バランス
5月22日(金)
私は9月の後半生まれ、星座は「てんびん座」です。
それが幸いしてか禍いしてか、何事にもバランス感覚が働いてしまう方じゃないかと思っています。
*「天秤」は英語ではScale、「てんびん座」はLibra てんびん座の星は金星(Venus)です。
♪
きのう、あまりにも美しい西の空に、帰ってすぐに屋上に上がって三日月と金星をカメラに収めてフェイスブックにアップしました。同じころやはり空を眺めていた方からもたくさんの「いいね」を頂きました。
でも、美しい夜空を眺めていると、「あの宇宙から地球を見たらどう見えるんだろう?」という思いが頭をよぎります。

これ、どこだと思いますか?
昨年の夏、ドイツのある宇宙飛行士が「世界でもっとも悲しい画像」として紹介していた、宇宙ステーションから見たガザ地区の空爆の様子です。
そのころ日本の首相は、4月に武器輸出を解禁し、ガザ地区を攻撃しているイスラエルの首相と5月に会談し、硬い握手を交わしていたのです。集団的自衛権の構想も当然あったでしょう。
→ イスラエルと共同声明
この記事の終わりにもリンクさせた「イスラエルより愛をこめて」という記事では、「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないと…」と発言した日本の財界人の話題も取り上げつつ、人としての想像力の大切さと、「せめて何か自分にもできること」について書いています。
♪
私は、美しいもの・楽しいこと・微笑ましいことに敏感でありたいと思っています。
でも、美しいもの・微笑ましいことに敏感になればなるほど、醜いこと・許しがたいことも同じアンテナに引っかかってきてしまいます。同じこの世の中で、現に同時に実在していることですから。
ブログやフェイスブックでは楽しい話題だけを交換したいと思ってらっしゃる方には申し訳ないですが、片方を見て見ぬふりできない私にとってはいたしかたないことです。
美しいこと・微笑ましいことだけに目を向けていたいけど、それでは両方の眼でものを見ていないことになります。
喩えのレベルは低いですが、給与から引き去られている税金の額を見ると嫌になるから見ないようにしている。はい、確かに賢明かもしれません。でもそうしていると、自分の納めた税金がどう使われているかへの関心も薄れていきます。
「考えていないわけではない」と言っても、人間は言葉でものを考える生き物です。文章に書いたり、口に出したり、意見を交わさなければ思考は深まっていきません。
あえて目を背けて見ないように、見ても言わないようにしているとストレスになりますから、人間の頭や身体はやがて見ない・考えないようになっていきます。
♪
素晴らしい音楽を聴き、美しい花を見ていると、「いつまでもこういう幸せが続く平和な世の中であってほしい」と思います。
それを踏みにじる力に対しては許せない感情がわき、なんとかできないものかという思いがこみ上げてくるのです。いけないことでしょうか?
自分には関係ない、難しいからよく分からない、自分の意見を表に出したくない…なんだかんだ言って楽しいことだけに目を向け、ちょっと社会的なテーマは見て見ぬふりはできません。
たとえ自分には直接関係なくても、子どもや孫の時代がどうなってもいいのでしょうか?
弱い人間はどうなってもいいのでしょうか?
片方にしか目を向けないことは、愛のないことだと私は思います。
「愛の反対語は無関心である」というマザー・テレサの言葉をいつも思い出してしまうのです。

★画像はサイトより
左手に天秤、右手に剣をもつギリシャ神話に登場する正義の女神・テミスです。司法・裁判の公正さの象徴として、法律書籍の表紙などでも見かけることが多いです。
きのうの星空から話は始まっているので、ギリシャ神話にもちょっとひっかけて引用しました。
私は9月の後半生まれ、星座は「てんびん座」です。
それが幸いしてか禍いしてか、何事にもバランス感覚が働いてしまう方じゃないかと思っています。
*「天秤」は英語ではScale、「てんびん座」はLibra てんびん座の星は金星(Venus)です。
♪
きのう、あまりにも美しい西の空に、帰ってすぐに屋上に上がって三日月と金星をカメラに収めてフェイスブックにアップしました。同じころやはり空を眺めていた方からもたくさんの「いいね」を頂きました。
でも、美しい夜空を眺めていると、「あの宇宙から地球を見たらどう見えるんだろう?」という思いが頭をよぎります。

これ、どこだと思いますか?
昨年の夏、ドイツのある宇宙飛行士が「世界でもっとも悲しい画像」として紹介していた、宇宙ステーションから見たガザ地区の空爆の様子です。
そのころ日本の首相は、4月に武器輸出を解禁し、ガザ地区を攻撃しているイスラエルの首相と5月に会談し、硬い握手を交わしていたのです。集団的自衛権の構想も当然あったでしょう。
→ イスラエルと共同声明
この記事の終わりにもリンクさせた「イスラエルより愛をこめて」という記事では、「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないと…」と発言した日本の財界人の話題も取り上げつつ、人としての想像力の大切さと、「せめて何か自分にもできること」について書いています。
♪
私は、美しいもの・楽しいこと・微笑ましいことに敏感でありたいと思っています。
でも、美しいもの・微笑ましいことに敏感になればなるほど、醜いこと・許しがたいことも同じアンテナに引っかかってきてしまいます。同じこの世の中で、現に同時に実在していることですから。
ブログやフェイスブックでは楽しい話題だけを交換したいと思ってらっしゃる方には申し訳ないですが、片方を見て見ぬふりできない私にとってはいたしかたないことです。
美しいこと・微笑ましいことだけに目を向けていたいけど、それでは両方の眼でものを見ていないことになります。
喩えのレベルは低いですが、給与から引き去られている税金の額を見ると嫌になるから見ないようにしている。はい、確かに賢明かもしれません。でもそうしていると、自分の納めた税金がどう使われているかへの関心も薄れていきます。
「考えていないわけではない」と言っても、人間は言葉でものを考える生き物です。文章に書いたり、口に出したり、意見を交わさなければ思考は深まっていきません。
あえて目を背けて見ないように、見ても言わないようにしているとストレスになりますから、人間の頭や身体はやがて見ない・考えないようになっていきます。
♪
素晴らしい音楽を聴き、美しい花を見ていると、「いつまでもこういう幸せが続く平和な世の中であってほしい」と思います。
それを踏みにじる力に対しては許せない感情がわき、なんとかできないものかという思いがこみ上げてくるのです。いけないことでしょうか?
自分には関係ない、難しいからよく分からない、自分の意見を表に出したくない…なんだかんだ言って楽しいことだけに目を向け、ちょっと社会的なテーマは見て見ぬふりはできません。
たとえ自分には直接関係なくても、子どもや孫の時代がどうなってもいいのでしょうか?
弱い人間はどうなってもいいのでしょうか?
片方にしか目を向けないことは、愛のないことだと私は思います。
「愛の反対語は無関心である」というマザー・テレサの言葉をいつも思い出してしまうのです。

★画像はサイトより
左手に天秤、右手に剣をもつギリシャ神話に登場する正義の女神・テミスです。司法・裁判の公正さの象徴として、法律書籍の表紙などでも見かけることが多いです。
きのうの星空から話は始まっているので、ギリシャ神話にもちょっとひっかけて引用しました。