音楽と社会の架け橋に

11月19日(水)


最近FBつながりから私のブログを初めてご覧になられた方から、「高木さんのページって、音楽の話題と社会的な話題とに大きく分かれますね」と言われました。
はい、音楽と社会、この2つのテーマは私なりの思いで繋がっています(後述)。

音楽などの芸術を愛しひたむきに取り組む人たちの多くがアップする話題は、自分がいま取り組んでいる作品のこと、美しい自然、おいしいもの、友達や家族やペットとのほのぼのした風景…etc.
そういう方がほとんどです。私だって、そういう話題だけ出していれば楽しいし、みなさんも「いいね」が付けやすいでしょう。

でも、どんな仕事でもそうでしょうが、巡り巡って世の中に幸せの種を蒔くことが最終目的ではないでしょうか?
その幸せの種を蒔こうとしている畑(=世の中)が不条理に満ち、民主主義が壊されそうになったり、金持ちばかりが優遇されたり、おかしな事件で尊い命が奪われたりしていても、見て見ぬふりでいいんでしょうか?

私がFBでフォローしている中に「社会音楽家プロジェクト」というのがあります。
なにも難しい社会問題や政治に首を突っ込もう、楽器をもってデモに参加しようというんじゃありませんよ(笑)。
ただ、コンサートでいい音楽を聴いて自分だけ気持ちよくハッピーになるだけでなく、社会の一員としてなにか考える気持ちも芽生えさせて帰っていただけるように…というコンセプトに賛同します。



「政治と宗教と野球の話は社交の場ではタブー」とおっしゃる方がいます。
たしかに「オレは阪神ファン」「いや巨人だ」という不毛の議論をしてもしょうがないです。政治の話題もそれと同レベルで、自分がどの政党を支持するかとか、今の政権への節操のない批判をしていてもしょうがないですね。
銀座のクラブのママさんあたりが、接客においてそういう話題を避けるのは分かります。

でも、私がブログやFBを通じて書いているのは、特定の政党の支持を呼びかけるものでも、現政権をむやみに罵倒して非難するものでもなく、専門的な政策論議でもマニアックな政治談議でもありません。私たちの社会の問題をどう決めるか、民主主義として当然の話を出しているのです。

いわば「人」として、「社会の一員」として、「一有権者」として、筋の通らないことには「NO」という発信であり、自分が組織に属する一員であってもなくても、人として当然の問題意識をもち、中学生でもきちんと読んでいただければ分かる文章で書いているつもりです。

→ 「考えること、表現することの大切さ」


素晴らしい音楽に関わっている方も、単に自分が好きだからというだけでなく、何のため、誰のために音楽をやるのか、「音楽の力」でせめて何かできることはないか…
以前にも書きましたが「音楽と社会との架け橋」というテーマです。

私もアマチュアながら音楽とは長く付き合ってきました。しかし単に個人的に閑な時に思い出したようにピアノを弾いたり、他の楽器と合わせて楽しむだけだったら、おそらくこんなことは考えてなかったでしょう。

学生時代からアマチュアながら音楽団体(オーケストラ)に所属し、社会人になっても、結婚して子どもが生まれてからも市民オーケストラを続けてきました。打楽器は種類も数も多く、トラックで運んでセッティングしなくてはなりません。演奏会の余韻も冷めやらぬうちに、ご招待しておいた友達の誰が来てくれたのかもわからず、挨拶もろくにできないままに、楽器をトラックに積み込んで撤収しなくてはなりません。画廊で1週間個展をやって見に来てくれた人とゆっくり歓談できる世界がうらやましかったりもしました。

音楽をできる機会に恵まれていることに感謝しつつも、楽器をトラックに積み終えて返却し、打ち上げも早々に「ああ、明日からまた仕事か~」と現実に引き戻される瞬間、「自分はいったい何のために音楽をやってるんだろう…」と。

そんなとき、「音楽を通じて何かできることを」「障がいのある人とも『音楽の力』でともに生きる社会へ」…そんなテーマに出会ったのです。
そしてその出逢いから来年で10年。自分なりに「音楽を通じてせめて何かできることを」という思いで2年前から音楽療法を学ぶきっかけともなりました。

そこで実感してきたのは「音楽の力」の不思議さ、素晴らしさ、大切さの再確認でした。
社会には今以上にもっともっと「音楽の力」を必要とする場面があるということです。少しずつですが、「音楽を必要とする社会」に応えていける橋掛かりになれたらいいなと。

音楽に限らず、美しい世界にあこがれ日々美しいものを目指す方たちというのは、それらを通じて世の中に幸せの種を蒔こうとされているのではないでしょうか?
その幸せの種を蒔こうとしている畑(=社会)が不条理に満ち、弱いものが虐げられたり、社会全体が危険な方向に進もうとしていても、見て見ぬふりで良いのでしょうか?

社会から音楽を求められる場面はこれからもっと出てくるのではないかと思います。そうあって欲しいとも思っています。ならば音楽の側からも、もっと社会に目を向けていくことも大切ではないでしょうか?


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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