ツユムシ

5月13日(水)

今年もこの季節がやってきました。
昼間は初夏の陽気となり、日が暮れて夜風が気持ちよく、散歩にでも出たくなるこの季節、草むらや植え込みから「ジーー」と響き渡る虫の声が…

子どものころからあの声の主はいったい誰なんだろうと思っていました。
電車にまだ冷房が完備していなかったころ、郊外を走る電車が夜窓を開けて走っていると車内まで聞こえてきましたから、かなり大きな声です。

両親も、あの声の主が何ものなのか分からず、「オケラが鳴いてるんじゃない?」とか、人によっては「ミミズが鳴いてるんだ」とか…。ミミズがどこで鳴くんでしょう…?

はい、あれは ツユムシ という虫です。
キリギリスの仲間ですが、秋ではなくこの季節の夜によく鳴いてます。

きょう、帰宅後に犬の散歩に出たら、近所の小公園の植え込みでかなり近くでこの声が聞こえ、そっと近づいていったら、植込みの上の方に発見!

カメラ付き携帯のライトをONにして、そっと近づいてパチリ!

ツユムシ2015.5.11 ★クリックすると大きな画像でご覧になれます

虫の苦手な方はスルー(無視)してくださいね!

虫好き少年がそのまま大きくなったような50代の私でも、鳴いているその姿を見たのは生涯これが2回目、カメラに収めたのは初めてという貴重な画像なんです。



ところでみなさん、バッタ・キリギリス・コオロギの仲間の大きな見分け方をご存知でしょうか?

体の色が緑か茶色か、頭が尖っているか丸いか、草や木の上で鳴くか地面で鳴くか…
いろんな違いがありますが、鳴き方に大きな違いがあるんです。

この画像では分かりづらいですが、左右の羽を垂直方向に打ち合わせるように震わせて鳴いている(画像が少しブレている)のがお分かりでしょうか?

こういう羽の使い方で鳴くのがキリギリスの仲間です。
何年か前の秋に書いた記事をご参照ください。

→ バッタ・キリギリス・コオロギ





いろんな見え方

1月28日(水)


新年明けたと思ったら、あっという間に1月も終わりですね。
世界ではさまざまな心を痛める事件が起きていますが、どんな物事に対しても色んな見方があると思います。

ところで皆さん、心理学の「反転図形」というのをご存知でしょうか?
「だまし絵」と呼ぶ方もいらっしゃいますが、違う見え方をする絵を見て、一つの像を捉えている瞬間はその形にしか見えず、同時に違う見え方はできない、という実験です。

もっとも有名なのが「ルビンの杯」でしょう。

ルビンの杯


中央の黒い部分を見ると、真ん中がくびれた杯に見えます。ところが白い部分を見ると二人の横顔が向かい合っています。

この絵は有名ですから、どちらにも見えやすいと思いますが、「杯」だと思って見ているときは白い部分は「背景」となり、横顔には見えません。
ところが「横顔」だと思って見ているときは黒い部分が「背景」となり杯には見えません。両方の見方を素早く切り替えることはできるでしょうが、同時に2つは見えていないのです。

では、こちらの絵はいかがでしょうか?

seminar_picture_01.gif

女性を描いた絵であることはお分かりでしょう。ではその女性の年齢は?どんな女性?

「10~20代の可憐な若い女性」という答えと、「70代の魔女のような老婆」という答えに真っ二つに分かれます。
この2つの違う答えをした人同士、「なんで、そんな風に見えるの?」と言い争ってもしかたないのです。同じ部分をどう見るかが全く違うのですから。

♪ 「可憐な若い女性」と見た人は…
振り返った少女
向こうを振り返った少女のまつ毛が見えていて、首には黒いネックレスをしている…と見るでしょう。



♪ 「魔女のような老婆」と見た人は…
老婆
コートにうずくまった大きな顔、三日月のように鋭くとがった顎、うつろな瞳…と見るでしょう。

描かれている線、黒く塗られている面は全く同じですが、どの部分をどう見るかによって、全く違った見え方になります。

どんなに線を強調しても、部分を付け足しても、例えば「少女」と見た人が耳の部分にイアリングをぶら下げて描き足しても、「老婆」と見た人には涙のしずくのように見えてしまうなど、いったんそういう見え方をすると細かい部分までますます「それらしく」見えてしまいます。

人は、視覚から入ってきた情報を客観的に処理して判断していると思いますが、何らかの潜在意識をもって見ているということです。
同じ図形でもいったんそういう見え方をしてしまうと、よほど発想の転換をして違う見方をしてみようと思わない限り、なかなか別の見方が理解できない、ということですね。


<エッシャーの世界>

先ほどの「ルビンの杯」のように、同じ空間に表と裏がきっちりとはめ込まれた「反転図形」は、オランダのエッシャーという版画家の作品に数多く見られます。永久に流れ続ける水路や、いくら登っても元の高さに戻ってくる階段など「見え方の不思議」を数多く描いていますが、その中から「変転図形」のほんの一例を。

♪ 「天使と悪魔」
黒い部分を見るとコウモリのような姿をした悪魔、白い部分を見ると天使
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♪ 「馬」
右向きの馬の列と、左向きの馬の列
knight.jpg



日の出・日の入り

12月15日(月)


冬至まで1週間を切りました。みなさん暖かくお過ごしでしょうか?

毎朝、日の出の時刻が遅くなり、けさの東京の日の出は6時43分。ちょうど私が家を出るころに太陽が地平線から上ります。
家の近所では地平線は見えませんから、朝7時を回って山手線に乗ってようやく朝日を拝むことになります。


羽田日の出
<羽田沖の日の出:2012年12月 サイトより借用>


日の出の時刻はこれから年末~正月にかけてもう少し遅くなり、正月明けの1月3日~13日にかけての6時51分というのが一年でもっとも日の出の時刻が遅い時期です。

ちなみにこれは東京の日の出。沖縄で1月5日~21日の7時18分というのが日本でいちばん遅い日の出です。

一方、日の入りの時刻が1年でもっとも早いのは11月29日~12月13日で、16時28分。12月14日~16日は16時29分、17日~19日は16:30分…と少しずつ日没時刻が遅くなっていきます。

三軒茶屋キャロットタワーより(11月はじめごろ)
 三軒茶屋キャロットタワーより(11月初めごろ)



「冬至」は1年でもっとも昼間の時間が短い日ですが、必ずしも日の出の時刻が1年でもっとも遅く、日の入りの時刻がもっとも早いわけではないんですね。

「秋の日のつるべ落とし」と言われるように、秋になるとどんどん日没の時刻が早くなっていき、11月29日~12月13日までがもっとも早く、これからは2~3日に1分ずつ遅くなり「春」に向かっているのですね。

(日の出・日没時刻のデータは「各地のこよみ」より)


世界最小のラジコンヘリ

11月12日(水)

先日、旅先で深夜TVで観ていたNHK「まさカメ」で、「世界最小のラジコンヘリコプター」を紹介してました。現在ギネスブックに出ているのは全長8センチと言っていましたが、さらに小さいヘリが!

こちらは玩具メーカー「バンダイ」の子会社が開発した世界最小のラジコンヘリ、12月5日発売予定の「ピコファルコン」。機体の全長は6センチ以下!

小型ラジコンヘリ1 小型ラジコンヘリ2

携帯スマホの技術で、バイブ振動用の超小型モーターで2つの回転翼(ローター)を逆回転させることで機体に働くトルクをなくし、さらに本体の縦・横を感知して画面表示を切り替えるジャイロセンサーの機能を使って水平を自動的に安定させる…そんな技術の進歩から、高度なテクニックが要求される操縦が簡単になり、こんな小型のヘリが生まれたんだそうです。

私が2年前に購入したのが全長23センチ。これの4分の一ほどということになります。
→ 室内で飛ばせるラジコンヘリ


<夢は膨らむお話し>

しかし、ここまで来ると、もっと小型の、たとえばハエや蚊ぐらいの大きさまでできないだろうか、と考えてしまうのは私だけだろうか?

さすがにその大きさになると、モーターで翼を回転させるという発想から抜け出した方がいいかもしれない。だいたい自然界の虫たちに、翼を回転させて飛ぶ仲間はいない。みなさん羽を高速で振動させて飛んでいる。

ならば、たとえば水晶発振のクオーツで小さな羽を振動させて飛び、左右・前後・上下の動きをコントロールする機能をつけ、ハエ型の飛行ロボット「フライ」、姉妹機の「Bee」、さらに超小型の「マスキートー(蚊)」なんてできたら面白いんじゃないだろうか…?

「鳴かぬなら 飛ばしてみよう マスキートー」(←発想の転換)

しかし、大の大人が両手でコントローラーを操作して、ハエや蚊のようなものを真剣に飛ばす姿って…
殺虫剤を吹きかけられて墜落したりして…

皆既月食の晩の「お月見」

10月8日(水)

夕方6時半過ぎ、東の空に上った月で月食が始まりました。

三鷹駅前1三鷹駅前2

三鷹駅前の歩道橋には、スマホを手にした多くの人たちが見ていました。
ガラ携ではめいっぱい拡大しても「光」としてしか映りませんが、こんな感じで左下からかけ始めていました。

201112.jpg
2011年12月の月食

JRで新宿方面に向かう電車の窓から、前方やや右寄りにずっと見えていました。中央総武線が東中野までずっと直線で真東に向かっていることをあらためて実感!

渋谷に着いたころには白く輝く部分は右肩部分のみ。このあと「レッドムーン」になったはずです。欠けていく時の影は真っ暗なのに、全体が地球の影にすっぽりはいるとなぜか赤くなるんです、不思議ですね。

こちらの2枚は、フェイスブックの友人・久保さんから画像をいただきました。
わざわざ深大寺まで行かれたそうです。
レッドムーン1 
レッドムーン2

そしてもう1枚、やはりFB友達のジョーさんの知人が撮られた画像。
レッドムーン3

私が次に空を見上げたのは、バスで家の近所に着いた8時30分ごろ。赤い月の左上から再び白く輝きはじめていました。
雲が近づいてきてたので、「よし、早く帰ってこの状態をカメラに収めよう!」と急ぎ足で家に帰り、カメラを用意して屋上に上がった時は、空一面に雲が…

「雲隠れ」とはまさにこのこと。ところどころ雲の隙間があるので「よし、あそこから顔を出すかな」と狙っている所がまた雲でふさがったり、雲の進んでいく方向が微妙にずれたり…

1 2

たま~に雲の隙間から顔を出す月をパシャリ。でももう赤い月ではないようだ。

3 4 5

21時半すぎ、ようやく雲の切れ間ができ始めたと思ったら、もう完全に「ふつうの満月」。

まあ肉眼には焼き付けましたが、3年に1度の天体ショーをカメラに収めることは今回はできませんでした。前回2011年12月の皆既月食の様子は以前のブログ記事で。
→ 「皆既月食2011」


小学生にも分かる 「月食とは?」

月食を、固定したカメラで一定の時間を追って多重撮影した写真を見ると、月は東の空から南の空高くへと動きながら形を変えていく様子が分かります。

スカイツリーと月食 日経 WEB 2014/10/8

とても芸術的な素晴らしい写真ですが、こういう写真を見ても、どこに地球の影があって、そこに月が入って出てくる、という実感はわかないのではないでしょうか?



月は毎日東の空から昇って西の空へと動いていきます。これは地球が自転していることによる見え方(=日周運動)ですね。

その月も、ずっと同じ場所に止まってはいません。地球の周りをおよそ30日(1か月)かけて1周します。1日に角度にして12度ずつ東へずれていきます。
ですから次の日に月が東の空に昇ってくる時刻も南中する時刻も毎日50分ずつ遅くなっていきます。
ちょうど自分は回転木馬か衛星ジャングルジムに乗って回っていて(=地球の自転)、一人の友達がその周りをこちらの回転している方向にゆっくりと歩いている(=月の公転)ようなものと考えてください。こちらが一周してきた時、お友達はさっきの場所にはいないのです。

このようにゆっくりとながら月は動いてますから、太陽との位置関係で満ち欠けする月の形も変わります。それが月齢ですね。
ある日の夕方には三日月だったのが、翌日には少し太ってきて、2~3日すると半月に、そして1週間ほどすると満月になります。

でも月は、歌舞伎役者のように舞台袖で一気に変身して翌日の舞台に登場しているわけではなく、空に見えている間にも時間ごとに少しずつ形(=月齢)を変えているので、よ~く見ると東の空に昇ってきた月の形と、その月が西の空に沈む時の形とでは微妙に変化しているはずなんです。

でも、夜を徹して観察記録をつけるようなことは小学校でも中学校でもやっていませんし、ふだんあまり考えたこともないでしょう。

地球の自転によって月が東~西へと動いて見えるのとは別に、月が宇宙空間の中でゆっくり動いていることを実感できるのは、おそらく日食と月食の時ぐらいではないでしょうか?



月が、地球から見て太陽とは正反対の位置にある時、つまり満月の晩に月食は起こります。宇宙空間に伸びる地球の影(下の図の左側)の部分に月がゆっくりと入って出てくるのが月食ですね。

反対に図の右側、地球から見て太陽の手前に月がある新月の時に、地球から見て太陽の前に月が重なるのが日食ですね。

地球・月 参考:サイトより

でも、地球からみて太陽が年間を通してたどるコース(=天の黄道)と月の軌道は一致してませんから、新月のたびに日食が、満月のたびに月食が起きるわけではありません。何年かに一度の貴重な天体ショーなわけです。しかもその瞬間を日本で観られるかどうかも…

日食は、月が太陽の前をかすめる部分日食、あるいは太陽と完全に重なる皆既日食、いずれも太陽が欠けている時間は数分間です。

それに対して、宇宙空間に伸びている地球の影に月が入って出てくるのにかかる月食の時間は、今回およそ2時間半でしたが、どういうコースで影に入って出てくるかによって時間は異なります。前回2011年の時はもう少し長かったように記憶しています。たいてい月の左側(地球から見て東側)から欠け始めますが、地球の影から出てくるときにどんな角度で出てくるかによって見え方は変わってきます。

ともかく、月食が起きている間も地球は自転してますから、月食(=月および地球の影)の位置も地上から見ると東→南→西へと移っていくのです。
道路でかくれんぼしている子どもを列車の窓から見ているようなもの、と考えたらよいでしょうか。



前回2011年12月の皆既月食は日本時間の夜10時過ぎ~深夜にかけてだったので、一部始終を自宅で観測できましたが、今回はちょうど退勤~帰宅の時間帯だったことと、帰宅した時にちょうど雲に覆われてしまったため、単なる「お月見」になってしまいました。こういう日は朝からカメラを持って出勤するべきでしたね。

でもまあ、秋らしい夜風にあたりながら何度となく空を眺めて「月」を味わうことはできました。

◆次の月食は、2015年4月4日(土)、比較的早い時間からだそうです。


同期するメトロノーム

10月5日(日)

こんな実験をご存じでしょうか?
64個のメトロノームをバラバラに動かし始めるのですが…


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=4ti3d3ls5Zg

各メトロノームが刻むテンポは同じ速度に設定されていますが、動かすときは二人がかりで1つ1つをバラバラに動かしていきます。なのに…!!!


自然界の同期現象…

自然界には「同期現象」というのが色々ありますね。
われわれヒトの血流も、心臓の動きだけで全身に脈が生じているのではなく、身体全体に張りめぐらされた静脈のところどころにある脈が心臓の動きに同期することで全身に同時に強い脈が生まれ血液が運ばれます。また臓器も脈に同期することで身体のリズムが保たれていると言います。

シンガポールに生息するある種のホタルは、木にたくさんのオスが集まって初めはバラバラに光っていますが、しだいに光る周期が合ってきて、1本の木、あるいはマングローブ一帯がまるでストロボ光線を発するかのように一斉に光ると言います。
私はテレビ番組で見ただけで残念ながら生では見ていませんが、なんと幻想的な光景でしょう。

A4DBA4BFA4EB.jpg 観光サイトより


コンサートホールで、何千人もの観客の拍手の中で、誰からとなくアンコールを要求する「パン・パン・パン・パン…」と少し間隔をあけた拍手が聞こえると自然と全員が合ってきてひとつになります。何らかの刺激に反応して、みなが無意識のうちに合わせあうことで起こる同期でしょう。

でも、こうした何らかの刺激に反応する感覚や意思を持った生命体ならばともかく、感覚も意思も持たない機械が同期するのはなぜなんでしょう…?


同じ振幅による「共振」

先ほどのメトロノームの実験に関していえば、64個のメトロノームをもし「床」に置いたらおそらくこういうことは起こらないんじゃないでしょうか?

この実験では、床ではなく白いボード上に置かれていて、後ろの両サイドに黒い柱が見えていますが、ボードは完全にガッチリ固定されておらず、多少左右に揺れるようになっているようですね。

先ほどの動画の中ほど(=スタートから1分を経過したあたり)をもう一度よく見てください。
たまたまほぼ同時に振れているいくつかのメトロノームの重心移動がボードに伝わり、ボード全体がわずかながら左右に揺れ始め、そのボード全体の揺れが他のメトロノームにも伝わってしだいにタイミングが合ってくるように見えます。

中学校の理科や高校の物理の実験でありましたが、宙に貼った糸または木の棒に、同じ長さの糸で吊るされた重りを複数ぶら下げ、ひとつを揺らしてやると全体が揺れ始める…そう「共振」の原理です!

この実験ではおそらく1分間に138ぐらいを刻むテンポでしょうか、すべてのメトロノームの重りが同じ位置に設定されていて、その往復の周期とボード全体の横揺れの周期がちょうど一致しているため、このような共振が起きるのでしょう。

メトロノームたちがあたかも意思をもった生き物のように、全員仲良く一緒のリズムを刻み始めます。それこそアンコールを要求する客席の拍手みたいですね。

でも左から4列目の列(青)の向こうから2つ目のメトロノームは、いったん同じ周期に合うかに見えますが、しばらくすると他と違う動きにずれていってしまいます。
おそらく、はじめに設定した重りの位置が微妙に他と違っていたか、機械内部の不具合かによる誤差が共振できる範囲を超えてしまっているのでしょうね。


共振の恐ろしさ

64個ものメトロノームが全員一緒にリズムを刻む様子は愛らしいですが、これがもし自然災害の中で起こったら恐ろしいことが起こります。

かつてアメリカを襲ったハリケーンの強風によって、ワシントン州にある巨大な吊り橋(タコマナロー橋)で共振が起きてしまい、橋全体が大きく揺れてついに崩れ落ちるという災害があり、その貴重な映像が残っています。

1840年、Tacoma Bridge

http://www.youtube.com/watch?v=HA2nBIlZjzI&feature=player_detailpage

橋の設計者の間ではとても有名な出来事で、日本の本州と九州にかかる若戸大橋や本四架橋、東京のレインボーブリッジや横浜のベイブリッジなどのつり橋の設計では、「共振」が起きない設計がなされているそうです。

「刷り込み」からの脱却

「刷り込み」という言葉をご存知でしょうか?印刷のお話ではありません。

卵からかえったばかりのヒナが最初に目にした動くものを「お母さん」と思う現象を「刷り込み」といいますが、それだけでなく、何らかの情報作用によって「そう思い込んでしまうこと」を広く「刷り込み」と言います。
心理学で、あることを認識するのに、なんらかの情報が外部から与えられることによって、実際に自分の目・耳(五感)で得た情報や記憶がゆがめられ、あたかもそうであるかのように認識してしまうことです。

人は情報を得て処理する際に、全く白紙の状態で視覚や聴覚から得た情報を処理しているのではなく、前に見ていた情報、「これはこうであるはずだ」という常識、こうあってほしいと思う願望…といったさまざまな要素(=「構え」という)をもちながら情報を処理しているのです。

たとえば…
dog.gif

上の図はゲシュタルト心理学でも有名な一例ですが、視覚でとらえただけではただの黒と白のマダラ模様です。でもそこに「犬」という概念が浮かんでいると…
dog_2.gif
この絵を見る前に犬の画像をたくさん見ていたり、もともと犬が好きな人だったり… これが「構え」です。

前後関係や常識が、情報を処理する助けとなり、より深い判断ができることもあれば、先入観による「思い込み」から、見落とし・聞き洩らし、見まちがえ・聞き間違えなどのミスにつながることもあります。人間の不思議なところ、面白いところ、危険なところですね。

このような記憶や認識の曖昧さは、推理小説や刑事ドラマの証言などにもよく登場します。

また「くりかえし効果」によって、好みや価値観は人それぞれのはずなのに、気づかないうちに思い込みが生じることもあります。最近よく言われる「洗脳」も「刷り込み」のひとつでしょう。

国やマスコミがある意図をもって流す情報、あるいは情報を流さないことで、社会の多くの人を「洗脳」してしまう危険も指摘されていますし、歴史上の数々の事例でも明らかです。

しかしわれわれは実験室のサルではありません。そう思いたいですよね。
ならば、いかに自分の目と耳で得た情報を、自分なりに処理できるか…?


まわりの意見に流されやすい

昔(もう今から40年ぐらい前)、NHKで「生活の知恵」という番組がありました。身近なテーマを取り上げ、ちょっとした実験も取り入れながら司会とゲストがすすめる科学バラエティ、のちの「ウルトラアイ」や「ためしてがってん」の前身ともいえるような番組で、1957年4月18日から1971年3月24日まで、水曜日の夜7時半~8時に放送されていました。 私が幼少のころ~中学生までつづいた長寿番組です。

NHKアーカイブスより 「生活の知恵」
生活の知恵 

ある時その番組の中で、スタジオに集まったゲストたちにある絵を見せて覚えてもらう実験をやりました。覚えてもらったらその絵を伏せて、「さて、ポストはどっちに描かれてたでしょう?」と問いかけるんです。

最初に答えるサクラの何人かに「右だったと思います」と答えさせると、それに続くほかのゲスト(被験者)の多くが「右だと思う」と答えるんです。つぎに別のグループに同じ実験をやって、今度は最初のサクラに「左だったと思う」と答えさせると…

もともとその絵にはポストなんて描かれてないんです(何か赤いものが画面の片隅に描かれていたかもしれません)。 番組の中でただ一人、「ポストは本当にあったんですか?」と問うゲストがいたことを記憶しています。
いかに記憶は曖昧なものか、そしていかに周りに意見に流されやすいか…
なにせ小学生のころ観たテレビ番組ですが、印象深かったので鮮明に覚えています。


社会のあらゆる場面で

小学校の学級会でも、自分が違うと思っても、周りの多数(とくにリーダー的存在の人)がある意見を言ってまわりが「そうだそうだ」と同意すると、たとえそれが間違っていて自分は違うと思っていてもなかなか意見が出しづらいのではないでしょうか?

不条理ないじめが起きても、いじめられている子をかばうと自分がいじめられるから、見て見ぬふりをしたり、いじめる側に加担してしまう。よくある話です。

大人になっても、自分の意見を出すより前に「ほかの人たちはどう思ってるんだろう」が気になり過ぎる。それは気配りでも思いやりでもありません。自分の意見を持たない、出すのが怖いだけではないでしょうか?

それは今のネット社会にもそのまま表れているように思います。ある意見をもっともだと思っても、あまり多くが反応していない記事に「いいね」をつける勇気がない、など。

会社組織に属する人が、業務上知りえたことをネットで暴露することは道義的にもちろん許されることではありません。また所属する会社組織の方向に反対する(たとえば電力会社の社員が原発に反対するなど)はいくら個人的な意見とはいえまずいかもしれません。
でも、ひとりの社会の一員として、人として当たり前のことを表現する、社会で起きている不条理なことに対してなんらかの意見を述べる、ということがそんなに危険なことでしょうか?

リタイアした身でなければ社会に対して何も意見を出せない(→出さない→やがて感じない・考えないにもつながっていくでしょう)というのでは、いったい誰のための社会なんでしょうか?


少数派への思いやりこそ本当の民主主義

たとえ少数派でも見捨てたり潰しにかかるのではなく、「どうしてそう思うの?」と問いかけて皆で考えてみるようなことが教育の場で行われていたらどうでしょう?
なんでもかんでも多数決で決めてしまうことが民主主義だとは思いません。

多数派がある方向に流れているときこそ、少数派の声に耳を傾けることは重要ではないかと私は思います。 多数の意見、力のある人の意見に対しても、自分は違うと思ったら自分なりに表現できるように。

そういうしくみこそが、思いやりの気持ちも育てるでしょうし、自分自身の考えを構築する力、物事の本質を追及する目も育てるのではないでしょうか?

→ 「日本を、いや民主主義を取り戻す!」

 

割り箸の文化を残して

6月26日(木)


食べにくいプラスチック製の箸

かつてはレストラン、社員食堂などいたるところで割りばしが使われていましたが、自然保護運動が盛んになってからは割りばしに代わってプラスチック製の箸が主流になりました。

しかし、ラーメンやそば・うどんなどの麺類は、やはりプラスチックの箸では非常に食べづらく、私は割りばしを置いていない店では好きな麺類を注文することをためらうようになってしまいました。
麺類に限らず、丼ものの汁のしみ込んだご飯を先のとがったプラスチック製の箸でかき寄せることは非常に難しく、食べるのに大変苦労します。

出前もやっている昔ながらの蕎麦屋さんでは、「すみませんが割りばしをいただけますか」とお願いするとたいてい嫌な顔もされることなく出してくれます。やはりお店の人も、割りばしでなければ食べづらいことはよくわかってらっしゃるようですね。

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プラスチック製の箸でも、先端にざらざらの滑り止めが刻まれているものや、適度な太さを考えて作られているものはまだいいのですが、上の写真左に写っているような先端のとがったつるつるした箸は本当に困ります。 


割りばしは自然環境に悪い?

森林で木材を育てる成長過程で、密集化する立木を間引くことを「間伐(かんばつ)」といい、そこで切り出された木材を「間伐材」といいます。

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建築に用いるのはA材と呼ばれる太くてまっすぐの木材ですが、民芸品や合板、鉛筆や割りばしになるのはB材以下の間伐材で十分です。

間伐は、山の健康を維持し、よい木材を育てる上でも必要なことですが、間伐を行うにも、伐採した間伐材を山から運び出すにも手間と人件費がかかります。

全国どこでも、林業は非常に厳しい状況にあります。1本の木が建築材になるまで育てるには20年~30年という年月を要します。 なのに売り値の原価は1本せいぜい数万円。林業に従事する人たちの人件費、生活、採算性を考えたら林業は農業以上に厳しい産業といえるでしょう。

かくして後継者はいなくなり、輸入材に頼って国内の木材の需要そのものが衰退する。その一方、輸入材が大量に伐採されることによって地球の資源はどんどん失われ環境破壊が進む…

そんな中、せめて間伐材を有効に活用し、少しでも林業の現金収入にもつながるなら、日本の林業を守り支えることにもつながるのです。

「割りばしを使わないこと=自然環境を守ること」という認識は必ずしも正しくないのです。

<参考>

林野庁の公式ページ
http://www.rinya.maff.go.jp/j/kanbatu/suisin/

間伐材利用について
http://www.kokuyo.co.jp/csr/yui/kanbatsu/product.html


割りばしの文化を守ろう

それでも全国の食堂すべてが割りばしを大量消費したら、それこそ1日にどれだけの割りばしが1回限りで捨てられていくことになるでしょう?
そういう意味では、洗って何度でも使えるプラスチック製の箸が普及したことは決して無意味ではありません。

ただ、やはり麺類をはじめ日本の食文化にとって割りばしは欠かせないものだと思います。
食べづらいプラスチックの箸で丼ものを食べようとすると、具でご飯を集めて口にかきこんだり、麺類を「すくい箸」のような変な持ち方で食べるようになったり、うっかり麺を汁の中に落下させて隣の人の服を汚すこともあります。これは日本の箸の文化・食文化の崩壊です。

私は以前、社員食堂でどうしても麺類を食べたい時には、前もって買っておいた「マイ割りばし」をポケットに忍ばせて行ったこともあります(笑)。

提供する食事に応じて、割りばしの文化も大切に残してほしいと思います。 
むしろ、使用済みの割りばしをきれいに洗って、粉砕して別の用途に活用する、といったことを考えても良いのではないでしょうか?



 

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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