閣議決定を急ぐ安倍政権 ~集団的自衛権をどう見る?~

6月10日(火)


「集団的自衛権を持つべきか持たざるべきか」…FB上のある友人とのやりとりで私から入れたコメントを公開します。

●「相手が武器を持ってる以上こちらも持たなくては」という論理を掲げる人も当然いるでしょう

はい、その議論にも一理あります。でも今日の兵器の威力は第一次・第二次世界大戦の時より比較にならないほど巨大です。威嚇のためと称して持っているものがもし全面戦争で使われたら、相手国・自国のみならず地球規模で甚大な被害をもたらすでしょう。
そうならないために、人類の英知を平和のために使うべきです。

日本は唯一の被爆国(=被害者)として、ヒロシマ・ナガサキの原爆資料館を通じて核兵器の恐ろしさを世界に伝えてきました。

これからは単に「自分が被害者だから戦争はやめましょう」ではなく、「戦争はひとたび起こればお互いが鬼畜になる。武器があれば使う。日本だってかつて加害者にもなったことを忘れてはならない。だから過ちは繰り返してはならない!」という認識に立たなければ、世界に向けて平和を訴える資格はないと私は思っています。

そのためには、過去の戦争への深い反省から生まれた、世界に誇れる平和憲法は絶対に守らなくてはいけない。一時の首相の勝手な判断を許さないための根幹となっている憲法を解釈で骨抜きにしようなど許されないことだと思います。


軍や武器を持たないことをいいことに攻撃されたら?

永世中立国・スイスの場合。
あそこは周囲をアルプスに囲まれていて国境は長いトンネルです。もし有事の際にはそのトンネルを全て爆破して隣国とのルートを絶ち、自給の生活をして、滅ぶ時は滅ぶという覚悟を決めてるんだそうですね。
生半可な覚悟じゃないと思いますが、完全に武力を放棄して世界に平和を訴えるとはそういうことなのかも知れませんね。「私を攻撃したら私は無抵抗に滅びます。決して戦いません」と世界に宣言しているようなものですね。

もしそういう国を攻撃して滅ぼすような国があったら、その国が国際社会から抹殺されるぐらいの制裁が科されるべきでしょう。
そういう意味では、例えば国連がもっと実行力を持たなくてはいけません。
今の国連は世界の平和を保つだけの力はありませんね。
自国の人民を攻撃して死傷させるような指導者、国際協定を無視してたびたび挑発を繰り返す指導者を、国際社会は裁くことができないんですから。


国際法による解決とは?

以前、NHKの解説委員だったある方に、国際社会としての制裁はどうなのか尋ねたことがあります。
オランダのハーグには国際司法裁判所というのがありますが、実際のところあまり機能してないのが実態とか。

国連は人道的な視点から「協議」をして「決議」をし、非人道的なことをやっている国に「指導」まではできても、「強制」して従わない場合「制裁」を与えるまではできません。
国連を実質的に仕切っているアメリカが大義のもとに「軍事介入」によって「解決」しようとしてきた訳ですが、ベトナムも、湾岸のイラン・イラクも、アフガニスタンも、どうだったでしょうか…?
アメリカへの憎悪が広まり、結果としてテロ組織まで生み出してしまったのではないでしょうか?

結局私は思うに、どんな大義を掲げても武力行使による「力」は憎悪の連鎖を生むだけで解決にはならない、ということです。
文化・宗教を越えて「人道」という立場で、国際社会が制裁まで含めてある程度の力をもてる国際法を確立することが必要ではないかと思います。


集団的自衛権の行使に積極的な考え方はどこから?

かつての湾岸戦争で、アメリカのブッシュ(父)大統領から海部総理に対して、自衛隊を派兵することを強く要望されました。その時に歯止めになったのが平和憲法9条だったのです。

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6月9日「報道ステーション」より

アメリカから「日本は金を出すが人は出さない」と非難されたことが当時の外務省をはじめ一部の政治家にとっては「屈辱」となり、アメリカの言うなりに自衛隊を海外派兵して戦える国にしようとしているのです。
しかし「金を出すが兵を出さない」とアメリカから言われたことを「屈辱」と受け止めている国民がはたしてどれほどいるのでしょうか?

専守防衛のみならず、他国(主にアメリカ)のために戦うということは、地球の裏側での紛争にまで軍事介入していくアメリカに「お付き合い」し、日本の自衛隊が自国の平和を守るためだけでなくアメリカのために血を流すようになる、ということです。これを望む国民がはたしてどれほどいるのでしょうか?
現在83歳の海部元総理は言います。「どんなに大きな堤防でも、アリの穴ひとつから水が漏れ崩壊につながる」と。


そして最後に…

国会は「政治的かけひき」の場じゃない!

安倍内閣は、公明党を巻き込んで「数の原理」でなんでも通そうとします。だから今は公明党だけが防波堤となっているように見えます。しかし、集団的自衛権・憲法解釈変更に反対している野党も多くあります。その背後には国民の意思もあります。公明党のトップだけを「説得」して、何がなんでも今国会中に閣議決定までもっていきたい構えの安倍内閣。

そもそも、与党が連立も含めて過半数に達しない状態を「ねじれ」と言いますが、私は前々から不思議に思うのは、「ねじれ」は正常でない(=良くない)状態なんでしょうか?

与党は最大政党であっていいけど、過半数である必要はないのではないでしょうか?
与党だけで過半数に達していたら、たとえ間違った政策でも与党内の賛成一致だけですべて決められてしまうことになります。

与党が何かを決めようとしても、野党がこぞって反対したら通らない。野党からも賛成が加わって賛成が過半数に達したら決まる。それが本来の民主主義のあるべき姿ではないでしょうか?


まして、平和憲法を守るか変えるか?…これは歴史に残る一大事です。国民投票にでもすべきテーマだと思います。
そのためには、国民(有権者)もこのテーマにそれなりに関心をもつこと。それも感情論で簡単に決めるのではなく、歴史認識や国際関係を幅広く見てじっくり考えること。そして国民投票の機会があったらちゃんと「参加」すること。その結果、自衛隊の武力行使を認めるべく集団的自衛権を認めるべきだという意見が多数であるなら、私もとやかく言いません。

しかし、今の世論(民意)はどうでしょうか?
AKBの総選挙に湧き、サッカーWカップに湧くのもけっこうですが、国民の命と安全に関わるこんな重要なテーマに関しても羊のように大人しく、自分の意見というものをほとんど出さない方が多いように思えてなりません。

★ブログやフェイスブックではあえてそういった思想の絡むテーマには触れたくない、という方もいらっしゃいますので、そこはとやかく申しません。しかし、実際に会話をしていても社会的なテーマになると「よく分かんない」と言い、何がどう分からないのか突っ込むと、中学生レベルでも分かる程度のことすら理解していない、まったく考えたこともない…そんな大人も現実にいます。本当にこの国は大丈夫なんでしょうか…?

こんな状況の中、国会ですら十分な議論を尽くすことなく、わずか19人(?)による閣議決定で決めてしまおうなど、民主主義への冒涜と言わざるを得ません。いや、すでに民主主義は崩壊しているのかもしれませんね、この国では。


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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