哀しく、ときに危険な日本人

3月13日(金)


心温まる話の一方で…

震災から4年たち、さまざまなドキュメント番組を観ると、まだまだ復興の進まない街の様子、避難生活を続ける人たちの心の傷、大切な人を失った悲しみ、その後の生活などが伺えます。
ボランティアや地域の人との心温まるエピソードもたくさんあります。

でも、それとは裏腹に、本来は「被害者」である人たちが、避難先で冷たい言葉を浴びせられたり、就職を断られたり…といった哀しい現実もあるようです。

経営していた牧場の牛たちが殺処分にされるのはあまりにも忍びないと、何度も中央省庁を訪れ、牛を殺さなくても済む方策を考え出し、研究牧場という名でスタートさせた方とお話しする機会がありました。その方が、東京で街頭演説していた時に「フクシマ帰れ!」と暴言を受けたと言います。

また、福島ナンバーの車というだけで通行禁止にされたという話もあります。

住む家・仕事・ふるさとを突然奪われた、なんの罪もない人たちが必死に生きていらっしゃいます。そういう方になぜ冷たい言葉や仕打ちを浴びせることができるのでしょう…?

ヒロシマ・ナガサキの犠牲者も、戦後さまざまな偏見や差別にさらされたと聞きます。

こういう話を聞くと、日本人であることが哀しくなります。



なぜかヘイトな言葉を発する人たち

つい最近、私自身が身近に経験したことです。
建築を学ぶ大学生が「誰もがきちんとした場所で暮らせる世界に」と題してインドネシアで住宅建築のボランティア活動をしようと募金活動をやっていたので、私もわずかばかり募金したんです。
その私のすぐ後ろを、サラリーマン風の2人連れの若い男性が「イスラム国に行けよ」と口にして通り過ぎました!

私は振り向いて、まじまじと顔を見ましたが、ごく普通のサラリーマン風。
どういう頭の構造で、どういう意図でそういうことを口走るのでしょうか?

「海外=ISIN=危険だぞ~」という冷やかしなのでしょうか?
もう一歩踏み込んで「おまえら偽善っぽくやってんなよ、だったらイスラム国(ISIN過激組織)でやってみろよ」なのでしょうか…?

いずれにしても、そんな程度の意識しかないんでしょう。私は何かひとこと言ってやる気力も失せました。おそらくこういう輩がイスラム教徒を見かけたら、ISINとごちゃ混ぜにヘイトするんでしょう。
勉強して大学に行って人並みに企業に就職しても、その程度の意識レベルの輩が現にいるということです。

本当に日本人って、なんでこうなんでしょうね?
ことの本質を見ない、見ようとしない、正しい知識を持とうとしない、自分には関係ない、自分さえよければいい、こっちに来ないでくれ、あっちに行け…etc.

私はめったに見ませんが、世間を騒がせるような事件をサイト検索してたまたま2チャンネルサイトを見てしまうことがあります。そこに飛び交っている暴言・誹謗中傷・無責任発言の数々に本当に情けなく哀しい気持ちになります。
匿名で自分の姿は出さず、自分には直接関係ない人のことだから、無責任に暴言が吐けるんでしょうね。そうやって日ごろのストレス発散でもしてるんでしょうか…?


元日本兵の小野田さんを覚えてますか?

少し古い話題ですが、ルバング島で発見され1974年3月に帰国した元日本兵・小野田さんのことを覚えていますか?
「ご苦労様」と迎えられ、当時の田中角栄総理を表敬訪問し、マスコミも連日大きく報じました。高校生だった私も当時の報道をよく覚えています。

しかし日本に帰還してわずか1年後に、小野田さんは日本を離れてブラジルに移住することを決意します。その理由をご存じでしょうか?

「生き抜く~最後の日本兵 小野田寛郎~」というドキュメント番組(ハイビジョン特集)で、83歳を超えた小 野田さんへのインタビューが撮られました。生い立ち、青春時代、そして戦争…

詳しくはこちらの動画をご覧ください(Youtubeが見られるうちに)。


『生き抜く ~最後の日本兵 小野田寛郎』

<概略>

少年時代に中国にわたり、9歳で満州事変、15歳で日中戦争を体験。やがて日本に戻って徴兵された小野田さんは、陸軍の中野学校というあまり知られていない場所で、特殊部隊の訓練を受けます。
ほとんどの日本人には正確な戦況は一切知らされないまま戦わされ、南の島では多くの部隊が玉砕していった中で、小野田さんは、ときに軍部や天皇制を批判しても構わないという当時としては信じられないほどオープンな環境で、どんな状況でも生き延びることを学び、アメリカの潜水艦の出没状況などの情報も与えられてルバング島に入ります。
小野田さんに与えられた使命は、最後まで生き残ってゲリラとして戦いつづけることでした。

終戦を迎え、アメリカのビラや日本の新聞が撒かれたのを見てもなお、これは諜報であると信じ、いつでも銃を撃てる状態で島の中を転々としたそうです。
戦後29年たった1974年(昭和49年)に発見され、説得されて日本へと戻りました。

戦後の高度成長を成し遂げ、小野田さんが出征した当時とは180度価値観の変わった日本で、はじめは物珍しさもあって、政府もマスコミも寄ってたかって小野田さんを取り囲みました。

そして小野田さんのもとへは多くの見舞金が寄せられました。小野田さんはその見舞金を、ともに戦って死んでいった戦友の霊にささげようと靖国神社に全額寄付しました。元気に生きていれば働けばいい。私が見舞金をいただくなんて、という気持ちで全額寄付されたそうです。

ところがそんな小野田さんに批判が出てきます。
「もう今は軍国主義ではないんだ、時代は変わったんだ、靖国神社に全額寄付するなんて戦時中の意識か」…と。

好んで戦いに行ったわけでもなく、逃げて生き延びたのでもなく、共に過ごした仲間を亡くし、ようやく帰ってきた日本で、かつての軍国主義の象徴のような目で見られ、心無い批難の声が浴びせられたそうです。

戦争という過ちを反省して小野田さんをねぎらうのではなく、戦争という時代を象徴するかのように見えた小野田さんに、批判の矛先が向けられたということでしょうか?

負けず嫌いの小野田さんとしては、会う人ごとにいちいち釈明するのも面倒で、ときに喧嘩を売られるような状況に耐えられなかったと。それでわずか1年で日本を離れてブラジルに移住する決意をしたそうです。ジャングルで培った知恵を活かして農業をやって生きていこうと。



国が間違った道を選択し、多大な犠牲を強いられた人に対して、ねぎらいの言葉をかけていたわるのではなく、逆にその人が悪者の代表であるかのごとく、とんでもない筋違いの批難を浴びせる…

日本人って、和を貴ぶ美しい心、思いやりの心を持った賢明な国民だと思うのですが、時にまったく論理性を持たない愚かな言動に走る恐ろしい民族じゃないかと思うことがあります。

もっとも、多数はまともな優しい心を持った人だと信じますが、一部の愚かな人たちが騒ぎ、間違った方向にいったん大勢が流れ始めると、あえて反論して正す人もないまま、なんとなく追従してしまうような危険な土壌があることだけは心しなくてはいけません。

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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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