド」に対して暗い「ラ」。長調と短調の平行調で、いわば光と影のような関係です。
「上を向いて歩こう」や「ムーンリバー」でも、光と影を行き来するこの「1」と「6」のコード進行が使われいます。

その6番目の「ラ」から、2番目の「レ」は5度下。そして「レ」の5度下には5番目の「ソ」。そして「ソ」の5度下には主音の「ド」。光から影の「6」に移ったら、その先は5度進行を3回繰り返して「ド」に戻ってくる…リハーモナイズでもこの「1→6→2→5→1」という循環はよく使われます。

また、1から6ではなく3の「ミ」に上がって、そこから6の「ラ」へ(ここも5度)、そこを行き来してると短調の響きに聴こえます。そして2の「レ」から5の「ソ」、そして1の「ド」へ、というコード。悲しみを乗り越えて希望が満ちてくるようなイメージにまとめることができます。
尾崎豊の「I love you」、欧陽菲菲の「Love is over」、長渕剛の「Close your eyes」などがこのコード進行ですね。

このように有名な耳に馴染んだ曲がどういうコード進行でできているのかを見てみるのもひとつですが、一方では、1オクターブの中の7つの色彩をどういう順番で循環させたら美しい色変わりになるか、という見方をすると、「あ、あの曲もこのコード進行でできてたんだ」と気付けて面白いと思います。

特定のメロディが先にありきでなく、コードの循環で色変わりを創り出しながら循環させ、右手はアドリブで転がして…それができれば、詩の朗読やテラピーに合わせて、1分でも2分でも音を出していられます。
長調の中での循環だけでなく、並行する短調の世界にも…


音の十二単衣(じゅうにひとえ)

この記事では、ある調の音階にある7つの音を使って、団子3兄弟よろしく7つの和音を見ましたが、実はもっとほかにもいろんな音の組合せがあります。
たとえば、「ド」の音とよく合うコードは、「ド」を含んだ和音、つまり「ドミソ」と「ファラド」がよくマッチするのは当然です。
でも、必ずしもその2つの和音でなくてもいいんです。
「ド」から今度は半音ずつ下げていくと、ド・シ・シ♭・ラ・ラ♭・ソ・ソ♭・ファ・ミ・ミ♭・レ・レ♭・と12の音があって1オクターブ下のドでもとに戻ります。これら12の音をベースとする明るい長3和音を重ねます。

ハ長調の音階で出てくる白鍵だけでなく、臨時記号の♯や♭も使って、下の2音が長3度・上の2音が短3度の関係になるように和音を作っていきます。

十二単(明)
 

半音階(クロマティックスケール)、1オクターブ内に12の響きができました。
中央線に高井戸という駅がありますが、上に常に高い「ド」の音を鳴らし続けた状態のまま、ドミソ、シレ♯ファ♯、シ♭レファ…と順に鳴らしていってみると、同じ「ド」の音が違った趣きの中でちゃんと調和して聴こえます。

十二単衣を一枚ずつ脱がしていくような、いや失礼、着替えていくような味わいです。

各調ごとの7つの響きと、この12単衣をうまく組み合わせて使えるようになれば、童謡などのシンプルな曲もお洒落に変身させることができるはずです。3色から7色へ、そしていよいよ12色の世界へ。

あとは、これらの色彩豊かな12色の音を、どこでどういう風な流れの中で使うか?
そこはあらためて「循環コード」として考えていきたいと思います。


<関連テーマ>

★2013年の12月にこの記事をアップした時、後半に入れておいた讃美歌を使ったリハーモナイズの例は、長くなりすぎるので分離させました。
→ 
リハーモナイズ(2)簡単な曲を別の色彩で

★お洒落なコード進行の上に乗っかる右手のアドリブのスケール。単純なメロディを同じコードの響きの中でさまざまに変化させて遊ぶ…ショパンなどの名曲に学ぶところは多いと思います。 いずれも2013~1014年の記事です。
→ 
コードで見るショパン 
→ 
コードで見るラフマニノフ ピアノ協奏曲2番

★12音から7つの音を選び出して並べた音階は、今日では長調短調の2つです。同じ7音でも「ド」からスタートすれば明るい長調に、「ラ」から始めると暗い短調に聞こえます。これは半音の箇所がどこに来るかによって決まります。
バロック以前には6つの教会旋法がありました。7音の階段のどこに半音がくるかによって、全体のモードが変わる…というお話し
→ 
6つの教会旋法
        

音楽療法の課題

11月30日(月)

今年度も継続して学んでいるコード付け(リハーモナイズ)の記事は、懐かしい曲など「★私のこの1曲」のカテゴリーに書いてしまっているので、この「★50代ことはじめ」のカテゴリーで記事を書くのは久しぶりです。

きのう29日(日)、昨年度に受講したある先生を囲んで、音楽療法の現場に関わっておられる受講生らとともに研究会に参加してきました。今年度に入ってこの研究会は4回目となります。


音楽療法の「効果」を何で測るか?

音楽は認知症のお年寄りにも、障がいのある人にも、精神的にも身体的にもいい効果があることは間違いない、そう信じたいです。
しかしそれをきちんと科学的に立証できて、効果があったと評価(アセスメント)が得られなくてはなりません。

では、何をもってそれを評価するのか? 「事例発表」が今回のテーマでした。

1年間で10回以上のセッションを、どれぐらいの頻度で、どのようなプログラムで実施したか?
参加者が何人いたか?…そこは報告できるでしょう。

問題は、それによってどんな効果が得られたかです。

「楽しかった」といった本人の自己申告、音楽療法に向かう時にどのぐらい生き生きしているか(観察)、
心拍数、脳波、体温や血圧の変化、さらに唾液の成分によるストレス度…といったデータ…etc.

音楽療法は単なるリクレーションではなく、一定の効果が認められなくてはいけない訳ですが、音楽で楽しんでいるところで心拍数や血圧を測れる環境にあるかどうか、という問題もあります。

また、日常の生活の中で、音楽療法を取り入れたのと取り入れないのとでどのような差があるか、ということを、何で見極めたらよいのでしょうか?


◆「効果」の見極めの難しさ

音楽療法に限らず、さまざまな職場における業務遂行にあたって、日常的に点検・確認・記録していることはいろいろあると思います。でも、何かを新たに導入したことで、日々の状況にどんな変化が現れたか、見えるものと見えないものがあるでしょう。

例えば、パソコンの集計システムを変えたことで、ある作業にかかっていた時間が短縮された(=能率が上がった)、あるいはミスを発見しやすくなった…といった「効果」がすぐに判ることもあるでしょう。

しかし、「人」のモチベーションや精神的な影響は、感覚的には明らかに違うと感じられても、それを数値によるデータでとらえることは非常に難しいはずです。
たとえば職場で朝と午後に「体操」や「瞑想」を取り入れたとして、日々の業務全体にどんな効果が出たか、精神的にどんな変化が現れたかを聞かれても、とても曖昧なものでしかないのではないでしょうか?

音楽療法に課せられる「報告」「評価」の難しさはまさにそこにあると思います。

よく怒っていたクライアントが、最近あまり怒らなくなってニコニコしている!
それは良かった!…と思いきや、単に認知症が進んでいた、なんていうオチにもならない話も…


個人情報の壁…

事例研究には、個別のクライアントの継続的な観察データを報告する必要があります。
でも、最近とくに個人情報の保護が大きなテーマになっています。

音楽療法の効果を観察・立証する上で、いわゆる「検体」となっていただける方を絞り込めるのでしょうか…?

ご本人、家族、施設の方たちに、事前の許可を取らなくてはなりませんし、データや写真などをどこまで公開できるか…という問題もあります。
かといって、「〇〇に在住のおじいちゃんAさん」だけでは、本当に事例として存在するのかどうか信憑性が得られないでしょう。


以上が、きのうの研究会で出た話題に関連する私の雑感です。
みなさんはどうお思いでしょうか?


今後のとらえ方

私なりに…

●食欲、やる気、表情…といった日常的な行動観察で「効果」を見ることももちろん大切ですが、音楽の現場での変化を観察対象にてきないか?

たとえば、最初はまったく関心を示さず伴奏しても口を開けなかった人が歌うようになった、身体を動かすようになった、リズムを正確に打てるようになった、曲によってなんらかの顕著な反応が見られる…etc.

もちろん音楽療法は、音楽的な技術を磨くための音楽教室ではありませんが、まずは「音楽の現場でのなんらかの変化」は第一に捕えられてよいと思うのです。

それによって脳が活性化しているのではないか、身体的な機能が回復しているのではないか…といったことはある程度判定できるのではないでしょうか?
それと日常的な生活上のデータとを照合すれば、何らかの因果関係が見いだせるかもしれません。


●学会に、あるいは社会に「評価」を得るためには事例発表はもちろん大切ですが、「報告」のための個人情報の確認やデータ化などに音楽療法士たちのエネルギーの多くが消耗させられてしまうのでは本末転倒。

たとえば発想として、音楽に理解のある人が管理するある施設では、継続して音楽サロンのような活動を実施していたとします。その活動の概要、プログラム、入所者たちの参加状況、日常生活…といったことを継続的にとらえて、トータルに「事例」として報告することもあってよいのではないでしょうか?

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国立音楽院のMT(ミュージック・セラピー)オーケストラに私も参加し、2013年と2014年に実施した、鎌倉シルバーホームでの訪問演奏の様子。入所者たちは、生オケの伴奏で、懐かしい昭和の歌謡曲を熱唱してくださいました。


社会の中での課題

音楽療法については世間でも少しずつ知られるようになってきているとは思いますが、介護(福祉)や医療の現場でプラス・アルファ(=予算も含めて余裕があったら…)程度に捕えられているケースが多いように思います。

入所者数に対してボランティアも含めた職員の数は圧倒的に不足していて、多くの施設で「ギリギリで回していくのがやっと」というのが、きのうの研究会に参加されてた多くの方からも出た本音のようです。

にもかかわらず、政府は今年の春から大幅に介護手当をカットしました! 介護保険料は値上げし、本来福祉目的にしか使わないはずの消費税も段階的に引き上げてきたにもかかわらず、福祉の分野を真っ先に削って、軍事費や海外へのばらまきに…etc.

今の政権への批判はここでは控えますが、お年寄りをはじめ弱い立場の人たちをどんどん切り捨てる方向に国は動いているように思えてなりません。

高齢化が着実に進み、今後ますます認知症への対策も急務です。
政府も2020年を見すえて、「認知症への対策」という検討項目は設けているようですが、その中身は「医療の充実」「施設の充実」「医療と製薬会社との連携」…といった内容。

製薬会社にとってはビジネスチャンスかもしれませんが、認知症にとって何が大切なのか、ことの本質は何なのか、方向性が違うように思えてなりません。



ちなみに、日本の政府がよくお手本にする本家アメリカでも、今およそ700万人の認知症患者がいると言われていますが、その多くは施設に収容されています。

毎日同じ時間に起き、同じ時間に食事を与えられ、施設の外に出ることは許されず、自由は奪われ、大きな声を出すと鎮静剤や安定剤を投与され、いわば薬漬けにされ…
認知症が改善されるどころか、人としての尊厳生きる気力がどんどん失われて、みな無表情な生きる屍のような様相を呈しています。これが福祉や医療の目指すところなのでしょうか…?

しかし昨年ご紹介した『パーソナルソング』というドキュメント映画のように、話しかけても何一つ返事もしないお年寄りに、その人が若いころに親しんだ懐かしい曲(その人にとって特別な曲=パーソナルソング)をヘッドフォンで聴かせたとたんに、目を輝かせ、身体を動かし、昔の話を語りはじめる…という奇跡のような事例が数多くあるのです!

残念ながら今のところ、「音楽を聴かせる」という行為は「医療行為」とは見なされていません。
また福祉の一環としても、正式に認定された方法ではありません。

それを認めてもらうためには、音楽療法の効果を科学的に立証する必要があり、多くの事例発表を重ねていくしかない、という話に戻ります。
なかなかお金にならない音楽療法士の本来の仕事(=音楽の現場でのワーキング)以外に、事例集め・データづくりの膨大な手間暇が要求される…という冒頭の話へと循環する、いわば自己矛盾のような話ですね。

しかし…「高い薬を与えるよりも 1曲の音楽を!」 は大きな力であり、莫大な予算をかけなくてもできる有効な方法であると思うのです。
それをどうやって証明し、世の中に広めていけるか…?

医療や福祉の「おまけ」としてではなく、「音楽の力」を独自に、社会(公的機関・民間企業・団体など)に認識してもらえるにはどうしたらよいか…?

その辺りが、いま私にとってもっとも関心の強いテーマといえるでしょう。


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音の不思議をあらためて

<2016年5月 改定>

カテゴリー
★「50代ことはじめ ~音楽療法の世界へ」まとめ


このカテゴリ内にはやや専門的な話題も含まれますが、2013年から3年あまりの学びの記録を私なりのノートとして綴ってきました。
その中から「音」に関する話題、とりわけ即興に役立つコードに関する話題をあらためてピックアップしてみました。

音楽が好きだけど楽器を習ったことのない方、「昔ピアノを習ってました」と過去形でおっしゃる方、クラシックにありがちな「楽譜がないと弾けません」から脱却したい方、ドミソ・ファラド・ソシレだけの3色でなくもっとお洒落な響きで伴奏したい方…

オタマジャクシ(音符)に縛られることなく、主にコードを使って「音」「響き」について改めて考えてみたら音がもっと楽しくなります!
「音の不思議」「音の面白さ」「音の奥深さ」をお伝えできたら…

一部重複もありますが、私自身の経験も踏まえて、テーマごとにプログラム化できたらいいな、と私なりのまとめを試みています。


「リハーモナイズ Ⅰ・Ⅳ・Ⅴの3色から7色へ」
ドミソ・ドファラ・シレソは偉大なり! でももっとお洒落な音をどう使うか…?
和音の基本的なおさらいから

「12と5 不思議な5度の関係」
5度時計ってご存知でしょうか?5度の関係で音を並べていくと12番目で元の音に戻ります。 そして隣同士は…?

5度時計(改右回り)

・リハーモナイズ(2) 簡単な曲を違う色彩で

「6つの教会旋法(チャーチモード)」
 ハ長調、イ短調…といった「調性」とは違う、響きとしての「旋法(モード)」


・ドレミの起源
 音の名前はどうやってついたんでしょう…?

「コードで見るショパン」
 あのショパンの名曲をコードで見てみよう…一見まったく意味のなさそうな試み

「コードで見るラフマニノフ」
クラシックの難曲も、コードの流れで響きを追えば弾ける!

「ドッペルドミナント」
二重の滝のように、5度下へ、5度下へ 

 
そして…ちょっとズージャな(ジャズの)世界へ

「ズージャな音(1)メロディックマイナースケール」
 「旋律的短音階」って、そういうことだったのか…!

マイナースケールC

「ズージャな音(3)循環コード&スケール」

「5度の深い関係(補完)」

「テンションコード」
 テンション上がるでしょ!?

「分かりかけ ズージャな音シリーズ」

「2→5→1 の連続で12色の世界へ」

「オクターブを刻む」

オクターブを刻む



音楽の力って、本当に魔法のようなものだと思います。
時に人の心を癒してくれ、時に勇気をくれ、時に懐かしい時代を思い起こさせてくれる…そこに小難しい理屈はいりませんね。

でも、音楽を奏でる人、音楽の魅力を伝える(教える)立場にある人や音楽を活用する立場にある人にとっては、ある程度の「なぜ?」は必要だと思うのです。

理論のための理論ではなく、音楽の力をより使いこなせるためのヒントとして。そういうことは、楽理(音楽理論)などの専門的な理論書にはなぜか書かれていません。

長3和音・短3和音に関する説明はあっても「人はなぜこういう和音を聞くと明るい(または暗い)響きと感じるのか?」、「属七の響き(たとえばG7)を聞くとなぜ1(C)の響きに戻りたくなるのか?」…etc.

属七の引力20160528

音楽理論というより、むしろ心理学、あるいは生理学でしょうか…?

「音の小部屋」プロジェクトと称して、そんなあたりを探求していけたらと思っています。ご興味のある方、ご連絡をお待ちしております。



社会に開かれた音楽を

3月26日(木)


◆「ありがとう」で変わった音楽人生

先日、NHKのFM放送を聴いていたら、ヴァイオリニストの千住真理子さんがMCをやられていました。
お便りをご紹介されたあと「私も、ある施設でお年寄りの前でヴァイオリンを弾いて『ありがとう』という言葉を頂いたとき、あらためて自分がなんのために音楽をやってきたのかが分かったような気がする」と話されてました。

じつは私も千住さんとは直接お会いしてお話を伺ったことがありますし、以前テレビの対談(「スタジオパークからこんにちは」)でも同じ話をされていたので、ちょっと補わせていただきます。

ジュリアードに留学され、国際的なコンクールを目指し、いわば音楽の頂点を競っていらした千住さんは、あるとき疲れてしまったのでしょうか、しばらくヴァイオリンケースも開けたくない日々を過ごされたそうです。

そんな時、ある人から「老人ホームで演奏していただけませんか」と依頼を受けますが、しばらく弾いてなかったので断ろうかと思われたそうです。
でも、実際に行って「あかとんぼ」を弾いたら、お年寄が涙を流して喜んでくださり、演奏を終えると「ありがとう」と…

その時、千住さんはあらためて音楽の素晴らしさに気づき、自分が音楽をやってきてよかった、と思われ、またヴァイオリンを弾こうという気持ちを新たにされたそうです。

このお話、最初にお聞きしてから10年以上になりますが、私の中でしばしば思い起こされて、アマチュアながら心の支えにしてきました。

東日本大震災のあと「がんばろう日本」というチャリティで被災地を訪れ、仮設住宅の方たちも招待したコンサートで、終演後の拍手に混じって「ありがとう」という声を飛ばされた時、本当に胸がジーンと来て、音楽って素晴らしいな、音楽活動に参加できてよかったな、としみじみ実感しました。


わが青春 アマチュアオケ

私はアマチュアで、学生時代からオーケストラで演奏してきました。
友達や先輩に誘われれば人手の足りない市民オケに喜んで参加して腕を磨く。
打楽器が派手に活躍するマーラーやストラビンズキーの曲をどこかのオケでやると聞けば腕がうずく…私もそんなよくいるアマチュアの打楽器奏者でした。週末に2つのオーケストラをはしごしたこともありました。

でも、歳を重ねるにつれ、仕事や家族への責任、子どもとの時間も大切になります。なんとか時間を作って練習に参加するだけでなく、オーケストラ内でパートをまとめたり楽器の手配をしたり、演奏面だけでなく団の運営にも関わると、休日だけでなくふだんの時間もそれなりに取られるようになります。

毎回の練習会場に楽器を運ぶ段取りをし、練習開始よりも早く楽器を運び、並べ…もちろん演奏面でも、苦手なところを克服し、曲へのイメージを膨らませ、楽譜を整え、本番近くなれば集中練習を録音してチェックし、体調を整え…
とにかく万全の体制で本番に備えますが、突発的に休日出勤にならないか、家族になにか起こらないか…はらはらの連続です。

そうしてなんとか迎えた本番当日。朝から会場練習し、本番。
滞りなく演奏を終え、練習の成果が音に表れれば、もちろん感動もひとしおです。

でも、終演したらすぐに舞台の撤収、楽器をトラックに積み込み、舞台まわりや楽屋に忘れ物がないかをチェックして、時間までに退館!



写真・絵画の個展やアットホームなライブが羨ましいのは、来てくださったお客さんと歓談できる時間があること!
大きな会場で演奏するオーケストラでは、聴きに来てくださった方ともゆっくりお話しする時間はありません。

また、私は楽器の片づけもあるし、荷物も増えるので、ご招待した方にも「花束・差し入れ一切お断り」を原則にしてきました。それはいいのですが、終演後に舞台袖にでもちょっと顔を出してくだされば嬉しいのですが、黙って帰ってしまわれると、どなたが来てくださったのかさえ分からないことも。
その日か翌日に電話あるいは数日後に会って「よかったよ!」と聞けば「あ、来てくださってたんですね!」となり話もはずみますが、「ごめんなさい、行けなかった」という方から「どうでしたか」と聞かれても、なんと返答したらよいものやら…(笑)

まあ、自分が好きなことをやらせてもらってるだけでも感謝、なんですが…

終演後のレセプションで演奏仲間たちと「お疲れさん」で乾杯するビールの味は格別ですが、「ああ、また明日から仕事か~」と現実に引き戻される瞬間は必ずやってきます。そんな時ふと「自分はなんのために音楽をやってるんだろう?」…と頭をよぎるようになったのです。


音楽の力でなにか出来たら…

そんな時、あるマエストロと出会い、障がいのある人とも音楽を通じて「ともに生きる」というテーマに出会いました。(→ コバケン先生との出逢い

有名な指揮者のもと、質の高い演奏ができればもちろん満足度も高いですし、後援・協賛もついて福祉団体にも声をかけますから観客席は満席。終演後には客席のみなさんが立ち上がって拍手の嵐を浴びます。社会活動の一環として翌日の地方紙にも大きく記事が掲載されます。

もちろんそうした表の華々しさも感動的ではあるんですが、私の中で芽生えていったのは「何のために音楽をやるのか?」というモチベーションの大切さでした。



自主的なアマチュアオケの中には、演奏・技術面と運営面で手一杯で、観客動員や対外的なPRにまでなかなか手が回らないところも少なくありません。演奏会が近づいて綺麗なチラシやチケットが印刷されても、告知するのはせいぜい身内と友達ぐらい。

するとどういうことが起こるか?…とくに「ガラコンサート」でもないのに、演奏会当日の客席はガラガラ…そんな光景を今でも時々見かけます。

たしかにプロのように完璧な演奏ではありませんし、いまは素晴らしい演奏を手軽に聴ける装置もありますから、貴重な休日にわざわざ会場まで来てもらうのは申し訳ない、という感覚も分からないではありません。
あるいは、オケの運営と練習だけでも大変なのに、とてもてとても、それ以上のことは考えられないんでしょうか?
いずれにしても、「自分たちが趣味として楽しめればいい」んでしょうか?

でも、ほかに本業のある人たちがさまざまな日常もあるなか集まって半年も練習を重ねてきた成果を、ガラガラの会場で客席の背もたれに音を吸収させ、「うまく弾けた、頑張ったね、最高だったよ」だけで良いのでしょうか?

音楽は聴いてくれる人がいてこそ成り立つ、その瞬間の芸術です。

もともと音楽マニアで、海外から来るアーティストの情報を自分で調べてチケットを購入してコンサート会場に足を運んでるような人はむしろ放っておけばいいんです(笑)。もともと耳も肥えてらっしゃるからお耳障りでしょうし…

むしろ、「私」という人間を知らなかったらおそらく生のオーケストラを聴く機会はないだろうというような人にこそ、ご案内して来てくださって喜んでくださったら嬉しいですね。

仕事・子育て・親の介護・さまざまな悩みや不安…そんな日常の中で心に潤いを失いかけている人たちに、音楽の喜びをあらためて実感していただけたら、明日からまた頑張ろうという気持ちになっていただけたら、「私もむかし楽器をやってました」と過去形でおっしゃる方が「また私も音楽をやろうかな」と思ってくれたら…

楽器をはじめてまだ日が浅い人もベテランも、障がいのある人もない人も、自分たちが音楽をできることの幸せを世の中に分かち合い、還元できたら…(かんげん楽団って言うぐらいですから…)


音楽と社会の架け橋に

私は50代半ばにして、もう一度音楽の力を学び直そうと、勤め帰りに学校通いをして「音楽療法」をこの2年余り学びました。
いちおう所定の単位は修習できて卒業しますが、まだまだ学びは続けたいですし、想いばかりが重くなった気がします(笑)。

とくにあらためて痛感するのが、前にもブログに書きましたがこの「音楽と社会の架け橋」になれたらいいな、というテーマです。

社会が、音楽の力を必要とする場面はまだまだあると思いますし、遅かれ早かれそうなってくれたらいいなと思います。ならば、音楽の側からも、社会にも目を向けていくことが大切なんじゃないかと…

とはいっても、音楽を本業としている方たちは自分の演奏を磨くことに専念しなくてはならず、難しいことのように思われるかもしれません。
でも、前のブログ記事にも書いたとおり、楽器を持ってデモに参加することを求めるわけじゃありませんし(笑)、貴重な練習時間を割いて時事問題と向き合うことを求めるつもりもありません。

ほんのちょっと頭の片隅にでも、「なんのために音楽をやるんだろう」、「音楽の力でせめてできることを」という想いを描くことの大切さです。

先ほどのアマチュアオーケストラの定期演奏会ひとつを例にとっても、福祉団体や教育団体にも告知してチラシを置かせてもらったり、いつも練習場を借りている地域の人たちに招待券を配ったり…といったことにちょっと頭を使って動いてみるかどうか、そういう発想をもつかどうか、だと思うのです。

身内だけに聴かせる発表会レベルから一歩踏み出して、目的をもって多くの人にも聴いていただくことが前提となれば、それなりに演奏技術面も向上させようというモチベーションにもつながるのではないでしょうか?

はじめから難しく考えすぎずに、そんな思いも頭の片隅にちょっと描くだけで、「社会に開かれた音楽」になると私は思うのです。

→ 「音楽と社会の架け橋に」(2014年11月) 


卒業しました ~今後の課題~

★3月18日、追記を入れました

3月15日(日)



一昨日の卒業式(帝国ホテルにて昼間)は仕事のため出席できませんでしたが、けさ自宅に卒業証書が届きました。感謝です。

卒業証書


お陰様で、2年間で80単位を修得させていただきました。

でも、せっかく入口が見えかけたところで辞めてしまったら何にもならないので、実技系を中心に新年度も引き続き「学生」は続けるつもりです。あと、時間を見つけて実習の現場にも…

きょうも、音楽療法の実習経験者を囲んでのレクチャーに2時間ほどお邪魔してきました。


<追記>
3月19日(木) ~今後の課題~


まだ本業である仕事は継続しているため、どこかの施設を訪れて実習を積むことが今はできません。卒業しても無期限でできますので、機会をみつけて実習の現場にも入っていけたらと思っています。

もともと音楽療法士は「もうかる仕事」ではないと重々承知の上で学び始めましたが、この春から介護報酬が引き下げられるなど、取り巻く環境はとても厳しいものがあります。
福祉目的でできたはずの消費税が3%から5%、5%から8%と段階的に引き上げられているのに、これからますます重要になる高齢者福祉や児童福祉に関する部分がなぜ真っ先に削られるのでしょう?

そのような中、今のように福祉・介護の現場で「余裕があれば」というプラスアルファ的な位置づけでの音楽療法ではいけないと痛感します。ではどうしたらよいか…?

私は大きく3つのテーマの重要性を感じています。


効果、アセスメント(評価)をしっかり

ひとつは、音楽療法を単なるリラクゼーションのようにとらえるのでなく、障がいのある方に、あるいは認知症の高齢者に、どういう効果があったかを具体的にとらえていって目に見える形にしなくてはいけないということ。つまりアセスメント(=評価)をしっかりやって音楽療法の効果を客観的に広めていかなくてはならない、ということです。

それには、なんとなく自己満足的に「よかった」ではなく、医学などの科学的な分野としっかり連携して、ケースごとの事例を積み上げていくしかないでしょう。


認知症の「予防」という視点

あと、私が現状から強く感じるのは、すでに認知症になってしまった方や障がいを持った方たちにタテ割り的に対処して、どの程度の効果が出たか、というだけでなく、予防としての効果を検証できないか、ということです。
たとえば、ある年齢に達した人たちのうち、若いころから何らかの音楽活動をやってきた人とそうでない人とで、認知症が発症する傾向に差はないでしょうか…? なんらかの形で「音楽の力」を明確化できるのではないかと思うのです。


すべての人に「音楽の力」を

プロの演奏家として音楽の世界で生きていくことは、基礎的な訓練から感性を磨くこと、自分の独自の音楽観をもつことなど、本当に奥の深い大変な世界だと思います。
でも、音楽を聴く、気軽に楽器で音を出して楽しむ、音楽に合わせて身体を動かす、歌う…それはすべての人に平等に与えられた幸せの原点です。本来音楽とはそういうものではないかと思います。

障がいのある人向け、認知症のお年寄り向け、とタテ割りに考えて、ある効果だけを期待して狭い意味で音楽療法を捉えるのではなく、仕事・子育て・親の介護に疲れた人、生きる目標や夢を失ってしまっている人、「むかし何か楽器をやってました」と過去形でおっしゃる方…etc. あらゆる人に音楽の力をもっともっと活用できたら…
ある曲を聴けば勇気が湧いてくる、青春時代を鮮明に思い出す、自分にとってかけがえのない曲がきっとあるはずです(=パーソナルソング)。なるべく幅広いジャンル・年代の音楽の引出しを持てたら素晴らしいですね。



音楽療法の現場で、どんな分野と連携しなくてはいけないか、連携できるか、これから色々と考えていきたいですが、まずは意識の問題として「音楽と社会との架け橋」というテーマがあります。

福祉・介護といった枠内だけでとらえ、国からの予算枠の一部を音楽療法に分けてもらうという発想だけでは、今後ますます状況は厳しくなっていくでしょう。
もっとさまざまな分野と連携して「音楽の力」を活かせる場を積極的に開拓していく必要があると思います。

社会が音楽を必要とする場面はこれからたくさん出てくるはずで、そうしていくことを目指すのなら、音楽の側からも社会に目を向けなくてはいけないのではないでしょうか?
音楽を業とする人・愛好する人たちが、ただ自分の音楽だけに没頭していればよいのではなく、「社会に開かれた音楽」ということを頭の片隅にちょっと置いてみることが大切ではないかと思うようになりました。

昨年11月にもそんな想いをブログにつづりましたが、プロの演奏家はご自身の音楽を創りだすことに専念しなくてはならず、なかなかそこまではできない現実もあるかもしれません。
ならばなおさら、私のようなアマチュアで音楽療法に関心をもった者が、そのあたりのテーマを長い目で追いかけていけたら…と。

→ 「音楽と社会の架け橋に」 2014年11月


    
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パーソナル・ソング

12月29日(月)


1000ドルの薬より、1曲の音楽を!
映画「パーソナル・ソング」をついに観て来ました!

日本語による予告編はこちら…
https://www.youtube.com/watch


まともに会話もできなかった認知症の人が、ヘッドホンで音楽を聴いたとたんに目が輝き、リズムに合わせて身体を動かし、笑い、泣き、若い頃のことを鮮明に思い出し、語りはじめる…

信じられない光景が次々と展開します。音楽を聴くことで、仮に一時的にであれ自分を取り戻すのです。音楽は認知症によって失われた記憶だけでなく、脳全体を刺激するのです。

アメリカには現在500万人、日本には400万人の認知症の人がいると推定され、アメリカではおよそ160万人が介護施設で暮らしています。その多くは薬を投与され、管理され、外界から閉ざされ、無気力に、自分自身を失い、屍のように生き長らえています。

人はだれでも老います。元気に動けて社会の歯車の中で生きている間だけが人生なのでしょうか?
年寄りの人生経験、知恵は? 人としての尊厳とは…?
医療や介護制度って何なんだろうと改めて考えさせられる思いです。

→ 「パーソナルソング」映像クリップ


<追記>

2015年年明け、安倍総理も「2020年を目標に、認知症対策に取り組む」と表明しました。
しかし、その具体的な内容は「専門機関と製薬会社が連携し…」というもの。

しかし医療と薬だけで認知症に対処することには限界があります。

認知症は、病状が現れてから発症(=日常生活に支障をきたす状態になる)までに20年かかるといわれています。いかにその時間を遅らせ、症状を食い止められるか?

だれでも大人になれば死滅していく脳細胞は増えていきます。残った脳細胞と脳細胞をいかにつなぎ合わせ、フルに生かせるか?
それには、新たな刺激、記憶だけではなく思考を積み重ねる習慣、柔軟な考え…さまざまな要素がありますが、そこに「音楽の力」は非常に大きく作用すると思われます。




音楽と社会の架け橋に

11月19日(水)


最近FBつながりから私のブログを初めてご覧になられた方から、「高木さんのページって、音楽の話題と社会的な話題とに大きく分かれますね」と言われました。
はい、音楽と社会、この2つのテーマは私なりの思いで繋がっています(後述)。

音楽などの芸術を愛しひたむきに取り組む人たちの多くがアップする話題は、自分がいま取り組んでいる作品のこと、美しい自然、おいしいもの、友達や家族やペットとのほのぼのした風景…etc.
そういう方がほとんどです。私だって、そういう話題だけ出していれば楽しいし、みなさんも「いいね」が付けやすいでしょう。

でも、どんな仕事でもそうでしょうが、巡り巡って世の中に幸せの種を蒔くことが最終目的ではないでしょうか?
その幸せの種を蒔こうとしている畑(=世の中)が不条理に満ち、民主主義が壊されそうになったり、金持ちばかりが優遇されたり、おかしな事件で尊い命が奪われたりしていても、見て見ぬふりでいいんでしょうか?

私がFBでフォローしている中に「社会音楽家プロジェクト」というのがあります。
なにも難しい社会問題や政治に首を突っ込もう、楽器をもってデモに参加しようというんじゃありませんよ(笑)。
ただ、コンサートでいい音楽を聴いて自分だけ気持ちよくハッピーになるだけでなく、社会の一員としてなにか考える気持ちも芽生えさせて帰っていただけるように…というコンセプトに賛同します。



「政治と宗教と野球の話は社交の場ではタブー」とおっしゃる方がいます。
たしかに「オレは阪神ファン」「いや巨人だ」という不毛の議論をしてもしょうがないです。政治の話題もそれと同レベルで、自分がどの政党を支持するかとか、今の政権への節操のない批判をしていてもしょうがないですね。
銀座のクラブのママさんあたりが、接客においてそういう話題を避けるのは分かります。

でも、私がブログやFBを通じて書いているのは、特定の政党の支持を呼びかけるものでも、現政権をむやみに罵倒して非難するものでもなく、専門的な政策論議でもマニアックな政治談議でもありません。私たちの社会の問題をどう決めるか、民主主義として当然の話を出しているのです。

いわば「人」として、「社会の一員」として、「一有権者」として、筋の通らないことには「NO」という発信であり、自分が組織に属する一員であってもなくても、人として当然の問題意識をもち、中学生でもきちんと読んでいただければ分かる文章で書いているつもりです。

→ 「考えること、表現することの大切さ」


素晴らしい音楽に関わっている方も、単に自分が好きだからというだけでなく、何のため、誰のために音楽をやるのか、「音楽の力」でせめて何かできることはないか…
以前にも書きましたが「音楽と社会との架け橋」というテーマです。

私もアマチュアながら音楽とは長く付き合ってきました。しかし単に個人的に閑な時に思い出したようにピアノを弾いたり、他の楽器と合わせて楽しむだけだったら、おそらくこんなことは考えてなかったでしょう。

学生時代からアマチュアながら音楽団体(オーケストラ)に所属し、社会人になっても、結婚して子どもが生まれてからも市民オーケストラを続けてきました。打楽器は種類も数も多く、トラックで運んでセッティングしなくてはなりません。演奏会の余韻も冷めやらぬうちに、ご招待しておいた友達の誰が来てくれたのかもわからず、挨拶もろくにできないままに、楽器をトラックに積み込んで撤収しなくてはなりません。画廊で1週間個展をやって見に来てくれた人とゆっくり歓談できる世界がうらやましかったりもしました。

音楽をできる機会に恵まれていることに感謝しつつも、楽器をトラックに積み終えて返却し、打ち上げも早々に「ああ、明日からまた仕事か~」と現実に引き戻される瞬間、「自分はいったい何のために音楽をやってるんだろう…」と。

そんなとき、「音楽を通じて何かできることを」「障がいのある人とも『音楽の力』でともに生きる社会へ」…そんなテーマに出会ったのです。
そしてその出逢いから来年で10年。自分なりに「音楽を通じてせめて何かできることを」という思いで2年前から音楽療法を学ぶきっかけともなりました。

そこで実感してきたのは「音楽の力」の不思議さ、素晴らしさ、大切さの再確認でした。
社会には今以上にもっともっと「音楽の力」を必要とする場面があるということです。少しずつですが、「音楽を必要とする社会」に応えていける橋掛かりになれたらいいなと。

音楽に限らず、美しい世界にあこがれ日々美しいものを目指す方たちというのは、それらを通じて世の中に幸せの種を蒔こうとされているのではないでしょうか?
その幸せの種を蒔こうとしている畑(=社会)が不条理に満ち、弱いものが虐げられたり、社会全体が危険な方向に進もうとしていても、見て見ぬふりで良いのでしょうか?

社会から音楽を求められる場面はこれからもっと出てくるのではないかと思います。そうあって欲しいとも思っています。ならば音楽の側からも、もっと社会に目を向けていくことも大切ではないでしょうか?


オクターブを刻む ~ズージャな音をめざして~

10月26日(日)

ズージャな(ジャズっぽい)音を求めて。
いま学んでいることをサブノート的にまとめるこのシリーズです。久々の「音」に関するちょっと突っ込んだ話題。ご興味のある方だけ熟読、その他の方はさらっとご覧くださいね。

1オクターブの中には白鍵と黒鍵あわせて12の音がありますが、これを「何秒で弾けるか!」なんてやっても音楽的な響きもなければ何の感情もわいてきません。

ところが、12音の中からいくつかの音を選び出して並べると、嬉しい・悲しい・明るい・暗いといった感情が湧いてきます。不思議ですよね。
12人の中から何人かの選手を選び出してチームを作る…「音階(スケール)」はそんなものだと思っていいでしょう。

音階にも色々ありますが、まずはじめに小中学校の音楽の基本をおさらいから…


長音階 と 短音階

まず、♯も♭もつかない7つの白鍵を使って音階をつくりますが、「ド」から始めれば明るい「ハ長調」に、「ラ」からはじめればちょっと悲しくて暗い「イ短調」になります。
同じ7つの音でも何の音からスタートさせるか、野球に喩えるなら「打順」が変わると音階の色彩(モード)が変わります。不思議ですね。

7つの音の配置を見てみると…
長調と単調(平行調)



青でスラーのような記号をつけたところが半音(12音の隣同士)、それ以外は全音(12音のひとつ飛ばし)です。

「ド」から始めると、「全・全・半・全・全・全・半」という並び(階段の形)。音で言うと3番目と4番目の間と、7番目と8番目の間が半音です。「3-4」「7-8」に半音が来ると全体に明るい長調の音階になります。

その3つ下の「ラ」から始めると、「全・半・全・全・半・全・全」という並びになります。半音の来る位置は「2-3」「5-6」、全体に暗い短調(自然的短音階)に聞こえます。

全音と半音の配置(=階段の形)がこの形になっていれば、何の音から始めても長調や短調ができます。

たとえば「ソ」から始めて最後の「ファ」に♯をつけて半音上げてやると明るい階段の形になります(=ト長調)。ファから始めて3番目の「シ」に♭をつけて半音下げてやるとやはり明るい階段の形になります(=ヘ長調)。
そして、上のハ長調とイ短調のように、ト長調の3度下にはホ短調が、ヘ長調の3度下にはニ短調ができます。このように同じ7音によってできる長調と短調の関係を「平行調」と言いますね。

なお、今日われわれの耳になじみのあるのはこの長調と短調だけですが、その昔、中世には6つの教会旋法がありました。
簡単に言ってしまうと、♯も♭もつけないで(白鍵だけを使って)ド~ラまでの6つの音(シを除く)のどこからスタートさせるかによって、半音のくる位置(階段の形)が変わり、全体の響き(モード)が異なって聞こえるのです。
この話を詳しく書くと長くなるので、まずは本記事を終わりまでお読みいただいてから、よほどご興味のある方で、よほどお暇な時にでも…
→ 「6つの教会旋法」


オクターブ内を等分割してみると

さて、ここからがきょうの本題です。
音階にも、7音でできる長調や短調のほかにも、5音階(ペンタトニック)などいろいろな音階があります。ただ、思いつきで適当な音を選ぶのではなく、なんらかのルールで1オクターブ内を刻む音階を見てみましょう。

12の約数は、2、3、4、6ですね。これを音に当てはめてみると…


<2等分>

2等分
1オクターブを真ん中で区切るとこうなります。オクターブの真ん中はファ♯(ソ♭)なんですね。完全4度(ファ)と完全5度(ソ)の中間、いわば4.5度。でもこれだけだとまだ「音階」という感じはしません。

ただ、オクターブを真ん中で区切ったこの増4度(=減5度)の響きは、曲の中でもしばしば耳にすることがあります。
バーンシュタインのミュージカル『ウエストサイド物語』の中に出てくる「マリア」や、有名なガレージでのダンスシーンで、盛んにこの増4度(減5度)の響き(ド→ファ♯→ソ~)が登場します。どこか不安をよぎらせるような響きですね。

また、上の譜例では「ファ♯ード」で示しましたが、「ファーシ」「ミ♭ーラ」も同じ間隔です。この響きを交互に鳴らしてみると…そう、ホルストの組曲『惑星』の中の「土星」の響き!
最後の方でこの響きに乗って鐘が鳴り響くシーン、あるいは昔見た映画「地球最後の日」のような、不気味で壮大な響きとでも言ったらよいでしょうか…?


<3等分>

3等分
長3度(間に黒鍵が2つ。半音階でいうと5コマ)の関係でド・ミ・ソ♯・ドを選び出すと、1オクターブが3等分できます。
ド~ソ♯は、完全な5度(ド~ソ)よりも半音広い「増5度」。「ド・ミ・ソ♯」は長3度が二つ重なったもの(=増3和音。「ぞうさん」の和音じゃありませんよ)。

ほかの「ミ~ド」「ソ♯~ミ」も増5度ですから、この音階全体にaug(オーギュメント)の響きがします。


<4等分>

4等分

今度は短3度(間に黒鍵が1つ。半音階でいうと4コマ)の関係で、ド・ミ♭・ソ♭・ラ・ドを選び出すと、1オクターブが4等分できます。
ド~ソ♭は完全な5度より半音狭い「減5度」。「ド・ミ♭・ソ♭」は短3度が二つ重なった関係(=減3和音)で、それはどこをとっても同じ。全体に dim(ディミニッシュ)の響きがします。


<6等分 メシアンの旋法>

今度は、1オクターブ内に半音の箇所を作らないで、すべて全音で並べます。
全音階(メシアン第一旋法)
われわれが耳慣れた音階では、ミ~ファ、シ~ドに半音の箇所が入ります。階段に喩えると「踊り場」のような場所でしょうか。それがここには1箇所もないのです!

なんとなく落ち着かない、でも注目を引く、途中で新しい展開が開けるような…ちょっと不思議な音階です。

でもこれ、どこかで耳にしたことのある音階ではないでしょうか…?
そう、教育テレビや博物館のビデオなどで、「リトマス試験紙につけてみると…あ、色が変わりました」といった場面でよく効果音に使われてる音階ですね。

全音階(=ホールトーンスケール)といいます。メシアンという作曲家がこの音階を用いて曲を書いていて「メシアンの第一旋法」などとも言われます。
この「ド」から始めるものと、半音上の「ド♯」から始めるもの(すべて半音上にずれる)の2種類に集約されます。



ここまで、まるで数学のような「音の理論」と思われるかもしれませんが、私の興味は「人はなぜそういう音の並びを聞くとそう感じるのか?」という部分です。
逆にいえば、人になんらかの感情(明るい、楽しい、悲しい、不安…etc.)をわかせる音の響き・並びには、なんらかの法則があるということです。本当に不思議で面白い!

ところで、そろそろズージャな響きは?

アマチュアながらクラシック畑に長くいて、どうしたらあのズージャな(ジャズっぽい)響きが出せるのかと長年思ってきたこと、この2年ほどの間に学んで少し分かりかけたことをこのシリーズで何度か書いてきました。
そして、ようやくこのスケール(音階)にたどり着いたので、ケチらずにご紹介しちゃいます!


コンディミニッシュ・スケール

全音・半音・全音・半音…とひとつ飛ばしに並べると、1オクターブがこのように8つに刻まれます。


<Aパターン>


コンディミAパターン

  鍵盤Aパターン

赤い線で結んだところが「全音」、青い線ところが「半音」です。

こういう響きを聞いてみて、いかがでしょうか?

うちの娘に聴かせたところ「気持ち悪い」とひとこと(笑)!
そうですね、まだ長調と短調だけの純粋で汚れのない世界の住人(?)にすれば、なんだか不思議な、気持ち悪い響きなのかもしれません。でも、これぞまさにズージャな響き!

じつはこの配置、「半音+全音=短3度」。どこをとってもひとつ飛ばした音は短3度なんです。全体になんとなく暗い印象を受けるのはそのためでしょう。

しかしこの音の並びの中には、B7(シレ♯ファラ)、D7(レファ♯ラド)、F7(ファラドミ♭)、A♭7(ラ♭ドミ♭ソ♭)、といった明るい和音を構成する音がすべて含まれているのです!
さらにその根音(ベースの音)を半音上げたdimディミニッシュも!

なので、このスケールには、以下のコードがしっくりと合います。

Aコード★改定

これらのコードを左手で押さえながら、右手で先ほどの音階をスケールのように転がしてみると、明るい響きの上にちょっと暗い感じの響きが乗って、まさにズージャないい響き!


<Bパターン>

そしてもうひとつ、先ほど全音・半音…と配置したのを逆にして、半音・全音…と並べたのがこちら。

コンディミBパターン

  鍵盤Bパターン

これには、C7、E♭7、F♯(G♭)7、A7といった明るいコードと、その根音を半音上げたdimディミニッシュ、さらにCdimの音がすべて含まれています。ですから、以下のコードがしっくりと合います。

なお最後に書いたCdim7は、たしかに構成する音は入っていますが、このスケールに合うコードではなさそうです。

★コンディミBコード改定


C7はド・ミ・ソ・シ♭、A7はラ・ド♯・ミ・ソ…と、コードを押さえるだけでももちろん伴奏はできますが、ところどころ上にこんなスケール(一部切り取ったものでもよい)を入れてみると、ちょっとお洒落な大人の世界の香りづけができるかもしれませんね。

もともとジャズは、楽理やクラシックの曲を知らない、ともすれば楽譜も読めない人たちが経験から作り出していった音楽。そこにこんな数値で見える法則があったとは! しかも、クラシックの世界でもこういう響きを使った楽曲も多数あります。

本当に音楽って面白い、不思議なものだなとつくづく思います。



プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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