「あなたはどっちの味方?」

5月19日(日)


最近行きつけの小料理屋のマスターが私のブログを見てくれたようです。
で、そのご感想は…?

「わ~、日本人の大半があまり触れないタブーのようなテーマでよう書いてはるな~」(←わりと関西入ってます)でした(笑)

日中関係や日韓関係のことについても、どちらかというと向こう寄りの視点で書いているので、見る人が見たら炎上するんじゃないか、とも。
私も「でしょ?」と笑って受けましたが、本当にそうでしょうか?

ブログをはじめて丸3年が過ぎましたが、今のところおかしな炎上ディベートも起きていません。もっとも楽しい話題に比べてちょっと真面目な社会的な記事はスルーされやすいな、とは正直思いますが、幸い今のところ反対意見の方からの攻撃対象にはなっていないようです。 なぜでしょう?

私はあくまで私の意見として、他人を罵倒するような表現は避けてなるべくきちんとした言葉で、中学生にも分かる文章で書くことを心がけています。一旦アップしてからも、読みにくい・分かりづらい箇所は手直しを加えたりもしています。

また、たとえば最近の例では、閣僚が靖国神社を参拝して中国や韓国から非難が出ていることに関してもそうですが、今の多くの日本人が忘れてはいけないところに焦点を当てて書いているつもりです。
→「閣僚が靖国参拝 またしても…」 

私は中国や韓国のスパイではありません。れっきとした日本人です。決して中国や韓国の肩をもって「日本はけしからん」というつもりはありません。
「どちら寄り」(=どっちの味方)ということではなく「人として大切なこと」という視点です。そして日本人であるからこそ、今の日本人がもつべき問題意識を書いているつもりです。


いまの中国や韓国にももちろん問題はある

尖閣諸島周辺の海域に、今年になってからほとんど毎日のように航行する中国の船。国内へのデモンストレーションのつもりなのかどうか知りませんが竹島に自ら上陸したイ・ミョンパク大統領。

いずれも国際社会のルール違反だと思います。日本に在住の若い韓国人でさえ心ある人たちは「あれをやっちゃダメでしょ」と上手な日本語でドン引きされていましたから…(笑)

また、中国は中国で、古い儒教の歴史がある国であるはずなのに、一昨年は2歳の女の子が車に轢かれて苦しんでいるのに、見て見ぬふりをして通り過ぎる多数の市民の姿が防犯カメラで捉えられ、大変なショックを受けました。せっかく人を助けても逆に加害者扱いされて訴えられるような社会背景もあると聞きました。そのことをブログにも書いたところ、思わぬ反響をいただきました。

でもだからといって2チャンネルで飛び交っていたような「わ~、キモイ!」「中国人でバカじゃない!」みたいな汚い言葉で相手国全体をけなすような表現については私もひとこと申し上げました。
中国には中国の問題があるにせよ、そこでもやはり「人として大切なことは何か?」という視点で書いたのです。
→「中国・仏山ひき逃げ事件」



以前わが家を訪れたアメリカの友人たちも、日本へ来る前に何日間が観光で中国を訪れたそうですが、マックで並んでいても割り込んでくる、人が食べてる席の近くに集まって大声でしゃべる、夜はパジャマ姿で街をうろつく…とにかく社会マナーがなってないと驚いていました。

経済大国日本への憧れは強く、日本製品を買いに来たり、日本へ働きに出てくる中国人も多いですね。 なのに、日本に対してなにかと過去の戦争の過ちについて「謝罪が足りない」と言ってくる。あちこちで反日的な行動を起こして騒ぐ。すると多くの日本の若者も、日本を嫌う中国人を嫌いになって感情論で罵倒する… 非常に危険だと思います。

1972年の日中国交正常化で、当時の田中角栄総理が中国を訪問し、友好の文書にサインをし、周恩来が固く手を握ってなんども大きく上下に揺さぶり、毛沢東主席が「もう喧嘩は終わったんですか?」と穏やかに述べられました。中学3年だった私はその様子をテレビで観てしっかり目に焼きついています。
その時点で、戦後の和解はすべて成立し、日中関係は正常化した、と公式にはなっているはずです。

それを何かにつけて日本を悪者のように言ったり、領土問題に火をつけて暴徒化して中国の日本企業を襲撃したり、つい最近は安倍総理が試乗してガッツポーズをとった自衛隊機の機体ナンバーがたまたま「731」だったことに対して、過去の「731部隊」と重ね合わせて「挑発だ」と騒ぐ…

「いい加減にしろよ、中国人!」という気持ちは正直私も持っています。
(マスター、少しは安心されましたか?…笑)


相手への批判は簡単だが、まずわが身を

お互い子供の喧嘩のようにも見える現象の表面だけを見て「どっちの味方」ということではなく、もっと長い歴史を通して、もっとグローバルな目で、「人」としての原点にかえって見たいとは思いませんか?

そもそもなぜ中国の人たちは今さら日本に対して色々と言ってくるのでしょう?
私はおそらく、今の日本政府に対してあらためて戦後保障を要求をするためというよりも(あわよくば、という考えも中国のことですからあるかもしれませんが)、もっと「人」としての「気持ち」の問題が根底にあるのではないかと思います。

戦後、日本人の多くが中国内地に置き去りにせざるを得なかった幼子たちを、中国側は「敵国の残していった子」であるにもかかわらず「わが子」と同じように育ててくれました。そうした子たちが大きくなって、育ててくれた中国の両親のことはもちろん愛しながらも、自分を生んだ本当の親、日本の地をひと目見たい…1972年以降、たびたび日本を訪問した多くの「中国残留孤児」をわれわれ日本人はどう捉えたら良いのでしょう…?

そんな中国から見て、日本の戦後はどう映るのでしょうか?
経済はめざましく成長し、観光であるいは働きに来たい国ニッポン。でも一方、教科書検定によって過去の過ちを認めるような記述を削除したり、一部の政治家たちが過去の歴史認識を誤ったまま問題発言を繰り返したり、著名人からも「大虐殺はなかった」などといった発言が出てくる。いくら国レベルの和解交渉は公式には済んだはずとはいえ、やられた側の国としては忘れられない傷があるのに、あまりにも無神経だと。

慰安婦問題にしても「当時の証拠が残っているのか?」とか、過去に一度政府関係者が認めた「過ち」を謝罪する発言を引き継ぐのか否定するのか、といった論争。
そもそもそういう議論が出てくること自体、日本はちっとも反省してないんじゃないか、過去の歴史をきちんと認識していないのではないか、また過ちを繰り返すのではないか…といった懸念が大きいのではないでしょうか?

もっともこちらが単純に言われるままにすべて認めて、ただ謝れば済むのか?
「だったら~~しろよ」と要求もしてきかねないので、「国益」を守るべき立場の政府見解や外交としては難しいところなんでしょう。

でも私は少なくとも個人レベルの「人」として、その当時の様子は実際には見ていないながらも、証言集などから知り得たことは少なくとも「事実」としてあったのだろうと受け止め、人として謝るべきところは謝りたいという思いが強いです。


◆「いけいけ、ニッポン!」への危惧

自分が日本人だから日本を応援するのは当たり前です。でも「日本勝ったぞ!強いぞ日本!(相手国に対して)ざまあみろ!」といった単純な集団心理は、相手国への冒涜や差別にもつながる危険を感じます。それが本当に「日本を愛する」ことなのでしょうか?

たとえばサッカーの試合で、何年か前の日本対ホンジュラス戦のときに思ったんですが、ホンジュラスという国がどこにあるのか、どういう国なのかもろくに知らないで、ただ「ニッポン、ニッポン!」と応援に湧いていました。
じつは日本で作られているマリンバ(木琴)の音板に使われているバラ科の木材のほとんどはホンジュラスから長年にわたって輸入されてきたんですね。

まあそれはともかく、もし仮に自分もアマチュアであってもサッカーをやるのなら、サッカーの面白さ・難しさ・技術力、その試合のために調整してきた選手たちの顔、意気込み、調子なども分かるでしょう。
そして相手国に対する敬意の念をもち、相手チームの優れた選手のことも知りたいと思うでしょう。その上で、どちらが勝つか、もし日本が強敵に打ち勝ったのなら喜びもひとしおでしょう。 

サッカーに湧き、オリンピックに湧き、「ニッポン」を応援したくなる気持ちは私ももちろん分かります。みなが「日本人」であるという意識でひとつに結ばれる瞬間でもあります。

でも、ちょっと一歩引いて別の見方をすると…


世界から集う仲間たち

音楽の世界に目を向けると、ショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールなどは、4~5年に一度のペースで行われる世界大会。そこを目指して世界中の演奏家たちが技術を磨き、同じ曲を練習して集まってきて、予選を通過し、しのぎをけずるのです。そしてその会に優勝を逃したら次は4~5年後。その間に次の若い年代の人たちが大勢現れてくるのです。

ある意味オリンピックと似ていませんか?
最終的には勝敗で決まるにしても、相手は決して「敵」ではなく、同じ世界で技を磨き合う「仲間」ではないでしょうか?

以前、朝日新聞に元体操選手の山崎浩子さんがコラムを書いておられました。
オリンピック選手が「世界の最高の舞台で大いに楽しめました」とコメントすると、多くの日本人は「世界の頂点を目指してオリンピックの舞台に立つ人が『楽しめました』とはけしからん」と言われた時期です。
それに対して山崎さんは、「『楽しい』にもいろいろなレベルがある。自分がある競技で頂点を目指してきて、オリンピックの舞台にまで立って世界最高水準の選手たちと試合に臨むとき、そこには最高のレベルに達した人にしかわからない感動があり、楽しさがある」というようなことを書いておられました。

音楽コンクールでもオリンピックでも、最終的には勝負の世界なわけですが、そこを目指して努力を重ねた人にしか分からない苦労、喜び、感動があるのです。
それを応援する側も、相手国への敬意、世界から集う最高水準の質の高い感動を大切に分かち合いたいですね。

そこをわきまえずに、ただ「ニッポン、ニッポン!」と日の丸のハチマキを巻いてイケイケムードで発狂するのは私は好きになれません。
悪い例えですが、過去の戦争への道を突き進んでいった国粋主義(ナショナリズム)にも通じる危険すら感じてしまいます。 


人間愛を忘れない
 
私は高校受験を控えて中学3年で父の転勤先を離れて東京に出てきて、祖母や曾祖母の家に同居させてもらって受験時代を過ごしました。そのとき祖母たちから聞いた昔話のひとつに、日清戦争後の日本の流行り言葉というのがありました。

「日本勝った、日本勝った、日本勝った、日本勝った、支那負けた~、ちゃんちゃん坊主、ちゃんちゃん坊主…」と国民の多くが浮かれたそうです。
それも、命をかけて戦地で戦ってきた人たちではなく、多くの一般人がそうした湧き方をしたといいます。

個人的にどれだけ相手国のことを知っているかなんて関係なく、ただ敵国憎し、勝ったものは偉くて、負けた相手には「ざまあみろ」…これが本当に「日本を愛する」態度と言えるでしょうか?
民族間の対立はこういうところから生まれてくるのでしょう。


もし今の中国などが日本をけなしたり挑発行為に出てきたとしても、それに迎合して「戦い」をしても解決にはなりません。民族同士の恨みと深い傷をさらに将来に残すだけです。
 
そこは「人」としての原点、「人類愛」でしか解決はないと思います。

中国の人でも、日本へ勉強にあるいは働きに来ていて、日本人の友人を持っている人たちは、領土問題や過去の歴史認識について見解の相違はあるにせよ、決して暴徒化はしませんし、日本人全体を罵倒するようなことはありません。

こちらも相手の立場や主張を理解し、こちらの過去の過ちやおかしな政治家の発言について素直に詫びる気持ちを持ち合わせていれば、少なくとも「友だち」として一緒にお酒も飲めます。
その上で、勝手に上陸してみたり領海内に進入するなど国際的なルール違反に対しては、こちらも毅然とした態度で「それは間違っている」とも言えるはずです。

できればみなさんも、政治の中心にいらっしゃる方はとくに、個人レベルで海外の友人をたくさんお持ちになられたらいいと思います。
 
大切な友だちのことを具体的に思えたら、戦争をも辞さないような過激な発言はおろか、相手国の民族をひっくるめて汚い言葉でけなすようなことはできないはずですし、「どっち寄り」などという発想もなくなるはずです。

原点は「人として大切なこと」に尽きると私は思います。


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ごもっとも

このブログを以前から愛読してきた者として、第一楽章さんはとてもまともな意見の持ち主で、人として大切な当たり前のことを書かれていると思います。
そこには反論の予知などないように思いますが…

それより、多くの日本人があえて触れないテーマと言われる方がどうかと思います。
思うに今の日本は平和だからでしょうか?あまりにも皆さんまともなことを言わなすぎる。
子供が見てもおかしいと思うような矛盾したことを政治家が平気でやっても、国民がちっとも怒らない、発言しない、行動しない。
みんな安易な話題と娯楽に甘んじていて、まともなことをきちんと考える、発言することから逃げているように思います。
やはり国民ひとりひとりがもっと意識を高め、言うべきことはちゃんと言っていかないといけないのではないでしょうか?

Re: ごもっとも

昭和大好き様

いつもありがとうございます。私の言わんとするところをじつに上手くフォローしていただいているような気がします。

はい、「多くの日本人があえて触れようとしないテーマ」についてですが、私は思うに日本人が苦手とするところではないかと思いますね。ディベートに弱いと言われる要因もそこにあると思います。
最近ようやく小学校でも「考える」「意見を言う」「伝える」という部分に力点を置くようになってきましたが、これまでの教育は覚える「知識」にエネルギーの大半が費やされてきたように思います。
知ってるか・知らないか、正しい数値はどれか?、そういう知識はあらゆる試験で試されますが、考える、意見を述べる、意見を交わすということに本当に弱くなっているなと。

別のカテゴリーに「コミュニケーション」というのがありますが、人前で何か意見を述べる機会を与えられても「あなたはどう思うの?」というところにピシッとハマる表現ができないことが多いから相手の印象にものこらないのです。→「心に残る話し方」http://resolutely.blog6.fc2.com/blog-entry-277.html

「私はまだよく勉強してないんで分からないんですけど~」「違う意見もあるかもしれないんですけど~」と、常に守りの態勢の「言い訳ことば」だらけ。相手に突っ込まれないように、反論を浴びないように、敵を作らないように、という生き方が話し方にも表れているように思います。

10人いたら10通りの考えが違っていいじゃないですか?その中でも大枠では共通することがあるでしょうし、微妙なところで見解の違いがあったり、違う表現がある。そこを理解して交わすのがコミュニケーションであり、ディベートです。
相手が言っていることの真意をちゃんと読解する力、自分の思っていることを相手に伝える表現力も、そうしたやり取りの中で鍛えられていくはずです。相手と共通する部分・違う部分をちゃんと認め、痒いところに手がとどくように微妙な違いをちゃんと伝える。それができないから、感情論で相手を全面的に否定したり罵倒したり… 

弁護士やジャーナリストなどが出演して朝までやってる討論番組でも、ほとんど相手の話を聞かないで途中で割り込む、相手をすぐに罵倒します。「弁が立つ」と言われる人でさえそうなんです。国会でヤジを飛ばしている議員センセイと似たレベルですね(笑)

そういう「言い争い」を避けるために、ちょっと真面目な議論には乗ってこないでスルーする傾向にもつながるのではないでしょうか?そして安易な娯楽や身近な食べ物の話題に走る。

私はブログの他にフェイスブックもやっています。リアルタイムでの情報交換に、ブログに書いたことをリンクで貼りつけたりしますが、「これから仕事に向かいます」とか「いまこんな美しい風景を見ています」「こんなものを食べてます」といった割と当たり障りのない話題には多くの方が「いいね」をつけてくれます。気軽にクリックできるのでしょう。
でも、ちょっと真面目な社会的なテーマ、政治家の発言をめぐって思うことなどを書くと、間違いなく「いいね」は少ないです。スルーされるんです。

自分の勉強や仕事で疲れている上に、社会のことを考えるのが面倒なのでしょうか?あることに対して自分が賛成なのか反対なのか、意思表示をすると自分が攻撃されるかもしれないから見て見ぬふりをして通り過ぎるのでしょうか?
個人的に会って話してみればみなさんそれぞれに意見はお持ちのようなんです。でも新聞やTVのニュースから得た情報は知っていて、それに対して自分の意見は持っていても、いろんな人と意見を交わしてないな、と思うことも多いですね。つまり賛否両論の意見を色々聞いて、それに対してある面ではこう思う、でも別の見方をすればこういう面もある…といったところまで深まっていないことが多いのです。

やはり人間は「ことば」でものごとを考える生き物。せっかく脳細胞が働いてくれているうちに、「知ってるか・知らないか」の知識だけでなく「考える」ことにもっと頭を使いたいですね。
そして、「どっちの味方か」「賛成か・反対か」と結論を急がずに、人として大切な原点に返って考えることができたらいいですね。

その通りです

先だって靖国参拝の記事にもコメントした者です。

自分も日本を愛する一人ですが、単純な「いけいけ日本」が愛国心ではないと思います。
人間愛あっての愛国心、またしても素晴らしい記事をありがとうございます。

No title

むつかしいこと、よぉ書いたはるから、コメントしよ思ても・・・
なかなか書きにくいんやねー
でも第一楽章さまのおっしゃること、よーぉわかるわぁ
「人として大切なこと」が欠落して、世界が戦争ていうもんに突進してしまうんやね・・・
ワンクリックどころか、100回でも1000回でもぽちっこしたいわ♪

Re: その通りです

しんいち様

前回につづいてのご訪問、ありがとうございます。
日本を愛する気持ちと一口に言っても皆さん人それぞれだろうと思います。

「男たちの大和」を見ても、現代の「宇宙戦艦ヤマト」と通じるものを感じます。愛するこの国(地球)を守るために、自分たちは命をかけて戦いに出かけていく…
そういう武士道にも通じる精神が「美談」として語り継がれることは事実です。

ただ、それが往々にして闘うことを美化し、「自分たちを守るための戦争」と正当化し、他国への侵略という加害者としての部分を封印し…という風になってしまうと、人類愛とは違う方向に進んでしまうように思うのです。
では今あらためて「日本を愛していますか?」と聞かれてどう答えられるか、難しいところですが。

Re: No title

姫さま、おおきに。お久しぶりどすな~

そちらのブログでは壇蜜さんのエロ分析から「音楽や芸術に無表情はあきまへん、エロは表現の原点どす」みたいなこと書いたかと思えば、ややこしい国際問題なんかを書いたりして… 
ほんまに同じ人物やろか?どこかにゴーストライターでもいてはるんやないか、と思われたんとちゃいますやろか?
でも、ちょっと真面目なことにも目そむけたらあきまへん。考える時は考えんと。

音楽かて、ほりゃ理屈抜きに陶酔してそのままイッてしもたらええような所もおますけど、楽譜をよ~く見て「なんでベトさんはこんなことわざわざ書かはったんやろ?」「ここではまだイッたらあきません、この後に本当の勃発はとっとかな」みたいな分析や計算もある程度必要どすやろ?

考えるということは生きることどす。脳内からドーパミンぎょうさん出さなあきまへん。
ほな、またお待ちしとるさかいに、おおきに。

ご無沙汰です。

久々にコメントを失礼致します。
ブログ記事、拝見させていただきました!

第一楽章さんの仰る通りだと思います。
何事にも明確なルールがある世の中ではありませんが、人としての、共存していく為の最低限のルールはやはりあると思います。(個人的主観や文化の違いがあれども、それ以前の問題ですよね。)

オリンピックに例えた文章も特に印象に残りました。本来、世界人類が皆仲間であり、国境という後付けされた文化の壁を越えて同じ事を競い合う。
競い合うと言っても、戦争のように兵力や武力を競い、国同士の間に優劣を付けるものではなく、
オリンピックは国や文化を越えて、人類の共存をはかる為のフィールドであると思います。
なので第一楽章さんが仰るように、相手国に対して"ざまあみろ"などと言う事は、母国愛以前に、人類愛の情緒すら無い哀しい事であると思いました。

Re: ご無沙汰です。

魚雷嬢Kさま

このお名前のまま真面目な記事へのコメント、ありがとうございます。

オリンピックと戦争とは本来まったく異質なもので、比較の対象として出すこと自体違うかな、とも思いました。
でも、考えてみれば我々がふだん日本で生活していて、改まって「日本人」と自覚することってどれほどあるでしょうね?
温泉からあがって日本酒を一杯くい~っといって、美味しい刺身を口にしたときなどに「あ~、日本人に生まれて幸せ~」と感じるかな(笑)?
あとはサッカーやオリンピックで重要な試合があると、飲み屋さんも閑散として街中で盛り上がる時ぐらい?

考えてみたら、ふだんあまり自分が日本人であることを自覚し、日本人として誇りある行動をしようなんてあまり思ってないのではないでしょうか? 同時に、相手国のこともどれほそ知っているのだろう、と。

一時のある種の集団心理で急速に熱くなった「仲間意識」のようなものなんでしょうか?
おそらく外国と戦っている戦時中の日本人の心理もそれに近いものがあったのではないか…そんな風に私の中では結びついてしまったのです。また近々飲みながら魚雷トークでもしましょう!(笑)
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

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