我為人人、人人為我

「社会・時事に思う」のカテゴリーから一歩踏み込んで2つに分けて書いた「民主主義とは…?」。
何人かの方から早々にコメントをいただきありがとうございました。

もともとこの話題について書くきっかけを作ってくださった「アンコウさん」は、先日放送されたETV特集「おじいちゃんと鉄砲玉」についても私と同じ日に記事を書いてらっしゃいます。
「民主主義とは…?<2>」へのコメントにも書いてくださっているように、「個人 対 社会」を考えることにも通じますね。



中国のことばで 「我為人人、人人為我」というのがあります。

最近の中国は、密入国して犯罪を犯す、偽物を作って売りさばく、行列に割り込む…あまり好ましくないイメージも多々ありますが、人間としての教えや思想はさすが4千年の歴史のある儒教の国! 私もこの言葉は大好きな言葉のひとつです。

<日本語> 一人はみんなのために、みんなは一人のために
<英語>  One for all, and all for one
<ハングル> 전체는 하나를 위해, 하나는 전체를 위해

この理念は世界に通じます。どんな思想、どんな主義の国であっても、これは社会の理想的な姿と言えるでしょう。
国民ひとりひとりの命を本当に大切にしてくれる国(社会)だったら、きっと個人もその社会のためになることを何かして貢献しようと思うでしょう。

逆に、国民の命をないがしろにする国のためなんかに誰が死ねるでしょうか?
NHKのインタビューでこの夏(終戦記念日特集)に向けて、「あなたはお国のために死ねますか?」という質問を街頭でしたところ、ある若者は「国のために死ななければならないような国は滅んでしまえばいい」と答えてました。名回答だと思います!



去年の暮れから今年はじめにかけて、子どもたちにランドセル・文房具・お菓子などをそっと届ける「タイガーマスク・直人さん」運動が全国に巻き起こりました。  →http://resolutely.blog6.fc2.com/blog-entry-177.html

また3月に、受験会場で「知恵袋」に質問投稿したとんでもない予備校生が逮捕されました。たしかに試験会場から「知恵袋」に投稿すれば「不正行為」です。でも「知恵袋」をはじめとするネット社会の便利さは否定されるべきではありません。
むしろ質問に対して多くの人から匿名で回答が寄せられるシステムが流行る背景には、「誰かの役に立ちたい」と潜在的に思っている多くの匿名の人がいる、ということです。
私はその時こんな記事も書きました。→ http://resolutely.blog6.fc2.com/blog-entry-213.html

そして3月11日の東日本大震災。 このブログでも何度もご紹介したように、街ごと流された陸前高田市の避難所で、両親の行方も分からない中学生たちが壁に「命あることを喜びましょう」と書いてお年寄りたちを勇気づけました。彼らのキイワードは「せめて自分にできることを」でした。

その後、私の中でもこの「せめて自分にできることを」はキイワードになってきたように思います。好きな音楽の世界を通じて義捐金を集める機会にも恵まれました。

いま日本全国で、何らかの形で被災地復興のための「寄付」をした人は90%を超えるといわれています。でもまだその多くが被災地の人たちに届いていないというのが本当に残念で悔しいです。



なにを言いたいかお分かりでしょうか?
今の日本も、個人個人の素晴らしい気持ちは決して捨てたもんじゃない、ということです。
人のために何か役に立ちたいという思いは、ものすごいエネルギーを秘めているんじゃないかと思います。

でも、それがちゃんと活かせるしくみができていない。思いがまだ本当の意味で形になっていないのではないかと。 そのためには、ただ何となく「いいことをした」という自己完結のレベルから、もっと社会のしくみを皆で考えていかなくてはいけない段階に来ているのではないでしょうか?

自分のことだけで“いっぱいいっぱい”になってしまって回りが全く見えなくなると、人は我れ先にワガママな行動に走りがちになります。そしてそういう人のことをただ「けしからん」と思って傍観しているだけでは何も変わりません。

自分たちの気持ちをちゃんとした形で表現できること、おかしなことにはちゃんと正当な怒りを表明し、改善できるところは改善していく、人任せではなく社会について関心をもつ…etc.
そのために本当の意味での「民主主義とは?」を考えることが必要なんです。


~ちょっと言わせていただきます~

せっかくある頭を使わない(=それをバカと呼びます)

よく芸能人を集めて小学校の教科書から問題を出し、いい大人が何も知らない、いかにみんなおバカさんかをお笑いネタにしたような番組がありますね。本当に知らないのか、台本上で“おちゃらけ”、“天然”を演じているのかは不明ですが、私は申し訳ないけどあの手の番組が大嫌いなんです。

それは、みんな「知ってるか・知らないか」という知識だけでとらえている。記憶力がどんなにいい人でも、小学校で習っただけでその後まったく使っていないことは忘れて当然なんです。
9ケタの数字をその場で復唱して覚えていられるのは数分です。何か話をしたり仕事をして1時間後に聞かれたら覚えてないのが普通でしょう。

小学校で習った地図の記号の中で、「桑畑はどんなマークだったか?」なんていきなり聞かれても、ふだん使っていないことは忘れていて当然なんです。 でももし鉄道がかつて走っていた昔の地図を見る機会があって「あれ、このマークは何の農園だったけ?」と疑問をもって調べてみたことがあるとか、桑の木が枝分かれした「Y」の字をデザイン化したような形…と納得した人だったらすぐに答えられるかもしれませんね。

つまり、知識・記憶よりも、そういう素朴な疑問を感じ、考えてみて、調べてみて「なるほど」と思う…というプロセスが大切なんです。

パズルやゲームのような問題をいかに短時間で解けるか、といったことでIQ値(=頭の良し悪し)を競うようなことも多いですね。
でも、そういうゲームは超人的にこなせる若者が、頭は決して悪くないはずなのに、通行の邪魔になる通路にしゃがみ込んでたり、電車に先に乗ってまだ多くの人が後ろに続いているのにドアの近くで立ち止まったり…周りの人のことに全く無関心で、こういうことをしたら危険だな、迷惑だな、ということを全く想像できないんです。想像力がない、そして社会に対して目を向けていない、ということに尽きるでしょう。

電車でもう少し詰めて座ったらもうひとり余裕で座れるのにドカッと座っている人。ドア付近に人が大勢乗ってきて、せめて少し余裕のある車内側にもう半歩ずれて、ひとつ中のつり革に持ち替えてくれたら後ろを人がスムーズに通れるのに、頑として動こうとしないで押し返してくるバカオヤジ、よくいますよね。人がなかなか乗り切れずに発車に手間取り、その積み重ねて電車が遅れていくのには、そういう輩の影響も大いにあります。

また、自分の座っている両側の席が空いて、目の前にもし親子連れやカップルなど二人連れがいたら、すっとどちらかに寄ってあげたら二人並んで座れるのに…もしそういう状況で何もしないでど真ん中に座り続けていたら心苦しくて耐えられないと思うんですが…。夢中になってやってるゲームがテトリス(=落ちてくるブロックの向きを回転させたり位置をコントロールして詰めていくゲーム)だったりして…(冷笑)。

つまりよく見かけるそれらの現象は、決して頭の良し悪しではなく、せっかくある頭を人のため、社会のために全く使っていない ということなんです! そういう無神経・無関心な輩が増えることで、世の中には膨大なストレスが蓄積しているように思います。


知識ではなく、「考える」「思う」「感じる」ことの大切さ

放送に絡む仕事をしていても、今は図書館に行かなくても、専門機関に問い合わせなくても、たいていのことはネットで調べればすぐにいろんな情報が得られます。
むしろ記憶力を必死に鍛えて覚えるよりも、分からないことは調べればいいのです。前に習ったことが時代とともに変わっていることもありますが、調べてみれば最新の情報が得られます。

むしろ、ちょっとしたことでも「あれ?どうだっけ?」と疑問に感じて「調べでみる」という行動に出ることが大切です。

自分に直接関係のあることだけでなくいろんなことに興味をもって生きていれば、子供のように純粋に「あれ?どうして?これでいいんだっけ?」という素朴な疑問がわいてくるはずです。
 
何かを尋ねても、「あれ?どうだっけ?」と考えるポーズもまったくなく、「あ~、知らないです」「え?、わかんないです」と即答する方が時々いらっしゃいます。
「知ってるか・知らないか」だけのデジタル的な思考回路が“考える力”を封印してしまってるように思うんですね。

「あれ?なんだっけ?」「どうしてこれはあるのに、こっちはないの?」…と素朴な疑問を湧かせてみる…まさに“魚雷ギャグ”を思いつくような柔らかい発想がこれからの日本には必要なんじゃないかと思うわけです。 (←おいおい、結論はそこか~!)

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素敵な言葉ですね!
この言葉は私が通っていた小学校の校訓でした。
今、改めて聞くとあの頃とはまた違って深い意味の印象を受けます。
少しは成長したのかな(笑)
それにしても、締めが魚雷に笑っちゃいました。そうきたかー



プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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