本質を見失わないで

10月19日(日)

安倍改造内閣がスタートして早々に、女性閣僚による問題が次々と報じられています。
法務大臣のうちわ問題、経済産業大臣の政治資金の私的流用の問題…etc.

目玉であったはずの女性閣僚の登用にスタート早々につまずき、安倍首相の任命責任が問われることは必至でしょう。安倍政権そのものが国民に信を問われる時が遠からず来る…そこは私もひそかに期待していることです。

しかし、政治資金問題の発覚した閣僚だけを責めるのではなく、これを機に「政治とカネ」を根本から問うべきではないでしょうか?
世界でも類を見ないほど高い議員報酬・諸手当・特典を見直し、大企業や経団連とべったりの政治ではなく、本当に世のため人のための政治を志す者だけが議員(政治家)に立候補するようにしなくてはいけない、というのが私の考える本質論です。

→ 大企業中心の「政治とカネ」に根本からメスを!


靖国はなぜ問題なの?

そして、もうひとつ本質を問う意味で、高市総務大臣をはじめ3人の女性閣僚が靖国神社に参拝した問題。
「それぞれの自由に、自らの心に従って行うものでございます。外交問題になるようなものではございません」とおっしゃってるようですが、この問題の本質はどこにあるでしょうか?

「極右だ」などと一喝する声も聞かれますが、そもそも右とか左とかは私にはよくわかりません。
それより、靖国神社とはどういう場所で、閣僚が参拝するとなぜ問題になるのでしょうか?

サイトでも圧倒的に多いのは「靖国にはA級戦犯も合祀されているから問題なんでしょ?」という声です。ではその方たちに問います。あらためて、A級戦犯とは何ですか?

戦後GHQが行った東京裁判で、平和を犯した罪に問われ、絞首刑となった東条英機をはじめとする7人の「戦犯」ですね。
その東京裁判の席で、アメリカの弁護士がある重要な動議を出したことをご存じでしょうか?
戦争そのものを国際法で「違法」とする規定がないのに、戦勝国が敗戦国の戦争犯罪人を裁くことに妥当性はあるのか、という歴史に残るきわめて重要な動議です。
しかしこの動議は否決され、裁判は続行。東条英機をはじめとする7人が絞首刑となって幕が引かれました。
(↓ 下記のリンク「あの戦争は何だったのか?(1)A級戦犯とは」参照)

いずれにせよ、日本人自身が「あの戦争は何だったのか?」を問いかけ、責任の所在を明らかにして裁かれた人たちではない、ということです。
当時の軍部の圧倒的多数は参戦論だったばかりか、国民もみないけいけムードで、戦争反対や命の大切さを訴えようものなら「非国民」と言われたのです。

戦後アメリカにべったり寄り添って経済成長を続けてきましたが、日本人として過ちを反省し、平和を誓って戦後をスタートさせたと本当に言えるでしょうか?
A級戦犯だけを「悪者」にしておしまいですか?
そのA級戦犯も一緒に祀られてるから靖国神社は問題だというのでしょうか?

閣僚が靖国神社を参拝することの根本的な問題は、そこではないと私は思っています。


日本軍人だけを祀った靖国は、真の平和祈念の場ではない

靖国神社は、日本の軍人(A級戦犯も含む)だけを英霊(神様)として祀ってある場所なのです。
非戦闘員の女性や子供やお年寄り、名前も分からない無名戦没者の霊は祀られていません。また、朝鮮半島(今のように北も南もない)から駆り出されて日本のために戦わされ亡くなった方の霊も入っていません。

千鳥ヶ淵にある無名戦没者の碑に手を合わせ、すべての戦争犠牲者の霊に向かって「過ちは繰り返しません」と平和を誓うのであれば、中国や韓国も怒るはずがありません。

こともあろうに、日本の軍人だけを「英霊」として祀ってある靖国神社を参拝し、「日本の繁栄のために犠牲になられた人」に手を合わせ、「心の問題だ」「内政干渉だ」などと発言するから問題となるわけです。
公式参拝か私個人かを問題にされますが、現職の閣僚であることに変わりありません。

一般の人で、かつて軍人だった父親や祖父や知人の霊が靖国神社に祀られている人もいらっしゃいます。そういう人たちがあくまで個人として参拝する、あるいは春の桜や夏の御霊祭を見に行って幻想的なろうそくの灯りを眺めるのとは意味が違うのです。

→ 「閣僚が靖国に参拝 またしても日韓、日中に亀裂!」
(2013年4月に書いた記事です)


私も戦争体験のない世代ですが、学校ではあまり教わらなかったことも含めて私なりに調べたこと、思うところをブログにもつづってきました。

→ 「あの戦争は何だったのか?(1)A級戦犯とは」

そのあたりをきちんと認識しないまま戦後を突き進んできたことが、国や組織の過ちを冒しても誰も責任をとらず、国民に隠ぺいし、あいまいにトカゲのしっぽ切りで幕を引こうとする無責任な体質を温存してきたのではないかと…

→ 「あの戦争は何だったのか?(2)誰も責任を取らない」

いずれも去年の夏、終戦記念日のころにつづった記事です。


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日本人が日本人の手で大東亜戦争の総括せず,その観点から一人として責任をとっていない!

日本人が日本人の手で大東亜戦争の総括せず,その観点から一人として責任をとっていない! 東京裁判がなかったら,果たして日本人は戦争の責任をきちんと問うていたか?甚だ疑問だ。今度の311についてもいまだに誰もこれと云った責任をとっていない。これが日本に実態ではないのか???!!!

Re: 日本人が日本人の手で大東亜戦争の総括せず…

石川忠さん

いつもありがとうございます。FBからようこそ。
やはりそうお思いですか?
太平洋戦争で日本と同じ同盟国だったドイツは、街の石畳に殺されたユダヤ人の名を刻み、各地に慰霊碑を立て、アウシュビッツへと連行された駅のホームを残し…過ちの歴史を後世に伝える努力をしてきましたが、日本はどうでしょうか?
いまだに当時の日本軍や日本政府に都合の悪い話は封印し、教科書からも削除しようとします。

いま朝日新聞の問題が取りざたされていますが、少しでも悪い方へ過大な記述があったとなれば大問題に。もちろん記事の信憑性は大切です。でも、記事に書かれたようなことはねつ造だったとしても、多かれ少なかれ他国に多大な犠牲を与えた蛮行があったことは事実でしょう。戦争とはそういうものだと。そこが本質ではないでしょうか?

そして、日本という国を愛すること(=愛国)と、過去の過ちを隠ぺいすることとは全く別のことです。
とにかく過去の過ちを封印し、なかったものにしたい人があまりにも多いように思います。とくに政府関係者の中に…

戦後の東京裁判は、日本人が日本の過ちを裁いた場ではありません。結局日本はあの戦争への責任をきちんと清算していないのではないでしょうか?
そしてそういうことの積み重ねが、今日の原発事故でも、きちんと原因を究明し、事実をくまなく公表し、しかるべき責任をとる、ということができない体質にも引き継がれているように思えてなりません。

靖国神社とアジア太平洋戦争処理の本質

靖国問題とは何かですが、次の点に収束できます。
靖国神社は国が、戦争のために建てた神社です。すなわち、明治政府が戦争に行く人たちに対して、もしものことがあれば、靖国神社に英霊(神)として祭祀するという約束をしたのです。だから積極的に戦争に行ってくださいということだったのです。したがって軍人や日本人(併合した朝鮮人や台湾人を含む)だけが合祀されているのです。
これが戦後、鎮魂の社として目的を変えたのですが、これが非常に曖昧なのです。中身等は何も変わっていません。
参拝する閣僚は口をそろえて、日本のために亡くなった人を拝むのは何が悪いといいます。
しかし、批判は、日本が戦争のために作った国家神道のインセンティブの社になぜ行くのかというわけです。議論がかみあっていません。
今後、日本は集団的自衛権のもとに、戦争に加担するかもしれません。その時の戦死者を祭祀するかどうか、このことを今から議論することが問題の要諦でもあります。
アジア太平洋戦争の「責任」問題ですが、非常に抽象的な議論に実は終始せざるをえません。
そもそも「責任」とは何か、曖昧だからです。
閑話休題。具体的にこの戦争のおとしまえは次のようなことに尽きます。
戦争の犠牲者は民間で50万人です。うち、東京大空襲10万人、広島14万人、長崎7万人です。これがすべて1944年6月のサイパン失陥以降の犠牲だったのです。兵士の戦死者は230万人です。この9割近くが、やはりサイパン失陥以降で、しかもその6割が餓死でした。なぜ、1944年に戦争を辞めなかったのかでしょうか。サイパン失陥直後、東条内閣は総辞職しましたが、ここに大きなチャンスがあったはずなのです。この理由をさぐることこそ、最も大切なことでしょう。
さらに重要なこと。それは兵士の遺族に対しては50兆円の遺族年金が支払われましたが、民間の被害者には一切の賠償がなかったということです。このおとしまえはまだついていません。

Re: 靖国神社とアジア太平洋戦争処理の本質

お名前がありませんが…コメントありがとうございます。

いま自民党内でも、靖国神社からA級戦犯だけを分祀しよう、という検討をしている議員がいるそうですね。
一般国民の多くも、靖国はA級戦犯も合祀されているから問題だ、とおっしゃる方が多いです。

しかし、本文にも書いたとおり、そもそもA級戦犯とは何かを考えつめていくと、彼らだけが悪者だったんだろうか、という気持にもなり得ます。また、あの戦争へと突入していったことも「やむを得なかった」、そして散っていった軍人たちは偉かったと。靖国はそういう場所なんです。
コメントに書いてくださったように、国のために戦って死んだら靖国に祀ってあげるよと戦争に行かせるためにつくられた、いわば「戦争神社」。

「神社」と名付けられていますが、伊勢神宮や出雲大社とは根本的に違うのですよね。
無名戦没者も含めて、すべての犠牲者を弔い、戦争の過ちを繰り返さないと誓い祈る場所とは言えないのです。
そこが本質であり、A級戦犯だけを分けるかどうかという問題ではないのです。

なぜ、すべての戦没者(民間人含む)の慰霊碑を国営で造らないのでしょうか?
そして閣僚らは、そちらに公式参拝したらいいのです。
ご自身の父や祖父などの霊を参拝するのであれば、個人のお墓に行けばいいでしょう。靖国に祀られている人たちはちゃんと素性も知れている軍人ですから、お墓は別にちゃんとあるはずです。そしてどうしても靖国へ参拝したいのなら、閣僚の立場を退いて完全に私人となってから行けばいいのです。

A級戦犯だけを靖国から分祀するよりも、靖国とは別にすべての戦没者を弔う場所を作り、そこに手を合わせる方が理にかなっていると思いませんか?

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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