気持ちに応えるタイミング

キャッチボール

人から何かを頂いたり教わったりしたら、まずは「ありがとう」、これは大切なことですね。

ただ受け取ったその場で「ありがとう」と言うだけでなく、頂いたものを持ち帰ってちゃんと見てみる、味わってみて「どうだった」という感想を返す。これは人としての基本で、キャッチボールに似ています。
小さな子どもとのキャッチボールでも、犬を相手に何か投げて「もっておいで」でも、ちゃんと返してくれなかったら遊びも成立しません。

コミュニケーションとは、単に会って一緒にいるその場でお喋りすることだけでなく、離れた相手ともちゃんと気持ちのキャッチボールができるかどうかです。

色んなキャッチボールの場面があるでしょうが、それぞれ打ち返すのには適切なタイミングというものがあると思います。 以下私なりに…


◆手作りクッキーなど何かいただいたら?…<数日のうちに>

もしご近所さんから手作りのクッキーを頂いたら…?

その場ですぐに開けて食べてみて「おいしいです」はかえって失礼ですよね(笑)。その時はお腹がいっぱいですぐには食べられないこともあります。

でも、何日たってもずっと黙ったまま、1週間ぐらいたって外で会って「どうでしたか?お口に合いましたか?」と聞かれてから思い出したようにお礼を言う、あるいは「まだ食べてないです」じゃ話しにならない、相手はがっかりするでしょう。

別に試食してもらってアンケートを取ろうとは思っていなくても、とくに手作りのものを相手に差し出す側は、相手のことを少なからず思ってくれているはず。嬉しかったのか、美味しかったのか、どうだったのか…? 
 
こういう場合の打ち返しの目安は、2~3日(数日)ではないでしょうか?


復習(おさらい)、話題・感動の共有は?…<およそ1週間>

職場の定例会議でも、学校のゼミでも、音楽などのサークル活動でも、レッスンでも、だいたい1週間後の同じ曜日にはまた顔を合わせます。

もちろんそれだけをやっているわけではなく、他に仕事も忙しい、出張もある、自分または家族に何かあることもある…それは生きていれば常です。

そういう中でも、自分なりにやると決めたこと、興味がありますと表明したこと、「見ておきます・考えておきます」と言ったこと、相手もあって成り立っていることには、どこかで時間をつくってやっていかなければ先に進みません。
教わったことはちょっとでも復習(おさらい)しておく、せっかく案内されたものは見ておく、自分なりにちょっと調べてみる、練習してみる、話題や感動を共有しておく…etc.

それをやらずにまた同じメンバーでせっかく顔を合わせても、「その場かぎり」の連続だけでちっとも深まっていきません。

たとえ「その日のうちにすぐ」「完璧に」は無理でも、自分なりに時間を見つけて「およそ1週間ぐらいのうちには」をひとつの目安にしたいと私は思っています。 

感動は生もの、鉄は熱いうちに打てです。本当に興味をもったら「そのうち」は禁句です。
もちろんたった1週間でどこまで共有でき、上達できるかは限られています。1週間で終わりではなく、そこから先へと進んでいくのです。

自分なりに興味をもって掘り下げたり、あるいはしばらく時間を置いてふたたび手にとったり、思い出したり… 何か月あるいは何年もたってから「あの時の~~のおかげで」というお礼や打ち返しがあってもそれはそれで素晴らしいと思います。

でも、はじめからそんな先の熟成を待つことなく、まずは1週間ぐらいのうちに着手できるところはして、何かしら応えることは大切ですね。
 
たまたまその1週間は非常事態で何もできなかった、ということはあり得ますが、その翌週になっても翌々週になっても「まだ~~してません」が続くようなら、本気じゃないんだろうなと思いますし、おそらく永遠にできないでしょう。


◆今日・明日の予定、割と急ぎのお尋ね…<数時間のうち>

電話と違ってメールは、相手の今の状況や時間帯に関係なくいつでも送信しておくことができます。受け取った側もすぐその場で返信ができるとは限りません。ですから、チャット並みに打てば響くような即返信を求めはしません。

でも、今日・明日の予定を尋ねている場合などそれなりに急ぎの用件だったら、「数時間のうちには」を目安にしたいところですね。

仕事中、会議中、接客中、コンサートの本番やリハーサル中、研修中、番組収録中、手術中、裁判中…etc. どんなに手が離せない重要な時でも、数時間のうちには生理現象もあるでしょうし、10分程度の休憩・食事休憩・移動タイムはあるでしょう。ちょっとした時間に受信メールを確認し、急ぎの用件にはとりあえず2~3行メールを返すぐらいの時間はあるはずです。

携帯は「おもちゃ」ではありません。「通信の道具」です。自分の都合のいい時だけ使って、ちょっと忙しいと返事もできない…それでは社会的なコミュニケーションは成立しません。
何日たっても一向に返信をよこさず、「一体どうしたんだ」と言われてから「~~で忙しくてバタバタしてたんで…」とお決まりの言い訳をしないように(笑)。

「忙しい」という字は「心」を「亡くす」と書きます。多方面に動いてスケジュールをこなしている人ほど、今やらなくてはいけないことはすぐやる習慣を身につけているものです。放置することで自分で自分のお尻に火をつけないためにも(笑)!



◆たとえ一斉メールでも返信は大切

私が学生時代には、ゼミやサークル活動のちょっとした連絡事項でも、合宿や会合への出欠確認も、すべて電話連絡網でした。
次に回す人が不在だとその次へ…結局ひとりで全員に電話するはめになったり、ご家族に「帰られたら電話ください」と伝言したはいいけど、いつ帰ってくるのか分からあず、深夜までお風呂にも入れず電話の前を離れられず…そんな夜がどれだけあったことか(苦笑)

でも今は連絡事項は一斉メールで済みます。便利な世の中になりました。その分ほかのことに時間が有効に使えるはずですね。
その便利な一斉メールでも、相手が携帯を紛失していた、あるいは単に気づかなくて見ていなかった、ということはあり得ます。文明への過信は禁物です!

一斉メールだと、見るだけ見て「あ、分かった」で済ませてしまって返事もしない、ということはありませんか?
送った側としては、大事な連絡がちゃんと全員に届いたか、伝わったかどうか気になるもの。
受け取ったら「了解しました」「ありがとう」のひと言を返すのは、人として当然の礼儀でしょう。

また、一斉メールの中にも、参加か不参加かの返事を求める内容が含まれていた場合、決められた日までに返事を返さなかったら、会場・乗物のチケットなどを手配する幹事さんは動けません。 皆のために動いてくれている世話役さんに「その後どうなりましたか?返事をください」などと何度も連絡させ、余計な労力をかけさせてはいけません。
そういう相手の立場や気持ちを想像できるかどうかだと思います。
無反応・無表情は人類最大の敵です!(笑)



韓国の友人も、最近は一斉メールだと返事もしない、サイトなどはちゃんと見てるけど無反応という人が増えていると言っていました。向こうの言葉で「のぞき見するだけの人」みたいな呼び方があるそうです。
(でも、そういう呼び名があるということは、少なくとも「それはいけないよね」という自覚が韓国にはあるということです。)

自分から意見を出さない、ある意見に賛成であっても周りに「あの人はそういう意見なんだ、この意見に賛成なんだ」と見られるのが嫌で反応しない…理由はさまざまあるのかもしれませんが、非常にずるいコミュニケーションスタイルだと思います。


つまるところ「人」としての誠意

「メールだと言葉のニュアンスが伝わりにくい」とおっしゃる方がいます。たしかに直接会って話すときのような音声から感じ取れる感情は文字情報にはありませんね。

でも、たとえ短い文面の中でも、相手に対する「ありがとう」の気持ちがあるか、相手が必要とする情報に漏れなく答えているか…小さなメモによる置き手紙と同様、メールでもちゃんと伝わるはずです。 いい意味での感情だけでなく、相手に対して不満や批難などの気持ちがあれば、短い文面にもそれはちゃんと表れるでしょう。

アナログの電話しかなかった時代は、相手とコンタクトを取るまでに苦労しました。話せる時間、話しで伝えられる内容にも限界がありました。

「となりのトトロ」を見ていると、私がまだ幼かったころが懐かしく思い出されます。
まだ一般家庭のすべてに電話が普及していなくて、本家にいって電話を貸してもらい、交換台に先方の電話番号を伝えてつないでもらうのです。あと、限られた文字数のカタカナで最低限の用件を伝える「電報」というものもありました。

そういう時代、夏休みに東京の祖母の家に遊びに行くとき、私の両親は「何日ごろ行くよ」と事前に手紙で伝え、列車の切符をとり、何時の列車か決まったらまた知らせ…というやりとりをして、東京駅に着いたら「今着いたよ」と。それで充分コミュニケーションが取れていたんです。

高校や大学の合格発表も、受かっていたら公衆電話から家に吉報を入れました。そんな一大事でなくても、「無事に着いたら電話する」「分かったら知らせる」…etc.
相手は「無事に~~したかな?」と気になるもの。一向に知らせがないと「どうしたんだろう?」と不安な気持ちになります。そういう「人」としての気持ちはいつの時代も変わらないはずです。

今は携帯電話やメールという便利な道具があるから「いつでも連絡できる」という安心感が逆にいけないのでしょうか?…いえ、英知と最新技術によって生まれた便利な道具のせいにしてはいけないと思います。

まだ家庭電話しかなくて、連絡網を回すのにも一苦労していたころ、電電公社からNTTへと変わりましたが、そのころテレビに出ていたある通信に詳しい方の言葉を思い出します。

「どんなに通信の技術・手段が発達しても、使うのは人間だ。相手にきちんと伝えたいと思う気持ちがあるかどうか、最後に問われるのは人としての誠意だ」…と。

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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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