ブログ&フェイスブック雑感

あらためて


私がブログを始めたのは2010年の4月。
障がいのある人も一緒に「こころコンサート」という大きなコンサートが行われた直後に、主に音楽活動の記録用としてスタートしました。

でも音楽活動の話題ばかりではもたないので(笑)、社会的なテーマについて、また自分自身が若いころから思ってきたテーマなど、いろいろと綴るようになりました。
日記のように新しい記事が常に上にくるだけだと過去の記事がうずもれてしまうので、テーマ別にメニュー画面をトップに置き、HPよろしくテーマごとにクリックするとその世界に飛べるようにしてあります。

一方、フェイスブックを始めたのは少し経って2012年ごろです。
巨大なフィールドにたくさん友達がいて、自分の記事をアップすると皆がリアルタイムに見てくれる。友達の友達とつながったり同じグループ内の友達が見つけてくれたり。 こちらが誰かの記事にコメントを残し、そこに誰かが「いいね」をつけたり新たにコメントを入れるとすぐお知らせが来る…

FBは、通信機能のついた巨大な掲示板のようなものだと思っています。
リアルタイムに情報を交わすのに本当に便利な世の中になりました。でも自分自身のノートというか部屋というか、自分の書きたいことをじっくり書いて置いておき、いつでも訪問してくださったら見られるという意味ではブログは私の本拠地みたいなもの。



以前はパーティや音楽会などで初対面の人とお話しするとき、まずは仕事の名刺を出し、いろいろと真面目に自己紹介などして、慣れてきたら砕けた話し…という流れでしたが、たいていそこまでいかないうちに時間切れ…ということが多かったですね。
 
ところがブログを始めてからの私は、仕事以外の世界ではめったに仕事の名刺なんか渡さず、いきなり砕けた話題から突入し、波長の合いそうな方には個人的なプリント名刺をお渡しし、「真面目な私はこのブログを見ておいてくださいね」というスタイルが主流になりました。
「その方が話しやすい」と言ってくださる方もいますし、こちらとしても人との距離がぐっと近くなったような気がします。


ブログ&フェイスブック

一方、ブログとフェイスブックの両方をやっていると、いま時の日本人の多くのコミュニケーションスタイルといいますか、生き方といいますか、いろいろと見えてくることもあります。

ひとつは、みなさんなかなかご自身の意見を表に出したがらないということ。
FBはもともと大学名簿から端を発し、世界とつながれる素晴らしいメディア。国家によって統制されることなく世界とつながれるので、独裁体制の国家から革命を起こした「アラブの春」もフェイスブックから始まったほどの力を持っています。

その代わり、偽名で好き勝手なことを無責任に発信できてしまうメディアと違って、実名で自分を明かすことが前提ですから、ある程度責任ある発言をしなくてはなりません。

そこに抵抗というか恐れのようなものを感じてしまい、あまり自分の内(意見など)を見せたくない、という意識が働くのかもしれませんね。

世界で起きている出来事をリアルタイムで共有したり、意見を交わしたり、それが大きな力となっていくことはもちろんできるのですが、いまの日本では多くの方たちが「ここのラーメンおいしかった」といったグルメ情報、「いま~~に来てます」といった旅や演奏会などの「なう」レポート、さらにワンちゃん・猫ちゃんのおのろけペット通信…etc.

日本は平和ですな~。ま、平和なのはいいんですが…


ちょっと社会的な問題意識について書くとスルーされる

べつに意地悪く統計をとっているわけではありませんが、グルメ・旅・音楽・ペット…といったお気軽テーマでは「いいね」やコメントがけっこう入る(=みなさん朝でも深夜でも、よくチェックされてるなと思います)のに、事件や許せない出来事、社会・政治に関するテーマになるととたんに静かになるんですね(笑)。「こういう話題を書いてもおそらくスルーされるでしょうが…」なんて一文を書き出しに加えることもあります(笑)。

これは、決して今どきのツイートのスタイルに始まったことではないような気がします。

私が学生時代ですから、もう30~40年近く前にさかのぼります。ゼミの合宿や飲み会でさえ、ちょっと真面目な社会的テーマを話題に出すと、みなさん一瞬かたまり、「まあまあまあ、は~い、カンパ~イ!」とはぐらかされたことを今でも覚えています。
義務教育でもなく、より高度な知識と社会に出るためのスキルを向上させるために大学まで進んできたんじゃないの?しかもその大学のゼミですよ。そこですら、学んでいることと関連して社会問題について考えるってことができないの!?と。

以来ずっとそのことを根に持って生きてきたわけではありませんが(笑)、最近のFBでのやりとりを通じてその頃の記憶がよみがえったのです。
自分に直接関係のあること、当たり障りのない娯楽以外はダメなんだと。どこのテレビ局も視聴率などという表面的なウケばかりを狙うため、どこも同じような娯楽・グルメ・タレントのアホバカトーク…etc.

最近はテレビだけでなく、ネットなどさまざまなメディアで情報を得ることができますから、自分に必要な幅広い情報はいくらでも入ってきます。テレビでやっていることが決してすべてではない時代になりました。それだけに「今後のテレビの役割は?」と思うこともあるのですが、どうも最近のテレビは…


自分を出したくない

この傾向は、韓国の友人(かれこれ20年ほど家族ぐるみのお付き合い)も同じだと言っていました。
学生でも社会問題についてディスカッションできない人が増えている、安易な娯楽に流れる、一斉メールだと見ても返信しない、ネットはよく見てるけど反応しない、自分の意見を出したがらない。「覗き見するだけの人」という意味の呼び方をするそうです。

あと、先ほどフェイスブックは巨大な掲示板のようなもの、ブログは私自身の部屋・ノートのようなもの、と書きました。 しっかりした記事をブログに書いて、それをFBにもリンクで貼ります。最近そこに「よかったらブログの方にもワンクリック・コメントなどぜひ残してください」と一言書きます。

それでもみなさん、FBにだけは「いいね」をつけてくださったりブログに書いた内容についてコメントを入れてくださったりするんですが、なぜかブログ本部の方には何も痕跡を残してくださらずにスルー。「ブログは個人のページだから敷居が高い」とおっしゃいます。そこに自分の痕跡を残すことを恐れるのでしょうか?

でも、FBは公開記事でアップしたのものは世界に同時発信ですが、ブログは私の友人・知人が時々のぞくか、またはあるテーマで検索してヒットして入ってくる(=つまり似たような趣味・価値観の人)しか見ないんです。

ユースの宿に置かれたノートのように、訪れた人は何か一言残してくださったら嬉しいのに…
そこにコメントを残してくださったブロともさん同士がブロともになられた、という嬉しいことも以前ありました。そういう輪がもっと広がっても楽しいと思うんですが…

演奏会に喩えるなら、FBは大勢が出入りするお店の掲示板のようなもの。そこにコンサートの案内を張り出すと、掲示板にはみなさん「いいね」を入れてくれるんです。
でもご案内したコンサート会場には、黙ってのぞきに来て拍手もしないで帰っていくんでしょうか?

人とのコミュニケーション、人としての生き方、たかがFB、たかがブログですが、いろいろと見える気がします。



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改めて

今の世の中の流れというか、確認出来ました。
そうなんですね。
みんなどうして真面目な話には向き合わないのでしょうか。
高校生の頃は私もそうだったかしれません
「今が楽しければいい」で。

でも今の世の中の明らかにおかしいのにそれでも関心がないんですかね。。
自分の事なのに。
都知事選挙だって秘密保護法だって、自分の住んでる国の事なのに。

自分なりにたくさん発信しているけど、これ以上は人の関心を引くのは無理なのかなと考える日々。

Re: 改めて

AIKOさん

さっそくのコメントありがとうございます。
私にとっては「当たり前」の価値観が当たり前じゃない世の中、そんな気がしてなりません。

人と摩擦を起こす、社会を破壊する、ということではなく、まともなことがちゃんと言えて通る世の中にならないか、と常々思っています。

「経済」という言葉しかり。「人と同じで安心」という価値観しかり…
よかったら私のブログ内「★豊かさとは…?」というカテゴリを、ぼちぼちとさかのぼってお読みいただけたら幸いです。カテゴリのURLはこちら
http://resolutely.blog6.fc2.com/blog-category-27.html

今後とも、ブログ&FBともども、よろしくお願いいたします。





当方ブログの返信が遅くなって申し訳ないです

折角コメンを頂いたのに見落としていました。失礼しました。

さて、この記事の内容は、私も常々感じています

全体を支配する「同調圧力」といった嫌な雰囲気を感じることもあります

ブログで意見を発するよりも、ツイッターのように流れていくもので無責任に意見をいう…

みんなが叩いているものには容赦なく叩く

なんか、嫌になりますよね

こんな時は いい音楽を聴いて心を落ち着けるようにしています

Re: 当方ブログの返信が遅くなって申し訳ないです

μさま

コメントありがとうございます。

私だって自然や模型の記事をアップしたり、音楽の深い世界を探求している方が心も平安で楽しいのは間違いありません。美しいものを求めたい時に、政治やおかしな事件の話題は「雑音」ですね。

でも私たちはそういう国に生きている。目を背けてはいけない、おかしなことは改めていかなくてはいけない、まともな素晴らしい人がバカをみない世の中になって欲しい!

最近、電車内で無表情に経済新聞を広げ、ドアの前に立ちはだかる、白い杖をついた人が近づいてきても進路を譲らない…etc.
まったく五感はどうなってしまったの?と言いたくなる“ゾンビ”が増えたんじゃないかと…
とくに選挙の結果が出た翌日など「政治も社会も、いったい誰のため?」と思ってしまいます。だから選挙の翌月曜の朝はとくに早めのすいている時間帯に出勤します。

どうして皆さん無表情なのか、どうして自分の意見を出さないのか、いやそれ以前に自分の意見を持たないのか…?
不勉強で間違えてるかもしれない、偏っているかもしれない、でもだからこそ、たまにはそういう「まともなテーマ」についてももっと交わしたいのに…

宿帳にひとこと

  元気になって復帰されてから1ヶ月ですね、そのご順調のようで良かったですね。
 Fc2友達トップに居座ったままのサイコうさぎです。私はどちらかというと、カテゴリよりも最新記事を読みたいので、辿りつくのに少し手間がかかります。(忙しい朝などは後でいいか~と思ってしまいます。)
  今日は最新記事へ行き、「フェイスブック」を読んでから「大雪」を読ませて頂きました。「ベートーヴェン」も今まで経過がよく解らなかったので面白かったです。ずっと前だけど、「ノーメン」が実に楽しかったし、「枯葉の季節に」はじっくり読みたくて印刷させて頂きましたよ。(今ごろ纏めて書くな、ですね)
  「硬派」の意見を書くと途端に反応が鈍くなる、事なかれ主義になる、こういう事は一般的傾向ですね。コメントに書かなくても (そうだそうだっ!) と思いつつ読んでいる人は大勢いると思います。『リベラル21』 のように複数の執筆者が交代で書いている場合は別として、第一楽章さんの場合、意図しない否定的攻撃的なコメントが入ってきたら、普通の愛読者は読むのが辛くなりますね。でも、その通り!という反応さえないのは、やっぱり書き手としてはもどかしいですよね。でも、たとえ足跡を残さなくても、大勢の愛読者が微笑んだり、うなったり、じんと来たり、拍手したりしているのだと思います!ほら、ブラボー!!という声が聞こえるでしょ?

Re: 宿帳にひとこと

サイコさん

いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
お陰さまでぼちぼち元気に復活しております。
そういう目でブログを読んでくださっているんだなと改めて嬉しく思います。

まあ、選挙活動をやっているわけではないので票は気にしません(笑)。少なくとも無反応である(=とくに反駁がない)ということはおおむね問題ないということでしょうか?
放送番組はもちろん、電車や店舗内のアナウンスでも、何か問題があればすぐクレームが出る時代ですし、たとえ個人のブログとはいえ、あまりにも身勝手で独断的な意見ならば炎上もしてるでしょうし。

思想的なこと、イデオロギー的なことは琴線に触れるようなデリケートなものではありますが、汚い言葉で他者を罵倒するような無責任発言ではなく、なるべくグローバルな視点で私自身の「意見」としてきちんと表現してきたつもりですから、幸い露骨な反発に会うことは今のところないのかもしれませんね。

それにしても、自分の意見を出さない、というかあまりご自分のお考えをお持ちでない方が今の日本の社会ではけっこう多いのではないかと、ブログの世界だけでなく社会の一員として感じます。身近なところでは電車の中でも街を歩いていても、無表情・無反応な人が多いように感じます。

また学校でも、保護者会や地域の活動でも、サークル内でも、表立って自分の意見をズバッという人が少ない。誰かがまともなことを言っても、それに対して直接「そうだ!」とか「いや、それはちょっと違うと思う」などと直接反応する人は少なく、出された意見に対してどう受け止めるかを皆で「協議」して対応を考える、みたいな風潮をしばしば感じます。どうしてもっと個人として、自分の意見というものを出さないの?持たないの?と。

また音楽の場面でも、私なんかよりもはるかに若いメンバーなのに音に元気がない、主張がない(ただ音符があるからそういう音を出している感じ)。指揮者から「もっと~~して」と言われても、なかなか音が変わらない…
やはり「ブラボー」の声は、発信する側も勇気をもって思い切り表現して、受け止める側もそれなりに表現してくれてこそ聞こえてくるんじゃないでしょうか(笑)?

謙虚と臆病は違う

ITが進歩して、老若男女操作だけは習得が早くなりました。
が、精神構造はなかなか進歩しません。

私もオヤヂ世代ですが、10代の頃からPCをいじりパソコン通信のForumに良く書込みし相談したりされたりのコミュニケーションをしておりました。

日本人(と言うか中国、韓国を除くアジア?)はSNSやBlogでのリテラシーはとても低いと思っています。
言うべき事と言わない事との区別が分からない。

セキュリティ意識が低くアプリやなんかで変なマルウェアを組み込まれたり感染されたりと鈍感と言うか無防備すぎます。

かと思えば変なTweetはしでかしてしまうクセに第一楽章さん仰る通り、マジな話題にはなかなか突っ込んで来ない。
言いたい事を第三者が居るとこでは発言出来ない。
サシでなら少しは語るかも知れません。

FacebookやTwitterでのあまり起承転結を意識しないで書ける安易なSystemなら日常の他愛も無い事を書けます。
リテラシーが低い日本人は、そこからでも少しずつ、今後は話題や関心や意見を拡げていけると思いたいです。

が、更に安易な話題に終始する人は二分してると感じます。
一つは、思想の発言意思の乏しいまだまだコミュ障ぎみの人、もう一つはFacebookでの友達繋がりが広範囲な仕事関係の人までいる人。私の友人はとても自分の意見を強く持っている人が割と多いのですが、そんな方もFacebookでは殆どおちゃらけ話題しか残しません。(これはプライバシー設定でどうにでもなるんですがね。)

やはりビジネスシーンでの立場がお有りなんだと思われます。

私も社会問題やなんかを時々書きますが、200名程度の友人がいてもその話題での「いいね」は有っても4〜5件ですね。(普段は40〜50有るのに)

ハッキリとした意見を私が投稿しても「反対意見者がいるだろうと想像出来る内容」の場合は、同意するコメントはなかなか期待出来ません。
友達の中にこれは当然同意してるだろうなと思う人でもコメントは残してくれません。
(誰が見ても明らかな悪事の犯罪は同意コメントは付きますが)

ようは面倒なんでしょう。

その後の議論でまた打ち込むのが。
私のFacebookには半数がお仕事絡みの方もクライアントの方もいらっしゃいます。
リアルで面識の無い方は1/10以下です。

その中で友人の友人同士が議論展開して意見を戦わせる場面になったりすると、ビジネスとプライベートを割り切れない日本人気質が顔を見せてバツが悪くなりその後を上手く付き合っていけない不器用な人種が多いのではないでしょうか。


ビジネスとプライベートはハッキリ分けて考えれば良いのですが、スイッチ出来ないのが日本人気質なのではないかと。

コミュ障と言う言葉を近年多く目にしますが、勢い余って偏り過ぎた不十分な意見を鵜呑みにして染まってしまう人がいるかと思えば、発言や投稿で失敗して以後意気消沈したりネットから姿を消して戻って来なくなる極端な例も目にします。

人とのコミュニケーションなんて失敗から学ぶのだと思うのですが、「人を見直した」とか「考えを改めた」と言う様な改めるのが苦手な人も多いと思います。見栄があるのか、臆病なのか。

要はそう言うネガティブな弱気が根底にあるのだと私は考えます。

昔の様な内ゲバ(死語?)や学生運動の様な大規模なデモとかも現代の日本人ではとっても少ないですよね。

革命児的な救世主でも出ない限りなかなか多数を導くのは困難な飼い殺しにされてしまってますね。

外人さんが良く言う「なんで日本人はそうなの?それでいいの?!」と。

日本人気質の素晴らしい謙虚さは良いと思いますが、謙虚と臆病を履き違えてる点も多々あると思います。

私の場合は身近な人達に私と言う人間(意思)を少しずつ知ってもらうとこから始めてます。Facebook(ある程度のプライバシー設定有りで)でもリアルででも。

が、変わり者のレッテルも一部では貼られてる様ですが(≧∇≦)

No title

意思疎通の方法が色々あるのに、その使い方が気になる1人です。
先日も、子どもの幼稚園のママたちに役員として一斉メールを10人以上に送ったのですが、2人ぐらいしか返信がなくて驚きました。
ある活動を一緒にしている仲間にFBのグループで連絡してもなんのコメントもなかったり、面と向かって言わずに一方的に「辞めます」みたいなこと書いて、理由も述べなかったり…。
仕事で忙しくても、読んだら「了解」の2文字ぐらい送れないのかな?って思ってしまいます。
私のブログは毎日200人ぐらいが訪れて下さっているのですが、コメントはいつも決まった2人ぐらいしかしてくれません。
まあブログは私が一方的につぶやいてるだけなので、それに対してコメントちょうだいっていうのもおこがましいのかもしれませんが、200人中2人って!って思ってしまいます。
なんだか寂しい時代ですね…

Re: 謙虚と臆病は違う

Hilopさま

貴重なご意見をありがとうございます。PC、通信にお詳しいだけでなく、私が感じていることとあまりにもよく似た感覚をお持ちであるんですね。

私はFBで現在600人以上の「友達」とつながらせていただいてますが、幸いなことにと言いますか変わっていると言いますか、仕事関係のつながりは「0」です。ほとんどが音楽関係の、しかもプロもアマチュアも、所属もばらばらの個人的なつながりだけです。

でも、仕事関係が多いから自分の立場や意見があって意見を出しづらい、ということもたしかにあるかもしれませんが、決してそればかりではないように思います。私は某放送局勤務ですから、あまり露骨に特定の局を批判するような内容および仕事上知りえたことは書かないようにしていますが、それ以外のことは忌憚なく個人としての意見を出しています。それに対して何か答えても、その方にとって不利になるようなことがあるとは考えづらいです。
それに、自分を出さないという日本人的傾向は、決してネット上だけではなく、不特定多数が集う場所(たとえば電車や飛行機の中、街など)でも同じ傾向ではないかと。

パソコン、携帯、ネット…どんなに通信手段が発達しても、使うのは人間です。自分の意見をきちんと出し、人の意見も偏見なくきちんと聞く。お礼や返事はきちんと返す。そういった基本的なコミュニケーション(=気持ちのキャッチボール)ができるかどうか、しようとしているかどうかが大きいように思います。



mimiさん

コメントありがとうございます。ママさん仲間などでもやはり一斉メールだと返信がないなど、私と似たようなことをふだんお感じになられているんですね。

私の学生時代は、まだ携帯はおろかメールもなかった時代。ゼミや音楽活動の連絡はもっぱら家庭電話による連絡網でした。不在ならば次へもかける、家族の「帰ったら電話します」にずっと電話の前から離れられずお風呂にも入れず…という経験をした時代です。
今は一斉メールを送っておける便利な時代。でも、携帯を忘れた、壊れた、失くした…などの理由で大切な連絡をちゃんと見てくれたのか、分ったのかどうかは気になるもの。かつての連絡網でも最後の人はトップに「了解しました」を返すルールがあったように、見たら見た、了解なら了解、という返事を返すのは最低限のマナーだと思います。でもそれができない人が多いですね。

前の方へのコメントとも重複しますが、どんなに便利になっても要は使うのは人。コミュニケーションがきちんとできるかどうか、しようとしているかどうかだと思います。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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カウント開始 2011.1.14~
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