いまこそ 政治の茶番から目覚める時!

最近はじめたFacebookでもよく目にするのが、政治の茶番劇。いったい国会はいつまでも何をやってるんでしょう?

あまりにも腹立たしくて私はあえてブログに書く気にならなかったのですが、いま国民的な怒りともいうべきテーマに言及しつつ、ことの本質にも目を向けたい思いに駆られます。

政治家同士が批判だけしていても国会は空転するように、われわれも単に政治家だけを批判しているだけではいけない。 表面的なことから、その背後にある「そもそも…」の本質へ、そしてわれわれは今何をすべきかへ…


多すぎる日本の国会議員

まずは今の国民的な怒りとも言うべき、日本の政治を斬りましょう(笑)!

国の成り立ちや政治の仕組みが違うので単純に比較はできないかもしれないが、
アメリカの人口は3億1200万人(2011年現在)。
それに対してわが日本は1億2000万人、半分以下である。(しかしあの広い国土のアメリカの半分弱も人がひしめき合っている、ともいえるが… )

その人口に対して、アメリカの国会議員の数は、上院が100人(各州から2人×50州)で、下院は435人。10年ごとに国勢調査による地域ごとの人口配分に応じて決められるが、上院・下院合わせて535人である。

それに対してわが日本の議員のセンセイ方は、衆・参両議員合わせて727人もいらっしゃる! 単純に人口比率で考えたら今の半分以下でもちょうどいいのだ。

しかも、アメリカの議員報酬は「一般の労働者の平均的給与を上回ってはいけない」、つまり働く人々の平均より高い報酬を受け取ってはいけない、と規定されていたように思う。まったく無償でボランティでやれとは言わないが、労働賃金の平均を上回ってはいけないのである。

それに対してわが日本の国会議員は、「特別公務員を含むあらゆる公務員の給与を下回らない報酬」が保証されている。しかもこの報酬以外に、さまざまな特典・手当がつくのである。

日本で一度当選してセンセイになったら、そうそう簡単には「辞められない」のではないだろうか?
世のため・人のために自分の英知を使って役に立とう、という高い志をもって政治家に立候補する人も大勢いらっしゃるはずだが、一度なってしまったらどうしても保身に徹したくなるのもうなづけるような気がする。


目にあまる茶番劇 !

先週の不信任決議案をめぐる一連の茶番劇には、国民のだれもがうんざりし怒ったと思う。

「被災地復興」を大義名分に掲げ、「今の菅内閣では日本の将来のためにならない」とまで言い切って不信任決議案を持ち上げた谷垣氏率いる自民党。

国民は前の総選挙で、長年自民党のやってきた政治腐敗にはうんざりして「ノー」という結論を出したのです。
その後政権をとった民主党(鳩山内閣)が沖縄問題をはじめ責任ある役割を果たせたか、という問題はたしかにある。今回の原発事故や被災地支援策について、菅内閣の対応には批判を受けてもしかたない面は確かに多々ある。 私も決して今の民主党が正しいか、好きかと聞かれたら、正直のところ「NO」である。

しかし、自民党の谷垣氏は、口を開けば青筋立てて声を荒げて現政権を批判することしかしない。批判だけなら誰にでもできる!最近とくに谷垣氏の人相は悪くなったように見える。
内閣不信任案を通して、この時期に組閣をやり直そうなんて、本当に被災地のことを第一に考えていると言えるのだろうか?

仮に解散総選挙となったら、避難所となっている学校の体育館で投票をしろと言うのか?
不信任決議案をめぐるだけで何十時間もの時間を費やしたはず。もし組閣だなんだとなれば、原発対応も支援策もどれぐらいストップさせるつもりなのか?
被災地の毎日は「待ったなし」なのに!

自民党がどさくさに紛れて政権を狙おうとする動きだけでなく、民主党内部でも小沢氏に近い人物がかなり揺れ動いた!
だいたい議員資格停止処分を受けている身であるはずなのに、なんであんなに動けるんだろう?

次の代表選に向けても動いているようだが、まずは「政治とカネ」にきちんと釈明してからものを言うべきでは?強制起訴されて法廷に舞台が移れば、明らかに有罪である証拠がそろわなければ「有罪」とはならない。「疑わしきは罰せず」で法律的には無罪になる。それを狙っているのだろうか? しかし法的な有罪かどうかより、政治家として国民からの信頼はどうなんだ? 法廷で「有罪」を立証できないから「無罪」なんじゃなく、もし本当に無罪だとおっしゃるなら、証人喚問でも政治倫理審査会でもとにかく本人が出てきて身の潔白を自ら証明する姿勢があってしかるべきではないのか?

まあいずれにしても、これだけ党の内外だけでなく社会・国民の批判を浴びながらもなおあれだけ動いて人を動かせる…やはりそれだけ政治とカネの力は歴然とあるんだ、ということを証明しているようなものではないか?

それになびいて不信任決議案に「賛成票」を投じた民主党議員たち。「(不信任決議案に)反対できない」と決議の前に辞任した閣僚… 一丸となるべき民主党として、というより一人の政治家としての倫理観、議員としての資質が問われてしかるべきだろう。


不信任決議案、その後の行く末は… ?

さて不信任決議案が否決され、本来あるべき国民のための政治、被災地復興に向けて稼働してくれるかと思いきや…?

不信任決議案をぶつけたことで菅直人に「しかるべき見通しがついたら若い人たちに責任をゆずる」というひと言を言わせた。「そのことに意義がある」など政治の駆け引きでほくそ笑んでいる輩がいる。

そして「しかるべき見通しがつくまで」とはいつなのか?…言った・言わない、6月いっぱいなのかはたまた秋なのか…まったくレベルの低い議論をいつまでやっている!国民のための政治なんか誰も考えてなくて、椅子取りゲームに目を輝かせているハイエナ集団のようだ。

東日本はそうそう短期に「見通し」なんて立たないから、向こう数年かかるかもしれない。最低限のルールを作ったら…という意味かもしれない。でも少なくとも「今」は責任を果たす、と言っているのだからいいではないか?なぜそれが「無責任」なのか? 「やがて辞める国の代表じゃ海外からも信用されない」…それじゃ自民党政権の終わりにほぼ毎年のように首相が代わってたのはなんなんだ!?

今現在のトップの意思決定や判断がまずかったら、そこは批判して大いに議論を戦わせればいい。色んな意見があって成り立つのが民主主義なのだから。
とにかくいまは国民が一丸となってベストを尽くさなくてはいけない時期のはずだ!



◆日本はいま試されている!

さて、政治の茶番への怒りからちょっと視点を変えて…

東日本大震災が起きてから、国民ひとりひとりの意識も少しずつ変わってきたように私は思う。

競争社会・不景気・就職難…そうした中で人々はとかく自分のことだけで「いっぱいいっぱい」になりがちである。
大きな災害や社会の混乱が起きると、人間はいろんな本性を現す。自分のことだけ考える人間は、風評に流されて短絡的な行動に走ったり、「~~したらどうしよう?」と不安にかられ、パニックに陥ったり…

しかし、私のこのブログにも3月からたびたび書いてきたように、「こんな時だからこそ」「自分に何かできることはないだろうか?」という目を向けることで、その人の中に眠っていた素晴らしいものが呼び覚まされる。

まだ震災が起きる前にも、全国的にランドセルを寄付する「タイガーマスク運動」が広がっていた。
そして3月の大震災。あまりの被害の大きさに目を覆い、声も失い、不安が押し寄せた。
でも日がたつにしたがって、渋谷では夜遅くまで遊んでたむろしていた若者たちに代わって、街頭募金を呼び掛ける若者の声が響いた。
ボランティアが渋滞を起こすほど集まり、あちこちでも復興支援に向けた募金活動も広がってきた。

人にはそれぞれ「何か役に立ちたい」と願う本能がある(=細川佳代子さんの言葉)。


◆善意の向けどころ ~思う・考える~

最近、ある音楽活動の仲間のひとりとじっくり話す機会があった。彼は長年手がけてきたさまざまなボランティア活動の輪を広げ、宮城県の復興支援に向けたさまざまな取り組みを模索していることを知った。

その人いわく、みんなそれぞれボランティアをやりたい、という意欲はたしかにある。しかし、被災地の現状はどうなのか、何を求められているのか、逆に何は迷惑なのか…?それが分からないまま、ただやみくもに行って、自己満足だけで混乱させるのは困ったものだ、と。 たしかにそこは気をつけないといけない。

せっかくの思いも、単に自己満足のカラ回りに終わらせないためには、相手の状況を知ること。自分の立場、相手との違い、何を求められているのかを考える、ということがとても大切だと思う。

それらは知識を詰め込んで覚える「勉強」、「知ってる・知らない」では得られないこと。
相手のことや今の状況を「思う」・「想像する」・「考える」ということだ。

相手の状況を理解し、自分と相手の違いを知り、こちらの意思・気持をきちんと伝えること。そして相手と共に生きられる接点を探していくこと。

それらは、私がこれまでにも書いて来た「コミュニケーション」や「ノーマライゼーション」とも共通するテーマが根底にあるように思う。
視覚障害のある方にも「大丈夫ですか?」などと一声かけ、相手が何を望んでいるのか、何に困っているのかを知ること。そしてできることから発信し、相互に理解し伝えあっていくこと…まさにそれと同じプロセスだ。


◆いま求められるのは 「仕組み」をつくること

私もオーケストラ活動を通じて2つの大きなコンサートで義捐金を集めた。
仕事を長期間休んで現地へ行って瓦礫を片付けるお手伝いは今の私にはできない。

「現地が大変な時に音楽なんかやってる場合だろうか?」というジレンマもあった。
被災地に住む私のブログ友達で音楽を本業にされている方の中にも、しばらくそのことに悩んでおられた方もいらっしゃる。

しかし、私としての結論はやはり「せめて自分にできること」、そして「音楽の力」がキイワードになった。

明日は我が身かもしれないが、少なくとも今はまだ直接の被害の出ていない東京で、「音楽の力」を介して人々が集まって来る、多くの人と感動を分かち合うことで、義捐金も呼んできてくれる!
震災直後から動き始めた「コバケンとその仲間たち」のメンバーとして迷わず参加を決め、演奏会の前日と当日に休暇願を出した。


いろんな音楽家の思いとサントリーホールを埋め尽くした観客の力がひとつになって、一晩で4000万ものお金が集まる現場に居合わせることができた。とても光栄なことだし、感動もたくさんいただいた。単に音楽が好きだから演奏したい、だけでなく、音楽を通じて何かができることを本当に幸せに感じると、いつもながらステージでも目頭が熱くなってしまう。



しかし考えてみたら4千万で仮設住宅が何世帯分建てられるんだろうか…?
県・自治体によっても、どこに仮設住宅を建てたらよいのかは議論の分かれるところ。
生まれ育った場所、地域のコミュニティを壊さない場所、再び津波が襲っても流されない場所…etc. 
ただなんでもいいから建てればいいというものではない。

それ以前に、日本赤十字社にはさまざまな団体・活動からかなりの義捐金が集まっているはずである。
でも、今いったい義捐金はトータルでいくら集まっていて、それが県別・自治体別にどう配分される計画なのか、何にどう使われるのか、被災者の手元にはいつ届くのか…といったことがあまりにも見えていない。

どんなボランティアでも、「これをやったからといって何になるんだろう?」なんて踏みとどまっていたら何も始まらない。とにかくやらないよりはやった方がいいことは確かだ。

ただ気をつけなくてはいけないのは、「なんとなくいいことをやった」「意義はあった」「嬉しかった」…といった自己満足で終わってはいけない、ということだ。

小さな公園でのバザーでもチャリティのフリーマーケットでも、皆が持ち寄ったものがどれだけになり、どれだけの成果があり、それがどこに寄贈されてどう生かされるのか…という流れがある。そこをちゃんと見届ける必要がある。

かつての阪神淡路大震災の時も、せっかく全国から集められた善意の義捐金がどこかの市役所で止まっていたとか、一部の不届き者が着服したとか…そんなニュースがあったように思う。とんでもない話だ!


国民ひとりひとりは、とにかく自分にできることを考え、思いやりの気持を育くんでひとつの大きな輪に繋がっていくことが大切。
ひとりひとりが自分自身を見つめ直し、相手の気持ちを考え、伝え、自分にできることを探し、その善意がどう流れ、どう生かされるか…

そのための仕組をつくることこそ、今まさに国・行政に求められていることではないだろうか? 今こそ日本が一丸とならなくてはいけない時、いや「なれる時」だと思う。

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No title

非常に素晴らしい記事で、頷きながら拝読させて頂きました。
今の日本の政治、世界から見たら国の恥だと思います。こんな非常事態に何を優先に考えるべきなのか、分かっていないのですから。(それ以前にこんなに首相がコロコロと変わる国、誰が信頼するんでしょうね。)
本当に今のくっだらない論議、「いい加減にしろ」と言いたいです。第一、大の大人が寄って集って一人の首相をこきおろすなんて、見苦しいです。どうして協力して助け合って、この困難を乗り越えようって誰も思わないんでしょうか? そんなことやっている時間、そんな無意味な時間に対して支払われている報酬を義援金にして回すくらいの気持ち、政治家にはないんでしょうか?一体何を考えているんでしょう?この未曾有の大惨事を何だと思っているんでしょう? 全く理解出来ません。

こういう状況を目の当たりにすると、「やっぱり被害にあっていない方は、所詮口先ばかりなんだ」と、思わざるを得ませんね。
震災から3ヶ月が経とうとしているのに、震災直後とさほど変わっていない被災地が沢山あります。それどころか、義援金が未だ配布されていない所も沢山あります。一体何を思い、何を考えているんでしょうか・・・

Re: No title

みどりさん

さっそくのコメントありがとうございます。
みどりさんはドイツ生活の経験もおありですから、日本を外から見る目もお持ちだと思います。やはり今の日本の政治の世界はちょっと異常ですね!
ただ、政治にだけ怒りの矛先を向けていても仕方ないので、われわれのレベルで、人としての原点に立って…という意味でこんな記事になりました。

よく政治家がどうしようもないと「そういう人を選挙で選んだのはわれわれ国民だから」という声が聞こえます。たしかに学級委員みたいに身近なところにいて行動・人柄がつぶさにチェックできればともかく、選挙前に街頭で演説したり政見放送に出て喋っていることと、実際に当選してからやっていることがまるでちぐはぐな場合、果たして選んだ国民に責任はあるんでしょうか?…その話はまたいずれ記事に書きましょう。

こういう時に感じるのは普段意識していない割に、災害が起きた時に急に芽生える『日本国民だから!』を主張する人々の多さです
『国の恥』だとか『国民として』、という言葉の重さを理解して発言している人は一体どれくらいでしょう
目くじらを立てて『今の首相はこれだから云々』を『国民性』 を掲げて発言するエゴが私には毛頭理解できませんし嫌悪です
経緯を知らない私たちが結果論だけを耳にして『国』の在り方を訴えたところで虚しく感じはしませんか
どの首相でも今回の災害で招いた、また新たに発覚した国会の脆さではこうなると私は思います
誰かに対する批判は簡単に出来ますし、それに伴い大きな自己主張と繋がってしまうから恐ろしいですね
果たして『国民』の皆様が急に口を揃えて言い出した『愛国心』の正義感が間違った方向にいかないことを願うばかりです
だからこそ『国が、』と大きな問題に一人が立ち向かうより、団結して出来る事から何かを『生み出す』というコバケン率いる音楽団のコンサートは大変素晴らしかったです

Re: タイトルなし

かすみさん

コメントいただくの、久しぶりですね!
そうですね、「日本人」とか「国民」という言葉は、単に国籍だけを問題にした人称ではなく、ある「認識」を伴った時に使われますからね。

サッカーが好きかどうか、ふだんからサッカーの愛好家かどうかに関係なく、サッカーの試合になると国民的に湧きあがり、テレビ中継の見られない飲み屋は閑散とし、街ではお祭り騒ぎになる。
ふだんとくにサッカーに造詣があるわけでもなく、「日本人」であることを誇りに感じ「日本の社会」「日本の将来」を考えて行動しているとも思えない人たちが、そういう時だけ「ニッポン、ニッポン」と湧きあがり、異様な集団行動に出て大騒ぎする。大声で迷惑をかけたりものを壊す…それを果たして「愛国心」というのでしょうか??

あの異様な盛り上がりを見ていると、かつて戦争に向かってイケイケムードに湧いて走っていってしまった状況も分かるような気がして、ひとつの“群衆心理”の恐ろしさを感じます。



スポーツでもなんでも世界の頂点を目指して技を磨いている人たちは素晴らしいと思います。 それを分かって応援している人は本当のファンでしょう。

音楽でも4年に1度のコンクールに向けて努力を積んでいる人たちが世界から集まってきます。最終的には1位・2位という熾烈な“勝負”になりますが、そこに行きつくまでのプロセス、自分磨き、そして最高にレベルの高い人たちとの出会い・共演があるわけですよね。

オリンピックやコンクールほどの最高レベルでなくとも、われわれも自分にできること・好きな活動を通じて、世界の仲間たちと友情の輪を広げていくことはできます。日本が勝つかどうかだけでなく「人」として、素晴らしいものを共に求めて、相手の素晴らしさも讃えて。

競争相手となる国にも素晴らしい自然・歴史・美しい街があるのです。国境を越えてひとつのことで競える幸せも感じるはずです。
その上であらためて「日本」の良さ、自然の美しさ、日本語の美しさ、日本人の素晴らしい気質など“日本人としてのアイデンティティ”を再発見できたらいいのです。相手国の素晴らしさも認め、それに恥じない「日本人」として。

本当にそのとおりです。私も最近はニュースを見るのが耐え難いです。
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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