人類の過ちを見つめる目に、敵も味方もない!

8月21日

「人類の過ち」を見つめる目に、敵も味方もありません!

この写真、少し前にフェイスブック上でシェアしましたが、アメリカのカメラマンによって被爆後の長崎で撮影されたものです。

長崎の少年(オダネル)

アメリカのジョー・オダネル氏は、真珠湾奇襲攻撃をしかけた日本への憎しみから軍隊に志願しました。その後軍のカメラマンとして、原爆投下後の長崎に入り、破壊の状況を記録するように命じられます。

日本人の姿を撮影することは禁じられていましたが、オダネル氏は軍の規律に背いて、個人のカメラで撮影を続けました。
この少年と出会ったのは、浦上川の河原に設けられた臨時の火葬場。おさない弟の亡骸を背負い、順番を待ち、焼かれるところを唇を噛みしめたまま見つめ、黙って立ち去ったそうです。オダネル氏にとって生涯忘れられない光景となったといいます。

この他にも親を失った幼い子ども、救護所で見た被爆者たちを見たオダネル氏の中からは、日本人への怨みは消えて哀れみに変わり、悪夢にさいなまれます。
軍へ提出した写真とは別に、密かに撮った30枚ほどの写真ネガはカバンに入れて鍵をかけ、家族にも「決して開けてはならない」と告げて屋根裏に43年も封印しました。 しかし…

NHKドキュメント 「解かれた封印」 (2010年放送、約50分)

著作権の問題もあるので、Youtube元が削除されてしまうと見ることができませんが、番組内容を詳細にご紹介くださっているこちらのサイトをご参照ください。
→ あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?



「日本への原爆投下は、戦争を終結させるためには必要だった」
アメリカでは常識とも言える世論が根強くある中で、オダネル氏は自ら死の灰の上を歩いて爆心地をめざし、原爆の被害を目撃しました。浦上天主堂のマリア像の視線の先には焦土と化した街…

オダネル氏は確信します。
「日本はたしかにアジアでひどいことをした。しかし、この幼い子どもたちにいったい何の罪があるのか?戦争に勝つためとはいえ、この子の親を殺す必要があったのだろうか?人間が同じ人間に対して、こんな酷いことをしてしまった。これは過ちである。100年たってもその過ちは消えることがない…」 と。

自らの身体も被爆直後の長崎で受けた放射線の影響によりガンがむしばみ、ある反核の礼拝で目にした全身に被爆者の写真を貼られたキリスト像を見て長崎での記憶がよみがえり、自分もあの写真を伝えなくては、と43年間ずっと封印してあったカバンを開けます。

ところが、「原爆は必要だった」という世論が主流のアメリカでは、どの出版社に持ち込んでも拒否され、企画した写真展も退役軍人の猛反対で中止となり、オダネル氏のもとへはおびただしい批判や嫌がらせが届くようになります。
妻は夫の行動を理解できずに離婚。 戦後、いまわしい記憶を封印したまま築いてきた幸せな家庭は、カバンを開けたとたんに崩壊していきます。

オダネル氏は偶然にも長崎に原爆が投下された同じ日にこの世を去りました。
息子のタイグ・オダネル氏は父の足跡を追い、父が何を見て何を感じ、何を伝えようとしたのかをひも解いていきます。

父と同じように軍のカメラマンだった人物を訪ねます。被写体への感情は一切捨てて「記録」に徹するのが軍の命令でした。しかし父は「人としての感傷」を捨てることはできなかった。軍人としては失格だったかもしれないが…

タイグ・オダネル氏は、父が撮影した30枚ほどの写真をインターネットで全米に公開します。

当然ながら批判の声は多く寄せられますが、10年前に父が公開した時とは少し異なり、戦争の悲惨さを訴える写真の力を理解する人からの声も多少交じるようになっていました。

「この光景は長崎でのものだが、もしこれがイラクでのものだったら、アメリカのイラクへの対応も変わっていたかもしれない」という声も…


その後、タイグ・オダネルは長崎を訪れて写真展を開き、被爆した患者との再会を果たします。また父が生前語っていた「長崎で子どもたちの笑顔を撮りたい」という夢を自らの手で果たします。

戦争には常にそれぞれの国の立場があり、それぞれの正義があり、世論もあります。
しかし、人類にとっての過ちは、何百年たっても決して消えることはないのです。


★上にご紹介したドキュメント映像はフェイスブックでシェアしたものです(48分)

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
このすぐ下の「カテゴリ」から興味のあるテーマごとにクリックして覗いてみてください。
一部パスワードをご存じのメンバーの方のみ閲覧できるページを含みます。

カテゴリ
カウント開始 2011.1.14~
リンク
最新記事
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR