「失敗」を「成功のもと」とするために

「わたし、失敗しないんで」

大病院にも組織にも属さず、たたき上げのスキルだけを武器にフリーで活躍する医師「ドクターX」を演じる米倉涼子さんの決め台詞ですね。

大きな組織の常識に縛られることなく、自分に自信をもって一度でもこんなセリフが言えるものなら言ってみたいですね~。でもたぶん周りじゅう敵だらけになって孤立するでしょうね(笑)


失敗は成功のもと

子どもの頃からさんざん聞かされてきた言葉です。

失敗は誰も好んでするものではありません。
でも、そういう時にこの「失敗は成功のもと」という言葉を聞くと、「こんどはきっとうまくいくよ」という慰めのように聞こえて悔しかった、そんな思い出はありませんか?

小学生のころ「絵には失敗はない」ということを先生がおっしゃいました。
たとえ本物そっくりに上手に描けてなくても、ひとりひとりの感性が絵には表れる。上手・下手は関係なく、どれも素晴らしい作品なんだ。だから絵に「失敗」はないんだ…ということをおっしゃりたかったのだと思います。

でも、そうは言われても「ここの線はもっと長く伸ばしたかったのに…」「描きたかった木の色はこんな色じゃなかったのに…」と悔やまれることはたくさんあり、悔し涙がぽろりと…

絵でも習字でも音楽でも「本当はもっとこうしたかったのに」と悔やまれることは多々あります。それは誰になんと言われようと自分としては悔しい「失敗」なのです。

いきなり色づけするのではなくしっかりとデッサンして下書きをするような方法を身につけていきます。下書きのできない音楽はひたすら練習するしかありません。学校の試験でも入学試験でも、本番では何が出るか、何が起こるかわかりません。

数限りない「失敗」を繰り返しながら、少しでもミスを少なくする方法を自分なりに見つけていくのです。

せっかく買った模型を組み立てていて、精巧な細い部品をうっかり折ってしまったり、小さな部品を落として失くしてしまったり、塗料のビンを倒してせっかく出来上がったモデルを汚してしまったり…
そんな悔しい「教訓」から、細かい部品は必ず箱の中で扱う、床に白い紙を広げておく、細かい部品は最後に取り付ける、組み立て・塗装といった工程ごとに必要な用具だけを出し、使い終わったものは片づける、塗料は倒れにくい器を使う、筆は転がらないところに置く、塗装が乾くまでうっかり触ってしまったりホコリがつかない場所に安置する…etc.


いろいろな失敗

一生懸命考えて企画・計画をたて、その通りやったにも関わらず、予想・期待した結果が出なかったという「失敗」。商品開発のパイオニアにはそうした失敗はつきものですね。
当初は分からなかったことに気づき、発見し、その対策やほかの方法を編み出して、それでもまだ失敗し…の繰り返しでついに完成!

まさに絵に描いたような「失敗は成功のもと」の例でしょう。
でも世の中にはそんなパイオニアのような美しき失敗ばかりではありません。

大切なものを出し忘れた、うっかり見落とした、ほかの考え事をしていたり疲れていてついボーっとしていて重大なミスをしてしまったような「失敗」もあります。
人間の集中力には限界もあります。重大なミスをしないためにどういう対策をとるか…?
それは人それぞれ自分に合った方法を見つけていくしかありません。

出すべきものと違うものを出してしまった、勘違い、相手に伝えたはずのことが伝わっていなかった、まったく違う意味にとらえられてしまったことによる「失敗」もあります。勘違い、伝達の方法、紛らわしい表示などをいかに防ぐか…?

航空事故評論家の柳田邦夫さんの「航空機事故」の中にも「ミスの解剖学」という言葉が出てきます。人間にはだれしも勘違い・ミスを犯すという前提で、いかに安全を確保するかは永遠のテーマのようです。

いずれにしても、「失敗」の原因をきちんと究明し、分からなかったことは解明し、同じ過ちを繰り返さないための何らかの対策をとる。その繰り返しがあってこそ「成功のもと」となります。


◆原因究明あってこそ

うっかりミスも含めて「なぜ失敗したのか」を考えることなく、ただ漠然と「これからは気を付けます」では「成功のもと」にはなりません。

「失敗=ミス」は「気づき」であり、その究明による「成功のもと」は「科学」なのです。

ただ、ともすると「失敗の原因」の究明は、自分自身あるいは相手を責めることに近くなってしまいがちです。あるいは「原因」を挙げることは限りなく「言い訳」に近くなってしまうことも。

そもそも「失敗」そのものは責められるものではないはずです。悪意があってわざとやったことや、やるべきことをさぼっていて期待した結果が出なかったことを「失敗」とは言いません。
うまくやりたいと思い、それなりに努力はしていたにもかかわらず起こってしまった「失敗」はあくまで「過失」です。車・鉄道・飛行機・医療など人命を預かることでは「過失」であっても責任が問われますが、通常われわれが私生活でおかす「失敗」そのものは本来責められるべきことではありません。

だからこそ「なぜミスが起きたのか」をきちんと究明し、同じ過ちを繰り返さないための改善策を考えることがあってこそ進歩があるのです。
失敗を恐れて、やりたい・やってみようかなと思ったことをやらないで止めてしまったら、いつまでも進歩はありません。

また、自分のやったことをすぐ忘れたり、人やモノのせいにして自分を正当化したり、たまたまバレてしまったことだけを「失敗」だと思い、見苦しい言い訳で身を固めるような人には決して「成功」は訪れません。それだけは間違いないでしょう。

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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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