本当に必要なところにお金が回る仕組みを! 

◆人の命よりも企業の利益が優先 ?

東日本大震災のあった2011年の6月に東電はすでに『遮水壁』の見積もりをしている。それは1000億円だった。民主党政権の馬淵総理補佐は、遮水壁の設置を含めて費用を算出するように東電に指示した。しかし、その費用が1000億円に達したので、株主総会で1マイナスを織り込まれることを嫌い、当時の海江田経産相に隠ぺいすることを要請した文書が見つかっていた。

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ニュースステーション動画:http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=g8lUrDm8o00

人の命よりも、地球の環境よりも「企業の利益」が優先されるのか?
震災が起こる前の「想定」と「安全対策」についても全く同じだったと聞く。つまり「想定外」というのは、自然災害を全く予想することもできなかったのではなく、そこまでの対策は必要ないという企業の経営判断が「想定外」だったということだ。

このカテゴリに「豊かさの敵とは?」という記事を書いたのは震災からほぼ1年を経た頃だったと思う。しかし今ここに来て「経済」という言葉の概念そのものが豊かさの敵、人類の敵ではないか? と思うに至った。

政治家も大企業も、またそれを容認している民意の多くも、自分の保身に回り、どっちが有利か、どっちが得かの損得勘定でザワザワと動いている。政府みずからが音頭をとってマネーゲームによる見かけの数字によって景気を回復させようとする…

私の考える「人」としての「豊かさ」とはことごとく逆走しているように見える。「経済」と名の付く新聞を、通勤電車のドア付近に迷惑に立ち止まって無表情に眺めている人たちへの嫌悪感はますます高まっている私。そもそも「経済」って何なんでしょう?


◆「経済」って何?

アダム=スミスの経済理論によれば、「最小の労力で最大の欲望を満たそうとする人びとの欲求が、神の力によって社会に利益と調和をもたらすこと」ということらしい。

辞書(大辞林)によると…

①人間の生活に必要な財貨・サービスを生産・分配・消費する活動。また、それらを通じて形成される社会関係
②金銭のやりくり。「わが家の経済は火の車だ」
③費用や手間のかからないこと。倹約。(例.弁当を持っていくほうが経済的だ)

これを私流に言い換えると…

① 人々の欲求・消費生活・企業活動などを貨幣(お金)の動きによって観察する学問。
②必要なことにかかるコストが安くて助かること(→ばらばらに買うよりもまとめ買いした方が安くてお得。そこで使われる「経済的」という言葉)
③いかに少ないコストで(効率よく)最大の利益を上げるか

私は「経済学」が専門ではないが、私流にとらえた上記①は、社会の動きを「お金の流れ」という数字でとらえること。つまり人間や社会の動きを数量的に見てみようという試みである。

あらゆる学問・科学は「原因→結果」の論理を検証するもの。その論理を使って「先を予測する」という分野が当然ながら出てくる。経済もしかり。
社会で起きた出来事から「お金の動きはどうなるか?」という予測が出てくる。
大統領や総理大臣の発言、企業や業界の動向から「株価はどうなる?」という予測になり、投資家たちが円やドルを、株をを売ったり買ったり…となるわけだ。
 
さらに②や③のやや俗っぽい意味も含めて、「経済=自分のため」、「経済=すべてはお金」、「経済=コスト削減」、「経済=効率化」、「経済=儲からないことはやらない」 といった方向に通じているように感じる。極言すれば「自分さえ良ければいい」という発想である。

最近のニュースと絡めて一例をあげるなら…
シリアでは政府軍と反政府軍の衝突によって毎日多くの命が奪われている。こういう事態に対して、国際社会としてどう対処したら良いのか?という「人」としての思いがある。

しかし「経済」という目では、「原油価格が上がるのではないか?」「原油(燃料費)が上がることで○○業界はどうなる?」「値上げか据え置きか?」という心配へ。さらにアメリカが軍事介入するかどうか動向を見て、円やドルの売買はどうなるか、株価はどうなる…?
 
「風が吹けば桶屋がもうかる」じゃないけど、どんなことでも「お金の動き」に置き換えて自分の身の回りにどういう影響が出るかを考えるのが「経済」?…ものごとの本質って何なんでしょう?


◆「需要(ニーズ)」を生み出す

ところで、「エスキモーに冷蔵庫を売るにはどうしたらいいか?」という笑い話のような話がある。経済学の「需要と供給」に関するお話し。

見渡す限り雪原に暮らすエスキモーたちは、言ってみれば冷凍庫の中で暮らしているようなもの。肉でもなんでも氷の中に突っ込んでおけば保存でき、冷蔵庫なんかは要らない。

そのエスキモーにどうやって冷蔵庫を売るか? それはビールやワインのおいしい飲み方を教えることなのだそうだ。ビールやワインを氷の中に突っ込んでおいたらガリガリに凍ってしまう。ビールやワインを凍らせることなく適温に冷やして美味しく飲むという、ひとつの「文化」を広め、それには冷蔵庫が必要だという「需要」を創り出すのである。

お酒(日本酒や焼酎)を飲んできた日本人に戦後「ウイスキー」という文化が広まったことでウイスキーが売れるようになった。つまり、もともとある人間の欲求、その社会に必要とされているものを提供するだけでなく、それまで社会になかった新しい「文化」を創りだすことによって人々に新しい欲求を作り出し、需要を産み出して商品を売る、ということだ。


儲からないことはやらない 「効率化」

「経済=効率」を突き詰めていくと、企業は儲かることしかやらなくなる。
冒頭に書いた「人命よりも企業の利益優先」はこれの極致と言える。

本来、社会に求められること、人々を幸せにすることを提供し、その見返りとして売上が伸び、社員が豊かに幸せになる、というのが企業活動の理想的な姿だと私は思う。

しかし、創業当時の夢を追い続け、古き良きものを作り続けていくことは容易ではないだろう。時代は変わる、世の中の流れも人々の欲求も気まぐれにどんどん移り変わる。
ライバル企業との競争に勝って生き残っていくためには、少しでも儲かることをやらなくてはいけない。それはある程度しかたない。

効率化をすすめることも重要だ。それまで二人がかりでやってきた仕事は一人でやらせる、それまでかかってきたコスト・時間もどこまで切り詰めていかに効率よくやるかが求められる。

各種部門の売上は毎月検証され、売上が伸びている部門には力を入れるが、あまり伸びてないことは(たとえ社会にとって大切なことであっても)切り捨てられる。

いまはどの企業でも正式社員の数は極力減らし、派遣や契約に仕事を任せる。派遣や契約でも継続した契約で身分保障があればいいが、年間契約で一定の賃金は決められている中でいわゆる「サービス残業」をさせられたり、中には「出来高払い」で、打合せ・追加・変更が繰り返され、何度も作品を作り直しても出来高としては「1」なんてこともある。

企業としては極力効率を上げて利益を上げ、でも働く人たちには還元せず、人減らしで人員は最小限に抑える。法人税を下げるなど企業に優遇しても、思ったほど雇用は増えず、むしろ人は減らされ、仕事のノルマは重くなり、メンタルな障害ひいては過労死や自殺も…

会社という化け物の見かけの売上は上がっても、働く個人は決して豊かにはならず、むしろ追い詰められていく。
高速バスの事故も乗務員の過剰労働による疲労が原因だったりする。人命よりも安全よりも企業の利益が優先される…それが企業の「経済=効率化」

儲からなくても、みんなが飛びつかなくても、大切なことはたくさんあるが、それらがどんどん切り捨てられていく。


復興予算が718億円も「返還」された!

一方において、せっかく予算化された復興予算が、他の目的に流用される。それを指摘された復興庁が明確に使われていない予算を返還するよう求めたところ、なんと718億円にもなったというニュースが最近あった(8月29日NHKニュース)。

社会で起こるひとつひとつの出来事やニュースを単品として見るだけでなく、最近の出来事を横断的に串刺しにして見てみると、いろいろと「おかしな日本」が見えてくる。

行政の予算の使い方は、たとえば道路を作るにしても学校や病院を作るにしても、それを作る必要性を法律に照らして検討し、必要なものは民間業者に工事を発注する、という形がほとんど。しかし、非常事態である震災からの復興において、その「形」にがんじがらめに縛られていたら当然ながら無理があるだろう。
便乗した不正な支出は防がなくてはいけないが、本当に必要なところへはもっと柔軟な予算の使い方があっても良い。

震災直後から多くのボランティアが集まって瓦礫処理などを手伝ったが、震災から2年半たった今でも、被災地の人たちにとって必要なこと、やらなくてはいけないことはまだまだ山のようにあるはずだ。
本当に必要とされることへお金を支出できる仕組みができていない、ということだろう。


◆「ボランティア=無料奉仕」は絶対条件?

ボランティア(volunteer)とは、ラテン語の「ボランタス(voluntas)自由意思」から来ていて、「自発性に裏付けられた奉仕者」という意味である。わが国では、福祉などの分野をはじめ「無償の奉仕活動」を意味することが多い。

行政(公務員)の仕事として定められたことにはどうしても限界もある。たとえば分かりやすい例として老人福祉を見ると、従来のいわゆる「老人ホーム」に入所するばかりでなく、「ショートステイ」や「デイケア」といった需要がある。病院・医療の世界と福祉の分野が「連携」するという視点も必要。そうしたきめ細かいニーズのすべてに公務員が対応するには限度もある。一定の知識・資格を持った「民間の力」を入れることになる。
しかし「民間=企業」は、利益追及で採算を合わせなくてはならないのが基本だ。そこで無償で奉仕してくれる「ボランティア」の存在意義が出てくる。

ボランティアが必要とされるのは「そこに必要とされる仕事があるから」である。
先ほど例えに出した「エスキモーに冷蔵庫を売る」ような、企業が商品を売るために無理やり創り出したような需要ではなく、本当に困っている人が現実に目の前にいて、求められている仕事が山のようにあるのである。そのためのボランティアが、必ずしも「無償」でなければならないのか?

1日単発の場合、泊まり込んで連続して何日も、時間ごと、仕事量…さまざまな面での評価のシステムづくりが必要だが、何らかの形でボランティアに対しても一定の報酬を出すことは考えられると思う。

ただ、企業のように利益追及を第一目的にしているわけではない。そこで儲けようとしてはいけない。 だが、儲けにならないこと(=企業の発想では切り捨てられること)でも大切なこと、必要なこと、誰かがやらなくてはいけないことがある。そこに最小限かかるコスト、交通費、時間と労働に応じた最小限の人件費は支払われても良いではないか?

もしそれを可能にできるシステムさえできれば、これまでせっかくの善意で集まった多くの募金が使い道もなくどこかで止まっていたり、せっかくの復興予算が使われることなく返還されるといった馬鹿げたことが少しでも解決に向かうのではないだろうか?


◆「脱・経済」のすすめ

「経済」という言葉を日本で最初に用いたのは福澤諭吉先生とも言われる。

その諭吉先生には申し訳ないが、戦後70年近く、アメリカべったりで進んできた資本主義・自由主義の流れの中で、自分がいかに儲けるか、努力して成功してお金を持っているのは偉いんだ、どう使おうがお金を払う者の勝手だ…そんな金杯主義の歪みもあちこちに出てきている。

「経済的=お得ですよ」という言葉に代表されるように、「いかに自分が得するか」という身勝手な要素が「経済」という言葉には少なからず含まれているように思う。
その延長として、冒頭にも書いたような「安全よりも人の命よりも企業の利益が優先」へ。

いいかげん「経済」だ、「マネーゲーム」だ、「景気」だ…と奔走する生き方から脱却しよう!
自分が儲けるためではなく、人の役に立つことをやって感謝され、それが多少なりとも「仕事」にもなる世の中へ。社会に必要とされていること、儲からなくても大切なことにひたむきに取り組んでいる人たちが、ちゃんと人並みに報酬を得て生きられる社会へ。

「経済=効率」の論理とは違った、あたらしい「豊かさ」へと通じる生き方、あたらしい「仕事」の概念、世の中の「仕組み」ができてもよいのではないか、と。



よかったら私がこれまでこの「★豊かさとは…?」のカテゴリに綴った記事を遡って見ていただけたら幸いです。とくにその中の「ふるさと…本当の地方の時代とは」あたりが私の思いの原点かもしれません。

またカテゴリは別の「★一歩踏み込んで言わせてもらいます」の中ですが、「最近のテレビ番組に思う~メディアに求められるものは?」という記事を書いています。どこの局も似たような企画で、人気タレントを連れてきて、低俗な番組が大量に作られています。視聴率という、これまた資本主義の遺物に支配されて…

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ごもっとも

第一楽章さんのおっしゃりたいこと、手に取るようにわかります。
わたしもマネーゲーム感覚しかない人たちが大嫌いです。ホリエモンとか(笑)
会社はギャンブルのためじゃなくて仕事するためにあるんでしょ?
あと電車で日経新聞を眺めている人たちって、どうしてみんな無表情なんでしょうね?
たしかに社会の情報は多いかもしれないけど、どの企業が何をやってどうなって、って毎朝見なきゃならないもんなんでしょうか?
音楽でもスポーツでも研究でも、何かに必死で取り組んでたらあんなもの見てる暇なんてないと思うんですが。

Re: ごもっとも

マルチさん

同じ価値観ですね!
ディズニーでもイソップでも日本むかし話でも、金もうけに走る人間って「悪魔の商人」のような存在ですよね。動物や子どもの命、やさしさみたいな大切なものを脅かす存在。
みな子どものころそういうものを見て育ったはずなのに、どうして大人になるとみな金もうけばかりに走るんでしょう?

経済新聞は、たしかに情報量は多い。大学を卒業して就職活動するころ、誰からともなく「日経新聞を読むように」みたいな訓示があるんでしょうか?理知的な女性をモデルに「日経よく読む」なんてCMもありましたね。
マスコミの役割として、世の中に警鐘を鳴らしたり、素晴らしい活動を紹介したり、社説など社会に対する意見を発信する役割もありますが、とにかく淡々と情報をたくさん提供して、あとは読者がそれをどう見るかに任せる、という種の役割もあります。日経新聞などは明らかに後者ですね。

でも、政府があらたな基準を設置した、規制を緩和した、どの企業がどんな商品を開発した、どの企業のトップが変わった、合併・業務提携した…etc.だから何…?(笑)私には企業を馬に見立てた競馬新聞みたいな印象も正直あります(笑)
まあ朝からエロ漫画を広げているよりはまし、と思うようにしていますが、私はどうも好きになれません(無表情に眺めてる人たちが)。少なくとも社会の動きに関心があるなら、あの無表情さは何?電車でもすぐ周りのことにどうしてあんなに無関心・無神経でいられるのか?
いかにも真面目にサラリーマンやってますというポーズなのか、なんとなく見ておかなきゃという惰性なのか…?
おっしゃる通り、音楽・スポーツ・研究など、自分の世界を持っていて日々何かに必死に取り組んでいたら、人様の会社の情報なんて見てる暇もないでしょう。会社は「馬」じゃありません。本業の仕事をする場所です!


プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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