権利=授かったものへの感謝から

7月30日(木)

真夏の夜に帰宅するバスでふと思ったことを綴ります。


◆「権利」とは?

バスでも電車でも、運賃を払えば「乗る権利」が得られます(乗車権?…笑)

よく「権利には義務が伴う」といったことが言われます。
でも、権利と義務は、ギブ&テイクのようなかけ引きだけのことなんでしょか?

市民権、永住権、選挙権、被選挙権、投票権、居住権、請求権…etc.
どれも法律で定められた大切な権利ですが、ちゃんとその価値を活かしてるでしょうか?

法律も含めて人間が作ったもの、人間界のレベルで考えられること、あるいは極端な場合信じられるのは自分自身だけ、という発想からは、本当の意味での「権利」はなかなか見えてこないのではないでしょうか?

われわれに授かっているものは「あたり前」ではなく、実は大変なこと、ありがたい(有り難い)こと。
それに対する感謝の気持ちがあって初めて、授かったものを「活かそう」と思える…それが本当の意味での「権利」ではないかと。

そしてそれを活かそうとしない怠慢、さらに究極は自らの命を絶つこと、それこそが「罪」なのだと。


<着想 その1>

●「私には~~する権利がある」=「当然でしょ?」と主張し、自分が軽くあしらわれていることに文句を言うようなニュアンスがあるのでは?

●「あなたに、そんなこと言う権利があるんですか?」=いったいあなたは何様のつもり?

自分が持つことは当然で、相手が持つのはけしからん…核兵器みたいなものでしょうか(笑)?

さらに…

●勝手に決める権利、人の命やものを奪い取る権利、ある者にだけ与えられた特別な権利…etc.

●自分は特権階級にあり、権利がたくさんあるように勘違いする傲慢さ、さらにそれが寄り集まった「数の力」が、政(まつりごと)の道、ひいては人としての道を誤らせるのではないでしょうか?

◆人が与える権利?

子どもが親との約束にもとづいてお小遣いをもらう権利、もらったお小遣いで自由にものを買える権利、会社に所属して一定のルールに従って働くことを条件に与えられるさまざまな権利、住民税を納めている住民が行政サービスを受けられる権利…etc.

これらはみな、人が人に与える権利。人間社会において一定のルールを守ること(=義務)を条件に与えられる「権利」ですね。

でも、憲法で定める「人権」、すなわち人として尊厳をもって生きる権利は、そもそも人が人に与えるものなのでしょうか…?

憲法改正が粛々と言われる中、この根本を考えてみたかったのです。

本当の意味での「人権」という概念は、国の権力者が国民に与えるものではありません。
「生かされているすべての命」という考えがベースにあってこそ気づくものではないかと。

与えられた命に感謝し、命あるものがお互い尊重し合い、ともに生き、与えられたものを最大限活かす…そこではじめて「人権(権利)」の意味が浮き上がったくるのではないかと。


<着想 その2>


つぎに、自然界の生き物に目を向けた時にいつも思うことです。

擬態ってご存知ですか?
「ものまね」や「かくれんぼ」のうまい生き物が、周りの環境に溶け込んだ姿をしていて、天敵から身を守ったり、獲物を騙して捕獲したりする、あれです。

カメレオンやタコのように、身体の表面の色素が周りの環境に応じて変化する擬態もありますが、中には生まれながらこんな姿をしているものも…

ハナカマキリ
ハナカマキリ

ハカマキリ
ハカマキリ

カレハチョウ
カレハチョウ

どうしてこんなに周りの環境にそっくりな姿で生まれてくるんでしょう?

昆虫だけではありません。昆虫に姿を似させた植物もあります。

ハンマーオーキッド(蘭の仲間)
ハンマーオーキッド

雌蕊(めしべ)の先がある昆虫のメスとそっくりな形状・色をしていて、匂いまで発しているとか!
オスがやってきて、メスを連れ去ろうとしますが、雌蕊(めしべ)ですから離れません。バネのような力で虫を雄蕊(おしべ)に叩きつけて花粉を付けるのです。なんという知恵を持った植物でしょう!?

植物の中には、ある特定の虫と共生するしくみを備えているものがあります。不思議ですね。



ダーウィンの進化論を否定するつもりはありません。生き物たちは環境に順応させて進化をつづけ、環境に適応したものだけが生き残り…長い歴史の中で今のような多様な種がそれぞれの環境の中で生まれてきたんだと思います。

しかし、一部のこうした生き物たちを見ていると、偶然そういう形で生まれてきて、たまたま環境に適応したものが生き残った、あるいは自分の意思でそういう形に進化した…とはどうしても思えないのです。

神様から、「はい、あなたにはこういう姿を授けます。こういう場所に生きて、こうやって敵から身を守りなさい、こうやってエサを取るんですよ、こうやって子孫を残すんですよ…」と言われて命を授かったとしか思えません。

まさに命は授かったもの、そしてみんな命を与えられて生かされているのです。
*擬態についてこんな記事も以前書いてます。→ 「辰年にちなんで 海のドラゴン」



<着想 その3>

つぎに地球上に生きる者たちへ。
子どものころ、動物園で、あるいは動物図鑑で、この名前をはじめて聞いて笑った人も多いのではないでしょうか?

ナマケモノ
ナマケモノ

一生のうちほとんどを木にぶら下がって生活し、ほとんど動きません。だから怠け者=だらしなく怠惰な生き物。なんとも失礼なネーミングですよね!

その昔、人はこの動物を見たとき、風から栄養を得て生きていると思ったそうです。
でも、よく観察すると、わずかながら木(ユーカリなど)の葉っぱを食べているんですね。
1日にわずか8gの葉っぱを食べれば生きていけるそうです。

寝ても起きても木にぶら下がり、仲間同士で縄張りを争うこともなく、他の動物や昆虫を捕まえることもなく、環境をむしばむこともなく、静かに平和に生きているのです。

でも、そのナマケモノがいま絶滅の危機に瀕しています!

1日たった8g、ユーカリの葉にして数枚です。たったそれだけで生きられる環境さえも失われようとしているのです。これは深刻です!

こんな罪もない平和な生き物の生きる権利さえも奪う権利が、はたして人間にあるのでしょうか?


◆私なりの答え

キリスト教の神様でもいい、ユダヤ教やイスラム教の神様でもいい、日本の八百万(やおよろず)の神様でもいい、仏教でいう仏でもいい…
人間の常識を超えた、はるかに大きな力、絶対的なもの、宇宙の力、あるいは「光」といってもいいでしょう。

そういう大きなスケールから人間を見て、人間に与えられているもの、授かっているものに気づいて感謝し、畏敬の念を抱くとき、命の尊さに気付く。
生きている以上それを活かさなくてはいけないと思う。謙虚さをもって、ほかの命と「ともに生きていく」…それが本当の意味での「権利」という概念につながるんじゃないか、と。

私が法学部の学生だったころから、なんとなく漠然と思っていたことへの、いまの私なりの答えです。


   
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sympathy

このような目覚めた方との遭遇を待ちわびていた、と言わせてください。「尊厳をもって生きる権利」に関して、学生時代の最終学年で苦しんだ法哲学を思い出しました。また、それを被造物どうしの愛で裏付ける着想にも敬服を覚えます。
FBはその重宝さに気づいて本格利用を始めたばかりですが、この際にともだち申請させていただきたく、どうぞよろしくお願いいたします。

Re: sympathy

ありがとうございます。
法学部のご出身で、似たようなことをお感じになられてたのでしょうか?
FBともども、今後ともよろしくお願いいたします。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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