タテ(垂直)とヨコ(水平) 感覚の不思議

距離と高さ

「東京タワー(スカイツリーではなく元祖)を横に寝かせて、東海道・山陽新幹線のホームと比べたら、どちらが長いと思いますか?」

東京タワー 新幹線ホーム
東京駅は少しカーブしていて見づらいので、ほかの駅で。今は懐かしいゼロ系の新幹線の画像を! 


数字で考えるのではなく直観で答えてもらうと、たいていの人は「東京タワーの方が長いかな~?」とお答えになる。あなたはいかがだろう?
「あえてこういう質問をするということは、もしかして同じ…?」

東京タワーはご存じ333メートル。池袋の「サンシャイン60」はおよそ240メートル、それよりさらに90メートルも高い。ちなみに90メートルというと、名古屋のテレビ塔の展望台までの高さである。「サンシャイン60」の屋上に名古屋のテレビ塔を建て、その展望台にいるのと同じ高さ!
真下から見上げたら目のくらむ高さである。もしてっぺんから地上を見たらもっとすごいだろう。

一方新幹線ホーム。新幹線の1両の長さは25メートル、16両では400メートルになる。連結部分の隙間(約1メートル)が15か所あって、停止位置の前後の余裕も含めるとホームの長さはざっと430メートルになる。東京タワーよりも100メートルも長いのである!

新幹線で16号車に乗るのに間違えて1号車の乗車口近くの階段を出てしまったら、重い旅行カバンを持ってホームの端から端まで行くのは少々しんどいが、決して不可能ではない。
しかし東京タワーのてっぺんまでよじ登ることはそう簡単ではない。はるか遠くに見えるだろう。



小学生のころ私は4階建ての団地に住んでいた。4階の階段の踊り場から見下ろす地面は、学校の25メートルプールよりもはるかに遠くに見えた。しかし団地のワンフロアーはおよそ3メートルだとすると、4階建ての屋上までせいぜい12メートル。階段の最上階の踊り場はさらに数メートル低いから地面まで10メートルあるかないか程度。プールの半分にも満たないのである。

人間は、歩くか走るか、もしくは転がるか這うかしかできない二次元空間の生き物である。高いところに移動するには、エレベーターかエスカレーター、クレーンかヘリコプター、もしくは階段を根気よく上るかよじ登るしかない。うっかり落下すれば命はない。
高い所は異次元の遠い世界に感じるように人の感覚はできているのだろう。


水平(ヨコ)と垂直(タテ)

日常の中でもこの感覚のずれを感じる場面がある。
ホールに楽器を搬入する際に、搬入口のプラットホームのような場所にトラックをバックで誘導する。トラック荷台後ろは昇降扉が手前にバタンと倒れるように開くスタイルの場合、トラックの荷台の高さ(=扉のタテの長さ)を見ながら「オーライ、オーライ」と誘導し、ドアの長さと同じ距離まで来たなと思ったら「は~いストップ!」と止める。

バックオーライ

ばっちりいい位置に止めたつもりで扉を開けてみると…「あらっ?」
たいてい20~30センチ隙間があいていて、もうちょっとバックしてもらうハメになることが多い。
楽器を積んでいるし、間違って壁に激突させてはいけないから慎重になってつい早めにストップをかけてしまうのだろうか?

しかし扉の高さ(=トラックまでの距離)としては壁より2メートル以上も手前、しかも運転手も慎重に最徐行である。ついつい早めに止めたくなるような意識は働いてないと思う。
荷台の扉がプラットホームの上に僅かにかぶるぐらいでちょうど良く、なるべくギリギリまで引き寄せているつもりなのだが、扉をいざ水平に開けてみると「寸足らず」なのである。

扉が締まった状態(=タテ)の長さを過大評価している、ということか。



よく人間の目は左右に2つ並んでついていて、左右の視野はおよそ120度(片目だけの視野に入る範囲でいえばもっと広く180度ちょっと)。それに対して上下の有効視野はせいぜい90度程度で、横ワイドでものを見ている。だから水平方向のものは短く感じ垂直方向のものは長く感じるのだ、という説もある。

しかしこれまで例に挙げてきた新幹線ホームも、25メートルプールも、バックしてくるトラックまでの距離も、みな「左右」を見渡すような見方はしていない。正面に見える目標までの「距離」として、縦方向のものと比較しているのである。いずれも垂直方向のものは遠く(長く)感じ、水平方向のものは近く(短く)感じたのだ。

やはり人間は水平思考の生き物だから、水平方向の距離はどうしても身近に感じやすく、垂直方向の長さ(距離)は長く(遠く)感じやすい傾向があるのではなかろうか?


■水平・垂直による大きさの見え方

水平方向と垂直方向とで距離(長さ)の感じ方に違いが出るということは、もしかすると見え方(視覚)そのものにも違いがあるのではないか?
知覚心理学でじつに興味深い実験があると聞いたことがある。

プラネタリウムのような半球のドームの中心に投影機を置いて、壁面に○・△・□などの図形を投影する。
被験者にドーム内に入ってもらい、まず水平方向に図形のサンプルを投影して見せ、その大きさを覚えてもらう。

被験者にはボタンスイッチを渡しておき、最初に見せたサンプルよりもひと回り小さい図形が投影されたらAのボタンを、逆にひと回り大きいと思ったらBのボタンを押してもらう。最初のサンプルと同じ大きさだと思ったらボタンは押さない。
説明を兼ねて水平方向にオリジナル・やや小さめ・やや大きめの図形を投影してみると、みなさん正確にAのボタン、Bのボタンを押してくれる。

「では、いよいよ実験に入ります。図形は全天のいたるところにばらばらに投影され、数秒間で消えます。やや小さいなと思ったらAを、やや大きいなと思ったらBを、サンプルと同じ大きさだと思ったらボタンを押さないでください」と告げて実験に入る。

投影機はドームの中心に置かれているので、上方向でも水平方向でも壁までの距離は一定である。
実験を続けるうちに、厳密な大きさの区別が分からなくなってくることもあるが、上空の方に投影されると、最初のサンプルと同じ大きさで投影しているにもかかわらず「A」のボタンを押す(=やや小さく感じる)人が出てくるという。
また、上方向にやや大きめの図形を投影しているにもかかわらず「B」のボタンを押さない(=サンプルと同じ大きさだと感じる)ことがあったり、サンプルと同じ大きさを水平方向に投影しているのに「B」のボタンが押されることがあるというのだ。

人によって個人差もあるだろうが、どうやら人は同じ大きさであっても上方向にある時はやや小さく、水平方向にあるときはやや大きく感じる傾向があるようだ。

いったいなぜそうした現象が起こるのだろうか?
地球の重力や平衡感覚との関係だろうか?あるいは首の筋肉と視力との関係だろうか?
もしリクライニングを倒して仰向けに寝た状態で同じ実験をやったらどうなるだろうか?無重力空間ではどうなるのか…?

残念ながら私はその実験を経験したことがないが、この話を聞いてから、和室の畳の上に仰向けに寝て、身体の真正面に天井を見てみたことがある。
和室の天井までの高さはおよそ2メートル70センチ、畳の長い辺の1.5枚分である。そして起き上がって壁より畳1.5枚遠ざかった位置から壁を見てみた。
やはり壁までの距離(水平)の方が近く、天井までの距離(垂直)を長いと感じた。首の角度や目の向き・体の姿勢に関係なく、やはり垂直方向を「遠い」と感じるようである。


月や太陽の見え方

同じようなことをじつは自然界でも経験している。
日の出・日の入りに見る太陽や、東の空から上ってくる月を見て、上空に輝いている時よりも「大きい!」と感じることはないだろうか?

地球の大気で光が屈折して大きく見えているわけではない。
大気の接線方向に光が通過するために光の波長が長くなって赤くなることはある。またごくまれに「幻日(げんじつ)」と呼ばれる蜃気楼のような屈折現象によって太陽が2重に見えたり四角く見えることはある。しかしそうした屈折によって変形するのは上下の方向であって、少なくとも横幅は同じはずである。

太陽をじかに見るのは目によくないので、地上から太陽とほぼ同じ大きさに見える月をよく眺めてみよう。

まず、肉眼で見える満月の大きさはどれぐらいだろうか?
片手にコインを持って腕をいっぱいに伸ばした状態で…

月の大きさ

1.10円玉ぐらいの大きさ
2.1円玉ぐらいの大きさ
3.おはじきぐらいの大きさ
4.5円玉の真ん中の穴ぐらいの大きさ
5.50円玉の真ん中の穴ぐらいの大きさ

幼い頃から見てきたはずの月を想像して、直感としてどれぐらいの大きさだと思われるだろうか?

腕の長さにも個人差はあるが、私の場合左手を思いっきり伸ばした状態で目から58センチだったが、5円玉の穴だとまだ隙間ができてしまい、いちばん最後の「50円玉の穴」の大きさにちょうどすぽっと入った。案外小さいことに驚かないだろうか?
 
そしてその大きさは、上空に輝いている月も地平線近くにある月も同じである。みなさんもぜひ次の満月(4月26日)の前後に東の空に昇ってくる月をよく見ていただきたい。

人間の目というのはカメラのレンズよりもはるかに高精度にできていて、明暗を捉える感度も対象物の大きさも、その時々によって見事に使い分けて見ている。
パノラマ展望台からの風景を見渡している時は、24ミリの広角レンズでも入りきらないような広い範囲を捉えている。また大切な人を改札口で待っている時には、おそらく300~500ミリぐらいの望遠レンズのような目を雑踏の中に向けているはずだ。
そして伸ばした手の先にある50円玉の穴ほどの大きさの月を見て、うさぎが餅をついている模様を見つめている時は、いったいどれほどの望遠レンズのような目で見ているのだろう?
ものの見え方は、意識によって変わるということを意味している。


広重の絵に描かれた月

夕暮れ時に東に昇ってくる月は、昔からよく絵の題材としても描かれてきた。歌川(安藤)広重の「武陽金沢八勝夜景」の月と雁などもそのいい例である。

広重1

月の前を横切っている雁の群れと月との大きさのバランスに注目していただきたい。もし近くを飛んでいる雁と月とを肉眼でとらえて描けばこんな感じになるはずだ。

月と雁 広重と比べないでくださいね!(笑)

しかし広重の絵にあるような大きさのバランスは、かなり遠くを飛ぶ雁の群れと月を一緒に高倍率の望遠レンズでとらえたような目で描かれている。

広重(拡大) 

東海道五十三次に見られるような風景画を多く描いた広重の作品には、このような遠くの雁と月を描いたモチーフはけっこうある。
それを普通の風景画の中にさりげなく入れ込むということは、遠近法の原則を大きく破っていることになるが、見る人にまったく違和感を与えることなく調和して感じるから不思議である。

やはり昔から人は、東の空に昇ってくる月を、実際よりも大きくデフォルメして見ていた、ということなのかもしれない。


   ↓ よかったらワンクリックよろしく!

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

No title

ふむふむ..

直感で新幹線の方が長いかな..
って思いました。。
が.色々な物を細かく分析すると
中々面白いですね♬

目の錯覚って..
とっても奥が深い★

知ってしまっていると.....

考える前に数字を知ってしまっていると、駄目ですね。

あれだけ長い新幹線を縦にしたら大変だと思いますが、スカイツリーはそれより高い!

おもしろいですね!
東京タワーのほうが絶対に長いと思いました

月と硬貨も楽しそうなので今度やってみたいと思います

Re: タイトルなし

ちかさん、北西風さま

数字として既にご存知だったにしても、直感にしても、東海道新幹線の方が長いとお分かりになったのは凄いです!私なんか、数字で比較してみてあらためて「そうなのか!」と関心してしまった口です。
目の錯覚というべきなのか、もっと深層での認知のレベルなのかわかりませんが、タテとヨコでこれだけ感覚のずれが出るのは本当に不思議です。


石川さん

久々のコメントありがとうございます。同じサイズのものでも立てると長く見える…本当に不思議でしょ?
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
このすぐ下の「カテゴリ」から興味のあるテーマごとにクリックして覗いてみてください。
一部パスワードをご存じのメンバーの方のみ閲覧できるページを含みます。

カテゴリ
カウント開始 2011.1.14~
リンク
最新記事
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR