原発再稼働と民意 ~新たな提案~

9月19日(金)


◆「原子力ムラ」のロボットがまたひとり

小渕経済産業大臣は、「福島の復興に全力を捧げます」と発言したが、原発の再稼働に関しては9月3日の就任会見で「安全性が確認された原発の再稼働を進める」と、政府方針通りの見解を述べた。

さらに9日の大臣会見では、昨年7月に施行された新規制基準について、テロ対策が不十分であることや、メルトダウンした際に核燃料を受け止めるコアキャッチャーが義務付けられていないなどの不備について記者から指摘されると、「様々なご意見はあると思いますが、規制委員会における基準というのは、『世界においても一番厳しい』と言われる規制だと承知しております」と、「原子力ムラ」の公式見解通りの答弁に終始した。 (以上、週刊朝日2014年9月26日号の記事より要旨をリライト)


政治家批判ではなく、国民がいま何を考えるべきか?

この二世政治家の小渕大臣が優秀なのかそうでないのか、私はそこにはあえて触れません。政治家個人をけなすことが私のブログの趣旨ではありません。

ただ、いまの原子力規制委員会もしかり、1大臣もしかり、しょせんは「ロボット」に過ぎず、自分の信念をもって国民の安全のために知恵を絞ろう、大勢に立ち向かって尽力しようとする公僕はもう完全に絶滅してしまったのか!?、と問いたいのです。

そんな今の日本の政治を嘆いて批難したらそれこそ枚挙にいとまがありませんが、それだけではだめだと思うのです。
政治が国民を無視するなら、国民も政治をあてにしないで生きるすべを考えなくてはいけません。
では、われわれ国民は今なにをすべきか?  

まず、正しい情報を自分で探し、現実から逃げることなく、ことの本質をきちんと見ることです。

福島の問題にしても原発問題にしても、感情論や人への偏見によってかなり本質から外れた無慈悲な発言をする人も少なからずいることを残念に思います。

たとえば、福島で殺処分にするしかないとされた動物たちを救おうと、中央省庁に何度も足を運んで訴え、救済の道を見出して『希望の牧場』をつくった人がいます。
私も渋谷駅でその方の演説を聞き、直接本人とお話しもして本も買いました。ところがなんとその人に向かって「お前ら福島の人間のお蔭で放射能が、電気代が…」と筋違いの怒りをぶつける輩もいると聞きます。 「福島の人=うざい」んでしょうか…?

一方、「福島の悲劇を繰り返さない」という表現は福島の人たちに失礼だ、という声もあるようですが、それって何のための「配慮」でしょうか?
傷ものに触れないように口をつぐみ、心の中では差別と偏見の目を向ける…かつてヒロシマ・ナガサキの被爆者たちも、被爆したことに加えて、そのような人々の目によって戦後どれほど苦しんでこられたことでしょう?

避難生活を余技なくされている人の気持ちを察したり、なかなか進まない復興支援に憤りを感じることは人として当然の感情であり、それを素直に表現したり、せめて何かできないかを考えることは素晴らしいことです。そういうことではなく、変な同情や、差別・偏見の目があることも事実で、私が言いたいのはそちらに対してです。

日本人は「和」を尊び、思いやりに満ちた国民ではなかったのでしょうか?
いまは福島だけではなく、日本全体いや世界中が原発の被害者であるとも言えます。
なのに、狭い日本に住む者同士、なぜ福島県民に対してだけ特別の意識で目を向けるのでしょうか?

何か言うと反論されるかもしれない、自分がどう思われるかを気にして、何もしない、見て見ぬふり、「無関心」を装う(→本当に無関心になってしまう)のはもっと罪悪です。
「『愛』の反対語は『無関心』である」…たしかマザー・テレサの言葉でしたね。


「原発反対」を訴えるにしても、単に「福島の被害はひどい→原発には反対だ」ではなく、もう少し長い目でわが国の電力供給についても考え、化石燃料を燃やして得られる電力に依存している現状と、そこから脱却する新しいエネルギー供給のあり方まで少し考えてみる。

それこそ中学生の夏の課題で身近な社会問題について「ちょっと調べてみよう・考えてみよう」というレベルでいいと思うのです。なまじ専門的な知識や既成の常識に埋もれるよりも、まずは人として素朴な疑問を持つことからスタートした方が「ものごとの本質」に近い発想ができる場合があります。

以下、とくに何かを引用することなく、私なりの問題意識を自分の言葉で書いてみます。


◆そもそも原発(再稼働)は何のため?

先ごろ火山の噴火をめぐる認識についての議論もありましたが、原発の安全基準そのものが曖昧である中、なにがなんでも「再稼働ありき」という流れで着々と進められています。
これは明らかに、「国民の命よりも、地球よりも、企業の利権は重い」という「経済=大企業の論理」が働いていることの証しです。

東電は国から多額の費用補てんを受けつつも、いまだ福島の避難生活者への責任も保障も取り切れておらず、役員は一般企業よりも高い役員報酬を受け取り続け、さらに「原発を再稼働させなければ値上げもやむを得ない」などと言っています。

これは東電のみならず、北海道電力・東北電力など日本列島のブロックごとにこれまで電力供給(販売)を一手に独占してきた大手電力会社各社とも同じです。
そのような大手の電力会社の言いなりになって、電力供給をずっと独占させて依存したままで良いのでしょうか?



いま現在、日本では1基の原発も動いていない中で、この夏の猛暑もなんとか電力不足に陥ることなく乗り切ることができました。
「原発はなくても電気はまかなえるんだということが実証された」と原発反対派は声を大にして言います。

しかし、原発を動かすことなく得られている電力とは、化石燃料(=石油)を燃やして電力を得る火力発電に依存しているのが現状です。
このような状況が未来永劫続けられると考えてはいけません。そもそも、化石燃料に頼らなくてもよいための「新しいエネルギー」として原発がこれまで推進されてきたのではないでしょうか?

電力会社各社も、石油燃料に頼ることの先行き不安とコストを理由に、「原発を再稼働させてくれれば電気代を下げます」などと言い出すのです。原発開発・建設にこれまでかけてきた莫大なコストパフォーマンスも背景にあることは言うまでもありません。

政府もまた、これまで多くの国家予算を投じて原発の研究開発・建設に関わってきたわけですから、企業の利益に追い風となる政策を打ち立てるわけです。

そこに、「人の命よりも、地球よりも、企業利益は重い」というおかしな原理が出てくるのです。

もし、人の命や地球への環境を配慮して本当に原発廃止を訴えるのであれは(私自身も含めて)、石油に代わるなんらかの燃料、もしくはいまの火力発電以外の方法について知恵を絞って提案していく、あるいは大手電力会社の独占体制を変えていく必要があります。


大手電力会社の独占体制を崩す新しい知恵を!

いま北海道あたりで新しい動きがあることを先日テレビで知りました。

節電にも限界があり、これ以上電気代を値上げされたら本当に困る中小の事業所や学校などが、大手電力会社よりも安く電気を供給する「新電力」と称する民間の小さな電力会社に契約を切り替える動きが出てきているそうです。
火力で発電しますが、その燃料は産業廃棄物で出るプラスチックとのこと。
 
なにか閃きませんか?

★各地のゴミ処理施設で発電できないか?

日本各地にあるゴミ処理施設で、毎日大量に出される家庭や事業所からの可燃ごみを燃やすエネルギーを電気に変える、つまりゴミ処理施設に発電の機能を持たせることはできないのでしょうか?

私の住んでいる東京・世田谷区では、2~3年前からゴミの分別収集の方法が変わりました。それまで紙類は「可燃ゴミ」、プラスティックやスチロールなどは「不燃ごみ」と分けなくてはなりませんでしたが、最近はたいていのものは「可燃」でよくなりました。
つまり焼却施設の性能が向上し、高温で完全燃焼させることができるようになったため、有害なダイオキシンを発生させる心配もなくなったというのです。

ならば、その巨大な熱のエネルギーで発電もできないのか?…というのは中学生でも思う素朴な疑問ではないでしょうか。

現在のところ、ゴミ処理施設に温水プールを併設するなど熱利用を進めているところは多いですが、発電までやって地域に電力を供給しているところがあるかどうか…まだあまり話には聞きません。

ならば、全国各地にあるゴミ処理施設に毎日出されるゴミを燃焼させるのに放出される巨大な熱エネルギーを考えない手はないと思いませんか?

最近よく聞かれる地熱発電があります。マレーシアやニュージーランドなどでは地熱発電が活躍していて、発電のためのタービンは日本のメーカー製らしいです。日本の技術で十分できるのですね。
ただ、わが国では地熱発電がなかなか進んでいません。その理由のひとつに、マグマの熱を利用できる場所の多くは国立公園になっていて発電のための施設を作れないことがあります。

ただ、国立公園内にも多くの商業施設は建っています。国の決断によっては、例外措置などで発電施設を作ることも必ずしも不可能ではないと思うのですが…



ところで発電機モーターとは同じ構造です。コイルを巻き、永久磁石に囲まれたところに回転軸を設けた「装置」です。
コイルに電気を流してやれば磁力が発生し、それが永久磁石と引き合ったり反発したりして「回転」という運動を起こします。それがモーターですね。
それに対して、同じ装置に何らかの力で回転を与えてやって電気を発生させるのが発電機です。

試しに、自転車のタイヤに接触させて前照灯を光らせるあの装置に、直流12Vほどの電気を流してやるとちゃんと回転します。
また、模型用の小さなモーターを2つ用意し、2つのモーターの軸と軸をパイプでつなぎ、一方のモーターに電気を流してやると一緒に回転します。電気をつないでいない方のモーターの端子に豆電球をつなげば光ります。これ、中学生の理科の知識ですね。

つまり、発電機とモーターは装置としてはまったく同じものと言ってよいのです。なんらかの力でモーターを回せば電気は作り出せるのです。ゴミ処理施設のように安定した熱源さえあれば、発電するための装置そのものは決して特殊で高価なものではないのです。

ただ、先ほどアイディアとして出したゴミ焼却施設に発電装置を設置して、ある程度のエリアの電力を確保するには、それなりの規模の炉とタービンを回す装置、送電のための設備を新たに設置しなくてはいけません。
でも、少なくとも原発を再稼働させるために新たな安全設備をつくる費用や、福島のような事故が万一起きた場合、それを収束するにも方法論さえ見えない対策のためにかかる費用に比べたら、はるかに安くできるのではないかと思うのですが。
 

★太陽光・風力・水力など自然エネルギーを使った発電

わが家を今から10年前に建て替えた際にも、太陽光パネルの設置もいちおう考えたんです。でも、屋根全面に太陽光パネルを設置するのにざっと300万円、さらに屋根や瓦の耐重量対策にプラス100万円近くかかると見積られました!

仮にそれで電気代はゼロになったとしても、設備投資に400万円というのは、一般家庭の電気代が仮に月に1万5千円だとして、なんと22年分の電気代に匹敵します!
しかも、それだけの太陽光パネルをつけても、今の技術では発電能力は充分とは言えないとか。

もし近い将来、今より高性能で安価な太陽光パネルが普及したら設置も検討できるように、壁内の配線工事だけはやりましたが、現状では見送ることにしたのです。

日本は1960年ごろから原子力の研究開発をすすめ全国に60基以上の原発を建設してきました。そのために、いったいどれほどの国家予算がつぎ込まれたことでしょう?
その費用のせめて半分でも、自然エネルギーの研究開発に充てていたら、おそらく今より安価で高性能な装置が普及していたのではないかと思えてなりません。

ところが、せっかくの自然エネルギーの研究開発・普及を国や電力会社の圧力によって妨害するような動きもあったと聞きます。民間や各家庭でより安価な電力を自らまかなえるようになってしまったら、大手の電力会社が電気の供給を独占する基盤がそこなわれるからです。醜い話です。



いまこそ官・民の知恵を合わせて、原発に頼ることを前提としない電力供給の方法もあると思うのです。
感情論だけで東電をつぶせと言っているのではありません。必然的に大手電力会社の独占体制は崩れ、競争の原理によって大手電力会社も体質を変えざるを得なくなるでしょう。決して不可能な話ではないのです。 

ここはちょっと政治的な話になりますが、有権者ひとりひとりが社会のこと、政治のことに関心をもち、国民のための政治をやる人を選挙で選ぶしかありません。
そして議員や政府が国民の声を無視して暴走したら、ちゃんと怒って立ち上がること、つまり「民意を高めること」です。 そして「政財分離」、すなわち政治と財界との関係をそろそろ断ち切る必要もあるでしょう。

これらについては、これまでにも別の項目で色々書いてきましたので、ここでは省略します。

ともかく、政治家や大企業を批判するだけでなく、民間のわれわれ国民ひとりひとりがちょっとした意識を変え、行動に表していくことによって、あたらしい知恵がより結集され、あたらしい豊かさへの道が切り開かれていくことを信じます。

ぜひ皆さんからのご意見もお待ちしています!


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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