ひとりひとりの良識を発信しよう!


★ワードに綴った文書をコピペで貼り込んだところ、一つの記事があまりにも長くなり過ぎていたので、京都の無免許暴走事件に絡めて書いた“前段”の部分は、分割してひとつ前に置きました。


ひとりひとりの常識・表現が「世論」へと!

悲惨な事故・事件の話題に限らず、国会で繰り返されているような国民不在の利権と政権争いだけの醜い質疑、企業のわがまま、弱者いじめの社会制度…etc.

社会の出来事を見渡してみても、国民がもっと本気で関心と怒りをもってもいいはずのテーマ、おかしなこと、不条理は山ほどあります。

自分だけが矢面に立って旗を振り、仕事や家族を犠牲にしてまで闘わなくてもいい。
でもせめてもう少し考える・事実を知る・怒りを覚える・表現する、ということに目を向けても良いのではないでしょうか? 

今日のネット社会では、ブログ、ホームページ、フェイスブック、ミクシイ、ツイッターなど、個人が情報の発信元になれてつながれる仕組みがあふれています。
中東における独裁政権から多くの人を目覚めさせ、情報を共有することで大きな力となったのも、フェイスブックの仕組みによるところが大きかったのです。 


 
ブログなどに何か書くことを「つぶやく」と言いますが、決して寝言のようにつぶやくだけではなく、不特定の人にも見られる形で情報を発信しているのです。

アメリカの大統領秘書官や書記官(大統領のスピーチの文面を書いたり重要法案や政策の素案を考える人たち)は、何か重要なテーマについて考える際に必ずサイトなどを検索して国民の世論をリサーチしていると聞きます。

アメリカの大統領選は国民の直接投票ですから、日本とはまた違った意味で国民の意識・世論を把握し、国民に受け入れられる政策に舵取りをすすめる必要があるのでしょう。

日本の政府関係者・機関はそこまで国民の意識をつかむことを本気で考えているかどうかわかりませんが、もしたとえば今話題になっている事件、法案などのキイワードで検索してみると、ウィキペディアやそれぞれの専門機関が出している公式サイトももちろん出ますが、個人のブログやホームページにも驚くほど関連記事にヒットします。

それらを時々ざっと見てみるだけで、マスコミが何千人かを対象にアンケート調査を実施してその結果をまとめるのを待つまでもなく、ある物事に対して賛同・期待の声が多いのか、批判・反対のブーイングが多いのか、つまりおよその「世論」は分かるのです。

ブログなどに記事をアップすることは決して「無力なつぶやき」ではなく、まともな意見が集まっていけば「世論」となるのです! 電子メールによる署名活動だってあります。


◆軽い話題ももちろんいいけど…

私もフェイスブックをはじめて10か月、ブログをはじめて2年以上がたちます。日常のできごと・活動の紹介もあれば、社会的について思うところなどもいろいろとつづってきました。書くことで頭も整理され、自分なりの表現にも慣れてきたように思います。

冒頭にも書いたとおり、悲惨な事故・事件や腹立たしい政治家の話題は楽しくないのは確かです。美味しいもの・おもしろ画像・お出かけ情報などの方が、たしかに楽しいし、見てすぐに「いいね」や「拍手」を入れやすくて“お手軽”です。

誰かがアップした『おもしろ画像』(爆笑看板、勘違い画像、動物の可愛らしい画像…etc.)をワンクリックでシェアして自分のページにアップするだけなら、ほんの数秒でできます。

一方、自分の活動や日々の出来事を文章にし、撮影した画像も含めて「記事」としてアップするには、『おもしろ画像』をシェアするよりはるかに時間も手間もかかります。 
まして社会的なテーマについてある程度責任をもって書こうと思ったら、新聞などの報道記事、過去の事例などの資料を確かめながら書き、アップした後でも間違いに気づいたら訂正して正しい情報に差し替えます。

それは決して人に評価してもらうためでも、たくさんの「いいね」や「拍手」を欲しいためでもなく、あくまで自分自身の記録・確認の意味も含めて文章にしておきたいからやっているのです。   
 
とはいえ、何かを発信したらその反応も気になるのは事実です。

ちょっと真面目な社会的なテーマで書くと、軽いジョークの記事に比べてとたんに食いつきが悪くなる。…これはフェイスブックやブログを通じて経験的に感じるところです。

私には今現在フェイスブック上に360人あまりの「友達」がいるのですが、すぐに見つけて「いいね」やコメントを下さるのは、だいたいいつも決まったわずかな人からに限られているように思います。

それこそワンクリックの数秒の手間でシェアした“おもしろ画像”にはあっという間に何十人から「いいね」が入ります。また著名な誰かが「いい天気ですね。今日も一日頑張っていきましょう!」とか「今〇〇中、ナウ」みたいな一行記事を書いただけで何百件もの「いいね」が入ってます。

私ももちろん楽しい話題や軽いジョークも大好きで、水を差すつもりは毛頭ありません。
でも、「どうして、ちょっと真面目な社会的な話題を書くと、皆さん素通りするの?」という空振り感は残りますね。



私が20代の学生時代から、合宿に向かう車中で、あるいはコンパの席で、ちょっと真面目なテーマも交わせたらいいな、と思って話題を出すと、みなさん一瞬固まり、「まぁまぁまぁ、は~い、カンパ~イ」と。

同じゼミの仲間であるにもかかわらず、授業の時間を離れるとちょっと真面目なテーマで意見を交わすことすらできないのか…?  なんだかハグらかされたような感じになり、当時の流行り言葉でいうなら、「俺ってシラけた奴なのか?」と自分を責めたりもしました。

それに似た風潮が、いまの日本の社会全体の根底にもあるような気がしてなりません。

政治の話題でも事件の話題でも、特定の誰かを直接批判することにつながるから皆さんの美学であえて口にしないのでしょうか…?

「常識でわかるでしょ?」「みんなわかってるでしょ?」「みんなもきっと同じでしょ?」という暗黙の了解で「沈黙」しているのでしょうか…?

あるいは、自分があることに対して賛成・反対といった態度を明らかにすると、反論が飛んできてディベートになって面倒だから、かかわらないように避けるための沈黙でしょうか…? 

人前でなにか意見を述べた人もおそらく同じでしょうが、何も反応がないとがっかりしますよね?  
自分が出したことが100%正しくなくても、考える材料・きっかけになってくれて、「いいね」や「拍手」で賛同をいただく、別のちょっと違った角度からのコメントをいただいてそれにまた返す…その積み重ねによって、単なる個人の「つぶやき」ではなく厚みをもった「意見」へ、ひいては「世論」へとつながっていくと思うのです。


サイレントマジョリティ(=際立った言動には出ないが、なんらかの価値観・常識をもった静かなる群衆)の力を!

言わない美学…それは素晴らしい日本の文化とも言えるでしょう。

でももしかするとその『美学』が、表現力を磨くチャンスを逃し、ディベート下手、似て非なることとの混同、論理的思考が弱い、風評や感情論に流されやすい、問題解決力が弱い…といったことにつながっている面も否定できません。

また、あまりにもおとなしく、常識的であまり怒りを露わにしない大人が多い中で、ちゃんと常識のある人はいいのですが、ごく一部の非常識を野放しにする結果にもなっているのではないかと…。
 
ジャーナリズムの世界も、ただ視聴率・人気・コマーシャリズム的な商業主義ばかり目が向けられると、ひたすら大衆受けする軽いものに走りがちになります。
しかし一方で、事件の真相・ものごとの本質に斬りこみ、力に屈することなく独自に発信し続けることの大切さもあります。

それはマスコミだけに限った話ではないと思うのです。
個人個人が『発信者』となり得るネット社会。 せっかく統制されることなく入ってくる情報を自分なりにどう受け止め、自分の意見としてどう表現して発信していくか…?

ひとりひとりの良識の積み重ねが、どう社会に反映されていくか?
ネット社会ならではのメリットを生かして、いろんな意見があってもいいけど基本的な常識だけは確認しあって、社会をどう守っていくかにもつながるのではないかと…

皆さんはこのあたり、どう思われますか?


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黙っていられなくて

たくさん頷きながら読ませていただきました。いつもながらにティンパニさんのエネルギー溢れる文章には敬服します。
『どうして、ちょっと真面目な社会的な話題を書くと、皆さん素通りするの?』―その無力感、よく理解できます。軽~い話題で面白可笑しく笑ってハイお開き。人と思いっきり議論を交わすという文化は今の日本では廃れてしまっているのでしょうか?
でも、1対1だとそうでもないと思うのです。しっかりと自分の意見を持った人はそれなりにいらっしゃると思いますよ。また、そう信じたい。
ティンパニさんの記事内容とは若干ずれますが、『ニコニコ動画』ってご存知ですか?ぼくは正式にはこれの閲覧方法をよく知らないのですが、たまに誰かのブログか何かで紹介されているのを見たことがあります。初めて見たときに、映像に合わせて、どわーっと文字が流れて来るのにビックリしたことがあります。(ここの動画はそれを売りにしているのでしょうか)僕にとっては極めて邪魔に思えたのです。ただ、せっかくの映像を横切って云々以上に、そのコメント・つぶやきの内容や口調に、どんよりした気分を覚えたのでした。
感動のメッセージや応援のそれはまあ良いとしても・・・いや良くないなかな?例えば 『スゲーーーーーーーーーーーッ』としか書きようはないのか、と瞬間的に感じてしまうセンスの無さ。ましてや、けなすものについては静かなる怒りすら覚えてしまいます。
ひとは、顔がばれないと思うとこんな口調になってしまうのでしょうか。喩えが悪いですが、歌舞伎町の裏通りで酔って吐いてそのまま立ち去ったあとの吐しゃ物のようです。悪評高い2チャンネルなんかはこれの比じゃない気がします。その2チャンネルも覗いたこともありません。気分を悪くするのがオチですから。

Re: 黙っていられなくて

ジャッキーさん、私のふつふつとした思いにお応えいただき、ありがとうございます。
そうですね、この便利で高度なネット社会にあって、せっかくの情報発信・交流機能がちゃんと行かせているのか、そんなくだらないことのためにしか先端技術を使えないのか…と思うことがあります。

いや、「便利な道具の使いこなし方」という以前に、社会的な出来事に対してなんらかのショックを受ける感覚まではみなさんお持ちだろうと思うんですね。問題は、それをどこまでわが身の問題としてとらえ、どう表現し、社会に広めていく力になりえるか、です。ちょっと言葉を変えるなら「表現力の問題」だと思うんです。

昨年の秋ですが、中国の仏山で起きた女の子のひき逃げ・放置事件。
防犯カメラがとらえたショッキングな映像が報道された直後、2チャンネルなどではさまざまな話題が飛び交ったようですが、その中身は「わっキモっ」「中国人ってバカじゃねえの」といったレベル。情けなくなりますよね! そのことに怒りを覚え、この記事の「続きを読む」に書いています。→http://resolutely.blog6.fc2.com/blog-entry-364.html#cm

さすがに社会的な反響も大きかったのか、私のブログにも多くの拍手やコメントが入りましたが、まともな考え・表現できる人ももちろんいらっしゃることはわかります。
でも、社会で起きた事件や事故を、いかに自分の問題としてとらえ、どうしたらそれを防げるのか、を考えて発信していくことがせっかくのネット社会でもっとできたら、同じような過ちを繰り返すことを少しは阻止できるのではないかと…

あの無免許少年もネット社会に参加していて、「趣味=ドライブ」などと書き込んでいたというではありませんか?身近な人、ネット上の人いずれにしても、なんらかのメッセージをあの少年に届けることがもしできていたら…と。

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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