「出会い」と「出逢い」、「目標」と「夢」

4月27日(日)

きのう、ある会合でまた新たな出会いがありました。ありがたいことだと思います。
「仕事の延長では知り合えない方との出会いを大切に」、「ビジネスチャンスに」、「自分の財産に」…etc.  出会いを求めるにも色々な考え方があると思います。


◆「出会い」と「出逢い」

ところで皆さんは「出会い」と「出逢い」という字の違いを意識して使い分けてらっしゃいますか?
私のこのカテゴリでは、あえて「出逢い」と書かせていただいています。
それは決して、有名な方・尊敬する方・自分にとって特別に大切な方との「出会い」だけを別格扱いして「出逢い」と書いているわけではありません。

「思う」が一般的なのに対して、「想う」は相手のことや物事について深く考えながら…、そのような重さの違いを感じます。

単に人と人とがある場所で知り合う「出会い」と、その人とのご縁がその後の人生に何らかの意味を投げかけてくれる「出逢い」…その違いだと私はとらえています。

ひところ流行ったコンピューター占いのように、自分の性格・好みをたくさんの項目で分析し、自分の条件に最もぴったりの人と、いつどこで巡り会えるか…?
あるいは、知り合った瞬間にはお互い特別に意識しなかったけれども、その後の展開でその人との関係が「かけがえのないもの」となる…
いずれも運命論のような素敵なお話しですが、それを期待しても長い人生の中ではたしてどれぐらいそういうチャンスがあるでしょう?

私がここで言いたいのは、ただ単にいろんな人と知り合うチャンスを探し、名刺交換し、積極的に自己PRし、相手のことを色々聞いて、自分に役立つ情報を欲しいといくら思っても、それだけでは「出逢い」にはならない、ということ。 

物理的に人と知り合う(=出会う)チャンスはあっても、それを自分にとってどう活かせるかは、それまでの自分が築いてきた生き方・思い・身につけてきたことなどがベースにあって、今という時・今できることを大切に生き、これから先をどう生きようとしているか、つまり「自分自身」によって決まるのではないでしょうか?
それまでは知らなかったこと・苦手だと決め込んでいたことでも、ある人との「出会い」がきっかけとなって自分が変わるということがあれば、それはひとつの「出逢い」だと思うのです。

せっかくの「出会い」をその場限りのお喋りだけで終わらせてしまうのではなく、お礼のメールを一筆入れる、コンタクトをとって情報交換してみる、相手の世界に興味をもつ、お誘いをいただいたらなるべく時間をつくって出かけてみる…といった「その後の展開」が大切ですね。

せっかく気にかけてくれたこと、案内してもらったことをそのまま放置したり、もらった手紙やメールを読んでないとか、読んでも何も感想を返さない…etc.
それではせっかくの「出会い」も、その場限りで消えていってしまうでしょう。

投げかけられたらそこそこのタイミングで打ち返す、相手の「伝えたい」気持ちに応えようとする気持ち、それを相手に伝えようとする気持ち…そういった「人としての基本的なコミュニケーション」ができるかどうか。そういう主体性こそが、単なる「出会い」を「出逢い」につなげられるかどうかの分かれ道になるような気がします。


◆テーマとの出逢い

人との出会い(出逢い)だけでなく、テーマとの出逢いもあります。
学生時代、たまたまついた先生が面白い人だったり説明がうまかったりするとその教科に興味がわきますね。でもそうでないと、その科目(テーマ)についてその後の人生でしばらくは興味の湧かない不幸な時が続きます。教師というお仕事はつくづく責任重大で大変なお仕事だと思います。

でも、大人になってから何かを学びたいという場合、それなりに時間もお金もかけて主体的に学ぶわけです。たしかに教師にも性格的に自分と合う・合わない、教え方の上手い・下手はあるでしょう。でも、そのことで学びたいモチベーションが変わるようでは、そのテーマを学びたいと本気で思っているのかどうか疑わしいですね。

逆に、どんなに話が面白くて性格的にも自分と合いそうな教師と巡り合えても、自分なりに掘り下げ、先生にくらいついていく姿勢がなかったら何も身につかないでしょう。

単なる巡り合わせとしての「出会い」とその場限りの「楽しみ」で終わらせるか、自分にとってかけがえのない「出逢い」にできるかどうかは、自分自身の主体性にかかっていると言ってもいいでしょう。


◆「夢」と「目標」


もうひとつ、「夢」と「目標」も明らかに違うと私は思います。
昼どきのロングラン番組に「徹子の部屋」というのがあります。また某局では「スタジオパークからこんにちは」という番組もやっています。

毎日、今をときめく人をゲストに呼び、その人の生い立ちからこれまでの活躍を紹介し、絶妙なトークで、テレビや舞台では見えないその人の裏の素顔を紹介していきます。そして番組の後半でよく出るのが「ところで、これからの夢は何ですか?」という質問です。

「そうですね…」と一瞬考えつつも、「これまでは~~の世界でこんなことをやってきたので、これからもし機会があったらこんなことに挑戦してみたいですね」という答えがよく聞かれます。

役者や音楽家など自由業の人でも、決して自分だけで好きな仕事がつくれるわけではありません。与えられたチャンスの中で積み重ねてきたことがあり、今を輝いて生きている。そして新たに「機会があったら」というのがキイワードです。自分の力だけでは実現できないけど、次なるテーマを描いている。素晴らしいですね!



一方、渋谷の街あたりで若者に「あなたの夢は何ですか?」とインタビューしたらどんな答えが返ってくるでしょう?

「宝くじ当たったらいいな~」「素敵な彼氏がみつかりますように」…etc. 
はい、見つかるといいですね。でも、何もしないでただ漠然と願っていても、棚からぼた餅のようには降ってはきません。

また「今年中になんとか車の免許を取りたい」「英検1級に合格したい」「留学したい」…etc.
それって「夢」なんですか? それなりにお金と時間も必要でしょうが、自分で努力して本気で取り組むしかないこと、努力すれば実現できること、つまり「目標」ですね。
さらに、英検1級を取って、または留学して、あなたは何をしたいんですか?どういう生き方をしたいんですか? 


自分の中で気になっている(いた)こと、やりたいと思っている(きた)ことは、生きている限りいつ始めても遅すぎることはないと思います。問題はいつそれを本気でやろうと思うかです。

たしかに若いうちに早く始めることができれば、それだけその後の時間は長くあります。でも学生時代は学生時代で、日々の課題・レポート・試験・卒論、サークル活動・ゼミ、アルバイト、就職や将来のことも考えなくてはならず、とかく「今やらなくてはならないこと」に追われる日々だったのではないでしょうか? 自分の思いどおりに使えるお金も今よりもっと限界があったはずです。

仕事が安定し、家族にも恵まれ、金銭的にも時間的にも余裕ができたら…なんて思っていたら、それこそいつまでたってもできる機会はめぐってきません。
自分のやるべきこと(=本業)は人一倍しっかりやり、そのための時間を作るのです。このあたりの哲学は、私は鉄道模型のおやじさんから学びました。 
→「遊びから学ぶ 人生のある恩人」

決して無理する必要はありません。その人なりのペースで「今年中になんとか~~できたらいいな」と目標を設定すればいいでしょう。それ自体はまだ「夢」ではありません。

そこに、ちょっと追い風や向かい風が吹きます。その人の力だけでは叶わないようなことが、予期せぬ力を得て実現できる。人やチャンスとの「出会い」もそのひとつですね。
そうした力をいただいて、かねてから願ってきたこと、自分の努力だけでは実現不可能だったこと(=夢)が叶うかどうか、そのチャンスをつかんで活かせるかどうか?

不思議なもので、自分がなにか目標を決めて具体的に第一歩を踏み出そうとしている時、あるいは既に努力しているつもりだけどなかなか前に進めないで苦しんでいるような時ほど、チャンスは突然やってくるように思います。まるで宇宙の大きな力がどこかで私を見ていて、何かに導かれるように…

そして、こちらがどこまで本気で夢を描き、努力してきたか、人との出会いを大切にしているかどうかで、夢が叶うか、素通りして遠ざかるかが決まります。
せっかく貴重なチャンスをいただいたら今の自分に出来る最高の力で応えようと思うかどうか? 先ほどの「機会があったら」が巡ってきたら、それをつかめるかどうかです。


チャンスを活かせるかどうか?

たとえば私にとって音楽の世界。
下手は下手なりに学生時代からずっとアマチュアオケにも所属してきました。私の青春にはデートや合コンの思い出はほとんどなく、週末ごとに楽器運び、練習に出かけ、次の演奏会のための曲選びや準備…etc.
師匠の所属するプロの演奏会を聴きながら、「いつかはプロとアマチュアが一緒に合同で演奏できるようなチャンスに参加できたらいいな」というのが夢でした。

それから30年あまり、大卒から勤めていた研究所の倒産・再就職、結婚:バツイチ・再婚…いろいろ人生の波もそれなりに乗り越えながらも、アマチュア活動はなんとか続けてきました。そして2000年の夏、ニューヨークのプロのオーケストラと日本のアマチュアがジョイントでホルストの「惑星」組曲を演奏する機会に恵まれました。私はファーストティンパニの大役をいただき、かねてからのプロ・アマチュアとの共演という夢は叶いました。

そんな私も、2人目の娘が命を宿してくれたとき、毎週日曜ごとにオーケストラに出かけて行ってたら家庭崩壊しそうだったので活動を一時休止する決意をしたのです。

そんな時、たまたま世界的な指揮者の奥様から「スペシャルオリンピックスの閉会式でご一緒にボランティアで演奏しませんか」とお誘いをいただいたのです。
しかも、自分が好きだから演奏したい、というだけではなく、音楽の力を使って、障がいのある方たちとも「ともに生きる社会」を目指して、という私の中にも漠然と芽生え始めていた次なるテーマとも重なるプロジェクトへの道が開けたのです。 
 →「コバケン先生との出逢い」

本当に不思議でありがたいご縁ですが、それまで自分なりにできることを自分なりにやり続けてきた時間があったからこそ。「学生時代には音楽活動をやっていました」と過去形にしてそのまま30年以上ブランクをあけ、ただ漠然と「いつかやりたいな~」と思っていただけでは、そういうお誘いを受けるチャンスも、そのチャンスに応えることもできなかったでしょう。

しかも、毎週日曜に出かけていくアマチュア活動を一時休止する、という私にとっては断腸の思いの決断があったから、次なるお誘いに乗ることができた。…すべてはプロセスだったような気がするのです。

「目標」と「夢」、「出会い」と「出逢い」… 人生って本当に先の分からない楽しいものですね!
私もまだまだ人生半ば、発展途上の身ですが、新しい出会いと、今できることをこれからも大切にしていかなくては、と痛感する今日このごろです。


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出遭い

「出逢い」、いいですね。
「出遭い」と書いたら、事故に遭ったみたいでした。

Re

北西風さま
ははは…「出遭い頭」ですな!
こんど「出会いを大切にしたいです」って会話になったら使ってみよ!(笑)

本当に

確かに、大切な出逢いというのは
宝くじ的に降ってくるものではないことが多い気がします。

気づいたら出会っていて、
いつのまにか大切な間柄になっていて、
あらっそういえば私たち出会ったのいつだったっけ?みたいな
感じのような(笑)

第一楽章さんも、ブランクがおありだったんですね。
ご家族のためとは、深く納得です。
ちまたにはプロみたいに精力的に活動されている
アマチュア演奏家さんもいらっしゃいますが
この方たち本業もありながら音楽活動も精力的で、
ご家族はいったいどんな思いを・・・と
不審に思うことも多いです^^;
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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