いっぱいいっぱい病

11月22日(金)
(2013年)

自分のことに「いっぱいいっぱい」だから周りを見る「余裕がない」んでしょうか?

じゃ、いつになったら余裕ができて、周りを見たり考えたりできるんでしょうか?

私に言わせれば、周りが見えていない(見ようとしない)から、自分のことだけで「いっぱいいっぱい」になってしまうんです。 


サンタ村への手紙

サンタさんの故郷フィンランドには「サンタ村郵便局」があり、世界中の子どもたちからサンタさんへのお手紙が届くそうです。日本の子どもからも届くそうで「勉強頑張りますから3DSがほしいです」なんて手紙が届くのかと思いきや、「世界中の子どもたちが温かく幸せなクリスマスを迎えられますように」といった手紙が届くそうです。

キリスト教の聖書の中にとくに「サンタさん」は出てきません。クリスマスはキリストの誕生日。人間の罪を一身に背負って十字架にかけられるために生まれたきたキリストは人類へのプレゼント。だから人はみなそのことに感謝する、それがクリスマスですね。
きっとその昔、すべての子どもたちが幸せにクリスマスを迎えられることを願って、プレゼントを配ったサンタさんがいたのでしょう。
いえ、今でもきっとサンタさんはいる、と私は信じています。


そんなことを3年前(2010年)のクリスマス前にもブログ記事に書きました。そして年が明けたら、施設にいる子どもたちにランドセルを寄付する「タイガーマスク運動」があちこちで展開されました。
その輪は全国に広がり、「ランドセルは贈れないけど、せめて自分にできることを」と、学用品やお菓子をこっそりと置いていく若者も現れました。 プレゼントというのは、相手のことを思い、せめて自分にできることを届けること。

「やっぱりサンタさんはいた!」と思いました。その直後に東日本大震災が襲ったのです。

震災から2日後のニュースで陸前高田の避難所から中継が入りました。両親の行方も分からない中学生たちが模造紙に大きく「命あることを感謝しましょう」と書いて避難しているお年寄りたちを勇気づけていました。その中学生たちにマイクが向けられると「じっとしていても仕方ない。せめて自分にできることを」という声が。


◆「せめて自分にできることを…」

いい言葉です。私もこれをキイワードにしたいと思っています。

駅などの身近にいるハンディのある方に「大丈夫ですか?」とひと声かけることは、自分が裕福で余裕があるからやることじゃありあません。ボランティアも同じです。お金と時間があり余っていて他にやることがないからじゃありません。

人と同じことをやる必要もありません。私は腕力に自信はありませんし、何日も仕事を休んで瓦礫撤去に駆けつけることはできませんでしたが、せめて大好きな音楽を通じてチャリティコンサートに参加することはできました。まず震災直後には東京で。そして150人ものオーケストラが被災地でコンサートを開けるまでには半年以上かかりましたが、仮設住宅にお住まいの方たちから差し入れのお菓子をいただいたり、終演後に客席が総立ちになって拍手をしてくださり、「ブラボー」ではなく「ありがとう」という言葉が飛んできました。ステージにいながらにして瞼が熱くなりました。

こちらに余裕があり余っているから何かを「してあげる」んじゃなく、むしろこちらが感動のエネルギーをたくさんいただき、「せめて自分にできること」を発信する…まさにエネルギーの循環なんですね。



今の日本には不安な材料がたくさんあります。「もし~~したらどうしよう」と自分のことばかり考えていたら焦りと不安は募る一方でしょう。
わが身の保身と金儲けに走るあさましい人たちを見ていると、こちらもストレスがたまる一方です。

でも「せめて自分にできることを」という発想をもって日常の小さな一歩から行動してみると…

もし駅のホームで白い杖をついた人を見かけたら、「大丈夫ですか?どこ行きの電車に乗られますか?」と声をかけてみてください。毎日通っていて勝手を分かっている方かもしれませんから、こちらの手助けは必要ないかもしれません。好意を押し付けるのではなく、助けを必要としているかどうかをまず尋ねるのです。

たいていは「ありがとうございます。○○まで行きます」といった返事が返ってくるでしょうから、電車がやって来たらどこ行きの電車かを静かに告げ、こちらの腕につかまっていただいて乗車口をガイドします。もし私がその電車には乗らないときは車内の乗客に「この方は○○駅で降りられるそうです」とひと声かけ、できれば席を譲ってもらいます。
いつも決まった時間の電車に乗る方なら、こちらの声を覚えていてくださり「おはようございます」なんて声も掛け合えるようになります。

「余裕があったら~~する」では永遠にできないでしょう。
秋にはコンクリートの隙間でもコオロギが鳴いています。冬晴れの澄んだ空気の朝には電車から富士山も見えます。目の前にちょっとした手助けを必要としている人がいるかもしれません。
そういう周りのことにちょっと目を向け、「せめて自分にできること」に一歩踏み出してみると、気持ちも世界も変わります。

漠然と気分・感情をつくり出したり変えることはできません。行動によって感情は作られるといいます。
「忙しい」という字は「心」を「亡くす」と書きます。余裕は待っていても生まれません。何でもいいから周りに目を向けてひとつ行動を起こすことで、見えなかった世界が広がり、余裕も生まれるのです。


◆「余裕ができたら周りを見る」のではない!

オーケストラって人生・社会の縮図のようなものだなと感じることがよくあります。
演奏するときに「余裕があったら」周りの音を聴くんでしょうか?「余裕があったら」指揮を見るんでしょうか…?

私もいろんなアマチュアオケで演奏してきましたが、本番当日の楽屋で「どうしよう、ここ難しいよ~」と自分のパート内のことだけに「いっぱいいっぱい」のメンバーの多いオーケストラって正直あまりいい演奏にならないことが多いです。

一人ひとり、各パートを単純に合体させればオーケストラの音楽が出来上がるわけではありません。音楽全体は生き物で、全体の流れや表情の中にパートとしての自分がいるのです。

モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲のように、弦楽器全員が速いパッセージを完璧に弾いて揃えばそれはそれで壮観ですが、必ずしもそういうことだけが「いい音楽」ではありません。

逆に個人的にはとくべつ難しい超絶技巧でもなんでもない所で、周りの空気を無視した無神経な音を出したり、音の切り方が雑だったり…
どうしても難しいところは飛ばしてもいいから、全体の音楽の流れをつかみ、ほかの楽器と自分の楽器の絡みをよく理解し、周りと調和したいい音を出そうと心がけることで、同じ練習量でもぐっと上手いオケの音になります。

自転車に乗り始めたころ、バランスがまだ取れなくて目の前の路面を見るだけで精一杯だったころ、少し遠くを見るようにしたら、バランスよく乗れるようになった経験はありませんか?
なんなら、いまちょっと試してみてください。路肩の白い線の上を走ってみるのです。近くの白線だけを見てもなかかな上手く乗れませんが、遠くを見ると案外すんなり白線上を走ることができるはず。

余裕があるから周りを見るのではなく、周りを見ることで全体像がつかめ、余裕も生まれるのです。



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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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