終戦の日に思う ~仲良くしたい隣の国 日韓関係~

8月15日

きょう8月15日、66年目の終戦記念日を迎えました。
戦争を直接は経験していない年代ながら、「多くの尊い犠牲をもたらしたあの戦争はなんだったのか?」を考えずにはいられません。

◆日本では「終戦」、お隣の韓国では「解放」の日

韓国のイ・ミョンパク大統領は、「日本は過去の歴史について次世代に正しく伝える責任がある」という声明を発表しました。
私もまったくその通りだと思います。
竹島問題なども絡めて、日本に対するけん制だととらえる政府レベルの見解もあるようですが、同じアジアの民族の血を分けた者同士、もっと人としての原点にかえって、そこは素直に認めるべきではないかと私は思います。

오늘 8 월 15 일, 66 년 종전 기념일. 전쟁을 직접 경험 하지 않은 년대 채 「 많은 귀한 희생을 가져왔습니다 그 전쟁은 무엇 이었다? 」을 생각을 떨칠 수 없다.
◆ 일본에서는 「 종전 」 이지만, 당신 옆에 한국에서는 「 해제 」의 일 한국의
리 대통령은 「 일본은 과거의 역사에 대해 다음 세대에 게 책임 있다 」 라고 하는 담화를 발표 했다. 나도 그렇게 생각 합니다. 독도 문제 등도 먹으면, 일본의 けん制 이라고 막아 정부 차원 전망 인 듯 보이지만 예 아시아의 민족 국가 들로 서, 더 많은 사람으로 서 원점에 오히려 그는 솔직 하 게 인정 해야 하지 않을까 생각


景福宮(きょんぼっくん) (2009年11月)

こちらは朝鮮王朝時代の王宮です。
ソウル市内の市庁駅のすぐ北にあり、訪れる観光客も多く賑わっています。
景福宮・広場

門を入ると大きな広場があり、伝統的な衣装に身を包んだ衛兵たちが交代勤務についています。
勤政門
奥に見えているのが勤政門、その奥に勤政殿があります。

勤政殿の前 韓国の衣装をまとった娘たち
勤政殿
この勤政殿の奥には厨房の建物や仕える者たちの宿舎が建ち並び、まさにチャングムの世界。


しかし今から14年前の1997年3月、私が2度目に韓国を訪れた時の景福宮は…

97年

この瓦礫の山、いったい何だと思いますか…?

ここにかつて、日本総督府の建物があったのです!

日本で例えるなら、奈良の東大寺の南大門を入って大仏殿に行くまでの空間、あるいは京都御所の清涼殿の前のような場所に、まったく異質のコンクリートの洋館風の建物を建てて、その国を統治しようとしたわけです。国の歴史も文化も誇りも踏みにじって…

14年前まではここにしっかりとその跡がそのまま残っていたのです。みなさんご存じでしたか?

★注
)「統治」のすべてが必ずしも「略奪」ではなく、経済支援・技術援助・インフラ整備・食料の自給体制の確立など、その国の発展に寄与した面も否定はできません。
そのことについては別項で触れますが、よりによって韓国の歴史・文化を踏みにじるようなこんな場所にコンクリートの建物を建てて統治しようとしていた、という愚かな事実だけは受け止めるべきでしょう。


日本人としての言い訳?

~太平洋戦争に至る道~


ここから書くことは、私たち日本人が、学校ではあまりにも習う機会の少なかった、明治維新以降の道のりです。アジアの中の日本がどんな道をたどって太平洋戦争へと突入していったのか。

歴史を多く学んできた韓国の友人からすれば、これでも「日本人として都合のいい言い訳」と映る部分もあるようです。日本も決して好き好んで太平洋戦争に突入したわけではなく、国際的な関係の中でしかたなかったんだ、と。
でも、それすらもきちんと学ぶ機会のなかった日本人があまりにも多いのではないでしょうか?

個々の出来事についてあったか・なかったか、どっちが悪かったか、日本はいいこともしたんだ、などと言う前に、ここだけはしっかり押さえておきたいと思うのです。


◆帝国主義と植民地政策
 

去年も今頃(8月7日)に 「ヒロシマ・ナガサキに思う」 という記事を書きました。

日本は明治時代の日清・日露戦争あたりから、中国やアジア方面に勢力を伸ばすようになります。ただそれは、単に日本だけが単独で希望して突き進んだ道ではなく、列強やヨーロッパ諸国の思惑や関係とも微妙に絡みながら…

ことに日露戦争は、ロシアがあまりにも中国や朝鮮半島に勢力を伸ばしていることを懸念したイギリス・アメリカが、当時「日英同盟」を結んでいた日本にもっとアジアで大きな力を発揮して欲しいという思惑もあったのだと思います。当時の風刺画にもあるように、イギリスによって差し向けられた小さな日本が、ロシアの火中の栗(中国)を拾わされた…といったところでしょうか。

風刺画

日露戦争を勝利へと導いたのが日本海海戦。世界最強と恐れられたロシアのバルチック艦隊も、オランダやイギリスの補給を絶たれ、途中で寄港することもなく疲れ果てて日本海へ戻ってきたところを、日本海軍にたたかれます。
たしかに日本の東郷司令官は優秀で、日本の艦隊も素晴らしかったのでしょう。でももしその直後にロシアが本気で日本本土に攻め入っていたら、当時の日本は物資も底をついていて、ひとたまりもなかったのです。

日本海海戦の勝利をもって日本の勝利として結ばれたのが「ポーツマス条約」ですね。…でも、ん? なんで日本とロシアとの戦いなのに、アメリカの港町で講和条約が…?
アメリカが仲裁役となって日本を勝たせてくれたようなものだと私は理解します。

日本国内では、日清・日露と大きな戦争で国力は落ち貧しい生活に耐えていました。でも戦争に勝ったのにちっとも豊かにならないじゃないか、と日比谷焼打ち事件や米騒動が起きます。
そんな日本国民にとって、目の先は樺太の南半分、朝鮮半島、中国…と外地への進出拡大へと向いていきます。

イギリスも東インド会社を作ったり中国への進出を狙っていました。先進国は植民地を広げることで世界的にもステイタスが認められるという「帝国主義」です。日本にも同じ同盟国として足並みをそろえさせ、アジアの中でリーダーシップをとれる強い国であることを求めたのです。

またアメリカは、極東の地に位置する日本に“よき協力者”であることを求めます。
幕末に黒船でやってきたペリーが日本に開国を迫った時の条件にも、水や食料の補給、寄港の権利…といったことが入っていましたね。
アメリカとしては日本を味方につけておきたい、日本にはアジアをまとめるぐらいのそこそこの力を持っていてほしい、そしてアメリカに対して寄港・補給などの面で 極東の拠点 としてアメリカのよき協力者であることを求めるのです。(ペリー提督の思惑も、今日の沖縄問題も、根本では同じでしょう。また協力者として足並みをそろえるという意味では、原発もまさに代表例といえるでしょう。)



日本は日清戦争以来負け知らずで戦えば領土は広がる、「強いぞニッポン」で沸き返り、軍部にとって都合のよい情報がメディア(新聞)から流れ、日本全体が“いけいけムード”に染まっていきます。

ところが、満州国の建設、日韓併合、南太平洋の島々もすべて大東亜共栄圏として植民地化…と日本があまりにも力を持ちすぎると、イギリスやアメリカは今度は日本を警戒して叩きつぶそうという方向へ転換します。先ほど触れたような統治の仕方に対しても反感があったのだろうと思われます。
 
アメリカが日本に最後通達してきた通称「ハルノート」では、日本古来の国土(今日の日本とほぼ同じ)に戻れ、植民地はすべて放棄せよ、さもなければ経済制裁を科すというもの。しかし当時の軍部も国民も、とうていそんな要求を受け入れるムードではなかったのです。

そこがアメリカの思うつぼ。日本が絶対に受け入れられないような条件を突きつけて経済制裁を科せば、日本はきっと戦争をしかけてくるだろうと。そうしたら叩けばいいと。



日本ももともと国力の差は分かっていたので、なるべく効率よく短期決戦をめざしました。
しかしいくらなんでも、トラトラトラの真珠湾攻撃をした山本五十六も、ちゃんと宣戦布告の打電をしたことを確認してから攻撃に入ったといわれています。

ところがアメリカ側は、翻訳に時間がかかったとか手違いで届いていなかったとか、所説ありますが、日本に最初の一発をたたかせるために発表を遅らせ、アメリカ全土に「パールハーバーを忘れるな!」を合言葉に「日本はひどい!」という戦気を盛り上げたとも言われています。

戦後の東京裁判では、日本が戦争を始めた責任者、いわゆるA級戦犯が何人か処刑されて幕引きとなってますが、じつはその第一人者とも言われている東條(条)英機などは、もともと天皇の意思に基づいて戦争反対、和平交渉の道を模索していたのです。軍部からも国民からも「(和平交渉なんて)腰抜けだ」とやじられ、戦争へと突入していく日本全体の流れを抑えることができなかったのだ、とも。

だとすると、あの戦争はいったいなんだったのか? A級戦犯とされた以外の多くの軍部関係者はもとより、戦争反対を唱えたり命の大切さを訴えようものなら「非国民」と非難した国民全体の熱気・群集心理、それを作り出した原因はいったい何だったのか…?

事が済んでしまってからごく一部の少数の人間だけを悪者に仕立て、ほかは知らん顔をしている。それもGHQ(アメリカ)によって裁かれたのであって、日本人みずからが日本の戦争責任をきちんと問いかけていない ように思うのです。

これが今にも通じる日本人の姿なのです。同じ同盟国だったドイツでは、ヒットラーの過ち・それについて行ってしまた群集心理の恐ろしさについて、子供たちにもきちんと伝え、ユダヤ人のいる諸国に慰霊の碑を建てていると聞きます。

それに対して日本は、いまだに日本の過ち(軍部・指導者、さらに国民の風潮なども含めて)について記述した文面を教科書から削除しようとします。国にとって都合の悪い話はひた隠し、国民の命よりも利害が優先する。
なんとなく風潮に流されて皆と同じ方向へと流れて行ってしまう群集心理の怖さ、メディアの本当の役割とは何か、強いモラルと信念に基づいたリーダーシップがなかなか取れない、国民の命よりも国・組織の論理が優先する…それらは今日の日本が直面する問題とも決して無関係ではないように思えてならないのです。


誰かひとりの独裁政権のもとで国民が苦しめられているケースもありますが、私は思うに、国のトップ(個人)だけが全面的に悪くて間違った方向に進むケースよりも、むしろ国と国との思惑・利権の対立、それぞれの正義と防衛を大義名分、復讐の感情…といったことで過ちが重なり合っていくのではないか、と。

だから戦争をはじめたきっかけとか、どっちが先に仕掛けたかとか、誰かが個人的に悪い、という議論はあまり意味がないように思うのです。
むしろ戦争という結果がもたらした無力な国民一人一人への傷跡、社会全体の責任、敵国だけでなく同じアジアの協力国に与えた犠牲…そういうことに目を向けるべきではないかと。


日韓併合への道

最後に話を日韓に戻しましょう。
ロシアの支配下にあった朝鮮(朝鮮半島全体をさします)は、日露戦争で日本が勝ったことで「解放」してもらえると期待したことでしょう。

ところが、終わってみれば日本が代わって支配する結果に。朝鮮としては同じアジアの血を分けた兄弟のような日本から裏切られたという感覚を強くいだいたことでしょう。

しかも日本の統治の仕方は、さきほどのような場所に日本総督府をつくり、「君が代」を歌わせ、日本語を使わせ、韓民族の言葉・文化も許さないというもの(=皇民化政策)。

さらに戦争に突入すれば日本人として駆り出され、日本人以上に過酷なことも強制的にさせられ、戦後はお詫びも保障もない!(政府としては和平交渉ですべて終わっていると主張するが、被害者や遺族には何のお詫びの言葉も保障もないのが現実)


安重根(アン・ジュングン)

初代の日本総督・伊藤博文をハルピンの駅でピストルで撃って暗殺した運動家の青年です。すぐその場でとらえられて、公安によってすぐに死刑となりました。

安重根

もともと安重根は日本に対して好意的で、日本のこともよく勉強し、とても頭のいい活動家だったと聞きます。もっとも本当に日本が好きだったのか、ロシアからの独立を目指す中で、日本に期待して近づいたのか…その真偽は直接知るよしもありません。
 
日本の支配統治が進むにつれて朝鮮内では抗日運動が起き、独立運動の機運も高まる中、安重根のような人たちは「親日派」、つまり民族としての“裏切り者”という目で見られるようにもなります。
活動家として民族の独立を求める安重根は左手の薬指を切断してその血で国旗に「大韓独立」と書いたエピソードもあります(上の写真の左手に注目)。

一方日本の伊藤博文は、決して力づくでの統治を望んではおらず、むしろ相手国の文化も認めて穏やかに統治する「文民統治」を目指していたのです。でも、当時の日本の軍部全体の流れを止めることができなかったのでしょう。
1909年10月26日、伊藤博文(暗殺当時枢密院議長)は満州・朝鮮問題に関してロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと会談するためハルビンの駅に到着したところを、安重根の発射した3発の凶弾に倒れます。

安重根はその場でとらえられますが、キリスト教徒であった彼は神に感謝して十字を切り「私は敢えて重大な犯罪を犯すことにしました。私は自分の人生を我が祖国に捧げました。これは気高き愛国者としての行動です」と言ったそうです。

しかし上告を認められることもなく日本の司法当局に引き渡され異例の早さで死刑が執行されます。
死刑になるまでの間に彼が書いた随想「東洋平和論」もむなしく、彼の死後数か月後には日韓併合がしかれ大韓帝国は消滅します。



今もソウル市内の南山(ナムサン)の下に安重根の慰霊碑があって、韓国では英雄としてたたえられています。
私はかみさんが学生時代にかかわっていた日韓学生フォーラムのOB会で97年に2回目のソウル訪問となったのですが、向こうの学生さんにその場所を案内され、あまりにも近代史を学校で学んでこなかった日本人として恥ずかしく、とても複雑な思いになりました。

おそらく彼らも、これからずっと将来もよき日韓関係で仲良くできる“友達”として、もっと日本人に歴史を知ってほしいという気持ちが強かったのでしょう。

「竹島問題をどう思うか?」とか「統治では日本の資金が流れたんだ」といった主張をするだけでは、しょせん今の政治家と同じ「自分の立場・主張の固執」になってしまいます。
歴史の事実は事実として受け止め、詫びる点は詫びる、ということが人間として大切だと思うのです。

仲良くしていきたい隣の同胞として、良い関係を次世代につなげていくためにも…


追記 (9月17日)

この記事を、留学で日本に来て以来、15年以上家族ぐるみの付き合いをしてきた韓国の友人が久々にわが家に泊まりに来ていたので見せました。日本人で、過去の日韓関係について口にする人は少ない中、「過去の日本の過ちを見つめよう」という趣旨で書いた記事を“嬉しい報告”のような気持ちで…

ところが、韓国側の目から見ると、この文面でも日本の正当性を主張しているかのように映ってしまったようです。
 
日本はヨーロッパ諸国との関係で “やむを得ず” 戦争への道をたどったんだ、ということが “言い訳” として映るようです。また “統治の仕方に問題があった” という表現にも、「いかなる統治も統治に変わりはない」と。

その韓国の友人も私よりも少し若い、つまり戦争を体験していない世代です。それでもやはり「やられた国」としての気持ちは日本人とはまったく違うんだということです。
「竹島」も向こうの人にしてみれば「独島/竹島」と表記すべきだといいます。

彼は日米の経済や貿易に関するテーマを研究していて、とても日本が好きで、留学時代からずっと日本には世話になってきたという感謝の気持ちをもっていてくれます。歴史に関する認識や国対国の過去についてはふだんあまり口にしないし、こちらからもあえて話題にしたことはありませんでした。むしろこういう話題は頭で考える理屈にせよ感情論にせよ、口にしたり文章にしたりしない方がお互いのためだと。



ところが私のこの記事をよくお読みいただければお分かりいただけるはずなんですが、
「日本もたしかに悪いことをした →でも日本にもいろいろ事情があったんだ」と日本を正当化するようなトーンでは書いていないのです。

「京福宮の瓦礫の山に見る日本の愚かな統治の歴史」→「明治以降の日本には、外国との関係の中で外に勢力を広げるに至る道のりがあった(それなりの事情もあった)けど」 →「相手国を踏みにじった加害者としての日本についてもっと知るべきだ」ということを伝えたいわけです。
15年前に彼の結婚式でソウルを訪れたとき、学生たちにアンジュングンの碑を案内され、あまりにも近代史を知らないことを恥ずかしいと思ったのです。

昨年2010年は日韓併合からちょうど100年目でした。NHKスペシャルでも5回シリーズで日韓関係を取り上げていて、5回すべてを観ました。

やはり仲良くしたい隣国との100年の関係を振り返り、日本が犯してきた過ちについても見つめなおし、反省すべき点は反省し、伝えていきたい…

そういういう意図でこの記事を書いたんだ、ということを伝えるのに思いのほか時間を要しました。

友人も最後に言ってくれましたが、どうしても用いられているひとつひとつの単語にさえ感情で反発してしまう。日本の事情は事情としてあるにせよ、やはり韓国には「日本に侵された」という感情が根強くあるのだということです。
戦争を知らない世代で、15年以上の“友だち”であっても、やはり両国の認識には相当な隔たりがあるということ、いかなる統治であっても統治であり傷はいえないんだ、それが戦争というものなんだ、ということをあらためて認識した次第です。

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レクイエム

高木さん
丁寧で大事な指摘ですね!
私はワールドカップの前後ソウルにホームステイしてました、韓国國樂の勉強のためです、宗さんという打楽器奏者の御宅でお祖母様が日本語ができました。
 「あなたがたは音楽を通して、両国になにがあっても仲良く共演して下さい」と言われました。
 韓国國樂団のメンバーとは何度も喧嘩もして朝まで飲んだりで兄弟仁義を交わしました。
 政治家やマスコミが何を行ってもどういう時代になっても、友達を大事にするつもりです。
 私は中学の頃、パンヨーロッパの啓蒙者のクーデンホーフカレルギー博士(光子さんの次男)とお会いして話したことが原点になっています。
 アジアがユーロのうになって欲しいです。

Re: レクイエム

仙堂先生

さっそくのコメントありがとうございます。
そうですか、ソウルでのホームステイでそんな素晴らしいことがあったんですね!
「政治家が何を言っても…」本当にその通りだと思いますね。
国のトップや組織がどうであれ、両国の国民同士がすべて“友”になっていたら、戦争なんて成り立たなくなるんじゃないのか?…と単純に思ってしまいますね。
でも実際に戦争になってしまえば、「友達同士なのに戦わなくてはいけない」…これが現実でしょう。

国の指導者となるべき人(選挙で選ばれたセンセイ)も、まず一人の人として、世界中にたくさんの友をもつべきです。そして民族を超えて人の気持ちの分かる人であるべきです。

私も近代史を学校でしっかり習った記憶がなく恥ずかしいことに日本がしていたことをあまり知りませんでした。
日本史、世界史の授業も新しい時代から勉強をできると最近のことと入りやすく、そこから遡って授業を進めていってほしかったななんて思います
三学期になると大抵授業が遅れていて後は読んでおいてとさっとすまされることが多かったからです。

Re: タイトルなし

石川さん

そうなんですよね。縄文・弥生・大和朝廷…から始まる“日本のルーツ”ももちろん大切ですが、もっと我々にとって身近な近代史を別枠ででも設けるべきだと思いますね。
もしかすると、戦後の義務教育の中でそこに触れることを避けてきたんじゃないかとさえ思えます。いまだに文部科学省(背後には日本政府)は、日本にとってまずいこと・恥ずかしい歴史はもみ消して封印したい、ということが教科書検定にもありありと見えますよね。誰も今の政権に責任を追及なんてしようとしてはいない。過去の日本の指導者、軍部、さらに国民全体の風潮…そこをちゃんと直視して反省すべき点は反省する。そういう部分を避けて通ってきた結果が、今の無責任大国・日本なんじゃないでしょうか?

最後のご友人とのエピソードを本当に悲しい気持ちで読ませて頂きました。

戦争とは、それを経験せずとも世代を超えて未来永劫なんらかの悲しい影響をもたらすのだな…と。
そこには、取り去ることの出来ない「血」の記憶が残っているのですね。

Re: タイトルなし

真理子さま

真剣に受け止めていただいてありがとうございます。その韓国の友人家族はついこの前も来日されて我が家に止まっていかれました。「韓国の人たちは、どうしてもその話題になるとかたくなになってしまう面がある。章さんの言わんとしていることに怒ったわけではない」とおっしゃってました。

つまりそういうことなんです。両国の論理はどこまで行っても平行線であることにはかわりないのです。
今年はイミョンパク大統領みずからが竹島に上陸したり、天皇が韓国訪問するのなら開放運動で亡くなった人の遺族に心から謝るべきだ、と発言されたり、より具体的な言動が目立ちますね。

日本に対して、今さら新たな保障を求めたり、責任追及しようということではなく、きちんと過去の過ちは過ちと認め、正しく歴史を語り継ぎ、同じ過ちを繰り返さないよう、現代人のレベルできちんと人としての気持ちを表せ、ということなんでしょう。こちらは加害者であった面はたしかなんですから。




プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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カウント開始 2011.1.14~
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