「決して一人ではない」

楽しい話題・美味しい話題・おもしろ画像などをアップするとすぐに「いいね」や「拍手」が来るのに、ちょっと真面目な社会的なテーマで書くとネット社会ではスルーされる、という現象について、あまり楽しい話題ではないのは承知していますが、もう一晩だけ考えて書かせてくださいね。


◆東日本大震災から

一瞬の津波で多くの命が奪われた東日本大震災。平和な日常が一瞬にして流され、子供を失った親、親を失った子供…その惨状には日本中がショックを受けました。

その犠牲者の霊をとむらうために、また1日も早い復興を助けたいという思いが全国・世界から寄せられ、さまざまな善意の活動が展開されてきました。
私も及ばずながら、音楽団体の一員としてごく限られた日程ではありますが、心をひとつにして音楽に祈りを込めました。

こういうみなさんの善意の力は素晴らしいと思います。日本中が命の大切さに改めて気づき、「絆」を大切にしようと。


◆一方で、毎年3万人もの命が…

大いなる誤解を生む可能性も承知の上であえて言わせていただきますが…

あの東日本大震災で亡くなられた命は、およそ2万5千ですね。
それに対して、毎年3万人を超える人たちが自ら命を絶っている。しかもその現象は過去14年間続いている、という現実を、皆さんどうとらえますか?

キリスト教の教えでは、せっかく授かった命を自ら断つということは最大の罪です。 
でも、不治の病、経済的困窮、いじめ…本人としてはどうすることもできない思いで自らの命を絶っていく現実は決して責められないと思います。
周りの友人も家族も気づく余地もなく衝動的に飛び込む、というケースもあるでしょうし、長年悩みに悩みぬいた末に疲れ果て、「自分の苦しみなんて誰にも分かってもらえない」「私なんてこの世から消えてしまえばいいんだ」という絶望の淵に立たされ…

それこそネット社会では、おいしい話題・旅情報・面白画像などが飛び交っている毎日がごく自然に流れている、その陰で…

皆さん自分の仕事・家族のこと・音楽の練習…それぞれ自分のことで忙しく、人様のことに関わっている余裕などないのでしょうか? 
仕事を離れたプライベートな時間は、せめて一時の楽しい話題にだけ走り、難しいことは考えたくないのでしょうか?
結局のところ、みなさん自分のことだけで「いっぱいいっぱい」なのでしょうか?

せめて社会の出来事、自分とは違う立場の人たちの苦しみにほんのちょっと目を向けて、なにか一言でもいいから言葉を投げかけることができたら、せめてブログへの記事で何か自分なりのテーマと向き合うことで、何らかのメッセージを彼らに届けることができたら…?

一人一人の力は弱く、どれだけのことができるかはわかりません。でもせめて「一人じゃないんだ」ということだけでも伝えられたら…そんな思いを抱かずにはいられません。


◆事件や事故の教訓が「わが身の問題」として活かされない!

震災であれだけ命の尊さがクローズアップされ、日本中が絆を大切に愛し合おうとしてもいいはずなのに、悲惨な事件や事故は後を絶ちません。

京都で無免許運転をして悲劇を起こした少年も、ネット社会に参加していた一人でした。サイトに「趣味:ドライブ」などと書き込んでいたといいますね。
たしかに18歳ならば教習所に通って免許を取得することのできる年齢です。でもサイトへの書き込みがどの程度のものだったのかは知りませんが、まわりの大人やネット上の知り合いの中の誰かが、「あれ?おかしい?もしかしたら無免許で運転しているのでは?」という疑問を持った人はいなかったのでしょうか?

そのほんの少し前には京都市内の四条河原町で、てんかんの持病のある運転手による悲劇が起きたばかりですし、 無免許少年の暴走による悲劇からわずか1週間とたたないうちに、朝の登校児童の列に軽乗用車が突っ込むという事故が千葉でも愛知でも起きていますし、関越でのバス事故も起きているのです。

どんなに気を付けていても人間には疲労もたまれば、一瞬の不注意もあります。人の過失だけを責め憎むことはできません。でも少なくとも、車は気を付けて運転していても一瞬の油断で走る凶器に変わる、ということをもう少し「わが身の問題」としてとらえていたら、防げたかもしれない事故もあったのではないかと私には思えます。

飲酒運転や無免許運転をするバカ者はもちろん許されません。責任は本人にあります。
ただ、その人たちの周りにも家族・友人・知人がいるはずで、さらにネット上でつながりのある人の声もあるはずなのです。
「させない・許さない」というまわりの目が防波堤になり得たかもしれない。ここでもやはり「決して一人ではない」ということが言えるのではないでしょうか?
 

◆社会の一員・世論の一部、という自覚 を!

教育は決して子供をもつ親だけの問題でもなければ、学校任せにできるテーマではありません。
勉強を教えたり集団生活やモラルを形成する多くの時間は学校で過ごすにしても、人として、社会を構成する一人として育っていくのを支えるのは、家庭や社会の大人たち全員です。

どんな仕事をしていようと、子供がいようがいまいが、社会を構成している大人たちが常識を守り、子供や青少年の規範となり、時におかしなこと・間違ったことをしている子供たちを見かけたらわが子と同じようにしかる・正すという姿勢が絶対に必要です。

ひと昔前には地域にいた「うるさいオヤジ」や「おせっかい」という文化も、社会を守っていく上では大切な役割だったように思います。

私は子供のころ、学校帰りに寄り道すると怒られましたが、いわゆる駄菓子屋(よろず屋)が大好きでした。休みの日にお小遣いを握りしめていくのももちろん楽しかったけど、学校帰りにこっそり寄るのがなんとも好きでした。サラリーマンが務め帰りに焼き鳥屋に寄る感覚に近かったように思いますね。
色々楽しいものを売っているだけでなく、面白い名物おじさんがいて、先生や親とは違った雑学をたくさん知っていて、面白くて、じつにうまいアドバイスもしれてくたりして、なんでも相談できる相手でした。私も年をとったら、地域でああいう形で子供たちと関われたら幸せだな~と(笑)。

今は、他人に関わって逆恨みされるのが怖いから、皆さん見て見ぬふりをする。他人は怪しい人・怖い人であることを前提に「知らない人から声をかけられたら逃げなさい」と子供に教える。毎朝家の前を通って登校していく子供たちに「おはよう」と声をかけると「変な人」という目で見られる。

つくづく嫌な世の中になったな、と思います。

そうした地縁的な人のつながり、いわばコミュニティが崩壊したようにも見える中にあっても、私は近所の人や子供たちに「おはよう」と言い続けています。幸いなことに「変な人」と見られることも今のところなく。
どんな世の中になろうと、自分はそれが正しい、やった方が気持ちいいと思うことは積極的にやる。一声かける。そうすることで周りも本来の人間としての気持ちを保ってくれる。こちらが信頼することで向こうも信頼してくれる…そういう相互作用が働くのが人間なんじゃないかと私は思っています。


◆ネット社会でも顔はちゃんと見える

現実の友達(職場やサークル)を「リアル友達」、ネット上で匿名でやりとりしている相手を「バーチャルな友達」という分け方をしている人も多いかもしれませんが、私はフェイスブックでもブログでも、「友達」になってくださった方とはリアルなお付き合いができる方たちだと思っています。

不特定多数に公開するブログはたしかに実名は必ずしも出さずにペンネームで公開していますが、オープンなコメント欄でのやりとり、鍵コメントでのやりとり、個別のメッセージ交換など、段階によっては実名で自己紹介し、地方に出かけたときやコンサートなどで実際にお目にかかって一献交したブロともさんも何人もいらっしゃいます。

むしろ職場や地域で顔を合わせるけど、音楽など共通のテーマでここまで深く話したことはない「リアル友達」も多い中、ブログを通じて知り合った友達とはお互い「初めて会った感じがしない」という方ばかり。

まあネット社会との関わり方、自分の個人情報をどこまで公開するかはみなさん人それぞれでいいでしょう。

でも、個人的な好み・娯楽・食べ物といった話題で「いいね」を付け合っているだけの軽い“ネット遊び”から一歩踏み込んで、社会で起きている現象・事件・時事問題について何かちょっと真面目に書いたときも、スルーすることなくちゃんと読んでくれて、賛同して下さると、とても励みになります。「ああ、(同じことを考えていたのは)一人ではなかったんだな」と。


単に自己満足を補完してくれるような意味で励みになるだけでなく、ある意見に対する複数の賛同(=必ずしも全面的な賛同でなく何らかの意見でもよい)によって厚みを増した記事は、単に独りよがりの「つぶやき」ではなく、社会に対するひとつの「意思表示」となると思うのです。
例えば被災地の方たちへ、あるいは病気と闘っておられる方へ、あるいは似たようなことを考えている方たちへ、何かを伝える「メッセージ」になります。

たまたま何かのきっかけでその記事にたどりついて読まれた方にとって、そこに何人もの「拍手」や「コメント」が寄せられれていたら、それは決して書いた人だけの勝手な独りよがりの「つぶやき」ではなく、複数の賛同を得た意見なのだ、と。
つまり「決して一人ではない」という厚みを増したメッセージとして、伝わるエネルギーも大きくなると思うのです。

ブログは不特定多数の目にも触れてしまうものですから、そこに実名でコメントを入れることに躊躇される方もいらっしゃるかもしれませんね。そういう方はたとえばイニシャルでもペンネームでもいいから入れてくださって、メールなどで「〇〇という名前でコメント入れたよ」でもいいのです。

とにかく、なんの弾圧も受けることなく自由に自分の意見を思ったまま表現して発信できる場を大切に、当たり障りのない面白画像や美味しい「いいね」だけでなく、社会の出来事に対しても忌憚のない意見を発信し、共感するところは共感し、交流する…という小さな力を積み重ねていけば、一気に「世の中を変える」大きな力にはならなくても、政治や社会の不条理に「NO!」という意思表示をしたり、悲惨な事件を防ぐことにも多少なりともつながっていく「世論」となっていくのに…と。

→ 関連記事「ひとりひとりの良識を発信しよう」2012.4.26
 
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同感です

第一楽章さん、おはようございます。

一人ではない・・・私も第一楽章さんに助けられましたね。悩んでいるとき、困っているときに誰かの存在を感じると、力になります。とても心強くなりますね。

他人事と思ってしまう・・・これは、もう小学生の時点で、こうなっている子どもがいますね。なぜなのか、よく考えているのですけど、一番の原因は親との関わりが薄いことでしょうか?そのため、周りの人を味方のように感じられず、いつも一人であると思ってしまうのではないか?と思います。

一人ではないと思うには、その前に親の愛情を受けられているかが大事なのかもしれないですね。
それから、自分のことと考えられないのは、自分が大事、他人はどうでもいい・・・というやはり親のしつけもあるかもしれません。

子どもが3歳くらいまで公園で遊ばせていました。そこで、よく耳にした言葉。「やられたら、やりかえしなさい。」
怖いですね・・・。自分がやられたら、嫌な思いをするわけです、その気持ちをどうとらえているのでしょう?相手もやられたら、同じ思いをするということが、わからないのでしょうか?そんなことも考えず、子どもに教えない親・・・。

いろいろと社会問題はありますけれど、根本的に問題を作っているのは、親であると私は思います。

私も子どもの頃を振り返ってみて、ご近所にいろいろと叱ってくれたおばあさんがあちこちにいらっしゃいました。
今思うと、おばあさん方から、いろんなことを学んだなあと思います。
私も、よその子が危険なことをしているとき、声をかけたりしますが、今はいきなり怒ると聞いてくれないので、やさしくあいさつをしてから、話しかけて、納得させるように言っています。
今の子どもは、ちょっと難しいですよ・・・親しくなってから、これはいけないと教えるのがいいようですね。


大人の意識をどう変えていくのか・・・
子ども以上になかなか意識を変えることは難しいです。
でも、前のブログで考えを変えてくださった方も少数ですが、いました。
第一楽章さんのように、ネットで発信していくことはとても大事です。
こうして、発信してくださっている第一楽章さんを尊敬しています。

一人でも多くの人が読んでくださるといいですね。
私も他の方のコメントを読んでみたいです・・・

長くなってすいませんでした。

No title

はじめまして

お話のように、適当に付き合いをし、かんじんなことでは一人に閉じこもるこが多いですね。
「小さな違い」を捨てて同一化して「群れ」ることが「楽」なのでしょう。
「違い」あるいは「差」に直面して行動するには「群れ」から離れる勇気が必要になります。なかなか難しいことです。

勇気を与えてくれるものは?
「群れ」が単一でないということを知らせてくれる別の意見の存在。

まとまらない話ですが。
いろいろなジャンルがあるようですので、おじゃまさせていただきます。
これからもよろしくお願いします。

Re: ありがとうございます

りーさん、そしてm.k.masaさん、コメントありがとうございます。
m.k.masaさんのブログも拝見しています。どうかよろしくお願いいたします。

とかく「あ、〇〇が一緒だね~」で友達になり、お互い「違い」が見えてくると遠ざかる…そんな人間関係が日本には多いように思います。

でも、人は本来ひとりひとり違うんです。違って当然なんです。それは何か特別な「障がい」の有無だけでなく、お年寄りと若者(年齢差)、男と女、上下関係など立場の差、助けを必要としている人と何かできることで助けたいと思っている人、何かが得意な人・苦手な人…etc. 

自分が実際に同じ経験をしなければ本当のことは分からないだろうし、お互い「違い」は歴然とあるんですね。どんなに仲良くなってもどんなに努力しても決して「イコール」にはなれません。そこは歴然とあっても仕方ないと思うのです。でも、それでいいじゃないでしょうか? もともと違うのは当然なんですから。

問題はその「違い」を認識したら、相手のことをもっと知りたいと思い、分かろうとする気持ち。そしてこちらのことも「表現」して「伝え」て分かってもらおうとする気持ち。そこで必要になってくるのが本当の意味での「コミュニケーション」ではないかと思うのです。

何かが一緒で、多くを語らなくても分かり合える共通の話題で盛り上がってお喋りに盛り上がるだけがコミュニケーションではありません。そして「違い」を知る(分かる)ことは差別でも偏見でもありません。
同種同類の者同士だけが集まって固まり、皆と同じであることを良しとし、自分たちとは「違う」人を避けたり遠ざけたり嫌ったり偏見をもっていじめる…そこが根本的に間違っているのです!

お互いが「違う」ことを前提に、その「違い」を理解し、認め合い、その上で「一緒にできることは一緒にやろうよ」と。それが「ノーマライゼイション」ではないでしょうか?
私のブログのカテゴリでは「コミュニケーション」と「ノーマライゼイション」というテーマでくくってますが、その両者はいわば表裏一体のプロセスじゃないかと思うのです。そしてそれこそが“皆と同じで安心”して固まろうとする「群れ」から脱却できる道ではないでしょうか?

ちょっと話が飛躍して聞こえるかもしれませんが、群れてばかりいる人は恋愛もろくにできないと思うんですね(笑)。
男女がお互いの違いを認識し、魅かれあい、相手のことを知りたいと思い、こちらのことも知って欲しいと願う。そして一緒にいられる時間を少しでも長く持ちたいと思い、一緒にできることをやりたい…まさに男女の恋愛のプロセスこそ、究極の「コミュニケーション」&「ノーマライゼイション」ではないでしょうか?

長々とすみません。今後ともどうかよろしくお願いいたします。

難しいです

読ませていただき、全体的に共感することが多かったです。中でも「◆一方で、毎年3万人もの命が…」に対して、特に個人的に思うところがありましたので、コメントさせていただきます。

人によっては、病、事故、経済的困窮、身内の問題など、本人の力ではどうしようもできないけれど、あらがえないものを背負わされてしまうことがあります。

誤解を生む可能性を承知であえて言わせていただくと、それらは、災害のようなものではないかと感じることがあります。何が起こるか分からない人生の中で、たまたま不運を背負わされてしまった。

孤独だし、本人が一番辛いのは間違いないと思うのですが、苦しみに寄り添う周りの人間も、忍耐が必要だと感じます。
「ひとりじゃない」、それをずっと孤独を感じ続けて育ってきた人に伝えるのは本当に難しいことだと思います。それは、自分がどこまで親身に寄り添えるか分からないから。本気で寄り添え続ければ、よほど強い人間でない限り、自分が壊れてしまう可能性もあります。そして、そういう人は、相手が本当に自分事として捉えているか、他人事として言っているかを冷静に見ていると思うんです。誰かのせいにするのは簡単だけど、それだけでは何も変わらないですし。

自分とは違う立場の人たちの苦しみにどう関わっていくか、当事者との関係、距離にもよりますが、本当に難しい問題です。

Re: 難しいです

m.s様

facebookからようこそお訪ねくださいました。
はい、相手の立場・気持ちとどこまで近づけるか、何ができるか…これは本当に難しいテーマです。

そこをあえて簡単に、考えすぎて悩むよりも、まず何かできることを探そう、せめてそばにいる人にだったら「大丈夫?」と一声かける大切さがあると思います。
ブログやフェイスブックだったらたまには真面目な社会的なテーマで思うところをつづってみる、そういうテーマで書かれている記事をみたらスルーしないで「いいね」のサインをワンクリック… そんな小さなことでも、何もやらないよりは…、という意味であえて書かせていただきました。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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