「最近の番組に思う~メディアに求められるものは?」

ブログをはじめて丸3年、音楽・模型・社会に対して思うこと…etc.
思いつくままに綴ってきたこの「ティンパニで朝食を」の中で、これまで書かなかったテーマがある。それは仕事に関することとテレビ番組に関することだ。

私がまだ社会人になったばかりの前職だった頃の話題や、日本語の用例として「あれ?おかしいぞ」と思うことは以前「コミュニケーション」のカテゴリに書いたことがあるが、放送局関連に勤めていることもあり、今現在の仕事に関すること、こと「業務上知り得たこと」は個人のブログには書かないことをモットーとしてきた。

これから綴ることも、決して「業務上知り得た特殊なこと」でも、個別の番組制作者の批判でもない。
あくまで「ひとりの視聴者」として、「人」として思うことである。心ある方からのご感想(コメント、メール等)をお待ちしたい。


どこの局も同じような番組ばかり!

お笑い芸人が司会するバラエティ番組、おちゃらけとツッコミのクイズ番組。
どれも似たような派手なセットの中に人気タレントを連れてきて、派手なリアクション・効果音・劇的に盛り上げるナレーション…etc.

なんとなくテレビがついていると賑やかになり、つい画面に目が行ってしまうが、あまりにもバカバカしくてだんだん腹が立ってくる。
旅のレポートでもゲストトーク番組でも、すぐに「はい、ここで問題です」とお決まりのパターンでクイズになる。

それに答えるゲストたちが、あまりにもものを知らないのが当たり前のようなボケをかます。
無知でアホであることで笑いを取り、ツッコミで無理やり盛り上げる。
本当は出演者は答えを知っているがあえて「無知ぶり」を演出されているのか、はたまた本当に何も知らないのか…
それはケースバイケースだろうが、とにかく「何も知らないのが当たり前」のような基準で世の中が回っているようで、観ている側が馬鹿にされたような気分になっていく。

皆さんそれぞれのお仕事で疲れて帰ってきて、テレビぐらい難しいことを考えずにアホになって笑いたい!、という面も分からないではないが、私はああいう騒々しいバラエティを見ているとかえって腹がたってきて疲れるのでまず観ない。娘は好きなタレントが出ているとついつい観ているようだが、私はさっさとテレビの前を離れることが多い。


安易なグルメ番組が多すぎる!

グルメや旅のレポート番組には長い歴史があるが、最近は昼間でも夜でも、平日でも休日でも、あらゆる番組が「グルメ化」していないだろうか?

タレントが現地へ行って、採れたての新鮮な食材をいただいて、その場で口に入れて幸せそうに感動する。そこまではまだいい。人がハッピーになる顔を見るのはほっこりする。

でもあまりにもそういう番組ばかりだと「あのね~、どんな食材でもそりゃ採れたては美味しいに決まっているでしょうよ。特別な旅には行けない一般人がスーパーで買えるものとは全然味も違うでしょうよ」と言いたくなる。観ている方はただ羨ましいだけだ。

可愛いいタレントが現地で食べて感動している様子まではまだいいとして、スタジオで受ける場面にもわざわざ同じ料理を用意させ、アナウンサーやタレントが食べて「う~ん、やわらかいですね~」「甘いですね~」などとありきたりのコメントをする必要がはたしてあるのだろうか?

東日本大震災の直後は各局ともCMを自粛、番組でもあまりにもおちゃらけた番組は一時期減った。街の飲み屋さんも閑散とした。
しかし、あまり禁欲主義的な状況が長く続くのもいかがなものか、という発想もありしだいに「日常」が戻っていった。皆が緊縮ムードでしんみりするばかりでは前に進めない。みんなが笑いと元気を取り戻すことが復興の支えにもなると。 私もそこは正しいと思う。

しかし、タレントが「う~ん、最高ですね~」と採れたてのイセエビやアワビをほおばっている一方で、いまだに避難生活をされている方、仮設住宅にいらっしゃる方、そんなに贅沢なものは口にできない方も大勢いらっしゃるはず。
どの番組もどの番組も、あまりにも安易にグルメに走り過ぎて大はしゃぎし過ぎてはいないだろうか?


視聴率ってなんだ?

某広告代理店の調査で、ある時間帯にテレビのスイッチが入っていたかどうか、どのチャンネルに設定されていたかで決まる「視聴率」。その調査方法ができてから何十年もたった今なお、テレビ業界の関係者にとっては「神様のような数字」のようだ。

たしかに何かを発信したら「どれぐらいの人の目に触れたか?」は当然気になる。しかし問題は「どういう層の人が見てくれて、どんな感想をお持ちになったか?」、つまりその中味が問題ではないだろうか?

ところが「視聴率」は、先ほど書いたように「その時間にどのチャンネルがかかっていたか」だけで、番組の中味は問われていない。スポンサーとなった企業名・商品名がどのぐらいの人の目に触れる機会があったかが大きな問題なのだ。

いい番組をつくり、感動を与え、それに協賛した企業名や商品面が告知されるのならまだ健全だ。しかし中にはCMを見させるために無理やり水増しされたような時間に付き合わされているような感覚に陥ることがある。本末転倒とはこのことだ。

さきほどのクイズ形式の番組にしても、感動ストーリーにしても、「その先」を知りたい肝心なところでCMに切り替わる。そして「さあこの後はいよいよ○○です」とCMに入り、CMから明けるとかなり前の話に戻ってしまって同じシーンを何度も見せられたり、ひどい時には「さっきの話はどうなったの?」と全く違う話に飛んでしまったり…
とにかくCMを見せるために無理やりテレビに釘づけにされているような憤りを感じる。

まあ好むと好まざるにかかわらず、これが資本主義の原則。スポンサーがお金を提供して番組が作られている民放各社はある意味しょうがない。だが、なぜ公共放送までもが同じように「視聴率」ばかりを気にして、民放の真似をしたような番組になっていくのか…?

外注制作が進み、似たような手法で番組が大量生産されているためだろうか?
みなが一律に視聴率を競うあまり、似たような作りになっていくのだろうか?
すでに人気のあるタレントを連れてきて、グルメの話題や感動ものなど、お決まりのパターンに安易に流れているように思えてならない。

いまは録画した番組でCM部分をワンタッチで飛ばして観たり、録画する段階でCMをカットできる機能のついた録画機もある。そうなると、視聴率=企業のCMを見てくれている率とは言えなくなってきているはず。
それにだいたいCMを打てるほどの大企業の名前は、いまさら連呼されなくたって皆さん知っているはず。もっと名もない小さな企業でも素晴らしいことをやっているところはある。さらに社会に対して大切なことを呼びかけるのも本来の「広告」ではないのか?


視聴者=「素人さん」?

ところで、よく放送関係の人の中に、視聴者のことを「素人さん」と呼ぶ人がいる。
他の世界に目を向けてみると、たとえばプロの音楽家がアマチュア演奏家や聴衆のことを「素人さん」と呼ぶだろうか?
また鉄道関係者が博物館に集まって運転シミュレーターに挑戦するファンや乗客のことを「素人さん」と呼ぶだろうか?さらに多くのサービス産業の人がお客さんや一般消費者のことを「素人さん」などと呼ぶだろうか?
少なくとも私は昨今、「素人さん」なんて呼び方をする方を他の世界では存じ上げない。

かつて、いわゆる「業界人」と言われる人が飲み屋さんで横柄な態度で振舞っていたが、私が見る限り、少なくとも大声で横柄な態度で振舞う「業界人」は飲み屋でもあまり見かけなくなったように思う(もし見かけたら、私はたぶん黙ってはいないだろうが…笑)

しかし、飲み屋さんなどで「素人さん」という言葉が聞こえてチラッと振り返り、しばし会話に耳を傾けてみると、たいてい放送関係の人なのである。もしかするすと「業界用語」のひとつなのかもしれない(笑)。

まあそれはともかく、そうした言葉が吐かれる一方で最近の番組を見ていると、たとえば私の好きなクラシック音楽の世界、あるいは蒸気機関車や鉄道の世界に関していえば、「視聴者は素人ではないんだぞ!」と言いたくなる。

放送関係者は、スタジオ用語をはじめ番組制作のノウハウ・技術に関してはたしかにプロだろうが、取り上げているテーマに関しては視聴者の方が詳しかったりするのだ。

難しい専門的なことを一般の人にも分かりやすく解説することは大切なこと。しかし、せっかくゲストがいい話をしてくれようとしているのに、受け答えする側(タレントやアナウンサー)がまったく分かってない受け答えをしてしまったり、おちゃらけを混ぜたり…

聞き手の知識の問題だけでなく、台本を書く構成・演出の問題かもしれない。
人気タレントを呼んで、おふざけ・オチャラケを入れれば「楽しい」「分かりやすい」だろう、という勘違いが起こるのだ。  
 
一般にスタジオに大掛かりなセットを組み、お決まりの人気タレントを連れてきてトーク形式にした番組ほど、残念ながら観ていてガッカリすることが多い。 せっかく素晴らしいゲストを呼び、前宣伝ではぜひ観たくなるテーマをかかげているのだが、あれもこれも盛りだくさんにしすぎて焦点がぼやけたり、おちゃらけで水増しされて話が中途半端に終わってかえって不満が残るのだ。私だけでなく、音楽や鉄道好きな方からも同じような感想を最近よく聞くようになった。

またものづくりでも楽器演奏でも、ある程度関心のある人なら見たいはずの場面を外したりする。たとえば、ある重要な箇所では手元を見たいのに、なぜそこでいつまでも顔ばかりとらえるの?と思うカメラワークもけっこう多い。


一方、ある人物や出来事に焦点をあて、何か月もかけて追いかけたドキュメントにはいい番組が多い。自然の生き物を追った番組も私は好きだ。
番組を作る人がもともとその世界に詳しい、あるいはその番組のために限られた期間ながらもよく勉強し、その世界に入り込み、関係者の話しや気持ちを謙虚に受け止めて掘り下げているかどうか?
海外取材によるミニ番組でも、スイスのオルゴール職人や路面電車の運転手さん、ドイツの鍛冶屋さん、ロッククライミングに挑む登山家などを追ったオールロケの番組は見ていて気持ちいい。
へたに流行や視聴率に惑わされることなく、本物をじっくり見せてくれて、その世界に詳しい人が見たいポイントをしっかりおさえ、きちんと構成された番組は観ればすぐに分かる。


◆視聴率を気にしない 独自の番組枠を!

ここまで書いてきたような傾向は、「視聴率」ばかりをあまりにも気にし過ぎるあまり、それこそ「素人さん」にウケそうな方向に安易に流れる結果ではなかろうか?

すでに人気のあるタレントを連れてきて(=そのタレントを見たいがために番組を観るだろう、的な発想)、素人だから何も知らないことを前提にとんちんかんな受け答えをして、派手なリアクションやおちゃらけを入れれば「楽しく」「分かりやすく」なるだろう、といった勘違いへ…

大震災から丸2年が過ぎた2013年3月11日前後、どの局も震災特集をやっていたが、切り口も見せ方もどこも似たようなものばかり。これももしかすると視聴率ばかりを気にしすぎて、お決まりのパターンでウケを狙った結果ではないかと、ある著名な音楽関係者がフェイスブックに書かれていた。そこには私も全く同感の提案がなされていた。

それは、各局とも全放送番組のたとえ1割でも5%でもいいから「視聴率を気にしないで作る独自の番組枠」があっても良いのでは、という提案だ。

資本主義の原則で、スポンサー企業からの提供がなければ番組は作れないと思われるかもしれないが、その局で放送している全番組に寄せられる全スポンサー企業からの制作費のうち、たとえ1割でも5%でもいいから一定の額を「その放送局が独自に、視聴率を気にしないで作る番組に充てます」と宣言することは可能ではないだろうか。

あるいは、放送局の独自企画の番組に、CMを流さなくてもいいという条件で協賛する企業があってもいい。出すとすれば協賛してくれた企業の名前だけを最後にロールテロップで流してもいい。すでに映画の世界はそうなっている。いわばメディアの発信者である放送局を信頼して、見返りを期待しないで協賛する企業は、むしろ高く評価されるのではないだろうか?

まして、スポンサーにも国からの予算(税金)にも頼らない純粋な「公共放送」ならば、視聴率ばかりを気にして安易に民放の真似をしたようなおちゃらけ番組に流れるのは情けない。むしろ古き良き時代の公共放送を取り戻してほしいと私はかねがね個人的には思っている。



いまはインターネットによるソーシャルメディアがこれだけ発達し、あらゆる情報が簡単に得られる時代、単なる情報告知だけではテレビに頼る必要性は薄らいできている。
かつてと比べると、視聴率の平均値は極めて低くなっていて、2桁台にまで達するのは珍しいぐらいである。
そんな「どんぐりの背比べ」のようなちまちました視聴率の数字に一喜一憂し、ウケ狙いの番組に安易に流れていったら、テレビ離れはますます加速するだろう。それも悪くないが。

いまあらためてメディアの役割は何なのかをを問い、「何を伝えたい、どう伝えなくてはいけない」という使命感と自信をもって番組をつくるべきだろう。そして、視聴率という数字ではなく番組の中味による評価がもっと問われるべきではなかろうか?


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

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