民主主義って何…?<その1>

最近このブログにリンクさせていただいた「惨憺たるアンコウ」さんの記事で、立川市の市長選挙で投票率が34%(有権者数14万人)という惨憺たる事実について書かれた記事を拝読させていただきました。ごもっともな内容でした。
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-676.html

そのブログの管理者の方も私のブログ記事を垣間見られて、何か共通する思い・関心・テーマをお感じになられたようで、私のブログをリンクに貼ってくださいました。
私も昨年から書いてきた「豊かさとは…?」「社会・時事に思う」とも関連して、この機会に「民主主義って何?」についてちょっと書かせていただきたいと思います。

ただし、難しい“政治向きの話”としてではなく、小中学生のころからなじんできた(はずの)民主主義のごく基本的な原則をあらためて見つめ直してみる機会になれば幸いです。


センセイになってしまえば別の人

この下手な川柳は以前にも書きました。選挙までは白い手袋で街宣車から手を振り、街頭では現政権を批判していかにもやり手の政治家になるという志をアピールし、市民・子どものためを第一に…とご自身の名前を連呼されています。

でも、センセイと呼ばれる身になったとたんに、立場として与えられた権限をご自身が偉いかのように勘違いされてしまうのか、権力を振りかざしてわがままを通したり、横柄な言動をとったり、市民・国民の感覚とはあまりにもかけ離れた利権に走ったりする輩も出てきます。

われわれの代表として信頼して選んだはずの人が、まったく期待に反する言動をとったりしたら、それこそ「裏切られた」「とんでもない」「辞めていただきたい」という気持ちを抱くのは当然のことではないでしょうか?

でも、わりと熟年層の男性によく聞かれる声ですが、「まあでも、そういう人を選んだのはわれわれ国民だから…」とおっしゃる方がいます。なんと物分りのいい“大人”なんでしょう。
こんなにも優しい国民に支えられて、政治家の中にはとんでもない勘違いをしてしまうセンセイも出てきてしまうのではないでしょうか?

) 私がカタカナで「センセイ」と書く場合、ピアノやヴァイオリンや指揮者の先生のことではありません!


リコール制度について

車や電化製品に欠陥があって回収される話だけじゃありません。地方自治体において選挙で選ばれた公職の人、つまり県知事・市長・町長・村長(=首長)、および県議会・市議会・町議会・村議会の議員たちは、一定の有権者の反対意見によってその職を解任することができるのです。

<以下、ウィキペディアを参考に…>

地方自治法で定められた直接請求制度(直接民主主義)の一つで、法的には首長や議員、役員の「解職請求」、「議会の解散請求」と呼び、この二つを指してリコールという。76条から88条までに手続等が規定されている。
有権者の3分の1以上(ただし書きあり)の署名を集めると、地方議会の解散(76条)や地方議員、首長の解職を選挙管理委員会に、副知事や副市町村長、選挙管理委員、監査委員、公安委員会委員の解職を普通地方公共団体の長に請求できる(86条)。
議会の解散や議員、首長の解職請求の場合、有効であれば、請求から60日以内に住民投票が行われ、有効投票総数の過半数が賛成すれば、議会の解散や要職者が失職する。


このリコール制度は、いまのところ地方自治体に限られ、国会議員はその対象ではありません。まして、過半数の議席を獲得した与党の中から選ばれる総理大臣をはじめ、内閣人事で決まった大臣・閣僚などを国民からのリコールで降ろすことは今の議会運営上はできません。

しかし国会議員にもリコール制度を設けるべきだとする意見は見識者の中にもあることは事実です。そういう意味では、いまの日本は直接民主主義とはいえないばかりか、議会制民主主義のあり方そのものも果たして現状のままでよいのか、という議論もありそうですね。

中学生の子供にも分かりやすい“例え”として誤解を恐れずに言うならば、地方自治体の選挙は小学校でクラスの委員を選ぶようなものだと考えてください。それに対して国会議員は、中学や高校で「代議員」や「文化厚生委員」を選ぶようなものだと考えてみてください。各クラス(地域)からひとりずつ選ばれた○○委員が、各学年・全クラスからすべて集まって「委員会」を作るようなもの、それが「国会」だと考えてみてください。
そこでは、クラス全員(全校生徒)の意見を言う機会はありませんが、それぞれクラスの代表(=代弁者)として選ばれた委員たちがみんなの声を代弁して議論し、重要事項は決められるのです。
ただし、クラス代表として選ばれたはずの人間が不適格な行動をとったり裏切り行為で不正をした場合、それはリコールで降ろされて当然ではないでしょうか?


まず投票、そしてしっかり見極める責任を!

いずれにせよ、小学校のクラスで学級委員を選ぶ場合、クラス替えがあったばかりの1学期はともかく2学期以降であれば、よく知っているクラスメートの中から信頼できる人物かどうかで委員は選出されます。もしその委員がとんでもない悪いことをしたり、委員としての適性がなかったとなれば、それは選んだみんなにも“見る目がなかった”と言われても仕方ないでしょう。

でも、地方自治体の長、議員、あるいは国会議員を投票で選ぶとき、個人的にその人物をよく知って選べケースがどれほどあるでしょうか?
ほとんどが公職選挙法に基づいた政見放送を通じて、あるいは街頭で配布しているマニュフェスト(公約)や演説を通して、「この人だったら民衆の立場にたった声を代表してくれるんじゃないかな」と判断して選ぶのではないでしょうか?

ところが選ばれた議員や首長らが、マニュフェストとはまったく違う言動をとったり、一部の利権者のためにだけ動いたり、議会制民主主義を無視したような言動が目につくなら、それこそ有権者は「裏切られた」わけで、リコールを起こすのは当然の権利なんです。
個人的な感情論で罵倒したり怒るのではなく、議会制民主主義の原則に立って行動することこそが有権者に課せられた義務ではないでしょうか?

そして何よりもまず、投票にはちゃんと行くべきです! かつての自由民権運動で市民権・選挙権を勝ち取るために、どれだけの尊い血が流れたことでしょう? 無関心であること、行動を起こさないことは最大の罪です!


税金の使われ方にもっと関心を持とう!

わが世田谷区でのお話です。二子玉川の駅周辺をT電鉄会社が中心となって「再開発」する事業が近年行われましたが、そこに国・東京都・世田谷区を合わせてなんと700億円もの税金が投入されました!

「再開発」というのは本来、駅前などがごちゃごちゃしていて、個々の利権ではまとまった開発が困難な場所で、公共の利益を生むために公金(=みんなの税金)を投入してまとめて開発する、というもの。

もっとも駅前は公共性が高い場所である点、さらに一定以上の面積をまとめて開発する場合は公道などの線引きも変更できるため、たとえ民間の手によるものであっても公共性の高い事業として「再開発」の扱いになることは都市計画でも認められています。

でも考えてみてください。そもそも二子玉川駅周辺の土地は、長年遊園地だった広大な敷地をはじめ、T電鉄会社と資本系列を同じくする大規模小売店などがもともとあった場所。
対象となる区域内に個人で商店を営んでいて立ち退きをお願いしなくてはならなかったのはごくわずかです。 民間の電鉄会社が、ほとんど自分の所有する土地に自分でビルを建て、そのほとんどが収益を生み出すテナントです。なんでそこに700億円もの税金をつぎ込まなくてはならないのでしょうか?

このことに異議を申立て、怒りと疑問を呈したのが共産党系の人たちです。2年前だったか世田谷区長選挙がありました。そのとき、この二子玉川の再開発に巨額の税金を投入することに反対して立候補した人がいたんですが、大差で負けてしまい、この再開発を推進してきたK区長が再選されたのです。

人それぞれ色んな考え方があっていいと思います。このような税金の使われ方についても、「それはとんでもない!」と反対する人もいれば、「いいじゃないか」と賛成する人もいる。でも少なくとも税金の使われ方にはもう少し関心をもち、せめて選挙には行きましょう!

色んな考えの人がそれぞれ自分の思う意思で投票し、その結果わずかの差で賛成が多くてそういう結果になったのなら、私も民主主義の原則ですから納得します。
しかし、私の周りを見渡すかぎり、この税金の使われ方についてまったくと言っていいほど何もご存じない方がほとんどなんです!

地元世田谷に営業所をもつタクシーに乗った時、わずかな乗車時間にその話を運転手にすると皆さんすぐに「それはとんでもない話だ。けしからん。」とおっしゃるんですね(笑)。なのに何も知らされてなかったと。
タクシーの運転手さんや離れたところに住む区民だけではありません。まだ再開発が着手される前に地元・二子玉川のエリア周辺で反対ののぼり旗を立てていた商店の人に直接お話しを聞いてみたことがありますが、その店員ですら何もご存じないんです!
 
「高層ビルが建つと風が強くなったりして住環境が損なわれるから」…いや、そういう話じゃないでしょ!そんな程度の認識で“お付き合い”で反対ののぼり旗を立てていただけなんですね。立ち退き料さえもらえればさっさとのぼり旗を引っ込めて去っていくんです。

要はみなさんお金持ちで、どんなに税金を取られても平気で、その税金がどこでどう使われようと関係なく、社会のことに全く関心ない…ということなんでしょうか?
そんな意識だから投票率も低く、大手企業の利益と政治が見事なデュエットを奏で、それを支持する組織票もあって“圧倒的多数”で現職がすんなり通ってしまう! 
 


私は最終的にどっちに決まったか、その結論に不満があるのではありません。
幼少のころから親しんできた二子玉川が新しく生まれ変わるのはたしかに寂しかったけど、駅から雨に濡れずに飲食店やカルチャーセンターも入っている建物に行けて買い物もできる…時代のニーズに合わせておしゃれな街に生まれ変わったこと自体に反対しているわけではありません。

ただそこに700億円もの税金が投入されるという納得できない事実について、民主的な議論がまったくなされなかったということ! そうさせているのは他ならぬ納税者であり有権者でもある多くの人たちなんだということ。社会に対するあまりの関心の低さ・無知に対して腹が立つのです!

衆・参議員の選挙でもそうです。投票・即日開票の結果を見た翌月曜日の朝、電車で“いかにも私は真面目です”と言わんばかりに日経新聞なんかに無表情な目を落としているサラリーマンたちの姿に無性に腹が立ち、日本という国がつくづくイヤになるのです(笑)。

 
やや古い携帯だと途中までしか表示できないようなので…
<下の記事につづく> 

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同感です

まさに、
おっしゃる通りだと思います。
無知、無関心は
とても嘆かわしいものです。
今の日本は
そのような傾向になってしまっています。
なので、後の祭。
防げることも防げなかったり、事態が悪化していきます。
さて、
先日
映画「コクリコ坂」を観ました。
舞台は横浜。
引き継いでいきたいもの、
忘れたくない風景、建物、そして「人の心」
この時代の学生達は
自ら討論会を開き、
思想、理想を常に語り合い、闘っていました。
己の意見を持ち、
責任を持ち、
思いを貫く。
いつの時代も
「熱き心」引き継いでいきたいですね。

Re: 同感です

清水Hiroさん

コメントありがとうございます。
昔モルツのCMで「何も足さない、何もひかない」というのがありましたね。余計なことはしないで、ありのままじっくり…という意味での“高級感”を漂わせていました。
でも今の日本って「何もやらない、何も感じない」かな?

人としての感情、当たり前の筋、自分から提案できること…それらはいったいどこに消え失せてしまったんでしょうか?子どもを持つ親たちが、学校や地域のことであるにも関わらず「うちとどういう関係があるんですか?」ということを平気でおっしゃいますからね~。
関心がないことを、ただ無理やり勉強して関心をもてと言っても無理でしょう。どうしてこんな社会になってしまったと思いますか?

たとえば信号機があちこちに設置されるように、あまりにもルール(←主にバカ者対策として)ができ過ぎると、指図されること・やらなければならないことが増えますね。その反動で、言われたこと以外はやろうとしなくなる? 
あと「上から下」の命令にはしかたなく従うけど、「下から上」への提案はしてもしょうがない、やるだけ無駄、という考え方。たとえば電鉄会社でちょっとした案内の不備(簡単に改善できること)を提案しているのに、「あ~、はい、一応上には伝えます」とロボットみたいに対応する駅員も、原発問題で福島入りした政府関係者の会見も、私には同種同類の「無表情」に見えます。大きな組織の中で、自分にはどうせ権限がない・言っても変わらない… そこからついに考えること・感じることをやめてしまった人たち…?
このあたりについてはまた改めて考えて書いてみようと思ってます。

「コクリコ坂から」…まだ見てないけど、新しいジブリシリーズもいいみたいですね。ジブリは架空の世界ながらも、今の日本が見失ってはいけない人としての大切なテーマがあってジーンときますね。
いま主題歌で歌われている「さよならの夏」は、じつは1976年にドラマ「さよならの夏」の挿入歌で森山良子さんが歌っていたんですね。なんか前にもどこかで聞いたことのあるような…と思ってました。

その通り!

鉄道模型の記事など前から時々拝見してます。
いつも素敵な感性と、言われてみれば当たり前のことなんだけどとても的を得た文面に快感さえ覚えます。
やはり自分に関係あることを知識だけで追い求めてきた結果、今みたいな日本になってしまったんでしょうか?
「コクリコ坂」を例えにコメントされた方もいらっしゃいますが、人間として大切なことを守っていきたいと思います。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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