あまりの商業ベースは、豊かさを奪う


★4年前、2012年の記事をあらためて掘り起し、リライトを加えました。


◆古き良きもの

それも単に博物館のガラスケースに大切に保管されているだけでなく、ちゃんと生きた状態で使われてこそ価値があるというもの。

弦楽器の名器ストラディヴァリウスは、300歳を過ぎた今になってますます音色を輝かせてくれます。木の乾燥具合、一説によるとカビが音の秘訣とも言われますが、いずれにしても素晴らしい持ち主によって音の命を吹き込まれてこそその価値は輝くのです。

イギリスでは蒸気機関車など過去の「産業文化財」を大切にしようとする意識が社会全体に定着しています。日本でも最近は蒸気機関車の動態保存は各地で行われ、もと国鉄職員や職人さんたちが部品の鋳造から釜の手入れまで大変なご苦労をされ、まるで生き物のような蒸気機関車の魅力を子供たちにも伝えてくれています。

われわれの身の回りでも、古き良きもの、その心を大切にしたいですね。



少し前に「カッコウ時計(はと時計)」の記事をこのブログに書きましたが、カッコウ時計は1870年代にドイツの小さな街・シュバルツバルトで誕生しました。

重りの力で機構を動かし、中には2本の竹笛と吹子(ふいご)による小さなパイプオルガンのような仕掛けを内蔵し、定時になると扉が開いて鳥が顔を出して時刻の数だけ「パッポウ」と鳴きます。

まさに遊び心を職人さんが本気で形にした素晴らしい文化ですね。
シュバルツバルトには今でもカッコウ時計の協会があり、100年ものの時計を大切にメンテナンスしてくれると聞きます。

(→ 「カッコウ時計」 の記事)
437px-Kuckucksuhr.jpg  


ところが最近の日本では、街の時計屋さんでもデパートでも、ほとんどの時計は電池式のムーブメントを内蔵したものばかり。ぜんまい仕掛けの時計は注文しないと手に入りません。
 
まあ、それはいいとして…
♪「おじいさんの時計」のような「100年休まずに…」とまではいかないまでも、時計は何かの記念に買って贈られ、末永く使うもの、ではなかったのでしょうか…?


たった半年でお別れした「はと時計モドキ」

今年(2012年)の春、娘の誕生日に電池式の「はと時計モドキ」を買ったのですが、わずか半年足らずで不具合が起き、修理に出す際に故障の原因について説明を求めたのですが、なんの回答もなく新しく来た“代替品”には別の不具合が!

買ったお店は量販店で、修理はおろか、商品の内容はまったく分らず、ただメーカーの工場に修理に送って、戻ってきたら連絡してくるのみ。
教えてもらったメーカーの窓口に問い合わせても、技術担当でないと何がどういう不具合だったのかも一切分らず…

けっきょく技術(修理)担当者まで電話で追いかけ、説明を求めたところ、不具合の原因は、ABS樹脂(プラスチックの一種)の歯車が割れたことが原因とのこと。肝心な稼働部分が、金属の歯車ではない…?

そして修理から戻ってきて動かしてみたら、また別の不具合(=小窓の開閉がひっかかる)。
納得できなかった私は、その技術担当者と営業担当者を呼び出し、説明を求めました。

また分解しないと見えない他の可動部分のパーツにも、驚くべきところが金属ではなくABS樹脂が使われていることも分かりました。 

いまもし新品の同機に交換してもらっても、また同じような不具合が起きる可能性もあるし、一年以内の保証期間内なら修理も可能だけど、ある期間を過ぎて新しい商品になったらこの型は製造中止となり、部品を保管しておく一定の期間が過ぎたら、もはや修理もできなくなる可能性も大ですね?」と問うと、営業担当者も技術担当者も返答に困ってらっしゃる。

これでは、娘の誕生日の記念としては意味をなさないと判断し、半年間わが家で鳴いてくれた記念の時計への愛着もありましたが、結局のところ「返品」とさせていただきました。


基本的な操作ができない新製品

時計に限らず、カメラしかり、ラジカセ(←古い…笑)しかり…

昔ほど「高級品」ではなくなって量産化が進んだのはいいことですが、すぐ壊れる。修理を頼もうとするともう今は製造していなくて部品がない、「修理するよりも新しいものを買った方が安いですよ」という時代。

それだけではありません、本来その道具が備えていたごくごく基本的な機能、実際に使う人が、それまで当たり前のように使ってきた基本的な機能がどんどんなくなって、見た目・流行りの売れ筋だけで、画一化した同じような商品ばかりになってしまうのです。

例えば、先ほどの古い話ですがラジカセ(ラジオも聞けるカセットテープレコーダー)。
テープのA面とB面をひっくり返して入れる原始的なタイプからずっと愛用してきた私は、FM放送で流れる音楽を録音したり、音楽のリハーサルを生録音したりしてきました。

カセットの取り出し口は透明のアクリルで、中のテープの回転・テープ残量がよく見えてました。また、アナログで3ケタの数字が回転し、リセットすると「000」になるカウンター。録音中でも再生中でもリセットボタンを押して「000」にしておいて、後で巻き戻してその箇所を探すのにも、テープの残量を知る目安にするにも、何かと便利な機能でした。

ところが、ダブルカセット(=カセットテープが2本入り、一方を再生してもう一本のテープにダビングできる)や、オートリバース(=A面サイドの再生が終わると、自動的にヘッドが回転し、テープが逆回転してB面サイドを再生してくれる)になると、それまでの基本的な機能が消えて私には使いづらいものとなってしまいました。

車の中で聴くような場合、A面が終わりまで行ったら、いちいちテープを取り出してひっくり返して入れ直さなくでも自動的にB面になってくれたら、たしかに便利です。

また、テープを友達にコピー(ダビング)してあげたい場合、それまでは2台のラジカセを用意して「出力」から「入力」へラインをつないで、一方を「再生」に、一方を「録音」にしてやるしかなかったけど、ダブルカセットなら、1台の機械にテープを2本入れ、再生・録音ボタンひとつでダビングができる、しかも倍速でやってくれるから時間も半分で済む…たしかに便利です。

だれでも簡単に、ある決まった使い方だけなら便利で簡単でいいでしょう。でも、でもです。

本来エアチェック(=放送を録音)するにしても、生録するにしても、テープの途中で止めたり、自分の入れたい途中の箇所から別の音楽を録音したい、これはA面に録音したい、こっちはB面の途中から(例.この曲の次に)入れたい…といったことは当然あったわけですね。

あと私がよくやったのは、手元に片面60分のテープしかなくて、FM放送で録音したい交響曲の演奏時間が70分、という場合…
3楽章まで終わったら、客席でごほんごほんと咳払いのする隙間時間に素早くテープを取り出してB面にひっくり返して再び録画ボタンを押す、ということをやれば、1曲全部録音できたんです。

ところが、オートリバースではこの芸当はできなくなりました。そればかりか、入れたテープがどっち方向に回り出すのかも分かりません(ボタンを1回押すと、いま回っている方向を逆転させてはくれますが、いま録音・再生ボタンを押したらどっちに回り始めるかは分かりません)。
またデザイン優先のため、カセットののぞき窓がサングラスのように黒くなっているものが多く、中のテープが今どっちに回っているのかも、残量がどのぐらいあるのかも見えなくなってしまいました。

編集もなにもしないで、ただ繰り返し聴くだけ、まったく同じテープをもう一本作って人にあげたいだけ、機械の操作は苦手…そんな人にはいいかもしれませんが、すべてがそうではないはず。
なんでもイージーに使える、お決まりの使い方しか想定されてないものばかりが市場のほとんどを占めてしまうのです。私のような使い方(=本来の録音)をする人たちは、みなさん口をそろえて「使いづらい」と言ってたはずです。

技術的にはできないことではなく、新しく付加された機能よりむしろ単純なことなのに、それができない。
もしその機能を要求するなら、一部の「マニア向け」と称する「高級機種」に限られてしまう。
私の要求って、そんなに規格外なんでしょうか!?


「売れるものを作る=売れるものしか作らない」…無責任!

商品を開発するメーカーも、小売店も、ただ人気があって売れる商品一辺倒になってしまっています。
小売店は、扱っている商品に関する知識もない、修理する技術もない。かつての街の時計屋さんや靴屋さんは偉かった!
いまはみんなが代理店。ただ人気商品を仕入れてきて、並べて売るだけ…? 

そして製造元のメーカーも、販売店も、量産のラインに乗ったものを一定の数作って流せばいい。
新製品が出る情報は伏せて旧製品の在庫を一掃しようとする。

基本的なメカは旧製品と共有されて引き継がれていればまだしも、全く新しい方式のものがどんどん出てくるとそれまでの基本的な機能がどんどん消えていく。修理などのアフターケアも含めて、旧製品のユーザーへのフォローはほとんどない。
 
使う人のこと、道具を愛して長く使いたいと思う人の気持ちなどまったく関係なく、古い部品はどんどん一掃して新商品開発… いわゆる「売りっぱなし」状態…無責任ですよね!


クリスマスを過ぎると市場から消えるポインセチア…これも商業主義?

正月明ければ2月の「節分」で豆まき・恵方巻き一色、それが過ぎると「お雛さま」一色に…
秋になれば「ハロウィン」一色、ハロウィンが終われば「クリスマス」一色に…

デパートからコンビニまで、季節ごとの商戦は過熱する一方ですね。
しかし、「そのイベント」を過ぎると、本来あるはずのものが手に入らなくなる!

もう何年も前の話ですが、お正月にウィーンから生中継される演奏を届ける音楽番組「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」を何年か担当したことがあります。
ある年、ウィーンのコンサート会場ではポインセチアをメインに飾るとの前情報を受け、生中継を受ける東京のスタジオでもテーブル周りにポインセチアを飾りたかったのです。

ところが…

クリスマスを過ぎると花屋さんの店頭からはもちろん、卸しからも生産者からも、すべてのポインセチアが花の市場から消えるんですね!

真夏にポインセチアやシクラメンを要求してるわけではないんですよ!
(もしドラマの収録で季節外れのものを要求されたら、それこそ初めから造花で対応したでしょう)
それが、クリスマスからまだ1週間しかたってないのに、まったくどこにもない…?

クリスマスを過ぎて正月を迎える時に買う人はほとんどないから?…はい、必ずしも売れないものを店頭に並べてくれとは言いません。しかし、花屋さんから市場に問い合わせてもらってどこにもなく、生産者のもとにもないんです!
それも、100鉢とか大量の発注ではなく、ゲストテーブルの前にならべるせいぜい10鉢すらない。なんで!?

栽培農家に残っていたものもすべて焼却処分され、市場でも一切取引してはいけない、なんて禁止令でも敷かれてしまうのでしょうか!?

クリスマス前に鉢植えにされたものでも、わずか1週間で枯れてしまうなんてことはないはずです(←ポインセチアの赤く見えている部分は「花」ではなく「ガク」なので、けっこう長持ちし、以前私の実家で母が買ってた鉢植えは年明けの2月ごろまで元気でした)。

少なくともウィーンではステージいっぱいに飾られているものが、日本の市場からはクリスマスを過ぎたとたんにすべて消滅してしまうのは、あまりにも商業主義に走り過ぎてるのではないでしょうか?

しかたなく、その年は赤と白のバラをスタジオ一杯に飾りました!
常設番組の基本セットを使ったので、美術予算の大半を「花」にあてたのです。
巨大な花輪で“パチンコ屋さんの開店祝い”にならないように(笑)、テーブルやバックにちりばめて…

朝からスタジオ中がバラの香りで満たされ、匂いに酔う人が出ないか心配したほど。
でも喜んだのは出演者だけではありませんでした。お正月のその番組のために出勤した照明さん・音声さん・番組スタッフ(ほとんど男性)も、収録後はみなさんバラの花を抜いて紙に包んで持って帰られました。

災い転じてなんとやら…。私の現役時代の思い出のひとつです。
(業務上知り得た守秘義務はもうとっくに消滅してるので書かせていただきました)



このような私の価値観って、おかしいんでしょうか?
「売れるものしか置かない、それは当たり前じゃん」なんでしょうか?
驚いたり、嘆いたり、ちょっと文句を言いたくなるのは間違ってるのでしょうか…?

あまりにも市場原理・経済の原則ばかりが優先され、どんどん使い捨て商品を産み、画一化されたものだけとなり、人の想像力も精神的な豊かさも奪われてきたような気がしてなりません。

古いものだけに固執するつもりはありません。最新技術も素晴らしい世界を切り開いてくれます。
でも、モノと人との関係って何なんでしょう?
ただ売れるものを並べればいいのでしょうか?

本来のモノが持っていたはずの基本的な意味、備えていたはずの基本的な機能、それを使う人たちのモノへの愛着、そこから広がる想像力…

企業としての利益、商売の成立ももちろん大切でしょうが、人として大切なことを商業主義はどんどん奪ってきたのではないでしょうか?


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Akira様、長文のコメントをいただき誠にありがとうございます。

当方のブログでのコメントありがとうございます。

早速、訪問させて頂きました。

橋下 徹の件に関して、私もその通りだと思います。

3年半前、政権交代を行う民衆党に対して、「政権担当能力は赤ちゃんレベル」とよく言われていましたが。

結果は、やはりその通りでした。

橋下 徹代表率いる日本維新の会は、未だ生まれていないレベルです。間違いありません。

もう日本社会が低迷していくのはウンザリです。

日本国民もそろそろ人気投票レベルの感覚を捨てて、じっくりと今までの実績で一票を投じるべきです。

国民が賢くならないといけません。

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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