フィードバック ~考えるきっかけ~

12月7日(日)

ひとつ前に書いた「戦争できる国にしてはいけない!」は、かなり政治向きの話題なので敬遠されるかと思ったんですが、嬉しいコメントをくださった友達に感謝し、そのコメント内容とも絡めて、私なりのフィードバックとして書かせていただきます。


人それぞれの創造性を尊重して

「箱庭療法」ってご存知でしょうか?
色んなストラクチャを砂箱の中に並べて好きな情景を作ると、その人が潜在的に思っているものが表れる、というものです。同じ素材を使っても十人十色の違った風景(作品)が出来上がります。

楽器(=いろんな音の出るもの。必ずしもちゃんとした楽器でなくてもよい)を好きなように使って音を出してもらって自由にセッションをやっても、人によってそれぞれ違った個性的な音、その時の気持ちが表れて素晴らしいアンサンブルが生まれます。

箱庭療法も楽器による自由なセッションも、「創造性」というクリエイティブな頭が働いているのでしょう。それぞれの感性で、どれひとつ同じではない素晴らしい作品が生まれてきます。

社会も同じではないでしょうか?
人それぞれ、いろんな考え方、生き方があって当然です。どれが良くてどれがダメなんて言えるものではありません。

私はそうした色んな考えがあって人それぞれでいいと思います。そういう人たちが認め合い、最低限のルールを守って、平和で共に生きていける社会が望ましい社会だと思っています。

ただそのためには、「民主主義の大原則」が必要です。
いまの日本は本当に民主主義が守られていると言えるでしょうか?

それぞれが問題意識をもち、みんなと同じで安心したり、多くの人がいいと言っているからいいんだろう、と考えるのではなく、自分なりの見方をしっかり持つことが必要です。

今われわれの周りにはたくさんの情報・ニュースが溢れています。けっして画一化された情報、ステータスのある大手新聞の情報だけを鵜呑みにしてみんなと同じ行動をするのではなく、さまざまな情報を自分なりに集め、ことの真相・本質がどこなのかを見極め、それらをつなぎ合わせて判断することが大切です。


◆「私だけの怒り」 と 「社会性のある怒り」

ところで、前の記事に頂いた最初のコメントを見ていただくとお分かりですが、もうかれこれ1年以上前だったと思いますが、私が飲みながら話したことを覚えていてくださった方から嬉しいコメントをいただきました。それはこういうお話です。

自分の車の前に割り込んでくる車に腹が立つのは「私だけの怒り」ですね。
でも、救急車が来ているのに道を譲って止まろうとしない車に腹が立つのは「社会性のある怒り」じゃないかと。

自分が割り込まれて腹が立つことを説明するとき、たいてい「正義感」という言葉を使うのではないでしょうか? でも、どこまでが本当の「正義感」で、「私としての感情」が全く混じってないかと自問してみるといかがでしょうか? 「私は~~してるのに」という自分の都合が混じってはいないでしょうか?

でも、少なくとも自分には直接関係のないことでも、弱い立場、迷惑をこうむる人のことを考えている、すなわち想像力が働いていることになりませんか?そのあたりを「社会性があるかどうか?」と表現したのです。
「社会性」などというと大げさに聞こえるかもしれませんが、何か特別なことをしなくてはいけないのではなく、ちょっとした発想をもつかどうかなんです。

そのとき私は、音楽の話、とりわけ長年いろいろ見てきたアマチュアオーケストラの演奏会と重ねて、「同じ音楽をやるにも社会性があるかどうか(そういう発想をもつかどうか)が大切じゃないか」という話もしました。

せっかく時間をかけて練習を重ねてきたのに、演奏会当日に観客席には身内だけがぱらぱら…そんなアマチュアオーケストラがけっこう多いんです。

聴いてほしい、見てほしいと思うのは「私」の欲することですね。でも、みなさんそれぞれやることもあって貴重な休日。お誘いして来られない方がいてもしょうがないし、たとえ観客が少なくてもいい音楽を演奏することは大切です。自分が趣味の活動を続けられることの幸せ、家族などの理解・協力があることに感謝する気持ちももちろん大切です。

ただそこにもうひとつ、せっかく自分たちが重ねてきた「音楽の力」を一人でも多くの人に届けようという気持ち(=社会性)をもつことは大切ではないかと。
ふだんわざわざチケットを買ってプロの演奏会に出かけるほどのマニアではない人、毎日の仕事や生活に疲れている人、福祉施設にいらっしゃる人などにも、音楽で幸せを共有できるひとときを届けたい。福祉団体や学校、同じ地域で活動している団体にコンサートのチラシを配って案内告知する…とくに余計な負担を増やそうと言うのではなく、ほんのちょっとそういう発想を持つかどうかです。

アマチュアのくせに生意気と思われるかもしれませんが、社会には「音楽の力」を必要としている方たちが大勢いらっしゃることを覚えます。そんな思いを最近あらためて「音楽と社会との架け橋」という記事にも書いてます。


特定の政党批判ではなく

私が個人のブログなのに、社会的テーマ、こと政治寄りの話題をしていることで敬遠される方もいらっしゃるでしょう。でも、私は特定の政党をけなしたり、特定の政党を応援しているつもりはありません。
ただ、自分には直接関係ないと思われるようなことにもちょっと目を向けてみること。政治(=社会のしくみ)に対して関心がない、何をどう決められても、なんの危機感も憤りも感じないとしたら、それは「社会性がない」ということにならないでしょうか?

私が訴えたいのはそこなんです。現政権のうち出す政策が本当に国民のためになっているか、ということであり、われわれ有権者も社会に対して無関心であってはいけないと。

細川元首相も、小泉元首相も、かつて総理大臣まで経験された方たちです。政権の第一線を退いた今、原発の再稼働や集団的自衛権など、安倍政権の進めようとする方向に反対の意を唱えておられることに「なぜ?」という素朴な疑問はわきませんか?

私は思うに…
政界・財界(経団連や大企業)・官僚といった「しがらみ」がなくなって、ひとりの「人」として真実が語れるようになった、と見ることはできないでしょうか?

私がこれまでブログに書いてきたことも、決して「自民党はけしからん」という意図ではありません。私の知人にも若手でしっかり勉強して頑張っている自民党関係者もいらっしゃいます。
この政党はだめ、この政党をよろしく…といったイデオロギーの押し付けではなく、「今の政権の進めようとしている政策が国民にとっていい方向かどうか?」に尽きるのです。

特定秘密保護法案が可決されてちょうと1年。この週末も全国各地で市民団体が集会を開いているようですね。
この特定秘密保護法案とあわせて、今年7月に閣議決定された集団的自衛権も、多くの国民が不安に感じ反対する人も多い政策ですが、国会での審議も決して十分になされたとは言えないまま閣議決定で押し切られました。

こうした流れが「戦前」を感じさせると危機感をもっている方が、菅原文太さん・宝田明さん・大橋巨泉さんはじめ熟年層(戦争経験者)に多くいらっしゃいます。そういう方の声には謙虚に耳を傾けたいですね。
今度の総選挙、目先の「景気対策」だけに釣られることなく、日本の進むべき方向をよく見極めることが大切ではないかと私は思っています。


ちょっとした「きっかけ」づくり

こういうことを言うと自分の価値観の押し付けになるんじゃないか、反対意見の人もいるかもしれない、自分がどう思われるか…etc.
それを気にして何も言わず、回りとうまくやっていこうとするのは、社会性があるようにも思えます。
でも、そういう考え方が習慣になると、自分には直接関係ない、言ってもしょうがない…という感覚になっていかないでしょうか?

みなそれぞれの立場もしがらみもありますが、そういうものに縛られていたら「人」として大切なことはいつまでたっても言えないのでしょうか?


電車の中で、自分が疲れていて座りたいのに割り込んできて席を取る人には腹が立ちます。これは「私の怒り」ですね。

でも、身体の不自由な方やお年寄りが目の前にいるのに、誰も席を代わろうとしないと腹が立ちませんか?腹が立たない方はジレンマがなくていいですね。でも私は腹が立ちます。これは「社会的な怒り」でしょう。

でも黙ってただ腹を立てていてもストレスがたまりますから、私は(状況にもよりますが)、
「すみません、どなたか席を代わってくださる方はいらっしゃいませんか?」
と声を発します。

いまのところ、それで怖いお兄さんに取り囲まれて殴られたことは一度もありません。たいてい2~3人の方がすっと席を立って譲ってくださいます。

以前、せっかく声をかけて席を立ってくださった方がいたのに、お年寄りが「けっこうです」と拒否されて空振りしたことがあります。「次で降りますから大丈夫です。ありがとう」ぐらい言ってくれればまだいいのですが、中には「年寄扱いしないでくれ」という方も…。
最近は、まずご本人に「席ゆずってもらわなくて大丈夫ですか?」と声をかけるようにしています。その声で気づいてくれる人もけっこういらっしゃいます。

日本の社会って、たしかに無関心な人が多くなったように感じますが、ちょっとした一言で気づいてくれて行動に移してくれる人もまだまだいるんだなと実感するのです。

忙しい、自分のことでいっぱいいっぱい、気づかない…それが当たり前になっていて、想像力がちょっと乏しくなってしまっている人たちの中にも、ちょっとした「きっかけ」さえあれば、人としての心が戻ってきてくれることも多いのではないかと。

要は、人から恨みや反感を買わない上手な「きっかけづくり」ができるかどうかでしょう。


コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
このすぐ下の「カテゴリ」から興味のあるテーマごとにクリックして覗いてみてください。
一部パスワードをご存じのメンバーの方のみ閲覧できるページを含みます。

カテゴリ
カウント開始 2011.1.14~
リンク
最新記事
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR