またしても冤罪 ~袴田事件~

3月27日(木)

またしても冤罪(えんざい)事件である!
今から48年前の1966年6月30日、静岡で起きた強盗殺人事件で犯人とされ「死刑囚」となった袴田氏の無実の訴えから再審がようやく認められた。

袴田事件の概要はこちらをご参照。
→ 「無実の死刑囚 袴田巌さんを救う会」

これを読む限り、明らかに事件とは無関係で、当時の同僚の証言やアリバイもある袴田さんが、なぜ「真犯人」とされ、死刑まで確定してしまうのか?

本人のものとされて証拠として採用されたシャツに付着していた血痕が、今のDNA鑑定の結果本人のものでないことが判明。まあそこは48年前の科学技術の限界と言ってもよいだろう。

しかし、他に証拠として採用されたズボンは本人が履けないサイズ。履けない状態で撮られた証拠写真もある。にもかかわらず警察は強引に証拠をねつ造し、本人に「自分がやった」と自己暗示にかけるような執拗な取り調べによって精神的に追い込み、自白を強要…。

そんな冤罪事件が今になって明らかにされるケースは、記憶に新しいところでも足利事件、東電女性社員殺害事件など、あまりにも多い。

警察の強引な取り調べだけではない。そんなねつ造された証拠が堂々と採用され、本人が真犯人ではないことをうかがわせる証拠や証言はすべて覆い隠されてしまう恐ろしさ。

しかも、警察や検察が起訴するまでの段階のみならず、公正な立場で事件の真相を究明するはずの裁判の場でも本人の主張はまったく認められず、一審(地裁)で死刑判決。つづく控訴審(高裁)、さらに上告審の最高裁までもが「死刑」を確定させてしまう。


警察は「正義の味方」なの…?

刑事ドラマで見る限り、警察は真実を追求して真犯人を捕まえる。最近は警察組織の悪しき体質を描いたドラマもときどきあるが、その中でも真実を追及する正義の味方のような刑事が真犯人にたどり着いてくれる。

しかし実際の警察は…?

スピード違反を取り締まる強化キャンペーンでは、善良なドライバーでも軽微な速度超過を起こしやすい場所でわざわざ隠れて取り締まる。 本当に危険な運転を取り締まることが目的なのか、検挙数を稼いで警察が「やってます」というメンツを保つことが目的なのか?

また駐車違反の重点区域として決められた通りでは、コンビニに立ち寄るのにほんの数分駐車しただけの車でも取り締まりにかかる。パーキング内に停めてある車が時間を超過していれば追加料金は発生しているが、少なくとも交通の妨げにはなっていない場所なのに取り締まる。

以前出勤途中の渋谷の街頭で、数人の警官がパーキングメーターを読んで車に貼り紙をしているすぐ近くで、一方通行の路地に逆走で入っていく車を見つけ、警官に「ちょっと、今の車、一方通行逆走ですよ!まったく見てないんですか?」と詰め寄ったことがある。

取り締まり強化月間だか何だか知らないが、決められたことをただやるだけで、すぐ目の前で悪質で危険な運転をする車がいても、取り締まり重点区域をわずかに外れた場所に明らかな「迷惑駐車」があっても、そっちは見て見ぬふり。そもそも交通課の警官のやるべきことは何なのか?

取り締まりにも「目標」というか「ノルマ」みたいなものがあって、それをクリアするためにとにかく決められたことだけやる。捕まえた「獲物」は絶対に「成果」としなくてはいけない。

一方、このブログにもたびたび書いてきたが、身の危険を感じるようなストーカー行為(というより明らかに脅迫・殺人予告ともいうべき行為)を受けている被害者から相談を受けても、実際に凶悪事件が起きてしまうまで動かない。仮に動いても不適切な対応で結果的に「予防」できなかったケースがこれまでどれだけあっただろう?

捜査に違法性さえなければ常に「適切だった」で、市民の生活や命を守るために何が最善の方法なのか、それが本当にベストだったのか、本当に取り締まるべき「悪」は何なのか、といった本質はなかなか問われない。 いろんな意味で、お役所仕事的な「やってます」だけで、「本末転倒」が多すぎないだろうか!?
真相を究明することよりも、善良な人の命や生活を守ることよりも、自分たちのメンツと成績(検挙率など)が大切なのだろうか?

一度にらんだ案件が「間違い」だと警察のメンツにかかわる。また凶悪犯罪は一刻も早く「解決」したい…そんな焦りもあってか、時には強引に卑劣な手段による「でっち上げ」も行われ、警察が描いたシナリオに沿って犯罪事実を成立させようとする…etc.

冤罪が明らかになり、再審で無罪判決が出てもなお、検察側は「自分たちの主張が受け入れられなくて残念」といったコメントを出す。真相を究明しよう、当時の行き過ぎた捜査について「人」として「申し訳なかった」と詫びる気持ちもないのか!?

そんなポイント評価主義的な体質が警察・検察という組織の底流にあるとすれば、これからも冤罪事件は起こり得ると言わざるをえない。


さらに、市議会議員など地元の有力者やその子息の運転する車が一般人の車と事故を起こし、過失は明らかに前者にあるような場合でも、裏でどういう力が働くのかは分からないが、一般人が「あり得ない違反」をしていたように作り上げられてしまうケースも、これまで雑誌のスクープなどで多く目にしてきた。あり得ないデータの改ざんや現場写真のねつ造もあったとか…?

もしそれが事実なら、法治国家の根幹を揺るがすゆゆしき事態だ。

私は日本の警察組織のすべて、すべての警察官ひとりひとりを悪者のように言うつもりはないが、冤罪事件やストーカーへの対応をはじめ、交通違反の取り締まりなどを見るにつけ、「なんのための法律なのか」「なんのための警察なのか」と思ってしまうことも事実だ。

私の知人にも法曹界で働く人、若くして警察官を志願している立派な人もいる。そういう方が私のブログ記事を読まれることもあるなら、ぜひとも市民の命と安全を守り真理を追及する本来の正しい警察・司法を死守していただきたい!


冤罪事件が生む計り知れない犠牲

警察がいったん逮捕した被疑者を、何がなんでも「真犯人」としてでっち上げてしまう恐ろしい冤罪事件。
袴田事件では、ねつ造とも言われるあまりにも理にかなわない証拠であっても、いったんそれが「決め手」として認められてしまうと、疑わしきを認めて見直されるまでに46年、逮捕されてから48年! この時間はあまりにも長すぎないだろうか?
死刑囚としての拘禁年数としては世界最長とも言われ、マスコミでも大々的に報じられる。こんなことが許されていいはずがない。

しかし私は報道を見ていつも思うのは「では、真犯人はいったい誰なんだ!」ということだ。
冤罪事件の場合、真犯人を探す捜査は48年間も止まっていた、ということだ。
被害者も浮かばれないし、真犯人がのうのうと逃げ延びられることは許しがたい。

誤認逮捕された無実の人の人生を奪うだけでなく、真犯人を追い続ける時間を無に帰し、被害者および遺族に対してはもちろん、法治国家に住む国民全体の安全を脅かす裏切り行為だと私は思う。
 

時効 ~真犯人を追うために与えられた時間~

冤罪事件でいつも思うのは、時効についてである。
今から4年前の2010年4月に、殺人罪をはじめとする12の重大犯罪(殺人、放火、強盗殺人など、最高刑に「死刑」を含む犯罪)については時効制度が廃止され、無期限で捜査が続けられるようになった。またそれ以外の犯罪でも時効が2倍に延長されるなど、大幅な法改正が行われた。

それまでは殺人事件の時効は15年だった。15年という時間で区切ったのは、もう新たな証拠が出てくる可能性も少ないこと、かつての科学捜査では今日のように何十年たってもDNA鑑定できる技術がなかったこと、いつまでも過去の事件の捜査に時間を取られていたら捜査機関のマンパワーにも限界があり、新たな事件への捜査がおろそかになってしまうこと…などが理由として考えられる。

時効は厳密にいうと、事件が起きてからではなく、事件が発覚して捜査機関が犯罪事実を認知して捜査を開始した時点からスタートし、15年後の同じ日を迎える午前0時に成立する。
このタイムリミットは、単に被疑者の身柄を確保して逮捕して終わりではなく、証拠をそろえて立件して起訴するまでを含むタイムリミットである。

時効制度のもとで与えられたこの限りある時間は、捜査に課せられた時間、言い換えれば捜査に全力を挙げることを大前提に与えられた時間である。 

犯した罪そのものが消えてなくなるのではなく、捜査を断念して打ち切るタイムリミットである。
すでに時効が成立してしまった事件については、今さら真犯人を探し出したとしても逮捕・起訴すことは法的にはできない。

だが私がひっかかるのは、誤認逮捕によってまったくの別人が逮捕・起訴されてしまい、捜査機関はもう別の真犯人を探す捜査活動を止めてしまった、いわゆる冤罪事件における時効である。 


時効のストップウォッチが止まるとき 

時効(今の制度でも時効のある事件もある)を過ぎていても被疑者を逮捕・起訴できる例外がある。

それは、被疑者が海外にいた時間である。いくら容疑が固まっていても、被疑者が海外にいる時間は逮捕・起訴することができない。たとえ数日であっても被疑者が海外にいた時間があった場合、事件発覚から15年を経過していても、逮捕・起訴できる残り時間はサッカーのロスタイムのように追加して延長されるのだ。 

他にも、国会議員は国会会期中は逮捕・起訴されない。被疑者が国会議員であった期間のうち、国会が開催されていた日数は時効のストップウォッチが止まり、ロスタイムとして延長される。

このように被疑者を特定できても捜査機関が逮捕・起訴することのできない時間は、時効のストップウォッチが止まり、逮捕・起訴できる時間が延長されるのである。

これは何を意味するのだろう?
つまり、そもそも時効とは…

捜査機関が真犯人を追い求めて全力で捜査を継続している
ことが前提で、

被疑者を特定できたら逮捕・起訴できる状態にある
ことを条件に、捜査機関に課された時間、といえるだろう。

ということは、冤罪事件の場合どうなるのか?

袴田事件を例に考えると、1966年6月30日に事件が発覚してから1か月後に、まったく事件に無関係の人が逮捕され、厳しい取り調べを受け、犯人とされて起訴される。そして事件から1年後に一審の判決が下り、さらに控訴審(高裁)、上告審の最高裁で事件から2年後に死刑判決が確定。
 
時効 


別人である被疑者を逮捕して取り調べをはじめた段階(A)では、もしかしたら他に真犯人がいる可能性も見据えて捜査は継続されていた可能性もないとはいえない。

証拠(=仮に「でっち上げ」であっても)をそろえて起訴した時点(B)では、少なくとも警察も検察もまさか他に真犯人がいるとは考えていなかったはずだ。つまり捜査はもう打ち切られていたと見ることもできる。

しかし起訴されて裁判が始まってからも、本当に被告(起訴された時点で被疑者→被告となる)が真犯人であるかどうかが審理されている。もし公判中に新たな証拠が提出されたり他に真犯人がいることが疑われたら、捜査を再開して新たに真犯人に逮捕・起訴する可能性もあったはずだ。

そうしたことも加味すると、捜査機関が捜査を完全に打ち切ったとみなされる時期はいつなのか?
誤認逮捕で別人を逮捕した時点(A)なのか、起訴した時点(B)なのか、最終的に判決が確定した時点(C)なのか…?

解釈は分かれるところだろうが、少なくとも最終的に判決が出て死刑が確定した時点(C)では、警察も検察もこの事件に関しては幕を引き、捜査を完全に終えたと考えられる。この時点で真犯人を起訴するまでの時効は「中断」されたことになる。

ただ、「中断」と「消滅」とは異なる。被疑者が逮捕・起訴された時点で、捜査の時効は消滅するのだろうか?
少なくともそれが冤罪事件だった場合、最高裁で死刑判決が確定してから残る13年ほどの時間は、大いなるロスタイムとみなすべきではなかろうか?
そして晴れて再審請求が認められ、再審の結果「無罪」が確定した時点で、真犯人を捜査する時効のストップウォッチは再び動き出すと考えられるべきではないだろうか?

警察・検察のそれこそメンツと責任においても、当時の時効制度においても残されていたはずの時間は、時効が一時的に停止していたと考え、ストップウォッチを再び動かして真犯人を探すことに全力をあげるよう、法的にも解釈されても良いように思う。

2010年4月27日に殺人事件の時効が廃止された後の事例については、もちろん時効そのものが存在しないのだから、冤罪だった場合真犯人の捜査は永遠に続けなくてはならないはずである。 


難しい解釈・運用面

もっとも、今回冤罪とされた袴田さんの事件は1966年6月に起きた事件。もし袴田さんが誤認逮捕されることなく捜査機関が真犯人を追い続けたとしても、事件発覚から数えて15年目となる1981年6月には時効が成立していたことになる。

そんな昔の事件に関して今さら新たな証拠が見つかるのか、いま残されている当時の証拠からどこまで真犯人に迫れるのか、という技術的な問題はもちろんある。

そもそも時効制度の趣旨としても、「捜査機関がもう真剣に真犯人を探し続けなくてもいいですよ」という意味ではなく、「一定の時間を経過してしまったら、科学的検証も含めていまさら審理するのは困難」という意味での「打ち切り宣言」のように思える。

だとすると、いまここで私流の法律解釈をもって「冤罪事件においては、過去にさかのぼって止まっていたストップウォッチを動かして時効成立までの時間を復活すべきだ」と主張しても意味がないようにも思えてくる。

しかし、私としてはまだ引っかかりが残る。
新たな事実から真犯人にたどり着ける保障はたしかにないが、もし真犯人が良心の呵責に耐えかねて自ら出頭したり、それを裏付ける新たな物的証拠が見つかったような場合、法的にもちゃんと対応できるためにも、時効のストップウォッチは再び動かして逮捕・起訴できるチャンスだけは残しておくべきではないだろうか?

少なくとも捜査機関が手を尽くして真犯人を追い続けたが15年を経過して時効が成立してしまった事件と、捜査機関が証拠をねつ造して別人を被疑者としてでっち上げ、他に真犯人を探す努力を途中で止めてしまった冤罪事件とでは、時効に対する考え方がまったく異なると私は思うのだ。
 
ただそうなると、捜査機関が15年間探し続けても真犯人にたどり着けずに時効が成立してしまった事件では、その後真犯人が名乗り出て新たな証拠が見つかっても逮捕・起訴できないのに、冤罪事件における真犯人はまだ逮捕・起訴される時間が残されている…という不平等が生じる。

2010年4月の改正で、重大犯罪については時効が外されたことで、捜査機関は永久的に真犯人探しをしなくてはならなくなったので、このような過去にさかのぼっての不都合や不平等は解消していくだろうが、いずれにしても冤罪は決してあってはならない、ということを改めて強調して今回は閉じよう。


2010年4月27日、殺人をはじめとする12の凶悪犯罪について時効制度が廃止された時、ブログを開設してまだ間もなかった私がこの「社会・時事に思う」というカテゴリーのいちばん最初に書いた記事はことら。ほぼ同じ思いをつづっています。
→ 「時効の廃止に思う」  

容疑者→被疑者→被告→受刑者 / 死刑囚
一般に事件の「加害者」とか「犯人」とか呼ばれるが、法律的には段階ごとに呼び名が変わっていく。べつに出世魚ではないが、意味合いが変わっていくのだ。
犯罪事実にかかわっているのではないかと容疑をかけられている段階が「容疑者」。
逮捕するに足りる証拠が揃ったとみなされると「被疑者」となり逮捕される。
警察での取り調べを受け、検察に身柄を送られても、そこで起訴猶予または不起訴となる可能性もある。めでたく起訴された段階で「被告(人)」となり、裁判で有罪か無罪かが確定するまではずっと「被告(人)」という呼び方である。
刑が確定して刑の執行を受ける立場になると「受刑者」となる。
ただし「死刑」の場合、刑が執行されるまでは未決拘禁という扱いで、東京の場合は東京拘置所に身柄がおかれる。刑務所で懲役刑を受けている「受刑者」とは異なり、死刑の執行を待つ未決拘禁者は「死刑囚」と呼ばれる。

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Re: 警察

ふたたびの鍵コメさん、ありがとうございます。

市民の命と安全を守るはずの警察。立派な警察官はドラマの中だけ、では困ります、本当に!
事前にストーカー被害を相談していたのに防げなかった殺人事件、形ばかり・点数稼ぎの取り締まり…警察に対する不信感はいろいろあります。私もこのブログ内にこれまでもことあるごとにつづってきました。

しかし今回問題にしたかったのはもうひとつ、被害者の無念とも絡めて「真犯人は今どこに?」という思いです。4年前に殺人などの凶悪事件の時効が廃止されましたから、今の制度のもとでは永遠に真犯人を探す義務が捜査機関に課されていることになります。
問題は時効がまだあった時代の事件、とくにその中で冤罪として別人を逮捕してしまったことが判明した事件の時効についてです。

きのう記事をアップした時点では、ちょっとそのあたりの説明が分かりづらかったように思ったので、図解を交えて少々文面を改めてみました。このあたり、どうお思いになりますか?

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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