13年前の上尾警察署だけの問題ではない!

◆教訓が活かされない

埼玉県・桶川で起きたストーカー殺人事件をめぐる上尾警察署の対応、および事件直後の記者会見の異常さは、今さらながら多くの人の怒りを新たにしてくれた。
これは決して13年前に起きた“過去の出来事”として、また上尾警察署だけが特別に異常だったんだ、とは片付けられないように思える。

昨日も書いたように、今年2012年4月に起きた千葉(習志野)・三重・長崎にまたがるストーカー殺人事件においても、「ストーカー防止法」があったにもかかわらず、そのあとに起こるべくして起こった殺人事件を未然に防ぐことはできなかったのだ。
事件後にNHK総合TVの「クローズアップ現代」でも事件の経過を報じたが、警察のあまりにもお粗末で不誠実な対応、連携の悪さが事件を未然に防ぐ道を閉ざしたとしか思えない。
桶川事件の教訓がまったく活かされなかったのだ。

ストーカー殺人事件に限らず、警察の怠慢が凶悪事件に結びついてしまった事例を2つほど。いずれも今から5年前の2007年に、たまたま長崎で続けて起こった事件について触れておきたい。


◆長崎市長狙撃・射殺事件

2007年4月15日、長崎市長選挙が告示され、4選を目指す現職の伊藤と新人3人のあわせて4人が出馬した。
4月17日午後7時51分、選挙運動の遊説をしていた伊藤が九州旅客鉄道(JR九州)長崎駅近く(長崎市大黒町)の自身の選挙事務所前に到着した。待ち構えていた記者たちと会見を開く予定だったため、事務所スタッフが記者らに市長が帰ったと告げた直後の午後7時51分45秒(近くのNHK長崎放送局の気象カメラに2発の銃声が録音されていた)、男に銃撃された。

使用された拳銃は5連発式の回転式拳銃で、男は伊藤の背後から2発を発射し、2発とも伊藤の背中に命中した。男は指定暴力団山口組系水心会の幹部(会長代行)だった。逮捕された際、20発程の弾丸を所持していた。報道によると、市が発注する公共工事を巡って市を恨んでいた、あるいは自身の運転する車が市の発注した道路工事現場で事故を起こした際に車両保険が支払われなかったため、と報道されている。つまり現職の市長を恨む動機が暴力団にあったことは明らかだったということだ。

さらに、事件の直前に加害者の知人男性から警察に電話があり、「拳銃を所持して市長の選挙事務所に向かった」との情報を提供していたにもかかわらず警察はなんの対応もせず、事件は起きた。このことについて、6月27日の県議会総務委員会でも「警察の対応がまずかったのではないか」と議員らから批判された。


◆長崎・佐世保 猟銃乱射事件

同じく2007年の12月14日、長崎県佐世保市にあるスポーツクラブ「ルネサンス佐世保」で起きた銃乱射事件である。スポーツクラブ会員の男がクラブ内で散弾銃を11発発砲し、男女計2人を殺害、6人に重軽傷を負わせた。この事件の後、犯人は自殺。

この事件の前から、この男は深夜に猟銃を持ち歩いたり近所の家を訪ねるなど、奇妙な行動が目撃されており、近所の人が何度も警察に通報していた。だが警察は「それだけでは取り締まれない」と言ってなんの対応もしなかったのだ。

この事件のあと、銃規制の不備が指摘され、翌年銃刀法が改正された。それに付随して「いっそ銃の所持は全面的に禁止すべきだ」などという議論もあった。しかし、日本にはまだまだ熊や猪などから農作物や人の命を守るべく銃を所持しなくてはならない人もいる。またオリンピック競技にも公式に指定されているライフル射撃では自分の銃をもつ人もいる。
多くの一般市民には必要のない銃、一歩間違えば凶悪事件に使われる銃ではあるが、だからといってただ単に「全面規制してこの世からなくせばいい」という話ではないと思う。。

むしろ、現行の銃刀法(=銃砲刀剣類所持等取締法)においても、銃を所持するにあたっての許可の規定があり、鍵のかかるロッカーに入れて保管しなくてはならない、実弾を入れた状態で保管してはいけない、持ち歩く場合は布または革製のバッグに入れて銃が完全に見えない状態にしなくてはいけない…など細かい規定がたくさんある。
加害者の男は、深夜に散弾銃をむき出しに持って近所をうろついていた、などということ自体、立派な銃刀法違反だったのだ。

それを近所の人からも何度となく警察に通報されていたにもかかわらず、警察はなんの対応もしなかったのだ
。 
銃刀法の改正を論じる前に、警察の怠慢が問われるべきだろう。

さらに、その男がついにスポーツクラブで銃を乱射したにもかかわらず、警察の初動体制はどうだったのか? 
少なくとも事件が起きるまで、この男をマークするなどの警戒は一切していなかった。そして110番通報をしてから、いったいどの位の時間で現場にたどり着き、犯人の足取りを追って身柄確保に努めたのだろうか? 
犯人が市内の教会内で自殺しているのが見つかったのは「翌日の昼間」である。犯人が自殺したからまだよかったものの、もしかしたら第2・第3の犠牲者が出ていたかもしれないのだ。


その他、あとを経たない不可解な凶悪事件の数々。そのような異常な犯罪が起きるのには、加害者のような人格を形成するに至った社会的背景ひいては教育の問題も大きいだろう。
またどんな原因が周辺にあろうとも、犯罪の加害者に至ってしまった本人の責任はもっとも重い。

だが、犯罪の原因や加害者の人格形成責任はあるにせよ、凶悪犯罪から市民の命と安全を守るべき警察が、もっとちゃんと対応してくれていれば未然に防げたかもしれない事件も多いことは確かだ。


犯罪直後の初動体制と検挙率

最近の凶悪犯罪のうち、犯人自らが出頭して自首したケース、防犯カメラの映像や目撃情報が寄せられて犯人逮捕に結びついたケース、警察が独自に極秘捜査の中で犯人の身柄を拘束したケース、それぞれはどんな割合になっているのだろうか?…いま手元に最近の「警察白書」はないが、ぜひ近々調べておきたい。

殺人などの重大犯罪については時効がなくなったが、捜査期間に限りがなくなっても、やはり時間の経過とともに物的証拠も目撃情報も集まりにくくなっていくはず。
また未解決事件の多くは、所管する警察署同士のメンツの問題・組織のタテ割りなどが適切な判断を阻害したケースも見受けられる(例・グリコ森永事件など)。

警察内のメンツや組織の壁はとっぱらって、市民の命・安全と犯人検挙を第一に考えるべきだろう。
警察が秘密裏に犯人を追い、もうお手上げになりかけたころなって、わずかな証拠や犯人の服装・モンタージュ写真などを公開してももう遅い! 通行人が数ヶ月前、あるいは何年も前にたまたま見かけたことを覚えていられるだろうか?
比較的早期に犯人逮捕に結びついたケースの多くは、防犯カメラの画像などを早い段階で「公開」して情報提供を呼びかけたケースがほとんどではなかろうか?

単純に「警察が無能だ」と申し上げるつもりはないが、よほど秘守義務が求められる事件(例えば身代金目的の誘拐事件など)をのぞき、一刻も早く情報を公開して、広く一般からの情報提供を呼びかけるべきではないだろうか? 


警察の言う「適切だった」とは?

最後に、ニュースを見ていて腹立たしいのは、信号無視・飲酒運転・無免許運転といった不審車両をパトカーが追跡している間に、その不審車両が信号無視を繰り返して交差点に進入し、善良なドライバーの運転する車や歩行者を犠牲に巻き込むような事故を起こす。このような時、警察は必ず「追跡は適切だった」と言うのである。

以前世田谷でも、週末の深夜になると必ずと言ってよいほど暴走族が出没していた時期があり、246や環八あたりで数十人の暴走族を追尾して走るパトカーを何度も見ている。だが意外なことに、暴走族のバイクは大音響のわりにそれほそスピードは出していない。それをまるでマラソンランナーを追尾するかのように白バイとパトカーが一緒に走っているのである。本気で捕まえよう、一刻も早く停止させて危険をなくそうとしているようにはどうしても見えないのだ。

ふつうのドライバーがたまたまスピード違反、信号無視、一時停止不履行などによってパトカーに静止させられたらたいていは止まるだろう。だが、飲酒運転・無免許運転その他警察につかまるとまずい何かがあったら、なんとか振り切って逃げようとするはず。つまりその間、走る凶器ができるのだ。それでなぜ「適切」なのか?

彼ら警察の言う「適切」とは、「赤色灯をまわしてサイレンを鳴らし(=緊急車両扱い)、不審者を追跡したことは法律違反ではありません」という意味であって、「市民の安全と命を守り、悪を一刻も早く捕まえるための最善の方法」というわれわれの常識で考える言葉の意味とはかなり隔たりがあるようだ。
 
緊急車両扱いの車が不審車両を追尾していた時間、つまり「走る凶器を野放しにしていた時間」がどの位あったのか? 都道府県別の「平均追尾時間」を警察白書にぜひ出していただきたいものだ。

周囲の状況を良く見た上で可能な限り強制的に止める方法、もしくはナンバーさえ分かれば陸運局に登録されているデータから車の持ち主は特定できる。その時運転していた人間が車の持ち主とは限らないが、そのような違法行為を繰り返す人間に車を貸した持ち主にも責任はあるわけだし、車の持ち主から当時運転していた人間を割り出すこともできるはず。
とにかく「走る凶器」をただ形ばかりに追いかけてかえって危険な時間を伸ばすよりも、より「適切」な取締り方法はなかったのか、といつも思う。



こうした問題は、決して警察だけに限った話ではないような気がする。
全国の学校で起きている「いじめ」や「自殺」問題に対して、学校や教育委員会がどのぐらい親身になって問題解決に当たられているのか?

人の命にも関わる仕事に携わる人たち、その組織が、本来の使命や役割とはかなり違う方向に向いているのではないか、という危機感につながる。

そのためには、許すまじき対応に対して、一国民として、市民として、子供をもつ親として、有権者として、民間人として、ひとりの「人」として、筋の通らないことには正しく怒り、糾弾すべきは糾弾し、正していくことが求められていると思う。

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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

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