「音は力の運び手である」

音楽療法の授業でごく最近知ったのですが、ツッカーカンドルという哲学的思想家が、音について非常に興味深いことを書いていますのでご紹介しましょう。


「音は力の運び手である」 ツッカー・カンドル

●ある音符は、他の音符を導いたり、他の音符に向かっていったりする。音符の音には方向があり、それらは互いに指し示し、引き付けたり、引き付けられたりする。

●音階の第2音(ハ長調の場合「レ」)、または第7音(シ)は、ゴールへ向かおうと努力している活動的な音で、静止している音ではない。
第1(ド)、第8(ド)、第4(ファ)、第5(ソ)音の場合、それらの活動は魅力的で、他の音を自分の方へ引き寄せている。

●自己完結している音はひとつもない。それぞれの音が、となりへ伸びる手のように、それ自身を超えたものに向かい、到達するように、我々もその手を差し伸べるように、緊張と期待をもって次の音を聴く。
今鳴っている音の中に聴覚的に存在するということは、いつでもその音の先、次の音へと向かっていることをも意味する。

●このように音から音へ移っていくことを続けている限りにおいては、それぞれの音程をステップとして、動きとして聴く

(以上、翻訳された原文のまま)
~ヘレン・ポニー 『GIMにおける音楽プログラムの役割』より~



いかがでしょうか?

ひとつひとつの音が、単にある周波数の「ある高さの音」として単独にあるのではなく、音階という宇宙の中でそれぞれに役割をもち、力学的に相互に関係しあっている、ということのようです。

それは「音」という一定の周波数の運動そのものにある性質なんでしょうか?
いいえ、古今東西、民族を超えて、「音階」という宇宙の中にある7つの音を、聴く人の脳がそういう捉え方をするのです。本当に不思議です。

私のようなアマチュアでも何か楽器を演奏する方も、次の演奏会に向けて練習も大切ですが、あらためてひとつひとつの音の色、となりの音へのつながり・役割のようなことを感じてみる上でヒントが隠されているのではないでしょうか?

ある調の主音や5度の音よりもひとつ手前の音は、気持ちとしてどっちを向いているのか?
不安定に揺れていて次なる安定を求めている音、到達して安定した音、そこからさらに次なる目標に向かって動き出す音…etc.



そもそも「ドレミファソラシ」という音の名前(イタリア語)は、いつだれがつけたのでしょうか?
それは、前にもこのブログでご紹介しましたが、聖歌に歌われているフレーズの頭文字から取られました。→ 「ドレミの起源」

そしてその7つの音の並び方(何の音からスタートするか)によって、音階としてのモード(色・雰囲気)が違ってくるということを、古代の人々は経験的に知っていたのです。→ 「6つの教会旋法」

「音」から受ける人間の感受性の不思議さ、神秘をあらためて感じぜずにはいられません。


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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