あるストレスの物語

ストレスは、レーダーにも映ることなく忍び寄ってきます(?‥あ、それはアメリカの偵察機ステルスか‥笑)

ともかく、ストレスは気づかないうちにやってきます。その原因・表れ方・ほこ先が他人に向くか自分に向くか…etc.  それはその人の性格や、思考・行動のパターンによって様々ですが、いずれにしても現代は非常にストレスのたまりやすい社会とも言えるようですね。

私自身も決して他人事(ひとごと)ではありませんが、身の回りも振り返りながら、こんな形でストレスが蓄積されていくプロセスもあるのではないか?…ということをちょっと考えてみたいと思います。


◆人との関係を「貸し」「借り」で見る?

人はとかく「相手に失礼があってはならない」「相手を怒らせてはいけない」「相手によく思われたい」と願い、努力して自分の立場を守らなくてはならない場面にしばしば直面します。

自分が月謝やサービス料などの「対価」を払って、何かを「教わる」「受ける」立場ならば、受けるものが多いほどうれしいし、得した気分になります。
でも、そういう「対価」を払って「より多くを受けて当然」と思える関係を除けば、逆に相手から多くのものを受けっぱなしでは自分の立場がなくなってしまい、不安になります。

むしろ、自分から相手に多くを与え、相手になるべく迷惑をかけないように…。いわば、相手に「借り」をつくらないで、できれば「貸し」を多く作ることで安心しよう、という構造が心のどこかに知らず知らずにできてはいないでしょうか?
 
いうまでもありませんが、ここで「借り」をつくるというのは、相手にたくさん世話になり、相手にたくさん迷惑をかけること。つまり自分にとってまずいことで、ここでは「マイナス」をつくること、と言っておきましょう。
逆に、相手の方が迷惑をかけてきて、こちらがそれを我慢し、相手にはたくさんのことをしてあげて、与えている状態、つまり「貸し」をつくっているのが「プラス」の状態、という風にまずここでは考えてみましょう。

たとえば、待合せで約束した時間に自分が遅れて、相手を待たせてしまったら「マイナス1点」で、逆に、自分が先に着いていて遅れてきた相手を待っていてあげたら「プラス1点」です。
どこに行くか、何を食べるかを、相手の希望に合わせてあげたら「プラス1点」で、逆に相手がこちらに合わせてくれたら「マイナス1点」という具合に。

このように書くと実にいやらしく見えますが、子供のころから、人に迷惑をかけると叱られ、人に何かいいことをしてあげると褒められて育ったはずです。それがいわば常識として染みついているのでしょう。大人になって社会に出ても、ある意味とても誠実で真面目な人ほど、そういう貸し借りのかけひき勘定を知らず知らずのうちにやってはいないでしょうか?



◆「安心」と「ストレス」…その背中合わせの関係

このように、「借り(マイナス)を作らない」で「貸し(プラス)をたくさん作る」ことで安心を得よう、そして「誠実でありたい」と頑張り、それらが十分にできて、プラスの貯金がたまることで「よし、私は大丈夫!」という「安心」が得られ、それが自分自身を支えてくれていると信じて、ますます頑張ってしまう…

しかしこの種の「安心」は、本当にその名のとおり「心」が「安らぐ」ものでしょうか?

常に「借り」をつくらないように、もし相手に「借り」をつくってしまったらそれこそ大変なことで、それ以上のお返しやお詫びや言い訳で埋め合わせ、さらに努力しなくてはなりません。実に疲れることではないでしょうか?

これが、たとえば職場のかなり上の立場の上司、遠くに住む恩人、たまにしか会わない尊敬する相手など、やや距離をおける相手ならばさほど負担にも感じないかもしれません。ある限られた距離で、期間限定で、そのように誠実に尽くしている自分自身を作り、見せればいいのですから。

しかし、同じ職場内でもふだん顔を合わせる関係の相手、長く一緒にいる友だち、あるいは家族など、つねに身近にいる相手に対してはどうでしょう?

自分の「頑張り」とひきかえに、相手はちゃんとそれを「正しく」理解してくれて、認めてくれているだろうか?自分はそれなりの評価を得て、受けるべき待遇を受けているだろうか?…そんな「貸し借り勘定」のモノサシが、敏感な心の中で知らず知らずのうちに大きく成長してはいないでしょうか?
そして、知らず知らずのうちに「自分はこんなに頑張って、色々と苦労して、我慢してるのに…」という「不満」となって蓄積していきます。

ただでさえ人一倍努力してしまう性格に加え、なかなか通じない相手にもちゃんとそれを分からせなくてはいけない。…まるで、念力を出しながら全力投球を続けるようなものですから、そりゃ疲れて当然でしょうね。


◆なんか変だぞ、最近のオレ(私)!?

なにかを一生懸命やれば当然それなりに疲れます。子供のころの遠足や運動会、あるいはコンサートを終えた後に残るのは、達成感のある心地よい疲れです。喜び喜ばれ、幸せな気持ちを分かち合えた心地よい疲れならば、きっと心地よい幸せな眠りがもたらされるでしょう。

でも、先ほどから見てきたように「マイナスを作らないように」と頑張ってきてたどり着く“疲れ”はどうでしょう?

頑張れば頑張るほど、また頑張っていると自覚すればするほど、自分から相手にかける迷惑は少なくなっているはずです。仮に何か間違って迷惑をかけることはあるとしても、それ以上のことを自分は「してあげてるんだ」という自負に満ちているはずです。

そういう時って、気づかないうちに「ごめんなさい」「ありがとう」という素直な言葉が出づらくなってないでしょうか?

やや遠い関係の人、ある緊張感をもって接する相手に対しては、「すみません」や「ありがとうございます」といった形式的な丁寧な言葉は出ます。まさに「マイナス」を作らないためにも絶対必要ですからね。
でも、身近にいて、もっとたくさんのことをしていただいているはずの相手に対しては、自分の頑張りと引き換えに相手への「不満」の方が大きくなって、心から「ありがとう」や「ごめんなさい」が出づらくなっていないでしょうか?…そんな状態はちょっと要注意です。



「自分はこんなに頑張ってるのに」、「あなたのためにしてあげてるのに」、「あなたは何もしてくれないで、逆に迷惑ばっかりかけてくれて」…といったストレス(=マイナス)のエネルギーがたまり、それを口には出さないまでも、心のどこかに「けしからん」という攻撃材料となって蓄積されていきます。

「マイナスを作らない」ように頑張ってきた分、どこかにマイナス(負)のエネルギーが溜まっていく…「心のエネルギー保存の法則」と呼んでもいいと思います。

相手に対して直接攻撃をしかけなくとも、その無言の攻撃波は相手にもちゃんとキャッチされていることが多いようです。しかしたいていの場合、まことに残念なことに、本人が「分かってほしい」と願うのとは全く別の方向に相手は行動していくことが多いようですね。

というのも、相手も感情のある人間ですから。ストレスだらけの、こちらに対して不満ばかりを蓄積して攻撃のチャンスをうかがっているような人に向かって、心から「ありがとう」や「ごめんなさい」と素直に言えるでしょうか?笑顔が消え、暗い顔・攻撃的なまなざしを投げつけてくる相手に向かって、やさしい笑顔で接することができるでしょうか…?

「幸せ」と感じ、それを分かちあうような優しいまなざしで「してくれること」と、逆に不満やストレスといったマイナスのエネルギーを原動力に、何かを分からせるために「してくれること」とは、根本的な匂いの違いがあり、棘(とげ)があり、そこは敏感に察知されるのでしょう。

そうした不満やストレスを解決してくれるのは相手の側でしょうか? 相手がこちらの計算どおりに気付いてくれて、たくさんお礼を言ってくれて、大きく変わってくれて、充分な評価やお返しをいただけて…
はたして相手がそんな風にこちらの都合のいいように変わってくれるでしょうか? 自分自身をコントロールするのさえ難しいのに、人の心の中までコントロールして、人の行動をこちらの思い通りに変えさせることなんてできるのでしょうか?

しょせん不可能なことを期待し、相手にますます不満を募らせ、分からせようとし、ますます「ありがとう」や「ごめんなさい」から遠ざかる毎日へ‥‥ はたして、この無明(むみょう)の病み(やみ・闇)の行きつく先は・・・・?


◆アラカルト ~ちょっと「外観」を~?

ちょっと小休止! これからちょっとした実験に入ります。ひとり静かに、つぎの3つのテーマで考えてみてください。

まず1つ目は、あなたがある人に対して「してあげたこと」です。きっとあなたは、その人のためを思ってたくさんのことをしてあげたんでしょうね。その誠意が十分相手にも伝わり、喜んでもらえて、あなたが納得できるようなお礼・反応はちゃんと返ってきたでしょうか?

次に、その人に「してもらえなかったこと」を探してみてください。本当はあなたとしては、もっとこうしてほしかったのに、気づいてほしかったのに。でも、実際にはしてもらえなかったことですね。いかがでしょうか?
 
最後に「してほしくなかったこと」です。あなたにとっては嬉しくない、してほしくないことなのにされてしまったこと。…つまり「迷惑をかけられたこと」ですね。いかがですか?たくさん見つかりましたか?

…もしこんな思考を続けたら、人はどうなっていくでしょう?
まさに「内観」とは正反対の、パロディとしての「外観」ですね(笑)。
 
でも、ちょっと考えてみて下さい。もしかするとふだん頑張っている(と思っている)人の目から見える世界って、案外これに近いのではないでしょうか? 
こういう思考パターンでひとりどこかにこもって考え、あるいは毎晩寝る前に毎日反復する日々を重ねていったらどうなるでしょうか?

最近、会社でもサークル活動でも、辞めていく人たちの90%以上が理由の第一に挙げるのが「人間関係」です。なにかとストレスの多い社会、何をかいわんやではないでしょうか?


◆外観 VS 内観


「外観」は、自分の目から見える外の世界に向かって、自分の外面を飾りながら身構え、相手に借りをつくらないように仮面の中で駆け引き勘定をはじきながら接し、相手に何らかの見返りや理解を期待し、思い通りにならない相手に対して失望を重ね、不満を蓄積し、ストレスをため…、やがて自分自身も周りの人も不幸へと導いてしまう思考回路です。
「私は人からどう見られているんだろう?」は気になるところですが、自分の勘定の尺度で憶測することしかできません。

それに対して「内観」は、いわば自分の一見マイナスとも思える面(いただいてきたこと、迷惑をかけたこと)を発見し受け止めることによって、今までとかく「当たり前」のように受けてきた「愛」や「幸せ」に気づく思考です。

自分なんか愛されていないんじゃないか、必要とされていないんじゃないかと不安に思い、自分の価値も居場所も見失い、そんな状況を恨み、時には人を恨んだりした人も、「私は実はこんなに愛されてきたんだ」という事実に気づき、熱い涙で「悩みの根本」が溶けていくように感じるかもしれません。
あるいは、いままで気づかなかった相手の本当の気持ちが見えてきて、そんなに「分からせよう」と力む必要もなくなり、余計な力が抜け、気持ちの負担が軽くなるかもしれません。

いずれにしても、ストレス・不満・不安…といった病の根源が溶け、大きな「安らぎ」に通じるはずです。


◆マイナスからプラスへの大逆転

「プラス思考」という言葉がよく使われます。たいていの場合、積極的で前向きな発想で、自分にとってダメージともいえる「マイナス」要因を、自分にとっていい意味での「プラス」に転じる…そんないい意味で使われることが多いようです。

でも、そもそもプラスとかマイナスってなんでしょうか?
先ほどから見てきたように、生きていれば人のお世話になり、迷惑もかけるのです。それを素直に認めることができて本当の自分自身の姿を見つけたとき、心から素直に「ありがとう」や「ごめんね」が言えるのではないでしょうか?
そういう部分を「マイナス部分」として否定し、仮面の下におおい隠して見ないようにし、無理して頑張ることで、自分自身も気付かないうちに知らず知らずのうちに心にも体にも負担をかけているのではないでしょうか?

一方で先ほどから「プラス」として見てきたことというのは、人に何かをしてあげたり、自分が我慢して相手に合わせてあげたり、一生懸命に努力することですが、それはいわば自分の誠意や努力を相手に押し付けてきた部分とも言えないでしょうか?

それがかえってストレスの原因ともなるとしたら、果たして本当のいい意味で「プラスのエネルギー」と言えるでしょうか?

むしろ、一見「マイナス」と思える面、すなわち、できればあまり作りたくない・見たくない・認めたくない…と思ってきた部分に目を向けてみることで、自分が人から多くのものをいただき、迷惑もかけながら、生かされてきたことの「幸せ」に気づきませんか? 
その「幸せ」をきちんと受け止めたとき、感謝は「しなければいけないこと」ではなく「自然に湧いてくるもの」という感覚にならないでしょうか?

今まで受けてきたこと、自分がここに存在していること、自分にできること(能力やチャンス)が与えられている…。そこに気づいた時、人は自分なりにできることで何か役に立ちたいという思いに駆られるものです。それは決して「マイナス」なんかじゃありません。
満たされない自分を満たすために、不満というマイナスを埋めるために、無理を重ねてきたエネルギーとは全く異なる、健康的で前向きな、人を幸せにする笑顔のエネルギーでしょう。これこそまさに本当の意味での「プラスのエネルギー」といえるのではないでしょうか?

内観は、はじめは一見マイナスに見えるような面にスポットを当てながら、それを大いなるプラスに大逆転させるステージなのです!

(下の記事へつづく)
→ 内観 Q&A

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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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