「国民と政治と ~本当の豊かさを求めて~」
前の総選挙のときに掲げられた民主党のマニュフェストと、その結果です。
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今さらながらですが、「お見事!」としかいいようがないですね。
マニュフェストとは国民への約束=「公約」です。
「うそは政治家のはじまり」でしょうか?
せめてもっと大くくりで「公共事業の無駄を徹底的になくします」ぐらいに書いておけばよかったものを、ろくに実態調査もしないまま具体的なダム名をあげて「中止します」などと掲げること自体が馬鹿げています。
できもしないことを掲げるから守れない。マニュフェストの文章を書く人間が愚かなのか、とにかく国民の支持を集めて当選したいから、出来るかどうか分からないけどとりあえず書いておくのか…?
そして前々から私は書いてきたたとおり「センセイに なってしまえば 別の人」となるのです。(私が「センセイ」とカタカナ表記するときは、ピアノやバイオリンの先生ではありませんよ…笑)
この2年あまりの間で、国民の生活は豊かになったでしょうか? 東日本大震災の被災地復興はどれほど進んだのでしょうか? 北朝鮮の拉致問題は? あやふやに消えてしまった年金問題は?
国会中継を見ていると、政治家同士のけなし合い・足の引っ張り合いばかり。「どう責任をとる?」「いつ辞める?」の議論ばかり。政権を取ることばかりに目がいって、ちっとも国民の方を向いていません。それどころか、ときに国民や被災地の人のことをダシに使ってるんじゃないか、とさえ思えてきます。
「そういう政治家を選んだのは国民だから(しょうがない)」…でしょうか?
前にも書きましたが、それは違うと思います。公約を信じて投票し、当選したら全く違うことをやっている、それは裏切り行為でしょう!有権者は、ちゃんとそこを見届け、なんらかの意思表示をする責任があると思います。このようにブログにきちんと意見を書くことも、微力ながら世論形成の一助になるかもしれません。
国会議員にもリコール制度があってしかるべきだと思いますが、今の制度上リコールが認められているのは地方自治体の長および議会だけですね。では国民はいったい何を頼りに「国民の代表」選びに一票を投じたらよいのでしょうか?
◆選挙は「勝ち馬に一票を投じること」ではない!
衆議院の解散宣言を出されてから、センセイ方はもはや国の重要法案の審議なんかに向いていません。各地を遊説していかに次の選挙で勝つかだけでいっぱいいっぱいのようです。
マスコミ各社も、あまりにも政党が多すぎるので、誰が何党なのかを間違えないように、代表へのインタビューをとり、それぞれの掲げる方針を整理するのに大忙しです。
まあそれはいいとして、もうすでに「次は何党が優位か?」と、またもや競馬の予想屋のような意見が巷には飛び交い始めました。
でも待ってください。民主党がダメだったからやっぱり自民なんでしょうか? 新しい改革を求めて力の強そうな維新でしょうか?
いずれにしても「どこが優勢か」の勝ち馬に一票を投じる選挙にしてはいけないと思います。
よく「自分が入れた人が当選しないと死に票になってしまう」などと言う方がいますが、民主主義の原則をお分かりでしょうか? 100%の賛成で通るのと、49%の反対があって通ることの違いはどうですか?
まして大統領選挙のようにどちらか一人が当選するのではなく、衆議院や参議院は複数の議員が国民(地域)の代表として国会に送り込まれるのです。
どっちが勝つかではなく、自分はどの人(党)の言ってきたこと・やってきたことを正しいと思うか、で一票を投じるべきだと私はずっと思ってきました。
日和見ではなく自分の考えにしたがって、少数派に一票を投じることの大切さを私は訴えたいと思います。
いま仮に1ケタ台の党でもせめて2ケタ台の議席を獲得してくれたら、国会での質問に与えられる時間も増えるのです。そうした少数派が伸びてくることで、少しでも国民のためのまともな議論のできる時間が増えてくれたらいいな、と。それが私なりのせめてもの抵抗です。
◆経済対策・景気対策って何?
政党の掲げるマニュフェストだけでなく、いま国民の間でも一番に掲げられるのは経済対策・景気対策だという意見は多いでしょう。
戦後日本は急激な経済成長を遂げ、ここへ来て円高で輸出を柱としてきた大企業が苦しくなり、大企業を中心に回ってきた日本の経済全体が空洞化し、結果として景気が悪くなっているのです。 決して物がないわけではないし、日本の円が弱い、日本がダメなわけではないのです。
「本当の豊かさとは何なのか?」というテーマで私もこれまでずっと考えてきました。
これまで政府のやってきた「経済対策」は、国民を豊かにするものだったでしょうか?
♪ 焼け石に高い水
リーマンショック、とどまることを知らない円高に歯止めをかけようと政府が「市場介入」をしました。一回の市場介入に関連して使われるわれわれの血税はおよそ10兆円とも言われます。それで本当に日本の経済は立ち直りましたか?われわれ国民の生活は救われましたか?
株や為替は、ちょっとした一喜一憂で大きく変動しています。どこかの大統領や首相が何かひとこと発言したり、どこかの国が政策を打ち出したり、大企業が何か方針を出すと、お盆の上の豆粒が一斉に同じ方向に転がるように、どこかの株が一斉に売られたり買われたり、円を売ってドルを買ったり、ドルを売って円を買ったり…そうしたマネー投機ゲームの感覚で「経済」の数字は動いています。
かつてドイツの女性の首相が、「投機マネーを規制してはどうか」という提案をしたことがありますが、アメリカは「資本主義を否定するものだ」と反対し、日本もアメリカと一体となって反対しました。
でも今あらためて、投機目的に動く巨額のお金、大企業の動向や日銀の発表する数字だけで見る「経済」「景気」を見直してはどうでしょうか?
♪ 大企業を優遇しても国民には還元されない
大企業と密接な関係にある政治の行う景気対策・経済政策は、とかく大企業にとって有利なものであって、必ずしも国民の生活を豊かにするものではないことが多いです。
最近も景気対策と称して、法人税を大幅に減額しました。これも大企業に有利な制度です。名目は「企業の利益を上げ、雇用を増やし、国民を豊かにすること」と掲げられていました。
結果はどうだったでしょうか?
もうだいぶ前にご紹介した記事から、こちらをご覧ください。
少し前の財務省の統計ですが、バブル前の1986年からの4年間、および2001年以降を4年刻みで比較して、大企業の「役員給与+賞与」「従業員給与」「配当」がどうなってきたか、その増加率(%)を表したものです。
バブルに向かっていた頃(一番左の1986~89年)はすべてプラス、つまり「増加」ですが、その中でもとくに増加率の高かったのは「役員給与+賞与」(21%)です。
それが2001~04年まで(真ん中)を見ると、「株主への配当」(70%)が断トツに高く、「役員給与+賞与」もプラス59%と大幅に伸びている中で「従業員給与」だけはマイナスです!
私もこの時期に組合の執行部をやっていましたが、どの企業も「厳しい」ばかりを連呼していましたね。
それが一番右の2005~08年になると、株主への「配当」もマイナスに転じ「従業員給与」はマイナス23%(=2割以上カット!)、なのに「役員給与+賞与」だけはプラス13%と伸びているのです! これはどういうことを意味するか、小学生でもわかりますね。
会社は、役員だけを常に優遇し、株主(投資家)もさることながら、働く者へは景気の良し悪しに関係なく常に犠牲を強いてきた、ということがはっきりと読み取れないでしょうか?
大企業にテコ入れしても、政治家と大企業のトップがいい思いを分かち合うだけで、国民の生活にはまったく還元されず、国民はますますジリ貧にむしり取られていく、という構造が明らかです。
◆消費税を上げるための景気・経済対策?
消費税もまさに同じです。あれはいわゆる大型間接税で、利益を上げた企業に課される税金をわれわれ消費者にも均等に上乗せして負担させる、というものです。
「消費税」という名前からして、われわれ国民が消費する行為に対して課税されているかのような錯覚をするかもしれませんが、それは違うのです。
消費税の矛盾、弱者ほど厳しい逆進性については前にも書いた記事を参照してください。
→ 「続・発想の転換へ」
その消費税を上げるための口実として「一体改革」と「経済対策」を掲げ、なにがなんでも消費税増税法案を通すために政治生命をかけられた方がいらっしゃいましたね。3党合意ですから、少なくとも3党はみな消費税を上げる方向では一致しているのです。
「経済対策」という甘い言葉を真っ先に掲げる政党は多いですが、消費税を上げるための担保とならないよう、国民に、とくじ弱者に還元される経済対策を見極めなくてはいけません。
そして今こそ「人としての本当の豊かさとは何か?」をひとりひとりが考えるべき時だと私は思います。
◆「政治への無関心」が「社会への無関心」にならないように!
心ある人たちはおそらく、今の日本の政治にいい加減うんざりし、今さら誰の言うことを信じて良いのか?…というところではないでしょうか?
アメリカでは人口3億人に対して上院・下院合わせて535人。日本は人口1億2千万に対して衆参両議院合わせて727人、多すぎます!
しかもアメリカでは「議員は労働者の平均年収を上回ってはいけない」と聞きますが、日本では「国家公務員の最高水準を下回ってはいけない」んだそうですね。
日本の国会議員数を半分に減らし、議員報酬を仮に今の半額にして、それでも立候補するのなら「世のため人のために政治家を志す」と言えるでしょうね。
いまのように「尊敬できる立派な人」「世のため人のために尽くす人」が見当たらない中、若者を中心にますます政治への無関心、政治離れが進むのではないでしょうか? 情けないことですが、それも無理ないと思えてきます。
でも、政治への無関心がひいては社会問題や社会制度に対する無関心へとつながり、どんどん悪くなる庶民の暮らしに「どうせ~~したって」という気持ちが蔓延し、低レベルの娯楽に流れたり、「自分さえよければいい」というワガママが増え、おかしな犯罪も増える…という方向にいくことが心配です。
子どもたちに、「大きくなったら○○さんのような立派な人になりたい」と思ってもらえるような指導者がいない情けない日本ですが、政治家や有名人にばかり期待するのではなく、われわれひとりひとりが「考える大人」「いい大人」でありたいですね。
このブログをはじめた2010年の秋ごろから「豊かさとは…?」というカテゴリを設け、たびたび書いてきました。 マネーゲーム感覚の愚かさ、税金の使われ方など、先ほど触れたテーマとも一部重複しますが、お時間のあるときにご覧いただけたら幸いです。
→ 続・豊かさとは(1)
→ 続・豊かさとは(2)
→ 続・豊かさとは(3)
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