♪見上げてごらん夜の星を

8月13日(木)

♪「見上げてごらん夜の星を」

きのう、日航機が御巣鷹山に墜落した事故から30年。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
あの事故で亡くなられた一人に、歌手の坂本九さんがいました。

坂本九さんと言えば「上を向いて歩こう」とならんでこの「見上げてごらん夜の星を」が私の子ども時代の思い出の中にしっかり刻まれています。
土曜の夜10時から放送していたNHKのバラエティ番組「夢で逢いましょう」の中でもよく歌われていました。

1963年(昭和38年)といえば、東京オリンピックの前の年、私がまだ幼稚園の時です。

下の娘もまだ小学校に上がる前に、なぜかこの歌を覚えて、私のピアノの脇で歌ってくれてました。

素敵な歌詞とメロディは時代を超えて…

前期のレッスンの中で少しお洒落なリハーモナイズを池田先生にレクチャーしていただいたメモをもとに、楽譜に起こしてみました。

見上げてごらん夜の星を


♪「山河」から思う ~日中の架け橋~ 

8月10日(月)

五木ひろしさんの歌う「山河」(小椋佳作詞、堀内孝雄作曲)という曲をご存知でしょうか? 私は大好きな曲のひとつです。

男女の恋の歌もいいですが、こういう人生のスケールを感じさせる歌、人間愛をテーマにした歌は、美しく説得力もあるので惹き込まれますね。歌い込むのは難しいですが…笑


この曲は人生を山河に喩えた内容だと思ってましたが、カラオケでは前奏部分に中国語のナレーションと二胡の音が入り、中国の大地の風景が映し出されます。
もしかして山崎豊子さん原作でドラマ化もされた「大地の子」(中国残留孤児の半生を描いた長編)と何か関係あるのかな?…と、前から気になっていたので、サイトで検索してみました。

とくに歌の背景として日中関係に関するものは見当たりませんでしたが、私がなんとなく「中国」をイメージした版に近いオリジナルの音源を見つけました。


https://www.youtube.com/watch?v=nbHKhrz3Zzg&feature=player_embedded

この曲は、五木ひろしさんが、なにか大きな曲、残る曲といった「特別な曲」として依頼し、作詞者の小椋佳さんが中国を旅して浮かんだイメージから生まれたようで、前奏に中国語の語りや胡弓が入るなど中国のイメージの編曲になってるようです。

また、検索していたら、Yahoo知恵袋でこんな質問を見つけました。
→ 
「山河」は特攻隊をテーマにした歌ですか?

質問者いわく、「ある知人が、この歌は特攻隊をテーマにした歌なんだよ、と人前でバカにされて恥ずかしい思いをした」と。

私は「ん?、もしかして?」と、ある別の曲が浮かびました。
知恵袋のベストアンサーに選ばれた回答は残念ながら私ではありませんが、質問文を読んで私が感じたこととまったく同じだったので、思わずシェア!

おそらく質問者の知人(←生半可な知識と勘違いで人を傷つけてはいけませんね!)が勘違いしたと思しき曲は、谷村新司さんの「群青」…?
はい、こちらもいい曲ですね。

昭和56年の映画「連合艦隊」の主題歌ですが、たしか1992年だったか、終戦記念日特集でテレビでも放映されました。
お父さん(財津一郎)が戦艦大和の乗組員で、息子が特攻隊「神風」の乗員。父親よりも息子が先に逝くのか…という切ない歌詞。内容は重いですが、とくにこの季節、カラオケに行くとつい入れてしまう一曲です。


さて、「山河」を聴いて、私が「もしかして中国残留邦人(孤児)となにか関係があるのかな?」と思ったのにはちょっとわけがあります。ちょうどこの季節でもありますので、お付き合いください。


中国残留邦人(孤児)とは?

間もなく終戦の日。中国残留孤児は、1945年の8月9日(長崎に2発目の原爆が落とされた日)にソ連が参戦し、満州国にもソ連が侵攻を開始しました。関東軍は慌ててトラックや列車を調達して撤退を開始。

その際に、生まれて間もない幼子を連れて移動することがどうしてもできず、身を切る思いでわが子を現地に残して命からがら逃げた人も多かったと聞きます。その子どもたちを中国人が拾って育ててくれた…


満州国は1931年9月の満州事変の後、日本から32万人もの開拓民を送り込んで築かれた国(ある意味理想郷を目指していた)。
一方、1937年の支那事変をきっかけに日中戦争へ。アメリカと戦争状態に入る4年も前から、日本と中国は敵国同士だったわけです。

そして1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎え、満州国も幻のように消滅します。

それから残留孤児たちの苦難の人生が始まります。「日本人」であることで、学校にも通えなかったり、まわりから「敵国の子」として差別やいじめを受けたり…

時代を経て、田中角栄内閣の1971年、日中国交正常化が実現すると、肉親捜しに多くの残留孤児たちが日本へやってきました。
代々木のオリンピック青少年センターに宿泊し、幼いころの写真、名前(置き書きがあった場合)、親と別れた場所(およその地図)、体のどこかに目印でしょうか、付けられた傷ややけどの跡など、来日した一人一人の特定につながる情報をNHKが専用枠で放送していたのを、私も中学生~高校生にかけて何度となく観ました。

育ててくれた中国の養父母にはもちろん感謝しつつも、やはり自分を生んだ本当の親に会いたい、日本の土を踏みたい…

限られた滞在日数の中で、肉親と巡り合えて抱き合う姿もあれば、すでに肉親は亡くなっている、もしくは何らかの事情があって名乗り出ることのできないなどで肉親と会えないまま帰る人…

幸い日本で肉親と巡り合えた人たちも、日本へ移り住んでも多くの苦悩があったはずです。まず言葉の壁。さらに年金に加入できない、仕事が見つからないなど…

戦争の傷跡はこのように何十年も残るものなのですね。


中国人って嫌いですか?

何年か前、中国の仏山で起きた幼女のひき逃げ事件を覚えていますか?
2歳の悦悦ちゃんが車にひかれ、道路に横たわっているのに、10人以上の通行人がまったく知らんぷりをして通り過ぎ、さらに何台もの車にひき逃げされるところが防犯カメラに写っていて…

とても衝撃を受けましたが、サイトには「中国人って最低」みたいな書き込みが溢れました。

でももともと中国は儒教の国。日本も中国から多くの文化を学んできたはず。なぜ中国はこんな国になってしまったのか…?
私はその時こんなブログ記事を書いています。
→ 中国・仏山ひき逃げ事件

まだブログをはじめて間もない頃、関連記事を3つほど書いてますが、そこでも私は中国の善意の歴史、中国残留孤児のことを書きました。

満州国はある意味「理想郷」で平和だったかもしれませんが、先ほども書いたように日中は敵同士。
その敵国の人たちが置き去りにしていった子供を、わが子のように育ててくれたんです。
残留孤児の正確な数は分かりませんが、中国で養父母となってくださった方たちがそれだけいらっしゃったということですね。

私は戦争問題の研究者でもなければ、とくに調べたわけでもないので間違っていたら申し訳ないのですが、人類がこれまで繰り返してきた国と国との戦争。その戦時下において、これほどの美談があるでしょうか?



中国というとみなさんは何を思い浮かべますか?

4千年の歴史、漢方、カンフー、中華料理…etc. いいですね~

でも逆に悪いイメージとして…
行列に割り込んでくるなどマナーが悪い、飛行機内でも電車内でもグループになってうるさい、汚い、偽ブランド品を作って売る…
さらに国として見ると、事故を起こした車両を地面に埋める、PM2.5、「爆買い」、南シナ海での国際的なルールを無視した埋め立て、何をするか分からない国…etc.

地球規模で見ても人口がダントツに多く、世界各地にチャイナタウンを作るなど生命力の強さは感じますから、一歩間違えれば横暴なこともあるでしょう。また急成長による貧富の格差の拡大、経済成長の陰でのモラルの歪み…中国には中国の問題もたしかにあるでしょう。

でも、他国である日本から、中国人だけを特別に悪く言う資格があるでしょうか?日本人のマナーだって低下しているし、おかしな事件も毎日のように起きてます。10羽ひとからげに「中国は嫌いだ」などとは言いたくありません。

日本人だからとか中国人だからではなく、やはり「人」として「恥じることない」生き方をしているかどうかだと思います。

最近は、まるで中国を「仮想敵国」「脅威」の象徴でもあるかのように見て、チベット問題などを例に挙げ、日本も集団的自衛権を持つべきだ、というお考えの方もいらっしゃいます。
私は軍事評論家でもないので良くわかりませんが、もし「脅威」から身を守ることを考えるなら、まずは個別的自衛権(=防衛)をしっかり構築してから論ずるべきだと思うのですが…。


まあ、ここではそういう論争はやめて、「山河」の歌詞から…

「顧みて 恥じることない足跡を 山に残したろうか
  永遠の 水面の光 増す夢を 河に浮かべたろうか
   愛する人の目に 愛する人の目に 俺の山河は 美しいかと」

そしてもうひとつ、私の好きな中国の言葉を紹介しておきます。

「我為人人、人人為我」(私はみんなのため、みんなは私のため)


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木綿のハンカチーフ

5月5日(火)

深夜に模型を作りながら、よくFMを聴いています。
今年は放送70周年ということもあり、昭和の懐かしい歌謡曲が流れます。

年代ごとの代表的な歌謡曲をあらためて聴き直してみると、自分が何歳ごろだったか、その頃どんなことがあったか…音楽って当時のことを鮮明に蘇らせてくれますね。

ところで、懐かしい歌をあらためて聴いてみると、いろいろ気づくこともあるものです。


♪「木綿のハンカチーフ」

1975年12月に太田裕美さんの4枚目のアルバムとして発売され、最大のヒットとなった代表作です。高校を卒業して予備校生活(浪人)を送っていた時によくFMから流れているのを聴いていました。

♪「恋人よ、僕は旅立つ、東へと向かう列車で」

当時はまだ東北・上越新幹線はありませんから、東へ向かう列車といえば東海道・山陽新幹線を思い浮かべます。どこか地方から、東京か名古屋か大阪あたりに出てくる…そんなシチュエーションですね。

私も、父の転勤で関西・名古屋で小中学生時代を過ごし、高校受験を翌年に控えた中学3年のとき、父の赴任先・広島を離れて、東京の祖母の家に出てきました。
実際の「ふるさと」ではありませんが、「東へと向かう列車」に乗るときの希望に胸を膨らませてわくわく、ちょっとドキドキする気持ちはよく分かります。

さて…

1番、2番、3番と、彼は都会での華やいだ生活に心はずませながらも、故郷にいる彼女のことを思い出しています。今のようにネットもメールもありませんから、おそらく手紙か、せいぜい電話でしょう。

1.「華やいだ街で、君への贈り物、探すつもりだ」
2.「都会で流行りの 指輪を送るよ、君に似合うはずだ」
3.「見間違うようなスーツきた僕の写真を見てくれ」

2番は「半年が過ぎ、会えないが泣かないでくれ」、3番では「今も素顔で、口紅もつけないままか」と、彼が都会の生活に馴染むにつれ、彼女への想いに少し変化が起きていることに気づきます。
それが4番では決定的になり、「恋人よ、君を忘れて 変わっていく僕を許して 毎日愉快に過ごす街角 僕は僕はもう帰れない」…と。
そこで、彼女は最後の贈り物に、涙ふく「木綿のハンカチーフ」をねだるのですね。

このストーリー、何度聴いても彼女が可哀想に思えますね。都会での華やいだ生活に染まって彼女から離れていってしまう…明るいメロディでリズミカルなんですけど、それがよけい哀しさをそそりますね。

華やかだけど、空気も人も冷たく、競争の激しい都会よりも、自然豊かな田舎暮らしも捨てたもんじゃないのに…高度成長への反省も込めて聞けば聞くほど、彼女が可哀想に思え、都会に染まって離れていく彼が許せない…そんな気持ちでずっと聴いてきました。



でもあらためて1番から3番まで、後半の彼女からの返事の部分を見てみると…

1.「いいえ、あなた、私は欲しいものはないのよ、ただ都会の絵の具に染まらないで帰って」
2.「いいえ、星のダイヤも海に眠る真珠も、あなたのキスほど輝くはずないもの」
3.「いいえ、草に寝転ぶあなたが好きだったの (ただ木枯らしのビル街 身体に気をつけてね)」

彼女の言うことはけなげで純粋なんですが、すべて「いいえ」で始まっていますね。
曲は、前半明るい調子で進みますが、ここでちょっとマイナーコードになります。

彼はともかく都会に出て、新しいことにもチャレンジもしたいし、夢もあるのでしょう。それを彼女に伝えたい、認めて欲しいのです。なのに、彼女の答えはいつも「いいえ」の否定形の答えばかり。

2番なんか「あなたのキスより輝くはずないもの」なんてかなりドキッとするような内容ですし、3番も彼の健康を思いやる彼女の優しさが出ていますが、彼が伝えたいのはそっちじゃなくて、都会で元気に楽しく過ごしている自分の姿を認めて欲しい、少しは褒めて欲しいんですね。



せっかくの彼からのプレゼンテーションをすべて否定して、ただひたすら帰ってきて欲しい、でも身体には気を付けてね…

自然ゆたかな田舎暮らしで、草に寝転んで、素顔のままで、ずっと仲良くしていたい、もういちど帰ってきてほしい…そんな彼女の純粋で切ない気持ちはもちろん分かります。
でも、ずっと昔のままの彼でいて欲しい、ただただ帰ってきて欲しいと願うだけで、彼の夢を認めたり、自分もちょっとそこに近づいて見よう、追いかけてみよう、覗いてみよう、というところがないのです。

極端な解釈をすれば、彼からすれば「今」も「未来」も否定され、ただ「過去」に戻ってきてくれることだけを待たれている…自分はどんどん変化しているのに、彼女はまったく変わろうとしない…彼の心がだんだん離れていくのも無理ないでしょう。

彼女だけが一方的に悲劇の主人公なのではなく、そんな彼女から次第に心が離れていってしまう自分がもどかしく、哀しかったに違いありません。

たまには、都会の話を聞かせて欲しいとか、一度遊びに行こうかなとか、いまなら東京スカイツリーに連れてってとか、大人の雰囲気のお店に連れてってとか…それができる彼女だったら、きっと木綿のハンカチーフは要らなかったんじゃないかと…

ちょっと大人になって、男女が理解し合うのは本当に難しいものだな、相手がいま望んでいることを少しは分かろうとしなくては…なんてつい思ってしまうオジサンからの余計なお世話でした(笑)






♪ So in love ~日曜洋画劇場のエンディングテーマ~

3月7日(土)
★耳コピの楽譜を<追記>にアップしました。


2月16日(月)

かつて「日曜洋画劇場」で、淀川長治さんがその日の映画を振り返り、次週の予告、そして例の「さよなら、さよなら、さよなら」で結んだ後に流れていたあの曲… 

→ 日曜洋画劇場エンディング(オンエア版)


→ オリジナル音源(全曲版)


もの哀しくも美しくあふれ出るようなピアノ協奏曲風の曲。ラフマニノフのような、あるいはアディンセルの「ワルソーコンチェルト」のような…
でもクラシックの曲名でいろいろ調べても分からず、年月が流れました。

2年ほど前、たまたまジャズのライブでこのメロディが流れたのです!
アレンジは全く異なり、ピアノ・ベース・ドラムスによるスローなバラードでしたが、メロディやコード進行は同じ、「あ、この曲!」
休憩に入ったとき、「さっき2曲目で演奏されたのは、なんという曲ですか?」とピアニストに尋ねたところ、タイトルを教えてくださいました!

♪ So in Love

曲の題名で検索したところ、
<1948年、コール・ポーター作曲の歌。ミュージカル『キス・ミー・ケイト』(Kiss me, Kate)の劇中歌として作曲された。ミュージカルで、パトリシア・モリソン(Patricia Morison)が歌ったのが最初> 
とありました。

ライブで聴いたピアノ・ドラムス・ベースのトリオでのイメージに近い演奏がこちら…
 ♪ Roland Hanna Trio


歌が入ってボサノバ風なのがこちら…
 ♪ Kiri Te Kanawa

アレンジやテンポが違うと、こうも雰囲気が変わるものなんですね。

冒頭に紹介した「日曜洋画劇場」のエンディングでは、冒頭から1分ほどの間に提供の案内が入ってフェードアウトしてましたが、1966年~2003年までの長きにわたって使われていたようです。
まだ私が若いころ、両親が健在だったころの日曜の夜が懐かしくよみがえってきます。

曲の題名が分からないまま、思い出の片隅に埋もれている曲、みなさんの中にはありませんか?


<追記>

冒頭にご紹介した「日曜洋画劇場」のエンディングに流れていたピアノコンチェルト風のアレンジをまねて学校のレッスン室で弾いていたら、ドアをノックする音が。
「私、この曲好きなんです! 楽譜があるんですか?」と聞かれました。嬉しい訪問でした。

最近「耳コピ」といっても真面目にすべての音をおたまじゃくし化しませんが、メロディラインの下にコード名、そしてどうしてもある音を入れたい所だけメモ的に入れる程度。こんな楽譜でよろしければご参考までに。

So in Love 1 20150309154546f57_20150414134122c5a.jpg

★クリックすると大きな画面でご覧になれます。


G線上のアリア

2月14日(土)


ヨハン・セバスティアン・バッハの「管弦楽組曲第3番」(BWV1068)の第二楽章「ARIA」が原曲。♯2つのDdur(ニ長調)で書かれています。

こちらはもっともよく聞く弦楽四重奏の楽譜(前半のみ)

ARIA BACH
これをのちの1871年に、アウグスト・ウィルヘルミがヴァイオリン独奏(ピアノ伴奏)用に編曲した際に、ひとつ下のハ長調に移調し、ヴァオリンの4本の弦の中で奏者からも見て一番左にあるG弦(=最も低い音の弦で開放で下の「ソ」の音)1本だけで演奏できることから「G線上のアリア」と呼ばれて有名になりました。

バッハがオリジナルの「管弦楽組曲第3番」を書いたのは、最近の研究によってライプチッヒ時代(1725~1750年、ちょうど『マタイ受難曲』が書かれた時期)と言われています。ウィルヘルミは150年ほどのちに編曲したことになります。



◆私の思い出の1曲

小学校の高学年を過ごした名古屋の小学校で、放課後に校庭で遊んでいて下校時刻がせまると「さあ、みなさん、気をつけて帰りましょう」と流れていた曲がこの「G線上のアリア」でした(ほかにシューマンの『子供の情景』から「トロイメライ」なども)。

大人になって、遊びでフルートをはじめて、運指を覚えて早々にまず吹いてみたのがこの「G線上のアリア」でした。

こういうゆったりした曲は、指の速い動きこそありませんが、息継ぎ、息づかい、フレーズ感、コード進行の色変わり、さらにバッハの時代にはfやpの強弱記号はありませんが、音楽的な流れでの強弱の表情は当然ながらあります。なかなか奥深い曲です。

最初に覚えたのはウィルヘルミ編曲のハ長調でしたが、最近はオリジナルのニ長調でも吹いてみています。2度上がるだけですが♯系の明るさ・解放感のようなものを感じますね。



じつは…隠れフルート

あまり口外はしてきませんでしたが、実は私はフルートも大好きなんです。
オーケストラで倍率の高いフルートの席に座らさせていただけるほどの技量はありません。あくまで遊びレベルですが、ピアノもティンパニも持って行ける楽器ではないので、手で持ってどこへでも行ける楽器にずっと憧れていたんです。

いまから20年以上前に知り合いからタダ同然で譲り受けたNIKKAN(現在のYAMAHA、昔よく中学のブラスバンドで使用)のフルートを愛用してきましたが、少し鳴るようになってくるともう少しちゃんとした楽器が欲しくなりますよね。

いまから8年ほど前、かみさんが娘2人を連れてクリスマス~新年にかけてイギリスの知人宅へお邪魔することに。長期休暇が取れない私はひとり(亡き父と)家で留守番。
そこで「イギリスまでの往復の航空運賃って大人ひとりどのぐらい?」とかみさんに尋ね、「じゃ、その範囲内で…」と交渉成立させて買ったのがこのフルート。 いちおう管体は銀で、あこがれのオープンキイです。

フルート



その人ごと、人生に合った曲のテンポ

このバッハの「アリア」は長調ですので、あまり遅すぎるまったりした演奏よりも若干流れを感じられるぐらいのテンポが私は好きです。オリジナルの弦楽合奏ならともかく、私レベルのフルートでは息の長さにも限界がありますし…(笑)

ところで、同じバッハで無伴奏フルートのための『パルティータ』(イ短調)という名曲があります。

以前、フルートの巨匠ランパルが晩年、この2曲目「クーラント」を、驚くほどゆったりしたテンポで吹いているのを何かの音源で聴いてとても感銘を受けました。
フルートを演奏する人なら誰でもほぼ間違いなく一度は吹いてみる曲で、私もこの2曲目クーラントは我流ながらよく覚えています。

クーラントとはもともと舞踊形式のひとつで4分の3拍子、耳慣れているのはそれなりの流れに乗ったテンポのものが多いのですが、ランパルはまるで自分の人生をかみしめるように、一音一音を大切に語りかけるように吹いていました。

若いころに「練習曲」として奏でる耳慣れた曲でも、たとえばゆったりしたバラード風にアレンジ(編曲)すればまったく違う曲の味が出るように、一人ひとりの奏でる曲は一期一会のオリジナルなんですね。クラシック音楽は楽譜に忠実でなくてはならない世界と思われがちですが、生の演奏にはテンポをはじめその人なりの「即興」(一期一会の音)の要素が必ずあるものだと思います。

曲のテンポは決して絶対的なものではなく、その演奏者ごとに、その時々のもっともふさわしいテンポがあると思うのです。

オーケストラの中で打楽器をやっていると、指揮者の決めるテンポは絶対です。その中で皆が一体とならなくてはいけませんし、それが大規模なオーケストラの魅力でもあるわけですが、同じ交響曲でも指揮者によってテンポも曲の解釈も異なるのは当然です。

例えばベートーヴェンの有名な交響曲5番「運命」の4楽章の明るいAllegroでも、軽快に速い演奏もあれば、「え!」と思うほどゆったりしたテンポの演奏もあります。ただ、テンポが遅い=まったり間延びした音楽ではなく、AllegoroにはAllegroの推進力というかエネルギー感はあるので、どっしりとした重量感が出てきます。

よくわれわれは、AllegroとかAndante、Moderatoといった表記を「速度指示」だと思い込み、メトロノームに合わせて「これぐらいのテンポ(速さ)でなくてはいけない」などと思いがちですが、音楽に求められるテンポは絶対的なものではなく、その演奏家なりの表現にもっともかなったちょうどいいテンポというものがあるんじゃないか、と。

ですから、演奏家の技量、年齢、演奏する空間で、いまそこにいる聴衆に、「この曲をどのぐらいのテンポで演奏したらよいか」が的確に把握できたら、その演奏はきっとほぼ成功したと言えるのではないでしょうか?



年齢を重ねるごとに、テンポ感も若い時よりも少しゆったり気味がちょうどよく感じられるようになります。
テンポを遅くすることで、それなりに息遣いを工夫しなくてはならなくなったり、それまでは途中経過の中で何気なく通り過ぎていた1音がすごく重要に感じられるようになったり、新たな発見もあります。

私もまだそれほど人生を知り尽くすようなレベルではありませんが、年齢相応に、思い出の曲とも長く付き合っていけたらいいなと思っています。


シューマン ヴァイオリンソナタ第一番 イ短調

9月23日(祝・月)

人間だれしも疲れる時、落ち込む時、忙しさに心が乱れる時はありますよね。
そんな時にいきなり運動会でよくかかるような“闘士をみなぎらせる音楽”はいけません(笑)

疲れている自分、心の中に波が起きている自分自身をまずは受け入れる。
そんな時に、もしかしたらこんな曲はいかがでしょうか?

音楽療法のリラクゼーションという授業でたまたま話題に出た曲から…


♪シューマン ヴァイオリンソナタ第一番イ短調(作品105)

1850年にシューマンはデュッセルドルフ市の音楽監督に就任し、同じ時期にチェロ協奏曲や交響曲第3番などが次々と作曲され、翌1851年には交響曲第4番を改訂するなど常に多忙をきわめていました。
そんな時期に作曲されたこのヴァイオリンソナタ1番(イ短調)。

さすがピアノのシューマン、ピアノが単なる伴奏というよりも時に主役のようにさえ感じます。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=RmkMz7PK1b4

ただ、この時期のシューマンは、多忙を極めていただけではなく、幻聴によって「常にA(ラ)の音が聴こえる」と悩んでいて精神的にもかなり不安定だったといいます。

幻聴で聴こえる「ラ」の音をベースとしたイ短調でこの曲は書かれたのです。どことなくブラームスのようなむせび泣く旋律、何かにぶつけたくなるような内なる波が次々にこみ上げて絡みつくように聴こえませんか?

この曲を聴いたあとで、同じシューマンのピアノ曲『子供の情景』、その中でもとくに有名な「トロイメライ」なんかを聴きながら静かに眠りに就くのもいいかもしれませんね。


「英雄」と「皇帝」

9月16日(祝・月)


ある知人がフェイスブックに書かれていた話題から…

楽譜を購入する際に、ベートーヴェンの交響曲3番「英雄」と、ピアノ協奏曲5番「皇帝」を間違えて手渡されたというエピソード。

欲しかったのはピアノ協奏曲5番の「皇帝」だったのに、楽譜売り場で最初に手渡されたのが交響曲3番の「英雄」で、「あの~欲しいのは『皇帝』なんですけど…」と伝えると、店員さんいわく、「皇帝は英雄ですよね」…となんとも意味不明の対応だったとか…(笑)

いやいや、ベートーヴェンのこの2つの曲の勘違いは放送の世界でもけっこうあり、決して笑えないんです。

交響曲3番「英雄」は通称「エロイカ」、ピアノ協奏曲5番「皇帝」は通称「エンペラー」とも呼ばれます。 どちらも、いかにもイカに関係の深い名前ですよね…ってそういう話じゃなくて…失礼(笑)

どちらもE♭(変ホ長調)ですし、どちらもナポレオンを称えて書かれた曲です。
交響曲3番「英雄」が作曲された1804年はナポレオンが即位した頃、ピアノ協奏曲5番「皇帝」はその5年後の1809年、ナポレオンがウィーンを占領した年に着手され翌年に完成。

おそらくベートーヴェン自身も、意識して同じ調で書いたのではないかと私は思っています。
ナポレオン=皇帝=英雄で、音の高さはE♭(ミ♭)なんでしょうね。



ちなみにベートーヴェンって、曲を書くときに何調で書くかに大変こだわりをもっていたのではないか、あるいは何か運命的なものに支配されていたのではないか、と思いたくなります。

交響曲5番「運命」とピアノソナタ「悲愴」は、どちらもハ短調(=ドから始まる暗い調)で書かれています。このハ短調は、耳の病に犯されたベートーヴェン自身の運命・悲劇の調です。

そして交響曲5番と同じ時期に平行して書かれていた交響曲6番「田園」ヘ長調(=ファからはじまる明るい調)ですね。
これは散歩の好きだったベートーヴェンが、美しい田園風景の中を歩きながら、木々に揺れる葉の擦れる音や小川のせせらぎ、清々しくわたってくる空気を肌で感じ、たとえ耳が聞こえなくても作曲家として生きていけることを確信できた「安らぎ」の調ではないかと私は思っています。

ドラマ「のだめ」ですっかり有名になった交響曲7番とやはり同じ時期に平行して書かれていた交響曲8番も「田園」と同じヘ長調で書かれています。

しかも、8番の「8」へのこだわりでしょうか、曲の中にやたらとオクターブの音がたくさん出てきます。ティンパニでさえ「F(ファ)」上下のオクターブなんですよ!
「安らぎ」にちょっとパロディまで入れる余裕さえ出てきたのかな、とも感じられます。
そして最後の交響曲「第九」は…?



あと、交響曲1番はハ長調(=)で書き、2番はニ長調(=)で書き、3番「英雄」は変ホ長調(=ミ♭)で書き…

ベートーヴェンの曲と調の関係には、なにか隠されたストーリーというか、ミステリーというか、運命的な何かを感じますね。



ショパン Balladeバラード(Op.23)

8月25日(日) 2nd


雨が降ったり止んだりの日曜日。夏休み前半はけっこう週末ごとにハードに動いたので、こういう日はのんびりと「雨読」。
下の娘とショコラが気持ちよく眠る脇で、久々のショパンです。

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この画像では何の曲か分からないでしょう?
「Ballade バラード(作品23)」です。
いきなり弾いても腱鞘炎になるような激しい超絶技巧は出てきませんが、ショパン独特の「色変わり」を大切に!

<楽譜1>
1

冒頭はゆったりとしたラルゴ。A♭の長調を思わせる明るい上昇系ですが、モデラートに入って2小節目から、記譜どおりの「ト短調」になります。
「Gm」なんてコードを書き込むなんて、ジャズじゃあるまいし…(笑)。でも、ここでは何の音がベースになって、どういう響きか、とコード進行で捉えてみるのって面白いし、大切なんです。
 
まずここまでの導入部が泣かせるじゃありませんか。あまり勿体つけることなく、でも決して激しくない「よどみ」と「間」がショパンなんです。

この第1テーマが展開していって、この楽譜でいうと3ページ目に明るい第2テーマが出てきます。

<楽譜2>
3書き込み

ところが、随所に出てくる「A(ラ)」にはことごとく♭がついています。記譜の調でいけばB♭dur(変ロ長調)のはずなんですが、なぜか5度下の「E♭dur」(変ホ長調)です。

そしてPPの旋律がrallentandして(やや遅くなって)、ふたたびa tempoで最初のテーマが再現されます。ところが…

<楽譜3>
4書き込み

あれ?最初に出てきた高さよりも1音高いA moll(イ短調)です!

そして今度はわりとすぐに明るい第2テーマが出てきますが、こちらも先ほどの高さより4度も高いA dur(イ長調)で書かれています。
1回目に出てきた第2テーマを4度上げたというより、再現で出てきた第1テーマのイ短調をイ長調に変えたというべきでしょうか?
こういう色変わりというか色使い、いかにもショパンですね~

「色変わりはいいけど、どこかで最初のト短調に戻らなきゃならないでしょ?どこでどうなって…?」

はい、詳しく書いていくと長くなってしまうので…
さきほど「再現」と書きましたが、本当の再現部はもっと後に出てきます。ところが再現の仕方がちょっと変わっていて、明るい第2テーマが先に最初の高さ「E♭dur」(変ホ長調)で出てきて、そのあとに第1テーマが最初と同じ「G moll(ト短調)」で戻ってきます。

そして最後はちょっと激しい上昇・下降のカデンツ風な終わり方をしていて、「刑事コロンボ」でも使われたことがあります(第30話「ビデオテープの証言」)。

いまはYoutubeという便利なものもありますので、興味のある方は検索して聴いてみてください。これから秋に向けてピアノリサイタルも多くなるでしょうから、どこかで生で聴ける機会もあるでしょう。明暗、テンポの揺れ…いかにもショパンらしい作品と言えるでしょう。

ここでちょっと久々に…

私の音楽ノート

ショパンの曲にはよく「tempo rubato(テンポ ルバート)」というのが出てきます。「ルバート」は直訳すると「盗んで」ですが、「テンポを自由に揺らして」という意味です。
いちいち細かく「ここで遅く」「ここで速く」といった指示はありませんが、音楽全体の流れを壊すことなく、個々の音を伸ばしたり縮めたりして、曲想に応じてテンポを自由に揺らすことですね。

また、この「バラード」では「rallentand(ラレンタンド)」という表記が随所に出てきます。
rallentandやrit.(リタルダンド)を「だんだん遅く」「やや遅く」、そして「a tempo」を「もとの速さで」と音楽の授業で習いましたが、それだと音楽の流れというか魂が感じられません。

音楽の表示って、道路標識とちょっと似ています。道路標識を気をつけて見ることはとても大切ですが、標識だけ見ていたら運転できませんね。基本的な指示は守りながら、安全で、しかも道路の状況に応じた自然な流れとメリハリのある運転ができるかどうか…?

rallentandやrit.でただ機械的にテンポを遅くして、「a tempo」でもとのテンポに「戻す」だけじゃダメだと思うんです。
 
「a tempo」という表示が出てくる場所って、たいていそこからまた新しい音楽が始まる、あるいは最初のテーマが懐かしく戻ってくるような場面に多いのではないでしょうか?
そのために少し前から「よどみ」を作って、少しためらうように、そして「a tempo」では懐かしさも込めてふたたび活き活きと…そんなニュアンスがぜひ欲しいところですね。



プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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