「音の運び手」 ~実相寺ライブより~ 

4月11日(金)


世界最古の楽器とも言われるオーストラリア先住民・アボリジンの楽器「ディジュリドゥ」と祝詞、ヴォイス&パーカッション、尺八、ピアノ・シンセサイザーなどによるコラボ!

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国境を越えたあらゆる楽器と人間の肉声による「響き」と「間」の織り成す世界。時に魂の叫び、時に癒し、時に祈り…etc.

音楽療法の実技の一環で「グループ即興」というのがあるんですが、今日触れた世界はまさに鳥肌の立つような究極のコラボでした。

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会場を提供してくださったのは池上の実相寺。
グループの名は「IAM」、尺八のゲストは松居和さん。

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https://www.facebook.com/events/1416748718578139/?ref_dashboard_filter=upcoming

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寺の境内には緑色の桜が音楽に合わせてライトラップ!
春の宵にふさわしい素晴らしいひと時でした!

お誘いくださった奥泉さん、ご紹介いただいたアーティストさんや照明スタッフさん、そしてご一緒した皆さん、またまた地球の回転が速くなるようなあっという間の楽しいひと時をありがとうございました!


◆「音の運び手」にあらためて思うこと

ふだん日常生活の中でも、コップが触れ合う音、木々の葉が風でそよぐ音、何かがぶつかって壊れる音…たくさんの音があふれています。

その音を、ある間合いで意図的につくり出すことによって、時に魂の叫びとなり、時に祈りとなり、時に歌となり…音は魔法です!

あるリズムでビートが重なれば自然と体が動き、静寂の中で何かが勃発するような音が鳴れば驚き、それが理にかなった音であれば鳥肌がたち…
そんな現場にいて、改めて思ったことを2つほど書かせていただきます。

●「音の運び手(=演奏する者)は、自分がここでどういう音を出すのかという強烈なイメージを常に描いていなくてはならない!」 ということです。

「楽譜にそう書いてあるからその音を出す」では、決して魂が震えるような「音楽」にはならない、ということを改めて痛感しました。音を出す前に、自分がこれから出す音をどれぐらい具体的に描けるか?

楽譜のない「即興」の世界ではなおさら重要になります。
静寂な中で鳥肌が立つような一発の音を出すのは、静かな池に石を投げ込んで波紋を広げるようなこと。
他の音に共感するように出す音は、いま鳴っている音と、これから起こる音を調和させること。音程、音色、大きさ、強さ…そういったものを自分なりに描いて、絶妙なタイミングで入ることで、鳥肌を立てることができるのです。

もちろん人間ですから100%思い描いた通りの音にならなかったり、最悪な場合は手元が狂って空振りして出るべき音が鳴らなかったり…ということもあるでしょう(笑)。でもそれはそれ。偶然が作り出すその時限りの音の饗宴となります。

いずれにしても、これから自分が出す音をしっかり思い描くことなく、ただ叩いて、こすって、吹いて音を出すだけでは魂が震えるような「音楽」にはならないのです。人間のあらゆる営みにも通じることでしょう。


●理にかなった音色

ちょっと音に関する専門的な話になりますが、古いピアノには古いピアノの味があります。
それは、正確に調律された音程だけではない、何かが共鳴する音が混じっているのです。

打楽器には、金属の高い澄んだ音を出す小さな鈴の仲間は非常に多いです。
それらには、グロッケン(鉄琴)のような決まった音程はないものも多いです。同じトライアングルでも、音の高低、音色の違いはそれぞれ。

金属と金属がぶつかって(バチで叩かれることも含めて)出る音は、決して単音(ひとつの音だけ)ではありません。複数の箇所で音が同時に鳴っていたり、風鈴のような形の共鳴体にいくつもの倍音が同時に鳴っていたり…

具体的に「ラ」とか「ミ」とか特定はできくても、今鳴っている他の音に調和する音もあれば、調和しない音もあるのです。必ずしも絶対音感のある人でなくても、いまその場に調和した音程か違和感のある音程かは分かるはずです。人として感じる「理にかなった音かどうか?」なのだと思います。

きのうのIAMのライブの中で、いったい何種類の打楽器が出てきたかは数えきれませんし、持ち替えで石笛が吹かれたりもしましたが、いま響いている別の音(ピアノ、シンセサイザー、人の声)にちょうどマッチする理にかなった音がちゃんと入ってくるのです。

微妙な間合い・抑揚といったことをすべて楽譜に書き表すことはおそらく不可能でしょう。
その抽象絵画のような「即興」の世界の中にも、音の鳴り始めから収束までのストーリーはしっかりあります。それぞれの場面で、ここではどの楽器を、どういう風に鳴らして、どの程度の強さ・大きさで…と緻密に組み立てられているわけです。「計算されつくされた即興」の世界とでも言いましょうか?
 
またこういう音の世界に触れる機会をもてたら幸いです。

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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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