文部科学省が「道徳」重視へ…

8月8日(金)

全国あちこちでおかしな事件、少年少女による凶悪犯罪が多発しています。
個々の事件の背景や原因はそれぞれでしょうが、人の命の大切さが分からない、わがままというか自分のことでいっぱいいっぱい、人の気持ちが分からない、うまく自分を表現できない、問題を解決する力が弱い、あまりにも短絡的、想像力の欠如…etc.

小・中学生の段階で、「人」としてなにか大切なことが欠落してしまっているのではないかと感じざるを得ません。 また今の日本の政治や社会の問題、親をはじめ身近な大人たちの価値観・生き方・子どもとの向き合い方・接し方にも問題があるのかな…と。

そんな中、きょう朝日デジタルでこんな記事を見つけました。

道徳の教科格上げ、キーワードは「誠実」「公正」

道徳の教科への格上げを議論してきた文部科学相の諮問機関・中央教育審議会がこれまでの意見をまとめ、7日の部会で示した。教える内容を「誠実」「公正」といったキーワードで示し、題材として「情報モラル」「生命倫理」といった社会的な課題を重視することを盛り込んだ。今秋にも答申を出す予定で、文科省は2015年度からの段階的導入を検討している。

指導内容については、「正直、誠実」「公正、公平、正義」を「キーワード」として列挙。これまでの学習指導要領では、項目としては挙げておらず、「正義を重んじ」などと文章で表現していた。

いじめ問題やネット掲示板での誹謗(ひぼう)中傷、生命の尊厳といった問題について深く考えられるよう、「人間の弱さ」や「情報モラル」、「生命倫理」といったテーマを重視することにも言及。グローバル化を踏まえ、価値観の異なる他者との共生も重要だとした。



道徳教育を重視することは大いに大切なことで、ぜひやるべきです。

ただ、道徳を「教科」として「格上げ」して位置づけるかどうか、キイワードは…なんていう論議をしている(=諮問機関を設けて意見を聴いている)文部科学省って相変わらずだな~と思ってしまうのは私だけでしょうか?

「青少年による犯罪も増えているので、各学校それぞれのやり方で道徳教育を重視した取り組みを!例えばこんな視点で…」ぐらいの「通達」で充分なのではないでしょうか?

次世代を担う子供たちに大切なことは、知識だけでなく「人」としての心、考える力、伝える力、思いやる力、分かち合う力、問題を解決する力、そして生きる力…etc.
それらを勉強を通じて、学校内の行事への参加を通じて、また学校という共同生活の場を通じてトータルに養うことが必要で、その中に「道徳」の時間があることは大いに結構だと思います。

しかし「道徳」の時間を「教科」と位置付けるかどうかなんてことは、いかにもお役人的な「分類学的な位置づけ」「事務的な処理方法」の変更でしかありません。そんなことに時間とエネルギーを費やして、全国レベルで統一するというのはいかがなものでしょうか? 
仮にそれが決まったとして、1週間の他の授業枠との関係、年間の授業時間数などの調整がまたまた大変ではないでしょうか?

少し前の「ゆとり教育」もそうだと思いますが、国(=文部科学省)のやるべき役割って何なんでしょうか?
その時々に子どもを育てる方針を変更し、細かい方針や基準をころころ変えて、しかもそれを全国レベルで統一して強制的にすすめ、そのたびに現場を混乱させ…

それこそ「行う・行なう」「表す・表わす」など正しい送り仮名はどっちか、この漢字を当用漢字に入れるか外すか…といった細々としたことを時間をかけて審議して「改定」する。そんなことを私が小学校を出てからいったい何度やってきたんでしょうか…?
結局のところ「どちらも間違いではない」とか「使ってもよい」という程度のこと(=少なくとも薬品の許認可のように安全や命に関わることではない)に時間をかけて審議し、いちいち文部科学省にとやかく言われなきゃいけないんでしょうか?
そのたびに辞書や教科書を改定したり、学校の現場が対応に追われるなど、関係方面を振り回すだけではないでしょうか?

新聞記事や放送で用いる用語を定期的に見直し、正しい日本語をふまえつつも時代に合った表現に変える、といった基準の見直しならあってもいいでしょう。しかし国が教育の基準をころころ変えるたびに辞書や学校カリキュラムをいちいち変えなくてはならない!…教育現場の方、どう思われますか?

国が方針を出すのであれば、もっと大枠での本質的なことがあるのではないでしょうか?


教育改革の根本は?

私が前々から思っているのは、小中学校のうちにもっと大切なことをしっかり学べるようにするためには、大学入試制度を根本的に見直すこと!

小中学校(義務教育)のカリキュラムや指導要領を小手先でころころ変え、「ゆとり教育」なんて言葉を作ったところで、いったいどうなりましたか?
受験地獄や学歴偏重社会が変わらない限り、商業ベースの塾が繁盛する一方で、小中学校の本来あるべき姿が風見鶏のように変わり、現場の教師も生徒たちも右往左往して振り回されるばかりではないでしょうか?

受験のためのテクニックや知識・偏差値ではなく、小学生には小学生なりに、中学生には中学生なりに、知識・考える力・人として大切なことがたくさん(それこそ道徳教育も)あるはずです。

大学に入るための試験だけが極端に難しく、入ってしまえば「楽園」で、バイトと合コンに明け暮れ、最小限のことをクリアすれば単位がもらえて、卒業して振り返ってみても大学にどんな意義があったんだろうと。そんな大学の名前(レッテル)だけで社会に出てから評価されるのでしょうか?
 
大学(受験)をピラミッドの頂点にすることで、高校生のみならず小・中学生にも「受験の波」の影響を及ぼし、知識・偏差値重視の競争社会を作り上げている…その根本にある大学(入試)制度のあり方を、もういい加減に見直したらどうなんでしょう?

義務教育のカリキュラム内容を小手先でころころ変えるよりも、大学のあり方を根本的に見直すことが、ひいては小中学校も含めた教育全体の改革にもつながると思います。
ちょうど最近こんな記事をブログに書いたところでした。

→ 
「これでいいのか?日本の大学」



◆教育は、社会の大人全体の責任

くり返しますが、学校での道徳教育そのものは否定しません。大切なことです。

ただ、子供への教育をすべて学校の責任に押しつけ、学校教育に100%完璧なものを求め、国がころころと方針を変えることに私は違和感を覚えるのです。

そもそも教育とは、次世代を担う子供たちに社会の価値観・生き方・知識を伝えることです。
家庭、地域、社会に住むすべての大人たちが「教育者」なのです。

大人によって多少言うことが違っても(それこそ国の定める指導要領に沿ってばかりいなくても)、子どもは成長の過程でいろんな大人の価値観から学んでいくのです。
大人たちも「子どもの目」を常に意識することで、「恥ずかしくない生き方」を探していけるのではないでしょうか?

国で統一した教科書に書かれていることをただ伝え、覚えさせるだけが教育ではありません。
先生も一人の人間として、いまの社会で起きている出来事や日本の過去の歴史について、子どもたちに伝えていく。昔からいた「脱線先生」もおおいに結構!

子どもたちも、大人も、自分に直接関係ある目の前のテーマだけでなく、社会全体で起きていることに目を向け、考える。それが「しらける」というのは情けないです。

→ 「多感な中学~高校のうちに」


そして、学校という共同生活の場で、委員を選んだり、ルールを決めたり、行事の運営を考えたり…色んな考え方や価値観の人たちがいる中でどうやってバランスを保っていくか?
そこには生きた「民主主義」を考える機会があるはずです。

たとえば、クラス内の4分の3は「A」という案に賛成で、残る4分の1は「B」という案に賛成だったとします。毎回多数決で決めるだけでは常にA案に決まってしまいます。4回に1回はB案でもやってみる、あるいは全体の中にB案に近い要素を取り入れてみる、といった発想があってもいいでしょう。違う立場の意見にも耳を傾ける、人の気持ちを思いやる、違うことも試してみることを通じて、バランスの取れた民主主義について考えることにも繋がるのではないでしょうか?

そして学校内で培った民主主義の発想を社会にも生かせるように!
それには、今の日本の政治や、われわれ大人(有権者)たちの在り方が問われます。
議会制民主主義でなりたっているはずの地方議会や国会はどうか、そこで民主主義の根幹を揺るがすようなものごとの決め方をされたり、政治家や議員たちが不正を行っても無関心、大人(有権者)の半数ほどしか投票にもいかない…これでは子どもたちに「しめし」がつきません!

→ 「日本を、いや『民主主義』を取り戻す!」

「道徳」をはじめ子どもへの教育(=伝えること)を考えることは、われわれ大人の社会全体を見直すことでもあると思うのです。


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教科になると…

道徳が「教科」となるということは、道徳にも「成績」をつけられるようになることを意味します。

どれぐらい理解しているか、応用がきくか…といったことが他の科目とおなじように「評価」される対象になるということです。

現状でも、各学期ごとに渡される通知表には、各科目の成績だけでなく人との協調性や探求心など、子どもの特性や長所・短所、これからの課題などが記されています。

「道徳」は広い意味で人間性を育む一環。それを「教科」として「成績」をつけられて「評価」される対象ににするというのはいかがなものでしょうか?
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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