国際的な「正当防衛」の範囲とは?

世界平和を実現するには

国際法で「すべての戦争は犯罪である」と定義し、あらゆる武器の製造・輸出入・使用を禁止してしまう。

現実的には難しいが、「Imagine=想像してごらん」!
もしこれが実現できたら世界は平和になるとは思わないだろうか?

現在まで、戦争そのものを国際法上「違法」とした規定はない。戦時下においても最低限守られなくてはいけない人道的な制約を設けた規定はジュネーブ協定でたくさん定められている。宣戦布告をしないで攻撃をしてはいけないとか、降伏の意思表示をしている者や武器を持たない無抵抗な捕虜を殺害してはいけない、大量破壊兵器は禁止…等々。

つまり戦争に関する最低限のルールを定めたものがあるということは、裏を返せば戦争そのものを禁じていないのだ。


現状での「防衛」の考え方

いま問題になっている憲法9条。もとの条文をあらためて。

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


ただ、日本を守るための最低限の自衛手段としての「防衛(=自衛)」はこれに含まない、とする解釈のもと、自衛隊の存在が認められてきた。

その「防衛」の範囲がどこまでなのか、どういう場合にどこまでやってよいのか、そのあたりの定義が具体的に示されたことがあっただろうか?

たとえば北朝鮮がたびたびミサイルを発射し、日本海に落下している。日本の領空を飛び越えて太平洋側に落下したこともあった。
あきらかに日本の領空を侵犯しているが、撃墜はおろか、発射の事実すら日本は独自に把握することができなかった。こんな状態で本当に日本を守れるのか?

いまの個別的自衛権では、日本本土が実際に爆撃されるなど、直接攻撃を受けるまでは何ひとつ手出しできない。たとえミサイルが発射台に設置され、日本に向けて発射された、という事実があっても、それを掌握して迎撃することがはたしてできるのだろうか?

まずは、今の憲法を変える・変えないの議論の前に、今の憲法の範囲内であっても最低限の「防衛」をどう考えるのか、技術的にも国際法の上も「どこまで可能なのか?」という議論をしっかりする必要がある。


◆「正当防衛」の考え方

いま日本国内で、拳銃等の所持は禁じられているが、警察官だけは例外的に認められている。その警察官がどういう場合に拳銃を使用してよいかは、かなり厳格に定められている。
武器をもって逃走している凶悪犯人を追う警察官が、拳銃を所持していなかったり、まったく使用しないことによって一般市民に犠牲が出たら、「なぜ警察官は拳銃を使用しなかったのか」と言われるだろう。
警察官および一般市民の命を守るべく「正当防衛」のため、および凶悪犯人を逮捕するためにやむを得ない場合には拳銃の使用は「適正」であることに異論はないだろう。

同じように、国際関係においても最低限の「正当防衛」としての武力行使は認められるべきだ、という論理は間違っていないと思う。

憲法9条の解釈の問題になるが、平和的な交渉の余地があるのに武力行使に出ることは許されないが、「自国を守るために最低限やむを得ない武力行使はこの限りではない」とするならば、個別的自衛権の範囲内である。どのような場合に、どこまで許されるのか、というガイドラインをしっかり明確にすべきである。


PKO活動など日本の国際貢献の是非について

ところが、日本を守るため(災害救助なども含む)の自衛隊を、海外に派遣して、世界の平和に貢献させることが前提となると、話は大きく変わってくる。

そして、海外で活動する自衛隊員らの「正当防衛」の考え方も、武力行使の前提も範囲も大幅に変わってくることになる。
もしこれを大前提とするならば(あくまで仮説として)、いま安倍政権が検討しているような集団的自衛権の考え方に限りなく近づいていくことになるだろう。

だがその前に、先ずは「自衛隊を国際的な活動に派遣することを認めるのかどうか?」の議論を徹底的にすべきではないのか?

これまでは、憲法9条を理由に、自衛隊はあくまで日本国内を守るためにあるもので、海外に派遣する「軍隊」ではないと主張することで、アメリカ等の要請も断ることができた。

いくら日本がアメリカのよき協力者として国際貢献にも寄与すべきだと言っても、自衛隊の海外での活動を認めるかどうかの議論を国会内でも、国民レベルでもしっかりやって合意を得てからやるのが順序というものだろう。

その議論を飛ばして、PKO活動等で日本も世界に貢献すべきだ、それが積極的平和主義だ、という一内閣の勝手な判断で、集団的自衛権の議論を先に出すからあらゆる面で勇み足が生じることになるのではないだろうか。


国際貢献する上での「正当防衛」の範囲とは?

いくら「非戦闘地域における後方支援に限る」と言っても、きのうまでは「非戦闘地域」だったところが翌朝には戦闘地域になっていることも考えられるし、「後方支援」とはいえそのような地域に丸腰(=武器を持たない状態)で行かせて良いのか?という問題。もし自分の家族が自衛隊員で、そのような地域に武器も持たずに行かされる身になってみたらどうだろう。

もしPKO活動など自衛隊の海外派遣を「やるべきだ」という国レベルの合意が形成されるのであれば、警察官が拳銃を携帯するのと同様、最低限の正当防衛の範囲内での武器の携帯は認めるべきだと私は思う。

そして、「後方支援に限る」とはいえ、目の前で日本と一緒に活動している他国の部隊が攻撃を受けていても日本は何もできないのか、という現実問題がある。そうなれば、たとえ自分が直接攻撃を受けていなくても、最低限の武力行使は認めるべきじゃないか、という考えになる。これが集団的自衛権だ。



私は、頭ごなしに「集団的自衛権」は絶対に認めるべきではない、というつもりはない。

問題は、その前提となる「防衛」の考え方、自衛隊の活動範囲について、きちんとした議論も定義づけもなされていないまま、自衛隊の活動範囲が無制限に拡大し、武器を使用せざるを得ない状況がなし崩し的に生じてくることについて、もっと国民的な議論をしっかりすべきで、民主的にものごを決めて進めるべきだと思う。

つまり、安倍政権のいつものやり方で、きちんとした定義もなさず、国民にきちんと説明もせず、国会でも民主主義的な議論を重ねることなく、あっちではこう言いこっちではこう言う。ひとり先走ってはじめに決定ありきというものごとの決め方に「NO」と言っているのである。右寄りとか左寄りという話ではない。

ただ、日本が戦後70年も守り続けてきた平和憲法を、そうたやすく1政権のもとで変えてしまうことには反対である。

このような重要案件を与党のごく一部の閣議だけで勝手に決められているにもかかわらず、自分には関係ないかのような見て見ぬふりをする国民の民意に対して警鐘を鳴らしているのである。


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No title

もちろん私は、集団的自衛権の行使容認には反対です。

これまで私のブログをご覧になられている方はお分かりでしょうが、今回の記事はあえて逆説的に書いたものです。
もし私に「安倍政権の掲げる集団的自衛権について、賛成論の立場でなにか書いてくれ」と言われたら(あり得ないでしょうが…笑)、それなりに書けますよ。
すくなくとも、「他にましな政党がないから」と自民党に投票している方たちよりはそれなりに考えているつもりですから。

私だって、ある条件のもとではある程度の自衛のための武器使用も必要となるという論理も分からないわけではないと書いたまで。

この中でも、もし仮にPKO活動など自衛隊の海外派遣を前提とするなら、「非戦闘地域」とか「後方支援」といってもそれは非常にあいまいであり、そのような危険地域にどうしても行かなくてはならないのであれば、武器使用をまったく認めないのはかえって危険、すなわち最低限の「正当防衛」としての武力行使は認めざるを得なくなる、ということを書いたのです。

その大前提である、自衛隊を海外に派遣することの是非、また日本の防衛(=個別的自衛権)についても、これまでまともに議論してないではないか、ということが根本にあるのです。

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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