ごちゃ混ぜにしてはいけません!

善良なドライバーの「過失」と危険運転を一緒にしないで!


たび重なる車の暴走による悲しい事件。

これを、運転する皆が「自分自身も充分気をつけなくては」と受け止め、自分が加害者にも被害者にもならないように願い、お互いに気を付けることはもちろん大切なことだと思います。

でも、自分も事故を起こす可能性がないとは言えないから、危険運転に対して何も言えない、厳しく追及しない(できない)、というのは全く別の問題です。

善良なドライバーが充分気をつけて運転していても起こりうる「事故」と、ブレーキを踏んだ後もなく子供の列に突っ込むような悪質な危険運転をするバカ者が起こす「事件」とを一緒にしないでいただきたいのです!

私がひとつ前の記事で「殺人罪まで視野に入れて厳しく対処すべき」と書いたのは、一般常識・社会的モラルに欠ける悪質なドライバーに対してです。車の運転だけにとどまらず、人間としてのモラルに対して罪を問うべきだということです。



私もいちおう法学部の出身。学生のころは加害者が犯罪を犯すに至るまでの生い立ち・環境・事情も暖かく見つめて犯罪の原因をさぐり、社会に更生できる支援となりうる政策を最大限行い(刑事政策)、社会復帰を目指すよう支援すべきだ、といった議論をさんざんしてきました。
そして人間には必ず良い面もある、それを信じて待つことの大切さ、ひいては死刑制度を存続すべきか廃止すべきか、という議論も。

しかし、昨今の犯罪、おかしな事件を見ていると、あまりにも短絡的で、動機らしい動機もないまま、無差別に罪のない人間を悲劇のどん底に落とし入れるものばかり。そんな中、被害者のプライバシーは報道でさらされる一方、加害者(犯罪者)のプライバシーばかりが手厚く保護されているような空気さえ感じます。

被害者の気持ち、社会に対する示し…それらの現実を考えるとき、学生時代のゼミにおける議論は綺麗ごとだったんじゃないか、悪に対しては徹底的に厳罰をもって処するしかないのではないか、という気持ちが強くなっていることは確かです。



てんかん患者に運転をしないようにするのは「差別」ではない!

ついでに申し上げるなら、先ごろ起きた京都の事故(事件)は、てんかんを持病にもつ人の運転によるものでした。
最初にタクシーにぶつかった後、バックして再発進して歩道の人を次々にはねたと言いますから、決して運転中に意識を失った状態のままで起きた悲劇ではなかったことが分かっています。 パニックに陥ってしまったのでしょうか…?

死亡した運転手の家族は、「今までさんざん運転することをやめるように言ったのに、止められなかった。すべての責任は私たちにあります」と涙ながらにインタビューに応じていました。

ちょうど一年前、栃木県ではクレーン車が子供の列に突っ込み犠牲を出しました。やはりてんかんの持病のある運転手が不正に免許を取得して運転を続け、運転中に意識を失って起こした悲劇です。

この被害者の遺族が、持病があるにもかかわらずそれを隠して不正に免許を取得して運転することのないよう、30万人もの署名を集めて国に提出しました。国が一刻も早く動いてくれることに委ねられた状態です。ちょうど事故から1年、二度とこのような悲劇が起こらないようにと願っていた矢先の京都での事故だったのです。

★きのうこの記事をアップした段階で、私の認識違いで署名の数を「17万人」と記してましたが、今年の4月6日現在で署名は30万を突破しており、本文を訂正しました。



しかし、集まった30万人の署名に対して、一部の人たちの間から「てんかん病に対する偏見・差別だ!」という声が上がっていて、今後の活動展開にとって大きな壁になるという記事を読みました。
その方たちにお尋ねしたいです。

Q.「裸眼で一定の視力のない人は航空機の操縦はできない」というのは「差別」ですか?

Q.医者などの人命をあずかる仕事に就くには、それなりに厳しい勉強を経て国家試験に合格した者しかなれない、というのも「差別」ですか?

Q.もしあなたの家族に突然意識を失う持病のある方がいらして、その方が不正に免許を取得して、いつ発作が起きるかわからない状態のまま運転を続けていたら、それを喜んで続けさせますか?

Q.「偏見」「差別」といった言葉の意味を はき違えていませんか?



私も音楽を通じて、さまざまな障がいを持つ方たちの可能性を信じて、一緒に音楽をやる喜びと出会いました。
病気や障がいについて知り、その人にもできること、弱い点を理解し、助け合いながら「できることは一緒にやりましょう」というノーマライゼイションの素晴らしさを知りました。

もし、すべての車が教習車のように助手席にもブレーキペダルがついている。あるいは航空機のコックピットのように、助手席にもペダルやハンドルなどの運転機器が一式ついていて、いざというときには助手席の人が運転を代わることができる。…もしそういう車があったら、たとえ意識を失う可能性のある持病のある方でも、助手席にだれか運転できる人を乗せることを条件に、運転する楽しみを味わっていただくことは可能かもしれませんね。

でも、今の一般車にはそんな設備はないのです。もし運転中に発作を起こして意識を失ったらどうなるのか?
その危険を考えて「やってはいけないことはやらない」というルールを徹底すること。それは本人を守ることでもあり、社会の安全を守ることでもあるのです。

病気の人に対する「偏見」でも「差別」でもないのです。
病気の有無に関係なく、やっても良いこと・やってはいけないことの分別を持ち、しっかり守らなくてはいけない、ということです。「偏見」や「差別」の問題とごちゃ混ぜにすることなく、本質を見据えた議論をしなくてはいけません。


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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