生かされている自分、授かったものを活かす

◆親からいただいたもの

動物の中には、生まれてすぐに立ち上がって自分でエサを食べることのできる動物も数多くいる。
しかし人間はどうか?…生れて間もない状態では自力ではほとんど何もできない。おっぱいをもらい、布団をかけてもらい、おむつを取り替えてもらい…、そういうケアがなかったら、数日たりとも生きることはできない。
歩けるようになっても、喋れるようになっても、さらに小学校に上がるまでになっていても、自分だけではとても生きていけないのが人間である。

親の人格、家庭環境の問題、さらに親の性格など、子供を育てるのに必ずしも理想的な条件ばかりが揃っているとは限らない。中には幼少のころに虐待を受けたり、父親が飲んだくれだったり浮気して家に帰ってこなかったり、母親に何らかの問題があったり、精神的な病に侵されていたり、両親が離婚したり、貧困であったり…

そういった幼いころに受けた心の傷や、他の友達の親や家庭と比較して、どうしても自分の親に感謝できない、世話になったとは思えない・思いたくない、という人もいるだろう。
しかし、たとえどんな親であったとして、親としてのことを何もしてくれてなかったら、何日たりとも生きられなかったことだけは間違いない。

本当は親にもっとこうしてほしかったのに、あるいは逆に、そうはしてほしくなかったのに…ということも多々あるだろう。

親になるには、別に国家資格もいらないし、適性検査もない。誰でも子供ができれば親にならざるを得ない。 「親」もひとりの人間、当然色々な性格もあるだろうし、問題がないわけではないだろう。子供のことをどれほど分かっているか、子供との接し方が本当にそれで正しいか、といったことも当然あるだろう。しかし、自分の親がどういう性格の持ち主であったにせよ、自分が生まれてから今日まで、親からしていただいたことがたくさんあって生きてこられたことだけは事実なのである。

その事実を、いわばテニスコートのこちら側から向こうを見ているのではなく、向こう側に回って見てみる、あるいは全体を見てみることができたら…。


◆幸せになれない人、幸せになりたくない人、幸せだとまずい人…

親がこういう性格だったから、親がこういう接し方をしたから、家庭環境がこうだったから…「だから自分は不幸なんだ」、「幸せにはなれないんだ」と思い込んでる人がいる。

そういう人は、嫌いな親から頂いたものを認めようとしない。認めたくない。親にしてもらえなかったこと、親から多大な迷惑を被った部分だけをずっと恨み、引きずっている。だから自分自身を大切にもできないのだ。

もちろん幼少時代の体験は大きな影響があるし、親にも家庭にも問題があって、その人はある意味被害者で気の毒な面は否定できない。本人が気づいたときには「ひどい親」として恨むべき対象にしかなり得なかったのかもしれない。

しかし、そのままいつまでも被害者であり続けることが本当にその人のこれから先の人生にとって良いことなのかどうか…??

学校でいじめられたことも、勉強ができないことも、大人になってから異性とうまく会話できないことも、就職できないことも…自分が人生の場面ごとに、なにかちょっと思い通りにいかないことがあって壁にぶつかると、それをすべて幼少時代の体験に結び付け、親のせい、家庭環境のせいにして自分は被害者であると。

その人にとっては、もしかすると「自分は不幸なんだ」というレッテルを貼ることで、親への復讐をし、自分自身が幸福になれないことを人(親)のせいにすることで、自ら何かに真剣に向き合い努力することからずっと逃げ続け、自分自身の中に潜んでいる素晴らしい可能性や頑張ればできることをすべて封印し、粗末にしてきたのではなかろうか?

口を開けば捨て台詞のように「どうせオレなんかは」で、無気力であることも、周りを攻撃することも、自分のワガママもすべて「当然」で「しょうがないんだ」と…。

もしかすると、その人は自ら幸せになることを拒んでいる、というか、幸せであってはまずいのかもしれない。その人にとっては、自分が不幸であることがすべての言い訳の原点であり、それがすべての支えになってきたのだから、いまさら不幸な理由がなくなってしまったら困るのではなかろうか?

そういう思考回路でどんどん妄想の世界に入り、とんでもない凶悪犯罪を犯しても全く罪の意識すらない人物も現れる、そんな時代になってしまった。

そこまで極端でないにしても、多かれ少なかれ、人から受けた幸せ・愛を見失い、いや見い出そうとせず、受けられなかったことを恨み、それを理由に自分を不幸だと思い込み、自分に授かった宝物を活かそうとしない、自分を粗末にする、という過ちに陥りがちな人はけっこういるかもしれない。

まさに世の中全体が病んでいるような今だからこそ、「人」として大切なことをまず見つめ直しておきたい。


◆生かされている自分を活かす


自分自身がこの世に生まれ、こうして生きていられる事実、活かされてきた事実とまず向き合うことが原点なのだ。
そして、親も含め他人がどんな性格であろうと、相手にどんなに問題があろうと、自分に対して「していただいたこと」「迷惑をかけたこと」をちゃんと直視できて、感謝する気持ちが湧いてくれば、自分の命も他人の命も粗末にはできなくなるはずだ。

事実ときちんと向き合えば、感謝は「しなければいけない」のではなく自然にわいてくる。そして小さな自分にもできることを探したくなる。

素晴らしい生き方をして、人にも何かを働きかけようと思える原動力の根底には、まず自分がしっかり見えていること。そして「感謝」の気持ちをしっかり抱いていることが根底にあると思う。

(下の記事につづく)
→ あるストレスの物語


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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