日本の大学って何?

7月27日(日)


これが日本の大学の実態です!

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表の下にも記載されていますが、これは内閣府による「我が国と諸外国における若者の意識に関する調査」(2013年)の結果です。
 
一番左が日本で、縦に合計すると100%を超えますので、大学へ行くことの意義について複数回答で尋ねた結果だと思います。50%ということは、回答者(大卒者)の半分がその項目に「意義がある」と答えたことになります。

「一般知識習得」も「専門知識習得」もともに30%に満たなくて、ほぼ4人にひとりぐらいしか意義を認めていません。諸外国と比べても日本は最低です!

「先生に学ぶ」はわずか15%と少ないですが、「専門知識習得」に75%(4分の3)以上の人が意義を認めているドイツでも「先生に学ぶ」は同じく15%台。大学というところは先生に学ぶところではない、という意識が日本とドイツは似ているようですね。

一方30%を超えているのは、「学歴・資格取得」と「友情をはぐくむ」。そして諸外国と比べても日本における大学の意義としても、もっとも高かったのは「自由を満喫」の40、3%ですって!

この結果は、私にとって今さら「驚き」ではありません。まあこんなもんでしょう、というのが正直なところです。
なぜこうした結果になるのか?何がいけないのか?…私なりの答えはもうとっくに出ています。


受験地獄=「楽園キャンパス」へのパスポート

入試ばかりが厳しく、その反動で大学のキャンパスは学園ならぬ「楽園」と化しています。
もっとも、専門性の高い一部の大学や学部の学生は違うでしょうが、一般の4年制大学の文科系の多くは、大学に籍を置くだけでいいようなところがあるでしょう。

そんな大学でも、入試のレベルだけは異様に高く、受験のためのテクニックを学び受験戦争に打ち勝つために、高校だけでなく中学校・小学校にまで悪い影響を波及させています。
受験向けのきわめて商業ベースの塾が乱立する一方で、小中学校でもっと学ぶべき「人」として大切なことがなおざりにされていたり…。

「ゆとり教育」だの新指導要領だの小手先の教育改革や、当用漢字以外の漢字を使っていいとかダメといった改定を繰り返し…くだらないことばかり決めるのが文部科学省?

そんなくだらないことよりも、大学入試制度と大学の中味を根本から見直すことが本当の教育改革ではないでしょうか!?
受験のためではない、「なぜ?」を考えさせる本当の勉強、人として大切なこと、人の気持ちの分かる人に。小学生には小学生なりの、中学生には中学生なりの、高校生には高校生なりの、大切なことに時間を充てるべきです。   
 

本気で学びたいと思うかどうか

大学はより高度な専門的な学問を学び、考えるための場(のはずです)。

またしても書かせていただきますが、大学のゼミの合宿や飲み会ですら、ちょっと社会的な真面目な話題を出すとみなさん一瞬固まって「まあまあまあ、は~い、カンパ~イ」とはぐらかすような、知識のつめこみだけの「お勉強」で育ってきて、世の中のことを考えない、考えたくない、考えられないような人間を大量に作り出してもしようがないのです。

大学は、義務教育を終えた人たちがより高度なことを学び、人間として社会に対して考える技を身につけるところではないかと。

いま私が通っているような音楽の専門学校もそうですが、本当になにかを学びたいと真剣に思ったら、人生いつでも学べる場はあるのです。
誰でも受け入れてくれ、時間をそれなりに確保し、必要な学費を払えばだれでも学べる。
門戸を広げ、誰でも入れるようにすれば、学校としても学費は納められるわけですから経営的にも助かるはず。まして今は少子化なんですし。

(大学ごとに、最低限の知識や素養がなければついていけない基準としての認定試験はあっても良いが、大学ごとに偏差値ランキングで格付けされるようなことはやめる。)

そのかわり、単位を取得するには、ちゃんと出席して復習もしっかりやり、課題をクリアしなくてはいけません。
義務教育を終えて、さらに専門性の高いことを学びたいと本当に思うのなら、それは当然のことではないでしょうか? 

そうして大学をちゃんと卒業した人たちは、社会からもそれなりに評価されてもいいと思います。そういう意味で「学歴社会」がいけない訳ではないのです。

今のように、ただ大学に入るための受験勉強でレッテルが貼られ、大学の中で何を学んだか、何を考えたかといった中身が問われることはほとんどなく、ただ大学名のブランド評価を「学歴社会」などと呼んでいること自体が間違いなのです。


大学の先生の資質も問われるべき

大学の先生(教授・准教授)は、子どもに教育を施す「先生」とは異なり、専門的な学問を極める「研究者」であると同時に、その学問の素晴らしさ、ひいては人類にとってのロマンを若者(学生)に伝える伝道者でなくてはいけない、と私は思います。

安定した収入が得られる「教授」という座におさまり、何か社会問題が起きるとかならずテレビに出てきてコメントするけど、専門用語だらけで何を言っているかよく分からなかったり、あえてその教授にご出演願うまでもなく常識のある人なら分かるようなありきたりのコメントをしているような方も…

大学内では、毎年お決まりの講義を繰り返し、何十年も前に自分が執筆した教科書をただ読み上げるだけの退屈な授業をやり、ありきたりの試験をやって単位を与えるだけの楽勝教授(らくしょうきょうじゅ=出席も取らず、試験は毎年お決まりの出題で、先輩のコピーをもらってそれだけ覚えてれば1年間まったく講義に出なくても楽勝で単位がもらえる、とても優しい先生)なんかもいます。

学生も学生なら、教授も教授です。こんなことが平気でまかりとおるような大学なんて、なんの意味があるんでしょうか?

いちど社会に出て実務経験を積んだ人が、ふたたび大学に戻って研究したり、研究したことを若い学生に伝えていける能力のある人を選りすぐって大学教授に迎え入れるなど、大学にも新しい風を入れて教授の資質を高めることも必要ではないでしょうか?


学問のロマンを!

学問は「産業」ではありません。企業の活動のように、やったことが利益(数字)となって現れることは少ないでしょう。
でも、人類にとって大切な、産業のベースともなっているような理論も数多くあります。私の嫌いな「経済」という言葉も、本来は貨幣経済の中で人間社会の営みを数字で見る学問のはずです。

大学が、企業への就職(=私に言わせれば、職業を身につけることではなく、どこかの会社に所属するという意味)に直接役立つステップである必要はないと私は思っています。

むしろ、儲かることしかやらない企業とはまったく違った次元で、何の得にもならないかもしれないけど、人類として大切なこと、科学(=社会科学や人文科学も含む広い意味でのサイエンス)に対する大きな夢・ロマンを学び、考え、人間性を深めること。そのために時間とエネルギーを使えるところが大学という所ではないか、と私は思うのです。
 
誰からも強制されることなく、圧力を加えられることもなく。そういう意味で「自由を満喫」できる場であるなら素晴らしいのですが… 

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<追記>

調査の項目の中に、「自分を見つめる」…自分の特性や将来について考える時間を与えられている、という視点が抜けているように思います。
私がいまあらためて「大学へ行って意義があったと思うことは?」と尋ねられたら、これが一番大きいように思います。
この調査を企画した人の頭の中にそういう発想がなかったんだな、ということと、「一般知識習得」「専門知識習得」が日本は極めて低い、という結論を導きたかった、つまり「知識偏重」の価値観の人がこの調査を作ったな、という印象をもちます。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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