型破りのピアノ協奏曲が米ロ(ソ)の架け橋に

チャイコフスキー ピアノ協奏曲1番


ピアノ協奏曲の中で、私はグリーグやラフマニノフがお気に入りですが、壮大なオーケストラと華やかなピアノソロとの掛け合いではチャイコフスキーのピアノ協奏曲もいいですね。
この協奏曲、意外にも米ロ(ソ)の国境を越える架け橋となったエピソードが2つもあるんです。


度肝を抜く1楽章の冒頭だけちょっとご紹介

まずどんな曲かの触り程度に…
冒頭、ホルンによる短調の下降系の「ポポポポー」にオーケストラが「ジャン」と合いの手を入れるのを聴いた瞬間、クラシック音楽にさほど詳しくない方でも「あ、この曲知ってる!」となるはずです。

<楽譜1>
チャイコPコン1 


ホルンの「ポポポポー」は、音名で言うと「ファ・レ♭・ド・シ♭ー」、短調です(上の楽譜はピアノ用ですから実音です)。
このホルンが3回繰り返される間にオーケストラの和声は進んでいって明るい響きになったところでピアノソロが入ってきますが、ピアノはまだしばらくは和音を連打していて、メロディはオーケストラ(下段)に現れます。


<楽譜2>
チャイコPコン2 


オーケストラの主題メロディ(下段)は明るい「ラ♭・ファ・ミ♭・レ♭ー」。先ほどの冒頭のホルンによる「ファ・レ♭・ド・シ♭ー」とはどういう関係でしょう?

同じ♭5つの変ニ長調と変ロ短調、そう平行調の関係ですね。
「いったい何がはじまるんだろう!?」と衝撃を与えておいて、わずか6小節目で明るく美しい主題が現れます。

度肝を抜かれるのは調性だけではありません。

それまでのモーツァルトやベートーヴェンなど古典~ロマン派の協奏曲の多くは、初めに何調かがはっきり分かる始まり方をして、まずオーケストラがテーマとなるメロディを出します(ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」は冒頭でピアノが入りますが、ここはまだ変ホ長調を印象づけるスケールのような形で、テーマ(主題)はまずオーケストラによって呈示されます)。

オーケストラによる主題呈示がひととおり終わったところでピアノソロが主題テーマを受け、展開しながら超絶技巧を披露してオーケストラと掛け合い、絡み合っていく…それがそれまでの常識的な協奏曲(コンツェルト)の形でした。

ところがチャイコフスキーのこのピアノ協奏曲は、さきほどご紹介したように冒頭いきなり短調の和音展開をぶつけ、すぐに転調するとすぐにピアノが入ってきますが、ソリストはまだ「伴奏」で、オーケストラ(弦楽器)が悠々とメロディを演奏し、それを少し変形させた形でピアノソロになります。

しかも、この美しい第一テーマはこの後もう二度と出てきません。ここだけです!
ソナタ形式のような三部構成でも、ほかの楽章にまたがって同じ主題(モチーフ)が用いられる循環形式でもなく、きわめて自由な詩のように、美しいメロディが惜しげもなく浮かんでは消えていくのです。


◆友人のピアニストにけなされ、意外にもアメリカで初演!

チャイコフスキーはこの斬新なピアノ協奏曲を、友人のピアニストで、モスクワ音楽院の創始者でもあったニコライ・ルビンシュタインに捧げるつもりで1874年の12月に書き始めました。交響曲4番を生み出す4年前、チャイコフスキー34歳の時です。

しかしルヴィンシュタインはその草稿を見て「陳腐で不細工だ」とけなします。また随所にテクニック的に難しい箇所が多いため「弾きにくい、演奏不能だ、書き直せ」とまで言われます。

私が大学を卒業して間もなく試写会で観た映画「チャイコフスキー」の中では、ルビンシュタインが酔っ払って帰宅し、ピアノの上にあったチャイコフスキーのピアノ協奏曲の草稿を見るなり怒りだし、2階に上がって「こういう風に書き直せ」とベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」を弾きます。
するとチャイコフスキーも迎合して「そんなルールはない!これでもいいんだ!」と自身の協奏曲をピアノで弾きます。ベートーヴェンとチャイコフスキーの2つの協奏曲が1階と2階で同時に鳴るという面白い演出だったのを覚えています。

そんなことが実際にあったかどうかは不明ですが、チャイコフスキーはこの曲を書き直すことなく完成させ、著名なドイツ人のピアニスト・指揮者であるハンス・フォン・ビューローへ献呈します。
ビューローはこの作品を「独創的で高貴」と高く評し、翌1875年の10月、ハンス・フォン・ビューローのピアノとベンジャミン・ジョンソン・ラングの指揮によって、アメリカのボストンで初演され、絶賛を浴びます。

ロシアで生まれた曲が、モスクワ音楽院の創設者に受け入れられなかったおかげ(?)で、アメリカへ渡って世界で最初に絶賛を浴びることとなったのです。


◆第二次世界大戦後のアメリカで、チャイコフスキー・フィーバー!

チャイコフスキーのこのピアノ協奏曲が、戦後なぜかアメリカで演奏される機会が多くなります。その理由として外せない人物が、アメリカの生んだ偉大なるピアニスト、ヴァン・クライバーン(1934~2013)です。

チャイコフスキー国際コンクールがモスクワ音楽院で始まったのは1958年。24歳のクライバーンはモスクワへ渡り、モスクワ音楽院で開催された第1回チャイコフスキー国際コンクールに挑み、なんとピアノ部門第一位に輝いたのです。

当時のアメリカとソ連はいわゆる冷戦時代。でもそんな米ソの壁を超えて、カリフォルニアの田舎出身の若きピアニストがモスクワ音楽院で開かれた初のチャイコフスキーコンクールに挑み、世界1位に輝いたことは、アメリカもソ連も大きく湧かせることとなりました。


国際音楽コンクールは 音楽のオリンピック

私はよく、国際的な音楽コンクールはオリンピックとよく似てると思います。

チャイコフスキー国際コンクールはモスクワ音楽院で4年に一度開かれ、当時はヴァイオリン部門とピアノ部門だけでしたが、その後声楽(男・女)とチェロ部門が加わって今日に至っています。

1970年代以降に上位(3位以上)に入賞した日本人演奏家たちをざっと見ただけでも、いずれも今日も第一線で活躍する素晴らしい音楽家たちです。

1978年 チェロ:藤原真理(2位)
1982年 ピアノ:小山実稚恵(3位)
       ヴァイオリン:加藤知子(2位)
1990年 ヴァイオリン:諏訪内晶子(1位)
1998年 声楽:佐藤美枝子(1位)
2002年 ピアノ:上原彩子(1位)
       ヴァイオリン:川久保賜紀(2位)
2007年 ヴァイオリン:.神尾真由子(1位)
                   (以上、敬称略)


一方、アメリカには「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」があります。
ヴァン・クライバーンの功績をたたえて1962年に始まったこのコンクール、テキサス州のフォートワースで4年に一度開催されています。
2009年には、日本から参加した盲目のピアニスト辻井伸行さんが第1位に輝きました。

予選を勝ち抜いて最終審査に残った演奏家が最終ステージで演奏したのは、ロシアの作曲家・ラフマニノフのピアノ協奏曲2番でした。

クライバーンは2013年2月27日、78歳で惜しくも亡くなられましたが、彼を通じて音楽には国境も冷戦もないことがあらためて明かされたように思います。



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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

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