集い&ゲーム

11月6日(木)


今年も残すところ2か月を切りました。
さまざまな文化行事の打上げ、年末に向けて宴会も多くなってくるシーズンです。
宴会といえば、よく行われるのがビンゴなどのゲームのお話し。


BINGO(ビンゴ)

いまさらビンゴゲームについて説明するまでもないでしょうが…

一般的なものは、全部で75個の数字が、「BINGO」のB 列…1~15、I 列…16~30、N 列…31~45、G 列…46~60、O 列…61~75という風にグループ分けされています。

手元に配られるカードには、B~O列それぞれ5つずつ、合計25個の数字が選び出されて印刷されていて、真ん中(N列の中央)はラッキーホール。

BINGO-IMAGE.jpg

読み上げられる数字は1~75の中から任意。回転するくじ引き機のようなものから取り出された玉に書かれた数字が1つずつ読み上げられます。
読み上げられた数字が手元のカード内にあればその箇所を穴で抜いていき、抜けた箇所がタテ・ヨコ・斜めいずれか1列に並べば「BINGO」!
転じて、何か推理が当たった時や、メンバーが全員そろった時などに「BINGO!」と叫ぶこともありますね。

B~O各列とも、手元のカードに選び出されているのは15個のうち5こずつ。全体では75個のうちの25個。つまり1回のコールで読み上げられる数字が手元のカード内にある確率は単純に考えて3分の1の確率。そこはまあ分かりますね。
でも、読み上げられるごとに手元カード上でヒットし、それがタテ・ヨコ・斜めのいずれかで一列に並ぶ確率は…?う~ン、数学の「確率」の問題として解くのはかなり複雑になりそうですね。
(考え方→計算式の分かる方はぜひコメント欄に!)

今はすっかり有名なBINGOゲームですが、私が小学校のころ(昭和40年代)にはあまり一般には知られておらず、英会話教室でカナダ人の先生がやってくれて知りました。

1~2ケタの数字が英語で読み上げられ、その数字が手もとのカードの中にあるかを探して抜いていき、そろったら「BINGO!」と叫ぶ…新鮮で面白かったですね。高価なものではありませんがいちおう景品も出ました。

アメリカやイギリスでは、教会や慈善・非営利組織が運営資金確保のために営業するビンゴ・ホールやビンゴ・クラブも各地にあり、賞金を賭けたビンゴ大会も行われているといいますね。


宴会やパーティでの「ゲーム」の是非

ビンゴは、とくに勝つための作戦もなく、とくに頭脳を使う必要もありませんから、子供からお年寄りまで誰でも参加でき、人数制限もとくになく、飲食しながらでも簡単にできます。

風船割りゲームやいす取りゲームのように、参加者にルールを説明したり移動して列になってもらったり…といったわずらわしさもありません。

年末の忘年会などでは、幹事さんがゲームの仕掛けや景品を用意して張り切って盛り上げようとされている光景をよく見かけますが、宴会の中でやられるゲームは正直あまり好きになれません。

私もゲームそのものが嫌いなわけではありません。子どもたちも交えてのホームパーティでやるなら、私も進んで世話役をやるでしょう。また冬の山小屋などに閉じ込められたような時にやるのはいいでしょう。全員である程度ゲームに集中できるならば。

でも、各種の交歓会や講演会・シンポジウムの後の交流会をはじめとする社交の場では、初めてそこで知り合う方たちとも自由に「歓談」を楽しみたい場です。
そういう場で、やたら「盛り上げ」ようと安易にゲームを取り入れられると、会話が中断されてゲームに気を向けさせられ、盛り上げのトークやマシンの「騒音」がけっこう長い時間続きます。
「ゲームをやるために来たんじゃない!」と。

結婚式の二次会では、なつかしい学生仲間で談義に華を咲かせるもよし、新郎側・新婦側の友人同士が知り合える貴重な場でもあります。弦楽四重奏などの生演奏や、スクリーンに二人の出会いをまとめた映像を流して時々見て盛り上がるのはいいでしょう。でもそこでゲーム大会というのはいかがなものでしょうか?

また、職場の忘年会もしかり。私もそれなりに大きな組織に属してきましたが、放送現場は年末まで忙しいですし、せいぜい各現場ごと・部署ごとに「今年もお疲れ様!」の意味を込めて、ふだん直接お話しすることも少ない人たちとも一献交わしながら…というレベル。もともと会社をあげての大宴会が好きではない私としては助かってます。

いずれにしても、そういう「人との会話」が主体の社交の場で、必要以上に場を盛り上げるためのゲームはいりません!

ひところ流行った、「ネルトンパーティ」 (★注…トンネルズというお笑いコンビが進行役となり、男女の集団お見合いをさせるような番組をヒントにしたもの)よろしく、初対面の男女が緊張してなかなか話すきっかけがつかめないかもしれないので、場の空気を和ませ、うちとけあって距離を縮めるのに何かゲームで盛り上げよう、という意図なのでしょうか?

そういう幹事さん・主催者のあたたかい「配慮」なのかもしれませんが…
はっきり申し上げて余計なお世話です! 
そんなに張り切って「さあ、みなさんで〇〇ゲームをやりましょう」などと盛り上げていただかなくてもいいのです!
むしろせっかくの会話を中断され、無理やりゲームに集中させられて、意味もなく盛り上げ、うるさいだけで迷惑だと感じることがほとんどです。

そもそも参加者の会話で盛り上がるのはいいですが、べつに会場全体を無理やり盛り上げてくれなくてもいいんです!だいたい奇声をあげて盛り上がらないと楽しく飲食できないという発想がおかしい。
べつに景品がほしくて参加してるんじゃありません。もし高価な商品や旅行券などが当たればラッキーかもしれませんが、同じ参加費を払って景品の当たる人と当たらない人との不公平感も拭えません。その景品代をむしろ食事に上乗せしていただいた方がいいと思ってしまいます。


素敵な会合は参加者全員が主役

ビンゴゲームでトークや景品引き渡しまで含めたらあっという間に30~40分は費やされるでしょう。その時間で、もっと有意義なことが考えられないでしょうか?

たとえば私なんかは、せっかくその場に集まった方たちがどういう方たちなのか、もっとお互いのことを知りたいと思います。

講演会でもミニコンサートでも、そこに参加される方は出演者や主催者の知り合いだったり、どこかでその行事の情報を得て興味をもって来場された人たちです。

会が終わってからそれぞれ個別に出演者や主催者に花束やプレゼントを渡して立ち話しするだけ。
この広い世界で、わずか何十人かが同じ時間・同じ場所に集い、共通の人(出演者や主催者)もあり、テーマへの興味も共通しているのに、まったくお互い話もしないで知り合うこともなく散っていくのはもったいないと思うのです。

主催者側の一方的なトーク、用意されたプログラムだけで終わるのではなく、きょうここに集まっている人のこともちょっと紹介したり、できればひとりひとりが1~2分で簡単に自己紹介し、そのあと興味のある人と自由に歓談できる時間がもてたら素敵だと思うのです。

20人程度ならひとり2分ずつ自己紹介しても40分、ビンゴゲーム並みの時間でできます。

1~2分ですから、所属や仕事の経歴、あるいは個人的な趣味のことを延々と喋られたら困ります。また単に所属・名前だけでなく「私はどういう人で、なぜ今日ここに来たのか、誰とどんな関係なのか、いまどんなことを考えて目指しているのか」といったこと(=今ここに来ている「あなた自身」のストーリー)を、その場に集まった人たちに1~2分で簡潔に分かりやすく伝えられるか…?

ちょっとしたセンスと訓練も必要かもしれません。そういう機会が少ないから慣れてない方もいらっしゃるでしょうが、簡潔に「自分を語る」って大切なことだと思いませんか?
→ 人をつなげる力=「物語」


お決まりのプログラムを押し付けない

宴会での安易なゲームによる盛り上げを「反面教師」とするならば…

こういう場でこういう人たちにはこれをやったらウケるだろう…などと安易にお決まりのプログラムを押し付けないことです!

いま学んでいる音楽療法でも、認知症のお年寄りにはこういう曲でこんなことを、発達障がいの子供にはこういう曲でこんなことを…と仮のプログラムを組むことはあります。

病気や障がいについて理解し、そういう人にはどんなことを提供したらよいか、どんな効果が期待できるか…という風に考える上で、仮のプログラムとして考えてみるのはたしかに無意味なことではありません。
手足を動かす運動を、ただひたすらノルマのようにやることは難しくても、音楽に合わせてやれば楽しく、みんなでできる、というメリットはもちろんあります。

でも、その人の生きてきた生き様、幼少や青春時代の思い出、音楽の好み、音楽的な経験…それらはそれこそ人それぞれ。その時その時の気分によっても、いまはこういう曲を聴きたい・聴きたくないもあるはず。

与えられた時間枠の一部に「さあ、みんなで~~をやってみましょう」はあってもいいですが、お決まりのパターンでそれだけをずっとやられたり、次から次へと「はい、あなたにはこういうことがいいでしょう」と勝手に決められたことばかりを繰り返されたらたまったものではないでしょう。

これは福祉や医療の世界に限らず、世間一般の「子供向け」「お年寄り向け」にも言えることだと思います。
たしかにお年寄りに「ドラえもん」じゃないでしょうし、保育園ぐらいの子どもに「演歌」でもないでしょう(「園歌」!?)

でも、相手は子どもだからこういうものを与えておけばいい、お年寄りはこうすれば喜ぶだろう…という安易なお決まりのパターンに流れてはいけないと思うのです。

<余談>
私は子供のころから鉄道が好きでした。そういう番組や写真集も見ていました。
ですから、どうして子供向けのおもちゃの機関車は、あんなに赤や緑などカラフルなものばかりなんだろう?と思ってました。イギリスなど外国にはカラフルな蒸気機関車もいますが、日本では圧倒的に「機関車といえば黒だろう!」と。子ども扱いされてお決まりのものを与えられることが本当に嫌でした。


子供向けだからこういうもの、こういうお話し、こういう歌…etc. お年寄り・障がい者への福祉は…etc. テレビ番組でも、子ども向け番組、福祉の番組、それぞれがまるで行政のタテ割りのようになっているように思います。

アメリカの「セサミストリート」などを観ていると、子ども向けの番組でありながら、かつての映画の大スターやミュージシャンなどが着ぐるみのキャラクターと一緒に登場したり、車いすに乗った人がストリートバスケットをやっていたりします。
子どもも大人もお年寄りも障がいのある人も、社会の中では一緒なんですよね。

日本でも、新美南吉の「ごんぎつね」「おぢいさんのランプ」「てぶくろを買いに」など、大人が読んでもなにか大切なことを考えさせられるようないいお話もいろいろあります。
映画でも音楽でも、本当に素晴らしい作品は、子供が見ても大人が見ても感動できるはずなのです。

むしろ、分かりやすいかどうか、いまそこにいる対象者に適切な題材かどうか、といったことの方が重要ではないでしょうか?

人にはそれぞれ価値観がありケースバイケース。一概に年齢層や症例でくくったり、宴会芸やゲームのようにお決まりのパターンで企画すればみんな喜ぶだろうと安易に決めつけてはいけないとあらためて思うのです。

お決まりのプログラムでその場だけを盛り上げようとするより、もっと「人」として「人」と向き合い、「自分を語る」ことにもっと重きを置いてはいかがでしょうか?



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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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