「マイナスエネルギーを発する音楽」ってあると思いますか?

10月29日(火)

今年8月、歌手の藤圭子さんがマンションから飛び降りて自ら命を経つというショッキングな出来事がありました。一時はマスコミ各社もこのニュースで持ちきりでしたが、波が去るとあまり話題にも出なくなります。淋しいですね。

そんな中、学校帰りにたまに寄るお手軽な串揚げ屋さんのマスターご夫妻との世間話しの中で話題に出ました。

「心の病いもあったようだけど、決してお金に不自由していた訳ではなさそうだし、歌は本当に好きだったようだし…衝動的にではあってもどうして自ら命を絶ってしまったのか?」
ある音楽家は「歌うことで人に幸せの種をまかなくてはいけない立場のはずなのに…」とも。


暗い歌詞への同化も…?

そんな話しの中で、串揚げ屋さんのマスターがふと言った言葉が印象的でした。

「歌ってた歌がいけなかったんじゃないか?」と。 『十五・十六・十七と 私の人生暗かった…』とか、その後に出たヒット曲もみな暗くて絶望的な歌詞が多いですね。
ああいう歌を自分のもち歌として感情移入してずっと歌い続けることで、本当に自分自身もそういう人生であるかのように同化してしまうんじゃないか…?

そのマスターもカラオケでこの歌を歌ったら、本当に2~3日、身も心も重~くなったそうです。

♪ 「夢は夜ひらく」は、練馬少年鑑別所で歌われていた曲を曾根幸明が採譜・補作したと言われ、歌詞の違うバージョンがなんと20種類もあるようです(JASRAC登録による)。

私の記憶にある中でも、「雨が降るから会えないの…」ではじまる園まりさんの「夢は夜ひらく」はポリドールから1966年に出されました。

その後、緑川アコ(クラウンレコード)、藤田功と愛まち子(テイチク)、バーブ佐竹(キングレコード)などもこの曲をカバーしています。
そして藤圭子さんの「圭子の 夢は夜ひらく」は1970(昭和45)年に大ヒットしました。

歌詞はみなさんご存知のとおりですが、「どう咲きゃいいのさこの私」とか、「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」など、単なる失恋の歌ではなく、それまでの人生がぼろぼろだったかのような歌詞。つぶやくように歌いながらもドスの利いた声で力強く、打ちひしがれた人生がにじみ出ていました。

藤圭子さん自身がまさかそのような過去を背負ってはいなかったと思いますが、芸能界で歌をヒットさせるには、ある「イメージ」をつくり上げて売り出されていた面はあったと思います。

その当時はカラオケもまだありませんし、スター歌手が自分の持ち歌以外の歌、それも違うジャンルのまったく違ったイメージの歌を自由に歌える環境はなかったはずで、公私ともどもあの歌のイメージと重ねられていった面はもしかしたらあったのかもしれないな…と。マスターの言うことにも頷ける気がしました。
 
「俳優の田宮二郎さんもそれに近かったんじゃないかな? 『白い滑走路』で旅客機のキャプテン役もはまっていたが、最後の出演作となった『白い巨塔』がいけなかったのか?」なんて話しにも。
 
歌もドラマもフィクションの世界。演じる人もその主人公に「なりきる」ことは大切ですが、あまりにも入り込んでなりきり過ぎてしまうと危険なこともあるのかもしれませんね。

ここからは私なりに…


救いのある歌と救いのない歌

日本に限らず、誰もがうらやむような幸せな上流家庭に生まれた主人公が次々と夢をかなえていくような歌がヒットするでしょうか?
自分よりもっと不幸な、陽のあたらない裏街道で、悲劇をすべて背負って生きてきたような歌の方が、誰もが安心して聞けて共感も得られるのではないでしょうか? 

ただ、そうした暗くて悲しい歌にも大きく2つあると思うのです。救いのある歌と救いのない歌です。

たとえばもとはロシア(ラトビア)の歌に加藤登紀子さんが日本語の詞をつけて歌った「百万本のバラ」という歌があります。貧しい画家が女優に恋をして、有り金をすべてはたいて百万本のバラをその女性に贈るんですが、その女優は突然街を去って行ってしまうんです。悲しいです。でも、その画家は絶望して命を絶ったりしません。画家はそうすることで満足で幸せだったんですね。

悲しい歌の中にも、聞き手や世間一般の基準から見て幸せか・不幸かではなく、主人公の人生の中でなんらかの「救い」があればいいのです。

昨年の紅白歌合戦で三輪明宏さんが久しぶりに歌った「よいとまけの歌」も、日雇い労働者のお母さんの働く姿を見て、学校でいじめられても負けることなく学校へ戻ろうと誓い、お母さんの歌が世界一だと誇りをもって生きようとするんですね。
「よいとまけ」=地固めをするのに、重い石を人力でロープで巻き上げる時に「よいっと巻け!」という掛け声をかけることから

しかし一方、昭和の歌の中には本当に光の見えない、孤独と絶望に突き落とされるされるような歌もけっこうあるような気がします。
たとえば「山谷ブルース」は、高度成長を陰で支える日雇い労働者が「きょうの仕事はつらかった」と焼酎をあおって眠りにつく、なんともやるせない歌。
また今は亡き天知茂さんが主演していた刑事ドラマ『非情のライセンス』のラストに流れていた「昭和ブルース」。「生まれた時が悪いのか、それとも俺が悪いのか、何もしないで生きていくなら、それはたやすいことだけど…」の1番に始まり、ついには「なんにもしないで死んでいく…
」と。
仕事で疲れた帰りに毎晩飲みながらこういう歌ばかりカラオケで歌い続けたらちょっと危ないかもしれませんね。


◆「マイナスの音」というのもある…?

マイナスイオンといえば、森の奥深くに流れる滝の音などを連想しますね。心と身体をリフレッシュさせてくれて、とっても良い作用がありそうですね。

音についてはどうでしょうか?

殺虫剤を使わなくても、ある周波数の音を出すことで蚊や悪い虫が寄ってこない作用のある虫除けがありますね。
人間でも、工事現場から発する重低音をずっと聞き続けていると、単に耳障りというだけでなく、身体的にも精神的にも悪い影響が出るという話しを聞きます。

私は個人的に、外車のBMWのエンジン音がダメなんです。近所にBMWに乗られている方がいらっしゃるんですが、その車が帰ってくるとすぐに分かります。エンジン音に混じるかなりの重低音に特徴があり、防音の二重ガラス窓を閉めてあって他の音はあまり聞こえない状態でも、その重低音だけは壁もガラスも突き抜けて聞こえてくるのです。
停車後になかなかエンジンを切ってくれないと、耳だけでなく身体全体が重たくなってきてしまうんです。私はどんなにお金持ちになってもBMWには乗れないなと思っています(笑)。

これらはある特定の周波数の音で、音楽とは別の話だと思いますが、音楽の中でもたとえば音と音のインターバル(音程)が人間の心理にどういう影響を及ぼすか、メロデイラインや和声が人の感情の抑揚にどういう影響を与えるかということは当然あります。

若者が好むような電気的に増幅された音、ロックやテクノなどで規則的にずっと連続する重低音などは、私にとってはBMWのエンジン音にもちょっと似たものを感じます。いやが応でもノセられて洗脳されるような…癒しとは逆の効果もあるように思えます。  


リラクゼーションの音

このカテゴリーにはこの春から学び始めた音楽療法にからめてあれこれつづってきました。その中で、一概に「リラクゼーションにはこういう音楽がいい」などと単純には決められないと思い、ブログを通じてアンケートではありませんが「みなさんの癒しの音を教えてください」という記事を書いたこともあります。

川のせせらぎ、風にそよぐ木の葉の音…etc. 自然の音というのはいうまでもなく人工的に盛り上げるような抑揚はなく、あるがままに連続しています。

そこに人間が加わって、打ち鳴らして音を出すものや素朴な笛の仲間を自由に使って音のある空間を作り出すようなことも、広い意味では「音楽」だと思います。

楽器を正しく持ち、正しいリズムでなにか曲を演奏するのではなく、その楽器で出しうるさまざまな音を感じるままに発するのです。何人かのグループでまったくの即興で、ある時は人が出す音に乗っかって、ある時は自分の世界をつくり出して音を自由に発してみます。
楽譜に書きおこして同じことを再現できるような「音楽」にはまだ至っていない、純粋に「音」を「楽しむ」という感覚です。

風が渡るような音、ささやくような音、何かが勃発するような音、あるいは黒鍵だけのペンタトニック(=5音階)を鳴らして、森の奥深くにいるような、火を囲んで宴を開いているような、宇宙のしじまの中を漂っているような…etc.
感性に身を任せて音の世界に遊ぶのです。抽象絵画のような「音の時空」、静寂の中で純粋に「音を楽しむ」体験というのも癒される音のひとつだと思います。
 

抑揚のある表現豊かな音楽

さまざまな楽器の出す音を意図的に並べ、抽象的にでも具体的にでもある状況を描写したり、聴く人になんらかの感情やイメージを与えるように計算して作られたものが「楽曲」です。

交響曲などは1楽章から3楽章、あるいは4・5楽章までで構成され、全体では40~50分ぐらいの演奏時間がかかりますが、室内楽の小品などは数分で完結する曲もあります。
歌謡曲やポップス、あるいは長いオペラの中でも劇中で歌われる歌のほとんどは、だいたい数分ですね。

音楽の長い短いはありますが、それぞれ演奏時間はいわばキャンバスのような演出空間。
その中に、人に何らかの感動を伝えるメッセージが込められています。
長調か短調か、全体の抑揚や躍動感、さらに歌詞(コトバ)の力も借りて、人の心に影響を与える要素はさまざまです。

演歌や歌謡曲は私たちの住む日本の風景や恋心を歌ったものが多いですが、もっと世界に目を向けると、黒人霊歌、ジャズ、シャンソン、アルゼンチンタンゴ、フォルクローレ(民族音楽)などさまざま。
そのメロディライン、リズムパターン、コード進行、展開・構成など、それぞれの音楽ごとに人を感動に導くさまざまな手法があるように見えます。

私があまり音楽をジャンルで区切るのを好まず、どんなジャンルの音楽でもいいものはいいと思えるのも、それぞれの音楽ごとに人の心をとらえる何かがあって、どれもいいなと思えるからかもしれません。



同じ日本の歌謡曲やポップスでも、時代によってもそのパターンは少しずつ変化します。
 
最近よく若いサラリーマンなどがカラオケで歌っている曲の中には、曲全体のノリはいいんだけど、静かな部分・盛り上がる部分といった曲全体の中での抑揚がほとんどなく、はじめから終わりまでリズムパターンもずっと同じで、和声としても単純なコードを行ったり来たりしているだけの曲がけっこうあります。

歌っている本人はノリノリなんですが、はっきり申し上げて歌が上手い人が歌ってもそうでない人が歌ってもあまり関係ないような…(失礼!)
タンバリンなど音の出るものでリズムには乗りやすいんだけど、聞いていてもなにか感動が伝わってくるような主張も表情も個性もない。非常に悪い言い方をするなら「毒にも薬にもならない曲」というのが最近多くなったような気がしませんか?
そういう曲は、街を歩きながら、電車の中で、場合によっては仕事しながら、ずっとイアホンで聴き続けることで、常に精神状態を一定に持ち上げてキープするにはいいのかも知れませんね。

それに対して昭和の歌謡曲の多くは、字幕を出されなくても耳で聞いてすぐに歌詞(コトバ)がはっきりと聞き取れて、感情移入しやすく、すんなり心に入ってきます。
メロディラインの美しさ、前半の囁くような歌いはじめと中間から歌い込まれるサビの部分とのメリハリが豊かで、音域も広く、中にはそこそこの歌唱力がないと歌いこなせないような歌も。つまり表情が豊かで音楽性の高い歌が多かったと言えるのかも知れません。


音楽もバランスよく!

「音楽の力」には元気になる、癒される、勇気が湧いてくる効果があるわけですが、どんな世界にも必ずプラスとマイナスがあります。逆にマイナスの作用で重く苦しくなり、地中深くに引きずり込まれ、魂の力を吸い取られて、どんどん落ち込んでいくような「マイナス効果の音楽」というものもあるのではないかと思います。

ただ、例えばひとつ前の記事でご紹介したシャンソンの「枯葉」などもかなり淋しい歌で、人生の切なさ・はかなさを感じますが、少なくともあの歌を聞いて肩から頭にかけてずっしり重くなってきて、魂を吸い取られて地中に引きずり込まれるような絶望感は感じません。むしろ年輪を重ねた人生の重みと味わいのある歌ではないでしょうか。

私はもちろん歌手ではありませんが、今はカラオケという素晴らしい道具のおかげで色んなジャンルの歌に自由にチャレンジできる機会は広がりました。 自分の声に合わせてキイを変えることも簡単にできます。
またプロの歌手でも、一昔前のように自分の持ち歌しか歌ってはいけないなどという制約も今はだいぶ緩和されたのでしょうか、演歌歌手がポップスを歌うような場面も見られるようになったように思います。

時にはしんみり悲しくなるような昭和の歌を切なく味わうもよし、時には最近の歌の中でも、オリンピックの主題歌にもなった♪「風が吹いている」(いきものがかり)のような歌で感動と勇気を分かち合うもよし、被災地への希望をこめて♪「花は咲く」のような人間愛と優しさに満ちた歌もよし…

どんな薬でも、あまり頼ってずっと依存し続けたら悪い影響が出るものもあります。食事でもたとえどんなに栄養価が高くても毎日ステーキばかりではバランスが崩れます。
大量に摂ったら害が生じるけど、少量なら味覚を引き立ててくれるような食材もあります。 

音楽もそれと似ていて、「プラス効果のある音楽」、反対に「マイナス効果のある音楽」とに分けて後者を排除しようというのではなく、色んなジャンルの音楽を分け隔てなくバランスよく美味しくいただくことが大切ではないか、というのが今の私なりの結論でしょうか。

みなさんはどう思われますか?



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拝見いたしました

こんにちは。記事を拝見させていただきました。私も読みながらいろいろと考えておりました。音楽そのもの落ち込むような曲というのは、そんなにないかもしれませんが、その背景や歌詞を聴いて、自分の体験を通して、、という事はあるかもしれませんね。

戦争経験の時代の方がその音楽を思い出したくない理由で聴きたくない、とか。
母はハワイやサイパンは戦地に旅行すること自体許せない、といっておりましたから、たとえハワイアンを聴いても心地よくは聴かないかもしれませんね。

例えばショパンの葬送ソナタを聴いて、曲としてきけば作品の素晴らしさでみんなが泣くとは限らないですが、映画音楽のBGMや葬儀で流れればみな涙を出しますよね。でも、最近葬儀では、ずばり葬送行進曲を流すことはなくなりましたね。^^;
ちょっと話がそれたかもしれません。すみません。

No title

コメント有難うございます。
第一楽章さんのブログタイトル、とてもお洒落ですね v-352 
ブログコミュニティについては、まだ管理画面を把握していなくて、説明参照してみます(*^_^*)
12月イベントを控えていて今必死に譜読み作業中でしたので (^^ゞ 後程(*^^) 。
音については、私、耳の機能が検診5段階の5でして、第一楽章さんの記事を読みながら、そういう意味での+、-もあるなと、、、
はい、本題からそれますね ^^;

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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