43年ぶり、雨のヒロシマ

8月6日(水)


雨の平和記念式典

平和記念式典の日に、広島で雨が降るのは43年ぶりだという。

43年前といえば1971年。大阪万博が開催された翌年で、私が父の転勤で広島に住んでいた中学2年。記念式典の日に雨が降っていたことをよく覚えいる。

時の内閣総理大臣は佐藤栄作。佐藤首相が言葉を述べに檀上に向かうときに、ひとりの若い女性が飛び出して襲いかかり、すぐに取り押さえられたのをテレビ中継で観ていた記憶がある。

佐藤首相に向かって「あなたが広島のためにいったい何をしてくれたのか?」という叫び声をあげていたことが新聞やテレビでも報じられたが、佐藤首相に対するどういう憤りだったのかを私が知ったのはだいぶ年月が経ってからだった。みなさんはなにかご存知だろうか…?


カーチス・ルメイに勲一等旭日章を授けた日本

アメリカ空軍の爆撃指令官だったカーチス・ルメイという人物をご存知だろうか?
昭和20年3月10日の東京大空襲を計画・立案した中心人物である。

カーチス・ルメイ

サイパン・テニアン・グアムなど南の島を陥落し、制空権を獲得したアメリカは、そこにB29爆撃機を配置することで、日本本土への爆撃が可能となった。アメリカの兵士たちも、日本本土への爆撃によって戦争を早く終結できると思っていたに違いない。

そのとき日本本土への爆撃を計画・立案し指揮を執ったのがカーチス・ルメイ氏(当時39歳)である。
なぜ軍事基地や軍需工場への集中攻撃ではなく、多くの非戦闘員たちが暮らす大都市を無差別攻撃の対象としたのか?…ルメイ氏の論理はこうだ。

「東京では、下町の民家で飛行機の部品を作っている。日本はいわば民家一軒一軒が軍需工場なのだ。そこを攻撃することは、わが国(アメリカ)を守ることになるのだ」と。

ルメイ氏の提案による無差別攻撃計画は、日本本土を爆撃して早く戦争を終結させることを望んでいた多くのアメリカの兵士たちをも震撼させるものだった。
それは低い高度からナパーム弾(焼夷弾)を落として人々を火の海で焼き殺すという残忍きわまりない計画だったからである。

ルメイ氏は、東京だけでなく、日本の各都市への爆撃計画や広島・長崎への原爆投下計画にも積極的に関わったほか、第二次世界大戦の後はベトナム戦争において北爆(北ベトナムへの空爆)も計画している。
いわば空爆の生みの親・スペシャリストのような人物で、国内外から「鬼畜ルメイ」と呼ばれている。

本人みずから戦後、「もしアメリカが敗戦していたら私は間違いなく軍事法廷で裁かれて死刑になっていたであろう。しかし幸いにもアメリカが勝ったので、私は英雄と言われているのだ」と述べている。なるほど戦争とはそういうものかもしれない。

さらに晩年、日本の新聞社がアメリカ・南カリフォルニアにあるルメイ氏の自宅を訪ねて取材を試みているが、「もう戦争は遠い昔のこと。忘れたいんだ」と取材も撮影も拒否。
ただ、「インタビューは断るが、勲章なら撮影してもよい」と撮影を許可した。その時の貴重な映像がYoutubeに残されていた。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=ThvwC3XkgCo


この映像の最後に映し出される勲章のひとつが「勲一等旭日大綬章」。なんと日本の天皇から授かった勲章である。日本の航空自衛隊の発展に寄与したというのが授与の名目である。

ルメイに勲一等旭日章を授けることが決まったのは池田隼人内閣の時だが、授章は昭和39年の12月4日、時の内閣総理大臣は佐藤栄作、外務大臣は小泉純一(=小泉純一郎の父)である。

昭和39年といえば、東海道新幹線が東京~新大阪で開業し、東京オリンピックが開催された、まさに戦後の高度成長の真っただ中である。

戦後の日米関係は変わり、安全保障も背景にあるとはいえ、なぜよりによって日本本土への爆撃を企画・立案して何十万人もの民間人の命を奪った張本人に、日本の天皇から勲一等を授けなくてはならないのだろうか?日本とはいったいどういう国なのだろうか…?

43年前の雨の広島平和記念式典に列席する佐藤首相に向けられた“広島の怒り”も理解できないだろうか?


日本の正しい道を見守る

沖縄戦、広島の平和記念式典、長崎の平和祈念式典、終戦記念日…日本にはさまざまなメモリアルとなる日があり、そこに歴代の首相が参列するわけだが、時の政権を担う最高責任者が、過去の戦争をどう認識し、どう向き合い、どんな式辞を述べ、外交関係の中でどんな政策へと舵を切るのか…?

戦争経験者はどんどん高齢化し、日本の全人口の中で戦争を知らない人たちの割合が圧倒的に多くなっている。

歴史は正しく語り継ぎ、一国の運命を決める最高責任者が誤った道を選択しないよう、心ある国民は常に目を見開いていなくてはいけない。

★注) 広島は「平和記念式典」、長崎は「平和祈念式典」

★参考 
「東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット60年後の証言~」 (2/5)
  戦後60年目となる、2005年に放送されたドキュメント番組の一部です。

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被害者でもあり加害者でもある

私はアメリカだけが鬼畜だというつもりはありません。
いまガザ地区を攻撃しているイスラエルだけが悪いと言えないのと同じく。

戦争とはそういうものだということです。
東京に焼夷弾を落としたB29のパイロットも爆撃手も、広島・長崎に原爆を投下したクルーたちも、みな軍の命令に従って自国を守るためにやったのだと。

日本がアジアにおいてやってきたことも、やはり戦争だから。でもやられた側は決して忘れることはないのです。
いまになって「南京虐殺はなかった」などと大真面目に言う人さえいます。
この証言を聞いてもなお「なかった」と言えますか?

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded・・・

被害者にも加害者にも鬼畜にもなる…それが戦争なのです!

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Re: 43年前・・・。

鍵コメ様
コメントありがとうございます!
まさか、あの43年前の式典でTVに写った少女(?)と直接お話しされたことのある方からご連絡いただけるとは… 感激です。たまたま雨の平和記念式典って珍しいな、と思っていたら「43年ぶりの雨…」と報じられていたので記憶がよみがえったのです。

鍵コメさまはいまも広島市内にご在住でしょうか?よろしかったらメッセージ欄にメールアドレスなどお知らせいただけたら幸いです。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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