ヒロシマ・ナガサキに思う

この記事は2010年8月に書いた記事です。2007年に久間元防衛大臣による「原爆を投下されたのはしかたなかった」との発言を受けて、日本の戦争に対する認識を私なりにまとめた最初の記事がこちらです。
2011年・2012年の終戦記念日前後にも日韓関係について書きましたが、もともと「社会・時事に思う」というカテゴリー分類でしたので、記事の間隔もあいてしまったのでこの記事と重複する内容を含んでいます。


8月7日は「立秋」

これをはさむようにヒロシマ・ナガサキがあります。

犠牲になられた方たちのご冥福をお祈りするとともに、今日もなお深い苦しみにある方とそのご家族の方の上に平安がありますように…。



 私は中学時代に父の転勤で広島に住み、高校受験を控えて私だけ中学3年から東京の祖母の家に出てきたが、高校3年まで父が広島に赴任していたため、夏休みには広島に「帰る」ということが続いた。

 多感な中学時代に原爆資料館も訪れ、「原爆体験記」などの本も読んだので、実際に戦争をしらない年代としては、原爆についても多少意識と関心はあった方だと思う。

 今の職場で組合の執行部をやっていた2001年、組合として夏の広島平和記念式典にも参加した。
 大人になって自分の子どもも出来てみると、あの灼熱地獄の中でわが子を失った親、親をうしなった幼子の話などを聞くと身につまされるものがある。

 ちなみに広島では「平和記念式典」・長崎では「平和祈念式典」、「記念」と「祈念」が異なるのだ。

記念」というと、心に刻んで忘れない、メモリー、といったニュアンス。
祈念」というと(平和であることを)心から願い祈る、といったニュアンス。

 式典そのものが固有名詞なので、放送でも間違えないように注意が必要な用語のひとつだ。



 私のこのブログの「★コバケン先生との出会い」にも、5年前に初めて参加させていただいた「長崎・被爆60年メモリアルコンサート」に関する記事を書かせていただいた。

 高校生による一万人署名活動によって国連に核廃絶を訴える活動に、コンサートの収益から200万円が寄付された。

 ヒロシマ・ナガサキは、私にとっても他人事(ひとごと)とは思えない場所となっている。
 戦争そのものは知らない年代ながら、「あの戦争はいったいなんだっのか?」…というテーマとともに。


「安らかに眠ってください 過ちはくり返しませんから」

 これは広島の平和公園にあるトンネルのような形の慰霊碑の中の石に刻まれている言葉だ。ここでいう「過ち」とは…?

 人類発の原爆を投下したのはアメリカのB29爆撃機・エノラゲイだが、私が思うに広島の人も長崎の人も、「アメリカによる犠牲者」という捉え方よりも、「愚かな戦争による犠牲者」という認識の方が大きいと思う。

 数年前に、時の久間防衛大臣がある講演で「原爆が投下されたのは、しようがなかった…」と発言して大問題となった。
 こともあろうに長崎出身の久間氏がなんという非常識な発言をしたのか、と長崎市民・広島市民をはじめ日本中が怒った。

 ちょうど秋に総選挙を控え、選挙に不利になるという頭もあったのだろう、自民党はすぐに久間氏を辞任させて幕を引いた。

しかし…

 私は最初にそのニュースを聞いたとき、日本も戦後60年あまりアメリカべったりの政策を取ってきて、ついにここまでアメリカ寄りの考え方に洗脳されてポロリと出てしまったのかな、と思った。長崎の知人にもメールでその怒りを伝えた。

 しかし、さっさと辞任して(させて)、その後「あの発言は一体何だったのか、久間氏はいったいなぜあんな発言をしかけたのか?その背景に何があるのか?本当はその先に何を言いたかったのか?」…
そのあたりを誰も問題にもしない、追及しようとしないことが残念だった。私にはとても気になる本質の部分に思えるのだが…。

もし仮に…


 アメリカには「あの戦争を早く終結させるには、原爆はやむを得なかった」という理論が今なおあるのは事実。たしかにあの時の日本は、原爆を落とされなかったらまだ戦争を続け、さらに犠牲を増やしたかもしれない。

 原爆の「過ち」には、敵国アメリカだけでなく、わが国自身の過ちもあるのではないか?

 今あらためて、日本の戦争責任について見つめ直し、犠牲になった日本人だけでなくアジアの人たちにきちんと謝るべきことは謝り、あの戦争は何だったのかを見つめ直し、あらためて世界に向けて平和を訴えていく原点に立たなくてはいけないのではないか?



 おりしも憲法9条を改定して、日本の自衛隊を海外に派遣しやすくしよう…といった議論も盛んになされていた時期に、一国の防衛大臣として、もしそのような趣旨のことにまで言及しようとしていたとしたら…?
 当時の政府・自民党の誰もが言えなかったこと・言おうとしなかった日本の過ちについて言及しようとしてたのだとしたら…

 政治家である以上「口下手ですから」では通用しない。もし仮にもそのようなことを言おうとしたのであれば、そこはぜひきちんと言及していただきたかったし、後からでも追及すべきだったのではないかと。


アメリカの論理・日本の事情

 アメリカでは今日もなお、あの戦争は日本が仕掛けた戦争であり、戦争を早く終結させるために原爆は必要だった、仕方がなかった、という発想がある。

 もちろんアメリカ側の言うことだけが全て正しい訳ではない。日本も太平洋戦争へと突入していくに至るまでの歴史の流れがある。

♪ちょっと余談ながら…

 明治時代に日本に入ってきた蒸気機関車は、はじめはすべてイギリスからだった。いま明治村に保存されている1号・12号機関車は、トーマスのような3つの動輪をもつタンク式の機関車である。また腕木式の信号機をはじめ、左側通行を基本とした交通の基本もイギリスから学んだのである。

 その後、蒸気機関車や電気機関車をスイスやドイツ、アメリカからも輸入するようになり、日本製の機関車が主流になるのは昭和になってからである。機関車の歴史を見ると日本の外交史を見ることができるのだ。


 

 明治時代、日本が日英同盟でイギリスと仲良くしていたころ、ロシアが力を拡大して朝鮮半島や中国に進出していた。イギリスやアメリカは、日本にもっと力をつけてロシアに対抗することを求めた。

 日露戦争では、イギリスやオランダから補給を断たれたロシアのバルチック艦隊が長旅の疲れで日本海にたどりついたところを東郷平八郎率いる日本の海軍が迎え撃ち、見事勝利を挙げた。
 それを契機にアメリカのポーツマスで講和条約が結ばれ「日本の勝利」とされたのである。あの当時、日本の国力は弱り果てていて、もしロシアが日本に本気で攻め込んだらひとたまりもなかったはず。アメリカやイギリスが日本に軍配を上げてくれたようなものである。

 ところでアメリカが日本に期待することは、アジアの拠点(=ヨーロッパやアメリカで一般的な大西洋を中心に描いた世界地図では日本は「極東」の拠点)としての協力関係である。
 幕末にペリーがやってきて日本に要求したことも、港に立ち寄る権利であり、水・燃料・食糧の補給だった。これは今日の沖縄基地にも通じるだろう。日本にある程度の力をつけてもらって、アメリカを全面的に支援してほしいのである。


 
 日露戦争のあと、日本は戦争に勝ったのにちっとも生活が豊かにならず、各地で米騒動が起きたり日比谷焼き討ち事件など暴動がおこる。そんな日本人にとって、樺太の南半分、朝鮮半島、中国といった周辺各国への権利を得たことで、「日本は頑張って海外に進出することで豊かになるんだ」というモチベーションを高めていくことになる。植民地政策、帝国主義へと進んでいくのである。

 韓国はそれまでのロシア支配から独立へと日本が助けてくれるかと期待していた。しかし、日露戦争後には、ロシアに代わって日本が支配する体制となり、やがて日韓併合へと進んでいく。

 一方、日本が日韓併合で朝鮮半島をおさえ、中国への進出、さらに南へと大東亜共栄圏を広げていこうとすると、イギリスやアメリカは日本を警戒するようになる。  

 日本が中国において衝突して戦争が勃発すると、アメリカは日本に経済制裁など厳しい条件(通称・ハルノート)を打ち出してくる。
 アメリカの提示する日清戦争以前の日本固有の領土(=現在の日本の国土)だけに限定されることは、それまで拡大路線をとってきた当時の日本人にとっては、とうてい受け入れられない条件だったのだ。
 日本は軍部のみならず国民をあげて「戦争しろ」、「和平交渉なんてなにを弱腰になってるんだ!」というムードに包まれていくのである。

 国力の差、軍事力の差は明らかだったので、軍部もなるべく短期決戦できる方法を模索した。
 ただ、日本は真珠湾を“奇襲攻撃”したことになっているが、じつはその後の研究で、宣戦布告は事前にしていたことが分かっている。山本五十六もちゃんと打電を確認してから攻撃に入ったという。
 しかし、アメリカとしては、どの段階で手違いがあったのか、翻訳に時間がかかったのか…さまざまな説はあるが、実は大統領があえて「日本に最初の一発を叩かせろ」と宣戦布告の発表を遅らせた、という説もある。アメリカ国民に「日本はひどい!」という戦気を高めるために…


 戦争は、ただひとつの国のワガママや都合だけで起こるのではなく、さまざまな国との関係・思惑・流れによって突入していくものなのかもしれない。それぞれの「正義」の名のもとに。


無益な犠牲

 戦争には、それぞれの国のトップの思惑や事情もある。しかし、罪のない国民の犠牲をどんどん広げるような無益な戦いは早く終結すべきである。

 戦争責任というと、とかく戦争を始めた人の責任だけが問題になるが、判断を誤り無益な犠牲を広げたことへの責任というものがあると思う。

 南の島では次々に玉砕が繰り返され、フィリピン・マニラにアメリカの爆撃機の拠点ができれば、日本の本土まで爆撃が可能になることぐらい子どもにでも分かることだ。
 それでもなお「日本は勝っている」と国民に嘘をついて戦いを続け、各都市に空襲が重なってもなお「一億玉砕」を合言葉に突き進んていった。せめて最後の半年がなかったら…

 3月10日の東京大空襲をはじめ各都市への空襲も、4月6日の大和(最後の艦隊)の出撃・翌7日の撃沈も、その直後の沖縄戦も、なかったはずである。さらにヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されるまでに約4カ月。

 あの戦争で犠牲になったのは、日本人だけではない。日韓併合をはじめ大東亜共栄圏を掲げてアジアの国々に進出した。アジア諸国の人たちは「君が代」を歌わせられ、日本語を習わされ、韓国では母国語を使うことを禁止され、日本人として戦わされ、強制的に日本に連れてこられて、犠牲となった多くの方たちも…

 そのすべての犠牲者に対して、日本政府はきちんと正しい認識をして、きちんと謝ったといえるのだろうか?

 ドイツなどでは、あのヒットラーの過ち、および群衆心理でついて行ってしまった恐ろしさ・その結果についてきちんと子どもたちにも教え、ユダヤをはじめ諸外国に謝罪していると聞く。

対する日本は?

 いまだに教科書検定に代表されるように、当時の日本軍や日本にとって「まずいこと」を子どもに教えないように削除しようとするではないか?
 原爆の被害認定にしても、キノコ雲の下で黒い雨が降った範囲の指定ひとつをとっても、被害状況を過小評価ばかりして、原爆による被害と認めてもらえずに苦しんでいる人たちが大勢いるではないか?
 
 きちんと自らの責任を認め、被害を受けた国民には国がちゃんと認めてあげる、迷惑をかけた周辺の国の人たちに対しても謝るべきところは謝る。それは人としても国としても大切なことのはずなのに、どうもそのあたりができない国のようで残念だ。

 縄文・弥生、大和朝廷…日本のルーツを知るのももちろん大切だ。しかし小・中・高校どこでも1学期は古代から教え始めるから、明治維新以降、とくに昭和の歴史にたどり着く頃には3学期も終わり近くなり、はし寄ってしか教えない。まるでその時代の歴史を避けて通るかのように…

 だったら別科目で「昭和の歴史」という枠を設けてでも、他のアジアの人たちが知っている・覚えているあの戦争の歴史をきちんと伝えるべきではないのか?

 東京大空襲やヒロシマ・ナガサキに代表される“被害者としての日本”だけでなく、日本がアジア諸国に対してやってきた数々の過ちに対しても、きちんと向き合い、正しく伝えるべきではないのか?


あの戦争は何だったのか?

 私がまだ小学生だった頃(昭和40年代)、NHKなどで8月に特集する戦争関連の番組では、アメリカによって撮影された未公開フィルムが紹介され、戦争の現場の悲惨さがテレビで流れることが多かった。戦争映画のような「かっこいい戦争」ではない、恐ろしい・悲しい・悲惨な戦争の現実の映像にショックを受けたものだ。

 しかしここ最近の傾向として、そうした過去の生々しい映像で伝えることよりもむしろ、戦争体験者による証言記録のようなものが増えたように思う。

 思うに、20歳前後の若い時に戦争に駆り出されてかろうじて生き残った人たちが今はもう85歳前後という高齢に達している。

 おそらくあの方たちは、戦争で見たこと・体験したこと・やったこと…を、記憶の中から消し去ろうと封印して今まで生きてこられたのではないだろうか?
 いくら軍の命令だったとはいえ、あんな非人道的なことを…。また無謀な作戦で無益な死を遂げていった仲間たちのこと。あれが無駄死にだったと思えば、彼らの魂が浮かばれない。それらの体験・思いをすべて封印し忘れ去らなければ、戦後生きてくことができなかったのではなかろうか…

 しかし、人間として記憶の底から消し去ることはできない。これだけ平和が続いて戦争を知らない人たちが国民のほとんどになった今、やはり自分の体験を語らずしては死ねない。そしてあらためて「あの戦争はいったい何だったのか?」と。

 そうした流れで作られる番組も多いし、劇団「俳優座」の若手の役者たちがここ数年“朗読”によってそれらの証言を語り継ぐ活動をしている。素晴らしい活動だと思う。


アジアを逆なでする靖国問題

 少し前の自民党の首相が、千鳥が淵にある無名戦没者の碑をはじめ、各地に残るアジアの犠牲者たちの魂にも手を合わせ、「二度と戦争の過ちは繰り返しません」と祈っていたら、韓国も中国もアジア諸国の人たちも怒るはずがない。

 それを、こともあろうに「日本の繁栄のために犠牲になった方へ…」などと、A級戦犯も若い命を散らした軍人も一緒に「神様」として祀られている「靖国神社」へ参拝するから問題となるのだ。

 公用車を使ったかどうか・公務かどうか、は問題の本質ではない。歴史への認識の問題なのだ!
 そしてついには「個人の問題、こころの問題」「内政干渉だ」などと発言するに至っては、アジアの人たちの心の逆鱗に触れるのである。


これからの日本の責任は?

 広島にも長崎にも原爆資料館がある。海外からここを訪れた人は皆、原爆の恐ろしさをあらためて感じるはずである。兵器としての威力やデータではなく、あのキノコ雲の下で生き地獄へと変わった瞬間のできごとの数々…。

 そういう意味では、たしかに戦後65年、日本は原爆資料館をはじめとして唯一の被爆国として「原爆(核兵器)の恐ろしさ」について世界に伝える役割は果たしてきたと思う。

問題はこれから先である。

 世界から核を廃絶しようという動きもある中で、日本はただ唯一の犠牲者として廃絶を訴えているだけでは、例えば子どもがたまたま友達から殴られて怪我をしたから「暴力反対」と言っているようなもので、いまひとつ説得力に欠けるように思うのだ。

 原爆(核兵器)だけが“非人道的”だから禁止すべきなのではなく、戦争で用いられるあらゆる武器・手段はどれも決して“人道的”なものではない。“人道的な武器”などあり得ない。

 「あの戦争はいったい何だったのか?」、「戦争とは、どっちが正しいとかに関係なく、こんなにも悲惨な結果を招くんだ」、「日本もあの戦争によって罪のない国民に、またアジアの人たちに、とんでもない犠牲をもたらしたんだ」…

 わが国自らの「過ち」も含め、反省すべき点は反省し、子どもたちや若い人にもきちんと事実を伝え、謝るべきことはきちんと謝ることがまず必要だろう。

 その上で、「戦争とはそういうものだ、絶対に戦争をしてはいけないんだ」という視点に立った時、はじめて世界に向けて平和を訴えることのできる日本としての一歩を踏み出せるのではなかろうか?


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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