カオスの中のバランス感覚 ~太鼓セッションへの応用~

Chaos(カオス)=混沌とした、無秩序な

カオス(古典ギリシア語:Χάος, Chaos)とは、ギリシア神話に登場する原初神。「大口を開けた」「空(から)の空間」の意。オルフェウスによれば、このカオスは有限なる存在全てを超越する無限を象徴している、とウィキペディアにはあります。

なんか難しい説明ですが、今日よく使われる場合「混沌とした」「無秩序な」「めちゃくちゃな」といった意味で使われることが多いようですね。
物理の世界では、きちんと整然と並んだ状態よりも、一見無秩序に散らかった状態の方が自然で安定している、とも言われます。


自然に見えるか、不自然に見えるか?

絵画や造形の世界でも、音楽でも、バランスのとれたカオスというものがあるような気がします。

スタジオや舞台の背景、あるいはディスプレイでも、丸と四角と線の集合体で造形をつくる場合、「もう少し右上に重心のあるものが欲しい」などと思うことがあります。ちょっとした配置や量によって、バランスのとれた「いい形」と不安定で「よくない形」があるのです。

自然界に生えている草木や、鳥の巣や卵などは、とても自然で安定した造形で見ていて不自然さがありません。
模型のジオラマでも、鉄道や建物は縮尺に忠実に作っていけばそれらしくなりますが、地形や木などを違和感なく見えるように作るのはとても難しいのです。

すぐれた画家がさらりとスケッチして描くと、同じ木でも松は松らしく、桜は桜らしく、楓は楓らしく見えます。でも、実物を詳細にわたって観察して写生してもなかなか「らしく」見えないものは見えない。なぜでしょう?
幹の太さ、枝分かれする角度、伸び方…それぞれの植物の遺伝子による法則のようなものがあるのでしょうか? 


カオスの中のバランス感覚

おそらく数値で表せるような理論としては解明されていませんが、自然界にはなにかバランスの法則のようなものがあって、人間にも感覚の中には「自然なバランス」を感じる何かが潜んでいるのかもしれません。

それは音についても同じです。

バッハやモーツァルトなどの古典の音楽でも、現代曲でもそうです。よく練習して正しい音で弾けていても、聴いていて体にすんなり心地よく入ってくる違和感のないテンポ感・間の取り方があるのです。
抽象絵画のような現代音楽で一見無秩序に思える音の集合体でも、聴いていて心地よくなる音とそうでない音があります。ある音のちょっとした長さ、ある音と音とのちょっとした「間」の取り方、ほんのちょっとした気持ちの持ちようによっても微妙なテンポ感の違いなどによって変わります。

生理的に「理にかなった音」であればごく自然に心地よく入ってくるでしょう。でもどこか理にかなっていない不自然さがあると、せっつかれたように落ちつかなく聞こえたり、不安定で気持ち悪くなったり、ノリが悪かったり、ということが起こるのです。

楽理や和声学といった「音」そのものを研究する分野は多いですが、その音を聴いて人はどうしてそういう感覚をもつのか、というあたりに私は以前から興味がありました。音楽心理学というくくりでもいいのですが、「和声心理学」とか「リズム心理学」みたいな世界があってもいいんじゃないかと思ったことがあります。


<音の現場より>

◆「バラバラに好き勝手にやって!」

最近ある演奏会のリハーサルで、オーケストラと和太鼓がセッションで合わせる曲がありました。太鼓グループは何か月も前から練習してこられたのですが、マエストロから「規則的にみんなで同じことをやらないで、もっとみんなでバラバラに好き勝手にやって!」という指示が出されました。

受け取りようによってはそれまで練習してきたことを否定されてしまったようで、演奏会を翌日にひかえ、いったい何をどうやったら良いのか分からなくて困ったことでしょう。

リハーサルが終わった後マネージャーから相談を受け、居残り練習に立ち会わせていただく好機を与えられました。
他にも合唱やブラスバンドなど現地のチームと練習するメンバーもいて、3台のバスのうち1台の出発を1時間遅らせる、とのこと。

でも、結果的に1時間後にそろそろバスが出発すると会館の方が知らせに来て下さった時は熱い練習の佳境に入っていて、メンバーの一人が「大丈夫です、私が高木さんを宿まで送りますから、もう少し!」と言ってくださり、楽しく貴重な時間を過ごさせていただきました。

その時に私なりに思った音楽の原理のようなことを、忘れないうちに綴らせていただきます。



ステージから別のリハーサル室へ太鼓を移動させながら、マエストロが求めている真意を私なりに考えていました。

おそらく言外には、「いかにも一生懸命合わせ練習をしてきました」というような真面目さが目立ってしまって面白味がない。生の音楽としての「活き活きさ」「粋さ」がない。ワンパターンの連続でバリエーションがない、エネルギッシュな躍動感がない…etc.ということではないかと。

言葉の表面的な意味だけで「みんなで一緒のリズムを叩いてはいけない」「バラバラに好き勝手なことをやりなさい」と解釈したら、音楽としてまとまらない単なる「雑音」にもなりかねません。息を合わせなくてはいけないポイント、全体と個々とのバランス、メリハリも必要です。

オーケストラの演奏の中で和太鼓のセッションに与えられた時間は約1分少々。その時空をどうまとめるか?…それは「造形」を考えるような作業です。
これまで各地の太鼓チームともやってきているので、このメンバーなら必ずうまくいくと信じていました。

ふだんご指導されている若い奏者を中心に、いままで練習されてきたリズムパターンでの練習を少し拝見し、限られた時間ながら次のようなことを試行的にやってみました。


いっしょに盛り上がって決める

まずはリズムパターンを全く無視して、みんなで小さな音から乱打をはじめ、大きく膨らんで最後は一緒に息を合わせて打ち止める練習をしました。

クレッシェンドは「だんだん大きく」ですが、たいてい皆さん音を大きくしてくるタイミングが早すぎるんですね。大きくしたくなる所をぐっとこらえ、遠くからだんだん近づいてくるようにエネルギーを貯めて、頂点に達する直前で大きく膨らませて一気に最高潮に達するように。 最後は全員の息を合わせて「Ya!」と大きな声を合わせて一撃で止めます。

何度もやってみるうちに、とっても気持ちのいい合い方をする瞬間があります。人間って貪欲な生き物なので、一度気持ちいい瞬間を味わってしまうと「いま合わなかったね」、「遅い」とか「早い」などと言われなくても敏感に分かるようになり、より素晴らしい音を求めるようになっていきます。結果として合う確率も高くなります。ここは割とすんなりとクリアできました。


個々にはじける

次に、「バラバラに好きにやって」の部分を試みました。でもこれが案外難しいんです。「自由にやって」と言われるとかえって何をやって良いのかわからなくなってしまうのが人間の常。真面目に練習しているとつい忘れがちな「遊び」の要素です。とにかく音で色々遊んでみるのです。

みんなで小さな音を出している中で、一人一人がバラバラに「はじける音」(=キイワードは「勃発」)を提案しました。
(★注…この「勃発」というキイワードは、諏訪や青森でもすでに定着した「音楽用語」です。)

ある人は「ドン」と大きく1発、ある人は「カタカタカタ」と枠打ちで甲高い音を出す、ある人は「ハッ」と大きな声を出しながら一撃…

「芸術は爆発だ!」の名言を残した岡本太郎さんの作品のように、あるいは火にかけられたポップコーンや栗が弾けるように。
シーンと静まりかえった教室で誰かが突然笑ったり、「ワオ!」と叫んだり、誰かが机をガタガタとやったり…そんな感覚で好きなことをやってもらいました。


適度な「間」とタイミング

ここで重要なのは適度な「間」とタイミングです。

例えは悪いですが、車両故障で止まってしまった車内を想像してみてください。最初は皆さん辛抱していますが、時間の経過とともに不安になり、情報不足にイライラしてきます。
そこにアナウンスが入り、誰かが「いい加減にしろよ」と大声を出すとそれに連られて「そうだよな、まったく!」という声が上がったり、逆に「まあまあ、もうちょっと待ってみようよ」となだめる声が聞こえたり、「てめえふざけんな」とケンカになったり…

イライラや怒りの爆発も、人間の感情によって生じる生理現象のもっとも素直な例だと私は思います。ストレスが溜まっていく時間、何かのきっかけで誘発される感情表現。
これを音楽の世界に応用すると…

静かな音が刻まれはじめてまだ間もない時にいきなり弾けるとちょっと不自然に感じます。
かといって、いつまでもお互いが見合っていて何も起こらない状態が続くと「あれ?何も起きないの?」と間の抜けた感じになってきます。
何小節分とか何秒間といった約束事で決められるものではなく、生理的に何かを発したくなるタイミングを見計らって「勃発」するのです。

ポップコーンや栗が加熱されたら次々にはじけていくように、また線香花火がシャッシャッと火花を飛ばすように、だれかが「勃発」したらあまり間をあけることなく同時多発的にあちこちで「連れ勃発(?)」するのが自然でしょう。

お互いに様子を見合っていると出るタイミングを逃したり重なってしまうので、本番まで時間もないこともあり、メンバーからのご提案により舞台の上手・下手で交互に、最初は誰、2番目は誰、3番目は誰…と順番を決めました。そして「勃発」があちこちで起きて全体のテンションが上がってくるのに合わせて全体が大きくなっていき、ひとりが「Ha!」と声を発するのに合わせて次の出来事へと移ります。


◆「メロディ」・「刻み」 & 「勃発」

音の3要素は「音の高さ」「音の大きさ」「音色」だと音楽心理学では言われます。

でも私は音楽の流れを作っていく上では、「メロディ(旋律)」、「継続するリズム(刻み)」、そして「勃発系の音」という3つの要素でとらえてもよいと思います。

「メロディ(旋律)」には音の高低があり、ゆったり・速い、明るい・暗いなどさまざまな表情があります。いわゆる「歌」がその代表ですが、残念ながら太鼓の仲間にはあまりご縁がないですね。

残る2つの要素のうちのひとつは「トントントントン…」「タカタカタカ…」のように同じリズムパターンが継続するもので「刻み」と呼んだりします。

一般に先ほどの「メロディ」が音楽の主役で、刻みや合いの手は「従」と捉えられることが多いですが、音楽の中でたとえ1小節でも刻みのリズムが先行して始まっていたら、後から出るメロディはそこに乗っかってこなくてはいけない、といった暗黙のルールがあります。
いずれにしても音楽の流れを一定に保ったり、テンポを巻いたり、逆に引っ張ったり、全体を盛り上げていったり、音楽の流れをつくる上で「刻み」は重要な役目を果たします。

この刻みがあまりにも安全運転でまったりしていると退屈になり、不自然に走ったり転んだりするとせっつかれたような軽薄な音楽になってしまいます。前に向かう躍動感があって、なおかつ全体のペースメーカーになるような「理にかなった刻み」というのがあると思います。


そしてもう一つがいわゆる「勃発系」の音です。合いの手のように入ったり、先ほどのように静けさの中で突発的に、稲妻が走るように、破壊するように何かが起こる音ですね。

この勃発系の音は一発だけの場合もありますが、ある程度まとまったひとかたまりのリズムの場合もあります。
そこでは、決して同じパターンを繰り返さないことが重要なポイントです。1発の「カン!」でも、「タカタン!」でも、何かやったら同じことを何度も繰り返し続けないことです。

よく偉大な書家が大きな紙に太い筆でドバ~ッと勢いよく書きますが、同じところに筆を2度も3度も重ねませんよね。ちょっとかすれてても墨が飛び散っても一回決めたら終わりです。
ぐっと線を力強く引いたら、あとは力を抜く。脇に点を置く。全体の流れの中でひとつひとつは一度限り。 同じところをなぞったりしてはいけません。

未熟な手品師はものを出現させたり消したりする手順を確認するようについ何度も同じ動作をしてしまいがちですが、そこにトリックがあることがバレバレです。
お化け屋敷では同じお化けは何度も出てきません。突然予想外のものが飛び出してくるから驚くのであって、二番煎じのお化けはいりません。

どんな名言でも、台詞を言ったあとで自己陶酔で言い直したりしません。まして下らないオヤジギャグをまるで不発弾をいじくりまわすように何度も発射するなどもってのほかです。「オヤジギャグ、なんども言うな 聞こえてる」(2010年サラリーマン川柳の名作です)

色んな例えを出しましたが、要は影響力の大きな一発を決めたら打ち直したり同じパターンを何度も繰り返さない、ということです。


音楽はセッション

全体を通して流れるテンポ感、継続した刻み、その中で勃発する音。それらを織りなして音をリレーし、一緒に高まり、時に静まり、メリハリのある音楽が出来ていきます。

要所ごとにイニシャティブを取る人は、ひとりよがりのサインでは通じません。皆のテンションが高まってきて「そろそろかな?」という頃合を見計らって、大きくちゃんと呼吸をして、もし次の1拍目に皆で合わせようと思ったら、その1拍前(4つカウントであれば「4」のことろ)で「Ha!」「Ya!」とはっきりと皆に聞こえる声を発するのです。そうすれば皆の息があって炸裂できるはずです。

そして炸裂の後はふたたび静まってまた次の展開へ、違う人の刻みへ…と音楽はリレーされていきます。
ここはあなたが主役、ここは俺に合わせて、ここはあなたに合わせる、ここは俺が決める…スポーツにおけるパスとも非常によく似ています。そういう受け渡しの流れがまさにセッションです。

オーケストラにおいて、きちんとした楽譜があって指揮者が全体を統括している中にあっても、音楽にはリズムとメロディの織り成す「受け渡し」があり、全体の流れがあり、それぞれの楽器がセッションをしているんだという感覚が大切ですね。


理にかなった「いい形」

いろいろと実験しながら遊んでいるうちに「自分の音」を出す楽しさや合わせる本当の楽しさが見えてきたように思います。
皆さんがせっかく今まで練習してこられたリズムパターンも取り入れて、要所ごとに活かしました。 同じリズムでも最初に聞いた感じとは違って、全体の中でのメリハリ・躍動感が出て活き活きとしてきたように思いました。

「バラバラに好き勝手に」と言っても、音楽全体の枠の中でまったく理にかなわないことを勝手にやれ、という意味ではありません。

一見バラバラに見えるカオスの中にも、何かしらのストーリー・統一感・流れがあり、全体で締めるところと個別に遊ぶ要素が絡み合い、メリハリと躍動感がある。そんな「理にかなった音」ができた時に、演奏する側にも聴く側にも響くのではないでしょうか?



あらためてこうして文章に書くのは難しいですが、カオスの中にも、自然に受け入れられて心に響く「理にかなったいい形」というものがあるんじゃないか、ということをあらためて実感したのです。

太鼓3 太鼓5

生意気なことを書かせていただきましたが、貴重な体験の記憶が薄れないうちに…

とても大切なテーマを与えてくださったマエストロに、そして楽しく有意義な時間をご一緒させていただいた太鼓チームの皆さんに心から感謝をこめて!


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太鼓

演奏会お疲れさまでした!
太鼓のチームで共演した小林です!
練習していたのが変わってしまったことは非常に驚きました
マエストロの言う「好き勝手やって!」はある意味音楽のセンスを問われているのだと感じると難しいもので…しかし2日間の練習はとても面白くためになりました!
ありがとうございました!

Re: 太鼓

小林さん

生意気なことを綴ってしまいましたが、私にとっても楽しく貴重な体験だったので、記憶が薄れないうちに書いておきたかったんです。

前日リハで皆さんがマエストロから厳しい指摘を受けられていたときは、正直どうなるかと思いました。
でも、色んな意味でマイナスをプラスに転じて、素晴らしい演奏になりましたね!音を楽しむことに専念できたことと、なにより皆さんの純情で熱い心の賜物です。
また是非ご一緒したいです。その時は是非また「勃発」しましょう!皆さんにくれぐれもよろしくお伝えください。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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カウント開始 2011.1.14~
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