ことばの鎖 ~感情とイントネーション~

◆ことばの鎖

人とのコミュニケーションは、発信者の頭に浮かんだ「伝えたいイメージ」を言葉に置き換え(脳・言語中枢)、脳から発せられる命令(神経系統)によって声帯や舌の筋肉などを複雑に動かして声(言葉)を発する。
 
その声(言葉)は主に空気中を音波として伝わって聞き手であるBさんの耳に入り、鼓膜を振動させで耳小骨を経て内耳へと伝わり、そこから聴覚神経を経て脳へと伝えられる。そして脳でとらえた「言葉」を認識して「あるイメージ」を形成する。

つまり、何かを伝える側(発信者)は、
<言語学的段階>→運動神経・筋肉<生理学的段階>→発声(ことば)<音響学的段階>、という3つの段階を経て言葉を発する。

そしてその言葉を受け取る聞き手は、
ことば<音響学的段階>→耳~聴覚神経<生理学的段階>→脳<言語学的段階>という3つの段階を経て脳で認識される。これを「ことばの鎖」という。



<図1・言葉の鎖(テキスト資料より)>
ことばの鎖2

図内にもあるように、発せられた言葉は、聞き手の耳だけでなく話し手自身の耳にも入り、自分の発した声・言葉から脳を刺激される(フィードバック)。 これによって、話し手も自分の言葉を確かめながら、考えをまとめたり確信したり、感情を増幅させたりする。

脳・神経・筋肉を経て発せられる音声(ことば)が、耳・神経・脳へと伝達されて認識されるプロセスはとても複雑である。

小児医学では、そのプロセス内のどこかに何らかの障害が起こることによって生じる「言語障害」の話題へと展開するが、ここからは私なりの展開で…


◆「記号」のキャッチボール

論理学の「記号論」的な捉え方をすると、言葉などの「記号」を媒介として人はイメージを伝達し合う。

 

 Aさんのイメージ           Bさんのイメージ

    a     →   記号   →        a'
    b'         ←     記号  ←      b 
 



ここで「記号」と言われるものは、音声としての言葉、書かれた文字・文章、ある意味をもった図形、さらには顔の表情、身振り手振りなどの動作といったあらゆるものが含まれる。なんらかのメッセージ性をもったものすべて=「記号」と考えて良いだろう。

★注)
上の記述でお分かりのように、記号論でいう「記号」とは、一般に言うような図形化された表示だけでなく、何らかのメッセージを込められたもの(文章や音声も含めてすべて)をさす。
ちなみに、その中で人に何らかの行為を促したり命令するメッセージのある記号を「信号」、ある特定の仲間だけにしか意味が通じない記号を「暗号」と呼ぶ。


つまり、音声としての「ことば」だけが単独で存在しているのではないということだ。
話し手の顔の表情や、その話題の出る前後関係、身振り手振り、さらにおなじ言葉でも抑揚のつき方などを、受け手はトータルに感じて伝わる。そこには人間の「感情」が伴うということだ。


言葉の抑揚(イントネーション)

ことばの抑揚(イントネーション)は、標準語か方言かによっても微妙に変わるところだが、ここでは標準語で見てみる。

例えば簡単に3つの音声でできている言葉を、高低差で表現してみると…

<Aタイプ>
3文字A
(名詞)昼間、つらら、あくび、かかと、車、スイカ、丸太 …など
(動詞)並ぶ、遊ぶ、転ぶ、入れる、笑う、歌う、止ま(め)る、けずる …など

<Bタイプ>
3文字B
(名詞)バナナ、トマト、きゅうり、Suica(カード)、マルタ(地中海の)…など
(動詞)入る、帰る、返す …など

<Cタイプ>
3文字C
(名詞)おでん、お鍋、おこげ …など
(動詞)食べる、晴れる、泳ぐ、走る、歩く、動く、取れる、こする、閉じる …など


名詞や動詞の1語で3文字の場合を見たが、2文字で出来ている名詞も「滝」「橋」「味噌」などけっこうある。その2文字の高低差は正しくても、その後につく「が」「の」「に」「を」などの格助詞と合わせて高低差がどうなるかが重要だ。

とんち好きの一休さんが「このはしをわたるべからず」と立札の立っている橋のど真ん中を堂々と渡っていった話は有名である。「“端を”渡っちゃいけないんでしょ?」と。

3文字A(端を) 3文字C(橋を) 3文字B(箸を)

また、ふたつ以上の言葉が合成されるとイントネーションが変わる場合がある。
たとえばスペインで大騒ぎする「トマト祭り」。「トマト」だけならBの「ラソソ」、「祭り」だけならAの「ソララ」だが、「トマト祭り」と一語になると「ソラララソソ」となる。

また4文字の「各駅」はどうだろう?後ろ上がりに「ソラララ」と言うアナウンスも時々聞くが、本来は「各自」「各地」「各学校」「各国」「各テーブル」など、「それぞれの」という「各」で始まる言葉は「ラソソソ」と後ろ下がりのイントネーションが正しい。
ところが、「各駅停車」と合成されると、「ソララララソソ」となる。

一般に2つの言葉が合成されて長い一語になると、真ん中の部分が高くなって前後が低くなる傾向がある。

話しがややアナウンサーの基礎訓練のような方向にずれたが、最後に「ことば」を発するための脳の言語中枢の働き→神経や筋肉の働き→発声のメカニズム、さらに音声となった言語を受け取り、聴覚→神経→脳での認識、というメカニズムの話しに戻そう。


感情による言葉(イントネーション)の変化

発信者の感情が、言葉にどう現れるか…?
これは音楽療法のプロセスだけでなく、われわれ一般の人がごく日常的に交わしている身近な人とのコミュニケーションにおいても大いに関心のあるテーマだ。

言葉ではちゃんと伝えているはずなのに、うまく伝わらなかったり、不愉快に感じて喧嘩になったり… 

嬉しい・腹立たしい・哀しい・楽しい…といった喜怒哀楽の感情を伴った「ことば」には何らかの変化が起こるから、人にも感情が伝わる。
「そんな言い方しなくてもいいでしょ?」となる言い方もあれば、感謝に満ちたやさしい言い方までさまざまに変化する。
発音の強さ、速さの変化も伴うだろうが、ここではイントネーション(ことばの抑揚)の変化についての一例を考えてみる。

A.平易に、淡々と
だから言ったでしょ1(平易) 


B.怒って、不満をぶつけて
だから言ったでしょ2(怒り・不満)


C.哀しみ・悔しさをこめて
だから言ったでしょ(哀しみ・不満)


D.愛情をもって、甘えたように
だから言ったでしょ(喜・愛情) 


まだ言葉を覚えてまもない小さい子供でも、誰が教えたわけでなくても、不満を訴えるときには自然と「B」のようない抑揚をつけるようになる。じつに不思議だ。
そして、そういう不満だらけの言い方をされると、たとえ相手が幼い子どもだと分かっていても、言われた方としては気分が悪くなってくる。これまたじつに不思議だ。

「ことば」は単に文字を並べているだけではなく、必ず何らかの感情をともなった「記号」として発せられる。それを受け取る側も、音声として耳から入った「記号」を、ことばの意味だけでなく相手の感情も含めて読み取って理解している、ということだ。

知らず知らずに感情が込められて発せられることもあれば、聞き手にある感情を引き起こさせるために意図的に入れられる感情(例.芝居・音楽など)もある。まさに表出学、パフォーマンスの領域へとつながる。

この一つ前の「音楽心理・神経学」のテーマとも連動するが、脳と身体とは運動神経・感覚神経によってつながり、さらに脳が創り出す「感情」という不思議な現象が融合し合っている、ということだろう。

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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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