「あいさつ」は川の流れを取り戻す

◆みんなが挨拶をかわす地域では犯罪も少ない

たまたまある方の記事へのコメントからそんな話題になりました。
長くなるので自分のブログページにちょこっとまとめてみます。

たしかに地方でも東京の下町でも、みんなが顔見知りでツーカーな仲で、「え、あいつ今朝早く出てったよ。○時ぐらいには帰るって言ってたけどな~」…そんな会話が商店でも飛び交うような街なら犯罪は起こりにくいでしょうね。

でも、そういう街の人みんなに密着されて常に監視されているような生活が煩わしくて、お洒落な都会生活に憧れ、近隣の人にも煩わされることなくひとり快適に、「となりは何をする人ぞ」と、都会生活はどんどん個人主義へと進んでいったのでしょう。それと同時に匿名性(どうせどこの誰か分からない、仮面をつけたような感覚)が、悪い考えを起こす輩も生んだのではないでしょうか。

さらに今は、オートロックのマンションから出てきて、自室を出てから誰とも顔を合わせずに外出し、電車に乗って出かけ、帰りにコンビニに寄り、会計するときも黙って商品をぽんとレジにおいて言われた金額をだまって出し、黙ってお釣りを受け取って黙って帰る…他人とはまったく口をきかないで生活することも可能な世の中になっています。
内々では異様な盛り上がりをする一方で、街や電車で隣り合わせる他人とは一切口をきかないことが、そんなに快適な暮らしなんでしょうか?

他人のことには無関心で、電車に乗っていても無表情な人が増えたように思います。それと同時にストレスもたまり、すぐキレる人も増え、よからぬことを考える輩をさらに進化させているように感じます。


そんな風に考えると「都市進化論と心の喪失」みたいに悲壮感ばかりが漂ってきますが…

私がまだ高校生時代も東京はすでに充分「大都会」で、通り魔事件など信じられない凶悪犯罪も起きていました。
でも「太陽にほえろ」などの刑事番組を見ていると、重要参考人の住むアパート(たいてい外に鉄階段のついた木賃2階建て)のドアを刑事がドンドン叩いていいると、ひとつ隣の部屋からおばちゃんが顔を出して、「~~さんなら先月引っ越しましたよ」と声をかけてきて、「どこに行ったかご存知ですか?」と聞くと「さぁ~??」…なんて演出がよくありましたね。

都会は人間関係が希薄だということを表す一例だったのでしょうが、隣のおばちゃんが顔を出すこと自体、今から見たらまだまだ「三丁目の夕陽」の流れを汲む昭和の「いい時代」だったんでしょうかね~?(笑)


◆まだまだ日本も捨てたもんじゃない!

そんな中、数日前に埼玉県のある駅で、京浜東北線の車両とホームの間に乗客が足を挟まれた際に、車内やホームにいた人たちが総がかりで電車を傾けている様子がフェイスブックにアップされていました。その画像をシェアされた方の多くは「日本人はこういう場面での団結力が素晴らしい」といった絶賛の声を添えてらっしゃいました。

かつて私が「地方のまちづくり」にお邪魔していた頃も、行政の課題を洗い出そうと住民懇談会を開くと、最初は「道路を早く整備してほしい」といった要望や行政に対する愚痴も多く出てきます。

ところがその後で、「自分たちの住む街づくりに、行政に依存するばかりでなく、何かできること、アイディア提案を」と問いかけると、真っ先に出てくるのが「あいさつ運動」でした。
また「子ども会・婦人会・老人会といった縦割りを超えて地域の伝統行事の復活を」といった提案も。 どの地方でもこれが基本なんです。これって何を意味するのかな、と私は思いました。



私が大学を卒業して間もないころ、まちづくりを手がける小さな研究所に勤め、出張で訪れた京都でのこと。京都の伝統行事「地蔵盆」について研究されている建築学科の先生がいらっしゃるということで訪ねました。
京都には、祇園祭をはじめ三大祭りといわれるような壮大なお祭りもありますが、ちょうどこの夏の時期に京都市内の路地裏にロウソクの灯りがともる「地蔵盆」という小さなお祭りがあります。

路地裏のおよそ10~15世帯ごとにお地蔵さんの祠を持ち回りで手入れし、年に一度供養をするんですが、お地蔵さんを通していわば「子どもを中心としたコミュニティ」が守られているのです。
京都でも郊外の新興住宅地に団地ができ、そこでも地蔵盆を引き継いでやっていこうとする動きもあるが、あまり世帯数が多くなりすぎるとうまくいかなくなる。やはり4~50人ごとのコミュニティというのが、人がお互い顔を覚えられて行事を運営していく上でもちょうどいい規模なのではないか、という研究をされていました。

大学時代には法学部に身を置き、社会学にも興味を持っていた私。建築学科といえば理科系分野のひとつ、ぐらいにしか考えてなかったのですが、考えてみれば建築は、建物や街から「人と住」そのものを研究をしている分野なんだ、ということにあらためて感動したのです。



◆川の流れをとり戻そう…

その頃ふと思ったのは、いままちづくり提案としてよく出てくる「挨拶運動」も「世代を超えて伝統行事を復活」も、昔はどの地域でもごく当たり前に行われていたことです。

いってみれば、昔はそこに川が流れていた。けれどいつしか水は枯れ、流れは途絶えてしまった。そしてところどころに形ばかり残った水たまりのようなものがぽつんぽつんと残っている。 それらをただ形だけ守って残すのではなく、有機的につなぎ合わせ、新たな水を流してやれば、ふたたび流れがよみがえるんじゃないか…と。

ひとりひとりが何カロリーもエネルギーを消費することもなく、簡単にできる明るい挨拶から、人間社会の川の流れをとり戻しませんか?

  

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挨拶は大事です

そうですね。
人見知りではすまない部分はありますよね。どこで、誰のお世話になるかわからないですし。
人との付き合いの中で、やはり分け隔てなく付き合える方は気遣いもでき、友達も多いです。
内気な方も声をかければ心を開いてくれます。
頑なに決まった方としか付き合わない方も中におられるけど、何かご事情がおありでしょうし、それは距離を保ちます。
ただ、コミュニケーションとれないと、仕事もできないし、友達にもなれない。
人からのアプローチを待っているだけではだめだと思います。
地域は小さなコミュニティですから、大切にしないと。

Re: 挨拶は大事です

nonさま
フェイスブックではいつもいつもありがとうございます。コメント残してくださりありがとうございます。

まさにそういうことなんです。だから社会的な問題ながらこの「コミュニケーション」というカテゴリーで書いたのです。
大掛かりに予算をつけて、行政や企業に期待しなくても、ひとりひとりがほんのちょっと意識で変えられることで、社会はもっともっと快適になると私は思っています。
また色んな記事で、奇譚のないコメントをどんどん残してください。フェイスブックやブログを通じてメッセージを発していくことも、小さな力・世論になっていくと思いますので。

挨拶を忘れた町

こんばんは、いつもFBを楽しく拝読しておりますよ~。
少し長くなります。ご容赦ください。

私は小学生の子がおり、防犯のために警察署からの緊急メールを受信出来るようにしています。そのほとんどは声かけ事案です。確かに女児を狙って車に乗れといった怖いものもありますが、ある特定の地域だけ毎回ヘンテコな理由で声かけ事案とされるものがあります。お爺さんが小学生に早く家に帰りなさいと言ったとか、若い男性がおはようと声をかけてきたとか。

たまたまその地区に知り合いがおり話を聞いてみました。そこは古い町ですが最近新しく住宅地ができたり、昔からある家も代替わりしたりで地域の関わりが薄れてきたのだそうです。だから、顔を見てもどこの誰かわからない。逆に年寄りはあー、あの家の孫さんか、ということで声をかけるが小学生は知らないから変な人にと声をかけられた!親は警察へ通報!だそうです。

挨拶をするだけで通報なんておかしいですよね?でも、子供達には知らない人から声をかけられたら逃げなさいと指導しているから下手に声をかけられない。よって、挨拶もない。婦人会も自治会も若い人は面倒なので参加をしないから町として機能しなくなってきたそうです。

私は同じ市に住んでいますがかなりの田舎で、まだまだ地域のつながりが強いです。
確かに寄合とか会合は面倒くさいです。
子ども会も役員になろうものなら自分の時間なんてないです。それでも、いろんな人の顔を覚え仲良くなれる。何かあるとあー、あそこの奥さんね!いいよ代わりにしときますよー。という会話が当たり前のように出てきて地域に馴染んできます。

ここへ越した時、姑から言われた言葉は「人を見かけたら挨拶だけは必ずしなさい」でした。実母も幼少の頃から挨拶だけは厳しくしつけられました。
それは自分がいい人だとアピールする材料ではなく、人と人を繋ぐ基礎だったのだと分かりました。

若い人は関わりを嫌がります。人とそんなに付き合いなくてもネットがある、仕事も無口でいれば真面目にみえる。
私は患者さんが来院されたら目を見て挨拶をします。本題に入る前に一言何か付け足します。待たされてイラついている方も、そういう心遣いだけで少しは笑顔がでます。

挨拶は大事です。地域の繋がりは必要です。人は助け合って生きているのですから。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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