音楽と社会 その架け橋を!

6月15日(日)

世の中には「音楽の力」を必要としている人たちがたくさんいらっしゃいます。
パーキンソン病のお年寄り、さまざまな精神的な病を抱えておられる方だけでなく、仕事や組織のしがらみで心を亡くして(=「忙」)しまっている人たち、あるいは育児や親の介護などで疲れてしまっている人たち。心を病んでしまって自らの命を絶とうなどと考えてしまう人…etc. 
音楽はそんな人に安らぎと救いを与えてくれます。

一部のテラピーやリラクゼーションだけでなく、また一部の音楽ファンのためだけでなく、「音楽の力」をもっと広く社会全体に伝えていくことができたら、と思う場面は数多くあります。「むかし私も楽器をやってました」と過去形で語る方も多くいらっしゃいます。社会全体の中に「お金の原理(=経済)」だけでなく、もっと人としての「心の豊かさ」に目を向けた仕組みが必要だと思います。

最近私のブログ記事を見返してみると、音楽に関する話題と、社会に関する話題の間を行き来していて、どちらかというと社会寄りの話題が多くなっているような気がします。


幸せの種をまく畑

フェイスブックやブログをどういう情報発信・情報交換に使うかはもちろん人それぞれ、とやかく言うつもりはありません。これから綴ることは、自分自身への問いかけと思ってください。

そもそもいったい何のために音楽をやるのでしょうか?
音楽の力で世の中に幸せの種を蒔くことが最終的には目的ではないでしょうか? 

その幸せの種を蒔こうとしてる畑(=世の中)が不条理に満ちていても、見て見ぬふりでいいのでしょうか?

国民を騙して隠ぺいする政府や企業、財界と一体となって国民に負担を押し付ける政策、国民を危険な方向へと導く誤った政治に対して、「NO!」という声を上げると、何か身に危険が及ぶでしょうか?無関心を装って(?)そういう話題をスルーし続けていて良いのでしょうか…? 

何かきわだった政治活動に参加しなくてもいいのです。 たとえばコンサートの趣旨の中に「平和へのメッセージ」、あるいは「原発反対」「貧困と飢えを地球上からなくそう」…といった何らかのメッセージを託すこともできるはずです。 

もっとも、コンサートそのものにそのような意味づけをすることは難しい場合もあるかもしれませんね。たとえば某電力会社がスポンサーについているコンサートで「原発反対」は出せないでしょうから(笑)

でも、せめて日常的に自分のサイトやネットを通じて、社会的なテーマについて書かれている記事を目にすることもあるでしょう。 そういうテーマに関しても黙ってスルーしないで、せめてワンクリック、ひとことコメントを残す…といったことでも意思表示はできるでしょう。

政治の動向だけでなく、世の中で次々に起こるおかしな事件についても、自分とは直接関係のない他人事(ひとごと)ながら、どうしてそんな事件が起こってしまう世の中なのか?「人」として、現代という社会について、心の病いについて思うところはないでしょうか?

そうした一人一人の「まともな意見」が積み重なって「世論」となっていくと思うのです。


音楽を通じて…

音楽をやるだけでも大変なのに、社会に対しても目を向けるなんて…と大げさに考えるようなことではありません。たとえばアマチュアオーケストラの演奏会ひとつを見ても、(私自身の経験から)こんな発想があってよいのではないかと。

定期演奏会にそれなりの大きなホールを使用していながら、観客動員にあまり力を入れていないのか、演奏会当日の客席に空席が目立つこともしばしばです。

団として会場費を払い、指揮者やソリストのギャラを払い、かかるトータル費用を団員の頭数で割って負担金を集めて運営します。チケットノルマという形で団員にチケットを配布することもあります。
団員がちゃんと負担金さえ払っていれば、当日の客席の入り具合(=収益)はとくに直接関係ないとも言えます。
ほとんどのチケットは団員の家族や友人・知人、他の団体で音楽をやっている人たち(もともと音楽が好きな人たち)にだけ配布され、強制して売らなきゃいけないものでもないし…

かくして当日は、「ガラコンサート」でもないのにガラガラの客席に、ほとんどが身内ばかり。これでは、せっかくそれなりに時間とエネルギーをかけて音楽に取り組んできたのに、内々での「おけいこ事の発表会」レベル。音楽の力を社会に向かって放とうという意識がまったくないと言わざるを得ません。

「プロの音楽家じゃあるまいし、そんな社会的な意義まで考えて演奏するなんて、とてもとても…」とおっしゃる方もいますが、今はアマチュアでも(少なくとも演奏会本番では)それなりの音になっている団体も少なくありません。
いえ、完成された演奏レベルだけを言っているのではありません。
考えようによってはプロなら完成度の高い演奏ができで「当たり前」ですが、ふだん他に仕事を持っている人たち、楽器歴の長い人もいれば、まだ最近始めたばかりの人もいて、皆それぞれが音楽を愛し、休日ごとに楽器を運んで集まって練習を重ね、結果これだけの演奏をしている、という感動を分かち合うことはできないでしょうか?

その演奏を生で聴いた方たちが、しばし感動を共にし、幸せな気持ちになり、明日もまた元気に頑張ろうという気持ちになってくれたり、「私もまた音楽をやってみようかな」と思う人が現れてくれたら、同じ音楽を演奏していても数倍嬉しいとは思いませんか?

練習のほかに観客動員のためにさらにエネルギーを使わなくてはいけない、なんて負担に思わなくてもいいのです。それぞれの団に合ったやり方で、無理のない範囲でいいのです。
たとえば公共のホールには文化施設が付帯していることも多く、そこをふだん使って活動している団体もあります。また地域の福祉関係や教育関係の各方面に声をかけて無料招待の枠を設け、ふだん音楽を聴く機会の少ない方にも広く告知することはできないでしょうか?

せっかく半年もかけて練習して演奏会を行うのであれば、ただ自分たちが満足のいく演奏ができればいい、友人・知人に聴いてもらえば充分、ではなく、ほんの少し周りの社会にも目を向け、「音楽の力」をひとりでも多くの方へ届けたいという気持ちを持つかどうかだと思うのです。

そしてより多くの人に聴いていただくことを前提にすることで、演奏の質もより向上させたいというモチベーションにも繋がるのではないでしょうか?



社会はもっともっと「音楽の力」を必要としているはずです。それは間違いなく私がここ数年の間に身をもって感じます。

ならば、音楽をやる側にも、ただひたすら自分が音楽だけに没頭していればいいのではなく、われわれの生きる社会に対しても少し目を開いて、音楽を通じて世の中にメッセージを発信していく姿勢がもっともっと芽生えてきてもいいのではないでしょうか? 
新たな負担が増えるようなことではなく、音楽を通じてちょっと社会に目を向けるだけでよいのです。同じことをやるのにも、ちょっとした発想を持つかどうかの違いだと思うのです。

「社会→音楽、音楽→社会」の架け橋が、これからはもっともっと重要になってくるのではないかと…

休日の独り言でした。



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
このすぐ下の「カテゴリ」から興味のあるテーマごとにクリックして覗いてみてください。
一部パスワードをご存じのメンバーの方のみ閲覧できるページを含みます。

カテゴリ
カウント開始 2011.1.14~
リンク
最新記事
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR